2019年01月06日

古典は本当に必要なのか

 1月14日(月)14:00から17:30まで、明星大学で、古典は本当に必要なのかを、古典否定(不要)派、古典肯定(必要)派が火花を散らしてガチ議論する公開シンポジウム「古典は本当に必要なのか」が開催される。主催は明星大学日本文化学科、コーディネーターは直前のエントリーで紹介した『怪異を読む・書く』の編者、勝又基さんである。詳細な内容は、明星大学のこちらのウェブサイトでご確認いただきたい。入場無料・予約不要・使用言語は日本語である。関心のある方々のご来場を、お待ちしている。
 人文学の危機、文学部不要・縮小論が言われはじめて、すでに10年以上たつだろうか。流れは加速しているように見える。これに抗するかのように各大学の文学部では、文学部の意義を再確認したり、逆襲の論理を模索するシンポジウムが開かれるようになった。
 今回は文学部の存在意義を議論するのではなく、古典の存在意義を議論するものだが、重要なのは、人文学や文学部の存在意義に疑問を抱いている識者が登壇し、古典不要論を説くのに対し、実際に古典教育・研究を行っている側が、これに反論するという基本的構図があるということである。
 不要派の一人猿倉氏は「現代を生きるのに必要度の低い教養である古典を高校生に教えるのは即刻やめるべき」という挑発的な、しかし論点の明確な題目を出されている。もうひとりのパネリスト前田氏は、某大手電機メーカーOBであるが、理系目線から「古文・漢文より国語リテラシー」と題する発表を行う。迎え撃つ形の肯定派パネリストは、和歌文学研究者で昨年角川源義賞を受賞した渡部泰明氏と、「医学書のなかの文学」という著書もあり、江戸の「理系」書も博捜している近世文学研究者の福田安典氏である。二人ともオーソドックスな日本文学研究者ではなく、結構とんがっているところがあると私は思う。
 否定派は厳しい論理で、「古典」不要を説くだろう。今回のパネリストはガチの否定派であって、まったく容赦はないはずである。日本文学の研究者はこのような古典否定派の批判にほとんどさらされたことがないのが実情である。文学部の中だけで、その支持者だけで、文学部の意義とか、力とか、逆襲といっているのは、やっぱり温室の議論ではないのか。コーディネーターの勝又さんの問題意識はそこである。相談を受けて私も共感した。当初、本当に壇上に立ってくれる否定派がいなさそうだったが、本物の否定派、日本文学研究者に全く知り合いのいない、つまり遠慮する必要のない立場の方とコンタクトが取れた。もしかすると、最強の古典否定論者かもしれないという方々である。
 私が司会をすることになった。勝又さんも私も、古典を教育・研究しているが、現在の古典教育研究のあり方に問題があることを感じている。我々はまず、シビアな不要論を受け止めるところから始めなければならない。古典擁護派がこれまで説いてきた議論が、本当に否定派に通じるのかどうかを確かめなければならない。
 どっちが勝つか、というイベント性を装っているし、事実、添付したチラシの図案は映画「仁義なき戦い」をもじったものである。しかし、このイベントから、古典教育研究のめざす方向が見えてくるのではないか、あるいは全く意外な副産物があるのでは、という期待がある。本気の批判を受け止めてからではないと、本気の改革は始まらないのではないか。議論の時間は90分が予定されている。フロアからの質問や意見も交えて進めてゆきたいと考えている。是非是非、シンポジウムにご参加いただきたい。image.png
 
追記。このシンポジウムを前に、ツイッターなどのSNSで前哨戦ともいうべき議論が巻き起こっている模様である。ツイッターでは#古典は本当に必要なのか というハッシュタグを辿れば、ある程度議論が把握できると思う。
posted by 忘却散人 | Comment(4) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
古典が不要ということでしたら、歴史(日本史)も不要ということなのでしょうか? 日本史を考え、構築するには、史料を正確に読み解かねばならず、そのためには古文は必須だと考えます。百田某のように、自分の都合のよい方向に歴史の流れを持って行き、それで良しとするならば、古文は不要でしょう。
Posted by 服部仁 at 2019年01月11日 10:41
服部先生、コメントありがとうございます(以前のコメント、見落としていて失礼しました。反映しました)。否定派の、特に猿倉氏の演題は過激ですが、要は「古文」「漢文」は高校の必修から外すべき、という主張だろうと思います。「古典は必要か」という問いは、古典教育・古典研究を、他の教育・研究(たとえば美術・プログラミングとか)に優先する根拠があるか、という風に置き換えられます。古典擁護派は、これを応用科学系の研究者や税金を納めている国民に説明する論理とできればエビデンスを示す必要があるのではないか、というのがシンポの趣旨です。そのために否定論者の論理をまず聴かねばなりません。
Posted by 忘却散人 at 2019年01月11日 11:23
本日新元号の発表がありました。
古典を必修としなければ、「万葉集」が日本最古の歌集であることすら、常識として知らない人々が多数現れることになるのではないでしょうか。
学校で習ったことは、ほとんど忘れてしまうけれど、「古典」とはどんなものだったかを、感覚的に覚えていることが重要なのだと思います。ずっと後になって、興味を持てば、その時に自分で勉強すればいいけれども、そのはじめの一歩は、高校時代に教えられていないと記憶には残りません。
理論武装はできていないけれど、「新元号」を「万葉集」からとった事実とその理由からも、日本の高校生が古典を必修として学ぶ意義はあると思います。

ちなみに、1000年以上前の文化を日本が持ち続けていることは、日本の誇りです。世界をリードするアメリカ合衆国は建国たかだか240年。1000年以上前の古典を必修にしたくてもできないのだから。

古典を必修から外したいという風潮があるとすれば、それは明治維新後に、日本の古い文化を置いて、欧米のしていることを何でも真似た風潮に似てるように、わたしには思えてなりません。
Posted by パドメ@ツイッター at 2019年04月01日 13:03
先ほどのコメントに追伸します。

古典がプログラミングとかに優先する根拠について

一言で言えば、日本の古典を学ぶということは、日本が持つ個性と歴史を学ぶことだと思うのです。そういう意味では、日本の美術も、古典とリンクして同等に学ぶ意義はあるとは思います。(源氏物語絵巻や南総里見八犬伝における北斎の挿絵などなど)
例えば、万葉集の「防人の歌」では、当時の大陸との関係、当時の国の状況も推測できます。枕草子の「香炉峰の雪」の段や源氏物語の「桐壺」の段を見れば、当時の貴族が漢文を学び、大陸から多くを学んでいたことがわかります。それをきっかけに私たちは白居易の長恨歌を漢文で読んだりして、中国の古典に触れることもできるし、遙か昔から日本が外国といろいろな関係を築いてきたこともわかります。
古典を学ぶということは、古典の周辺にあるものまでも含め、現在まで継続してきている歴史、文化、そして日本人とは何か、日本とは何かという、アイデンティティのような、根源的なものを考えるきっかけとなるものだと思うのです。

プログラミングを学ぶことも大事かもしれませんけれど、古典を学ぶこととは、根本的な意味で違うと思います。

プログラミングに関していうと、わたしは理系出身で、昔は自己流でプログラミング言語をいくつか勉強したこともありますが、今となっては、プログラマーを職業としない限りはプログラミングを古典に優先してまで、学ぶ必要があるとは思えません。そもそも、コンピューターや人工知能と呼ばれるものの発展はすさまじく、人間が学ぶスピードをはるかに超えて発達してゆくので、「プログラミングを学ぶ」では追いつかず、たしなみとして「プログラミングの考え方を学ぶ」と言った方が良いのではないかと思い、優先度は古典よりはずっと低いように思います。

ps;否定派の意見に、高校で「学ばない自由」という話がありましたが、それを肯定するなら、高校の科目に「必修科目」は必要ないのではありませんか?
中学卒業くらいの時点で、自分の学びたい分野、進路を決めて、それ以外は学ばない、という選択をするのは、受験を控えた忙しい中学生には難しいと思います。
わたしは高校卒業前でさえ、自分の進学先に悩んで、結局親と高校の教師の勧める道を最終的に自分で決めました。中学卒業時点で(=高校に入ったばかりで)、自分の学びたい教科を選ぶなんて、できるとは思えません。その時点で選ぶなら、“学ばない”教科とは、“嫌いな”教科や“苦手な”教科だと思うのです。嫌いな教科や苦手な教科は、高校では学ばなくていいのか、という議論になるのではないでしょうか?
私事ですが、高校時代、世界史が大嫌いでした。でも、今思えば、必修で良かったと思います。欠点を取るほど苦手でしたが、それでも、今、当時の記憶が少し残っているからです。あのとき世界史の先生が熱心に教えておられたことは、こういうことだったのか、と今になって思うことがあるからです。嫌いな科目だから、選ばないというのは、違うと思うし、高校生の「学ばない自由」ってなんだろうって思います。

Posted by パドメ(放送大学生)@ツイッター at 2019年04月01日 15:22
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