2017年07月16日

『柏木如亭詩集2』に思う

 今から40年以上も前、大学入学後の教養部の英語の授業の一つは、チョムスキーの生成文法の解説書か何かを読むものだった。無知で凡庸な私だけではなく、周囲もあまり面白いと思っていなかった。それが伝わったようで、その英語の先生は、生成文法のテキストを継続して読むのを諦め、英詩をテキストとした。文学部のクラスだから、これはまあ面白い。予習するときに、ちょいと韻文風に訳していたものを、授業中に披露すると、「おおおー」と声が上がって、それから、皆が、意訳もかまわず韻文調で訳すようになった。
・・・という昔話を思い出したのは(といっても私のことだから、正しい記憶かどうかわからない)、揖斐高先生の『柏木如亭詩集2』(東洋文庫、2017年7月)のあとがきに、漢詩の韻文体風現代語訳を採用しなかった理由について、記しているからであった。井伏鱒二の名人芸を挙げながらも、それは絶句だけであったのに対し、今回は、律詩や古詩もあること、さらに典故を織り込む必要、さらには如亭自身が、『訳注聯珠詩格』で散文訳をしていることなどから、散文訳を採用したというのである。
 研究者として誠実な方法だと思う。漢詩の英訳などの場合はどうなのだろうか。ふと思った。情けないことに、そういうものを読んだことがないのである。俳句は3行詩にすることがあるが・・・・。
 ともあれ、事実上の如亭全詩集(訳注つき)の完成である。慶賀慶賀。


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