10月4日、大阪大学豊中キャンパスで「文学研究における内と外−日本とドイツの視点から」と題するトークセッションが行われた。ハンガリー出身、ドイツ在住で日本文学を研究しているハイデルベルク大学のユーディット・アロカイさんと、プラハのドイツ文学を研究している大阪大学の三谷研爾さんのトークに、東欧音楽を研究している伊東信宏さんがコメントで絡む。司会はハーバード大出身で、漢詩文を研究している大阪大学の山本嘉孝さん、山本さんは最近もハイデルベルク大学で英語授業をやってきたばかりである。彼らが、常に内と外を往来しており、また研究対象も、対象のど真ん中ではなく、外からみるような所がそれぞれにある。
このトークセッションの翌日早朝から東京に出かけたのだが、聴講メモを忘れてきてしまった。日曜日まで東京にいるため、間をおかないうちに、記憶で書いておく。不正確なところがあったら、後日メモを見て訂正したい。
聴衆は予想を遙かに超える約40名。当然のことだが、留学生も多い。彼らはまさにこの問題の当事者である。もちろん外国文学や比較文学を研究している日本人学生、外国で発表を考えている日本人学生も参加している。みなさん「面白かった〜」と口々に言っておられた。
アロカイさん、三谷さん、伊東さんともに、それぞれの研究体験を語る中で、問題点が浮かび上がってくる。
たとえばアロカイさんが経験した日本文学の翻訳の問題。一語一語訳していく中で、日本人が意識しないことが翻訳上問題になる。単数と複数の問題。どちらかに決めないといけないが、それを日本の注釈書で触れることはない。外からだから見えることがあるわけだ。
三谷さんは、プラハのカレル大学の日本文学科の創設メンバーであった先生が、芭蕉の句をプラハ言語学で解釈したという話に感銘を受けたという。しかし日本文学の研究者にそのことを話したら「外国の研究者が考えそうなことだ」と一笑に付されたという。たしかに日本文学は日本人にしかわからないという、根拠のない考えに今でもとらわれている人がいる。
伊東さんは80年代にハンガリーに留学した時、当時「東京カルテット」という楽団がバルトークを演奏した音源を当地で披露すると「なんだ、これは?」と言われたらしい。三谷さんの話を逆転したようなエピソードである。
これに関していえば、私にも思い出すことがある。内と外は国境で線を引かれているわけではなく、たとえば、関西(上方)とそれ以外、とか大阪とそれ以外というような引き方もある。上田秋成は大阪生まれ。秋成の文学は大阪の者ではないとわからないという言説がある。実は、秋成研究者には、大阪・関西出身以外の者が多い。私じしん九州ものだし、第一線で活躍してきた(いる)秋成研究者といえば、関東・北陸・四国などの出身者が多い。大阪出身の研究者から、「秋成は読めばわかるから研究する気にならない」という意味のことを言われたこともあるが、実際、大阪出身の秋成研究者は少ないのである。ただ、私自身、大阪に住んでみて、地理感覚などはじめてわかったことが多いのもまた事実である。
内と外の議論は、このように国境だけの問題にはとどまらないし、地域性の問題におさまるものではない。文学研究・歴史研究・思想史研究の間にも、内と外がある。
ただし、そのボーダーをどうやってなくすのだろう。伊東さんから「世界文学」概念をどう思うか、という質問が出た。ダムロッシュの「世界文学とは何か」で提唱された概念である。三谷さんが、「かつての世界文学はオリンピックみたいなものだった、イギリスからシェークスピア、フランスからバルザック、ロシアからドスとエスフスキーが出てきて、競うイメージ。今いう世界文学は、もっと種々雑多なものを扱う」と。アロカイさんだったかと思うが、「しかし英語翻訳のあるテキストしか使えないところに問題がある」と。
この英語バイアスの問題は、「世界文学」だけではなく、文学研究全体の問題でもある。世界共通言語=英語という側面があることは否定できないから、今後、研究の国際化といえば、文学研究に限らず、英語での読み書きや、会話能力は、必須である。自分のことを棚に上げて、学生にはそのように言っている。しかし、英訳だけで論じている文学研究世界というのは、ある意味貧しいことも事実である。
山本さんは、外にいるとしても、原本にあたることは重要で必要なスキルではないかと言う。ハイデルベルクの学生にも、くずし字を教えながら、そう説いてきたそうだ。
フロアからの質疑も非常に活発であった。みな自分自身の抱えている問題なので切実なのである。100分はあっという間にたち、まだまだ質疑は多く積み残された感じがある。このトークセッション、シリーズ化して、続編をやったらいいかもね、と、あとの小さな懇親会でも話題となった。
2018年10月06日
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