日本近世文学会秋季大会は愛媛大学で行われた。38年ぶり。長島弘明さんの閉会の挨拶で、そのことに触れられたが、実は私にとってはじめて学会に出たのがその38年前の学会だったのだ。小倉から夜行のフェリーで園田豊くんと行った。雑魚寝だったが、隣のグループがたまたま、私の同級生の結婚式に向かう人たちだったので吃驚した。朝早く着いたのですることがなく、道後温泉に向かい朝風呂。お風呂にいたのが長島さんだった(その時はそれと知らなかったのだが、学会で、「あ、あの人は・・・」となったわけである。白石良夫さんから紹介され、抜き刷りをいただいた)。
おっと昔話はこれくらいにして、今回の学会。神楽岡幼子さんのお世話だったが、まことに行き届いた運営で、素晴らしいの一言。とくに懇親会のお料理・お酒の美味しかったこと。
初日は、鈴鹿文庫と愛媛の芸能をテーマにしたシンポジウム。前半は方丈記・徒然草の話題で、中世文学とクロスする内容。中世文学の専門家の質問もあり、スリリングに展開した。後半は、川名津神楽というアクロバティックな「柱松登り」の神事が、動画で紹介され、これまた息をのんだ。
二日めは研究発表が九本。こちらは質疑応答が非常に勉強になった。たとえば演劇ネタを草双紙化する場合の傾向がデータで示されたが、なぜそうなるのかというのが、ベテランの研究者の方々の質疑で明確になった。私が司会をした都賀庭鐘の作品について中世文学専門の方が、三国志享受という枠組で南北朝期の学問の影響を指摘されたが、質疑は庭鐘の『英草紙』や近世の同時代の文芸・歴史観からのもので、応答は残念ながら絡んでいたとはいえないが、庭鐘をそういう枠組で扱うという発想は近世文学研究側にはなかなかない。あえてアウェーの日本近世文学会で発表されたのは、開催大学の方だったということもあろうが勇気の要ることで、有り難かった。
会員が漸減しているこの学会で、もはや近世文学研究という枠組だけでの議論は、縮小再生産になってしまう恐れがある。意識的にディシプリンを越えた企画や、発表勧誘があらまほしく、そういう意味で、今回の愛媛大学の試みは、そのひとつのモデルであった。昨年の鹿児島大学でも中世文学の専門家をお招きした。講演やシンポで、他分野の人をどんどん呼び、学会発表もしていただく、これがダウンサイズは避けられなくとも、活発に学会を運営する一つの道だろう。
2018年10月22日
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