2017年12月12日

兼好法師

小川剛生さんの『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』(中公新書、2017年11月)
この本、中公新書で好調な中世本ベストセラーズの一冊になりそうな勢いで、好調なようである。
現在広く流通している兼好の出自や経歴は兼好没後に吉田兼倶が捏造したものだったという衝撃的な小川説は、すでに少し前から、国文学研究者の間では知られていた。角川文庫の小川さん校訳の『徒然草』で、それは一般の古典愛好家にまで広がったが、今回のこの本で、さらに数万以上の人々に知られることになるだろう。それが10万となり、もっと広がることが望ましい。そして、日本文学研究者・学生そして国語科の教員は、必読の書である。
この小川説については、かつてこのブログで触れたので詳細は繰り返さない。
だが、この本のすごいところは、それだけではない。兼好の正体を明らかにしたのは、小川さんの広大深甚な学問の氷山の一角で、たまたま表に出てきたものに過ぎない。
この本には、驚くべき博学博捜に裏打ちされた知見が、その一行一行に散りばめられているのである。もちろん、私自身が無知なこともあるが、のけぞったり、膝を叩いたり、電車の中で冷静な顔を装って読むのが辛いくらいの衝撃の連続であった。このブログを読むような人は、おそらくこの本も読むような人が多いだろうから、具体的にいちいち記すことはしないが、例えば兼好がみた「内裏」はいわゆる「大内裏」ではなく、洛中の廷臣の邸を借り受けた里内裏であったとか、古典和歌がほとんど題詠であり、本意を重んじ、個人の感動を詠まないのは、前近代は異なる地域階層の人とコミュニケーションを取れなかったことに答えがあるとか、さらりと書かれている。
 うなるポイントは人によって違うような気がする。私などがうなるところは、小川さんにとっては多分当たり前のことだろう。しかし中世文学の専門家でもうなるところはきっと多くあるのではないか。残念ながら、そこのところは門外漢にはわからない。もちろんこの本は一般書であるから、それでいいのだが。
この本は、学問というものが、どれだけ厳密なものかということも教えてくれる。それなのに、わかりやすく、面白い。
この本が売れているとしたら、日本の学問的良心は捨てたものではない。



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