久しぶりの鹿児島での日本近世文学会。以前の大会の時、山口大学に勤務していた私は、当時の私の愛車レビンで、同じ山口県の大学に勤めていた久保田啓一さん・高橋昌彦さんと鹿児島に向かい、帰りはロバート・キャンベルさんと宮崎修多さんも加え(もしかしたらキャンベルさんは行きも一緒だったかもしれない)、天草に寄って一泊という、楽しい小旅行をともにした思い出がある(ついでに言えば、天草では、スピード違反でつかまってしまった)。
学会そのものも、故中山右尚先生の仕切る懇親会や二次会が強烈なもので、レジェンドになっている。懇親会の出し物では当時鹿児島大学にいた国語学の江口さん(現在岡山大学)が、ギターかなんかであまり上品とはいえない弾き語りしていた。そのころ、若い発表者がスピーチをする慣習があったのか、高橋明彦さんがたしか発表をして、登壇する際にわざと転けて笑いをとっていたという記憶もある。2次会はあまりに異例すぎてここには書けない。
それは20数年前の話。今回は大阪から飛行機で。スタッフも当然変わって、丹羽謙治さんが実行委員長、亀井森さんが脇固め、後輩の内山弘さんも懐かしい顔を見せてくれた。
さて、恒例の学会記。鈴木彰さんの講演を聴けなかったのは残念であったが、8本の発表はいずれも水準以上の粒ぞろい。とりわけ私自身が個人的に感銘を受けた3本について記す。
閻小妹さん 『忠臣水滸伝』と『忠臣蔵演義』。『忠臣蔵演義』は『仮名手本忠臣蔵』の唐通事(通訳)による白話訳。その表現を京伝が『忠臣水滸伝』を創作するにあたって全面的に利用したということを見事に立証した、文句のつけようのない発表。では京伝はそれをなぜ利用しえたのか?閻さんは、背景に江戸文人の交流圏があるという。おっしゃる通りであろう。しかし、いよいよ明らかになる京伝の丸取り手法。一方で、奇想天外な発想を持つ戯作者でもある。この京伝の戯作者としての本質をどう説明すればよいのか?今後の京伝研究に期待大。そして、白話と近世文学というテーマもどんどん展開していく。
田中則雄さん 姫路騒動実録の生成と展開。関係文献を博捜した堅固な発表だが、まず従来知られる「姫陽陰語」の、ストーリーとして判然としない部分を指摘し、それが増補によって解消していくありさまをわかりやすく説明された。実録の成長を「問題点への対応」として整理していく手腕が鮮やかである。一方でそれとは違う系統の『忠臣河合実記』を紹介。当時の姫路藩における実説を摂取勘案するという「姫陽陰語」とは違う方法によって出来たものだと解説。非常によくわかった。
圧巻だったのは尾崎千佳さん。野間光辰先生や島津忠夫先生らが説いてきた、「宗因における連歌から俳諧へ」そして「宗因における出家」についての定説に対して、全く新しいイメージを提起した。大胆にして細心、パースペクティブもあり、読みの深さもあり、鋭さもあり。何よりも、宗因と、その交わる人との関係において、文芸をとらえるという、私としては、おこがましいのを承知でいえば、共感・連帯を強く感じるその視点での展開が、胸躍った。そして、口頭発表ならではの劇的な昂揚が会場を支配した。正味1時間はかかろうという中身の詰まった濃厚を、25分に圧縮して、猛烈な勢いで発表したが、そのためにわかりにくいところ、ついていけないところは全くなかった。そこにいるすべての者が集中する緊迫の時間が流れた。発表終了後に会場全体にどよめきが起こったのも宜なるかなである。このような発表の現場に居られて幸せである。鬼気迫るものがあり、尾崎さんの、学問というより、命をかけた発表で、近世文学会での名発表として歴史に残るだろう。
その他の発表にも触れたいところだか、取り急いでの報告。
2017年11月20日
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