読書の秋とか、芸術の秋とか言うけれど、読みたい本やら、見たい展示やら、映画やら、演劇やらが目白押し。なのに・・・、とあとは言うまい。
ともあれ、短くとも、一つずつコメントしていこう。
まず、映画「関ヶ原」の封切のタイミングで刊行された、勉誠出版のアジア遊学シリーズの1冊、井上泰至編『関ヶ原はいかに語られたか いくさをめぐる記憶と言説』(2017年8月)。
井上さんの編で、秀吉の虚像と実像に、史学・文学双方から迫った本が少し前に出たが、本書は、関ヶ原合戦に関わりの深い武士たちの、実像よりも「イメージ」形成、あるいは彼らの語られ方(歴史叙述)に焦点を当てたもの。
各論者に共有されたという、(近刊が予告されている)『慶長軍記』が各論考を横断し、重要な役割を果たしている。
冒頭の井上さんの論。中野等さんの『石田三成伝』の第9章批判で、どちらかといえば中野さんの良心的措置で、これも不十分ながら書いておかねばなるまいとして付した、三成イメージ形成史の章への、異義申し立てのスタイルを敢えてとる。三成評価は、19世紀ではなく、17世紀から始まるのだという点を特に強調している。中野さんとしても、不十分なところは自認しつつ書かれたものなので、「テキスト批判」としての論述は、中野さんにちょっと気の毒な気がするが、歴史的事実とイメージ形成の両方に目配りするという点では、中野さんの著書とあわせて、「石田三成の虚像と実像」が浮かび上がると言うことだろう。
歴史叙述が宿命的に偽りを内包するというテーマは秋成の晩年の執筆倫理の問題と関わり、これがまた、西田耕三氏の新著に論じられるところだが、この話題は別エントリーとしよう。
2017年09月20日
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