2018年10月28日

祈りと救いの中世

私は学部生のころ、親鸞の『教行信証』を唸りながら読んでいた。
その論理の構築に興奮しながら、日本思想大系の頁をめくっていた。
私は西洋史学に進学予定だったが、その本によって、日本の仏教文学を研究しようと転向することになり、日本文学に進学、中世文学の研究書をあれこれ読んだりもしていた。中世の、死を見つめながらの思索的な世界に憧れていた。
どういうわけか、というよりも、日本文学に進んで見ると、中世文学の先生はいなかったので、結局またまた小さな転向をして、近世文学を研究することになった。なにか、ずっと違和感を感じつつ、今日に至るわけである。しかし、近世を選んだことはもちろん後悔していない。
なぜなら、違和感を感じたつづけてきたことが、自分にとっては幸いだったと思っているからである。
しかし、学部のころの仏教に対する探求心のようなものは、いつのまにかどっかに行ってしまい、中世文学研究にも、ごく一部をのぞいて、目配りをしていなかった。
しかし、今、開催されている東京立川の国文学研究資料館の特別展示、「祈りと救いの中世」(10月15日から12月15日の期間、開催されている。日曜、祝日と11月14日が休館)の図録を拝見して、40年ぶりくらいに、それが蘇っているのは何故なのだろう。いや、正確にいうと、少しは近世文学を研究したことで、新たなアンテナが立ち、反応しているのだろうか。図録の巻頭言ともいえる「祈りと救いの遺産ーテクストに託された唱導のはたらき」という阿部泰郎氏の文章にのめり込んだ。そうか、唱導とテクストか。もちろん近世でも堤邦彦氏がこのテーマをずっと追っている。私はそれを唱導とテクストの関係という問題意識であまり見てこなかったのだ。唱導行為をテクストや絵に移植する時に、文字あるいは料紙のもつ様々な制約と制度から、衝突がおこり、その負荷とも呼ぶべきものに、思想や文芸の可能性がある。
 とくに絵の問題は、これまで私があまり顧みなかったことだが、このごろ絵入本ワークショップに参加しているせいか、絵の意味を考えるようになってきているので、今回の展示でも、唱導というパフォーマンスとテクストそして絵の三者の、さまざまなベクトルを想像していると、脳内がいったん混乱するなかから、ある思念が立ち上り、錆びた部分に注油されるという感覚を覚えるのである。
 実は、この期間、東京に行くことがかなり難しいと感じているが、これは無理してでもいくべきなのではないかと、学部生のころの自分が今の自分に呼びかけている。
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