2019年05月13日

宗因先生こんにちは

これ、『宗因千句』注釈の本の題名である。和泉書院から、2019年5月刊行。副題に「夫婦で『宗因千句』注釈」とあって、「そうなのか」、とわかる。
そう、これは夫婦で連歌俳諧研究者である深沢眞二・深沢了子夫妻の、対談形式による注釈である。今回はその上巻で、雑誌「近世文学研究」に連載のもの。
このブログではじめてとりあげたのが2011年の秋だった。あのころは私も少しはブログ記事に工夫をしていて、『雨月物語』「浅茅が宿」の登場人物である勝四郎・宮木夫婦の対談形式でのレビューだったのだ(レビューって、内容ほどんど触れていないのだが・・・)。読んでいない人もいるだろうからここで再掲しておこう。

勝四郎:ノリコとシンジがユニットだよ。
宮木:えーっ、酒井法子と原田真二?!
勝:古いなあ。深沢夫妻のことだよ。
宮:あーっ、なるほど。了子さんと真二さんね。あなた夫婦だからユニットあたりまえでしょ。
勝:でも、俺たちはそうじゃなかったな。ってその話じゃないよ。そうじゃなくて、「近世文学研究」第3号(2011年10月)に、宗因独吟「つぶりをも」百韻注釈を、対話形式でやっているって話。
宮:知っているわよ。「世の中に」に次ぐ第2弾ね。
勝:あの二人だから、中身はすごく充実しているし、勉強になるね。
宮:でも対話形式ってところが面白い趣向ね。
勝:そこだよ。むかし木越治さんが「対話形式による文化五年本春雨物語論の試み」だったっけな、そういう論文を対話式で書いていたし、新聞での五人女の連載もりえとひかるという女子大生を登場させてやってたし、西田耕三さんが、対話形式による書評というのをやっていたが、いずれも一人二役。でもこれは、正真正銘二人の対話形式。しかも夫婦だよ。
宮:拾い読みしたけど、面白いわね。夫婦ならではの会話というか、ちょっと脱線するじゃない。
勝:どちらかというとノリコさんの方が、面白いことをよくいうよね。
宮:私とちがって、ユーモアがあるわね。
勝:こういう注釈なら、すらすら読めるなあ。
宮:って、読んだの?
勝:いや、まだ。少しだけ。葛のうら葉のかえる秋にはきっと読むよ。
宮:もう秋なんだってば。

いや、なかなか草。(追記:これを書いている時に「草」というのはDisりだと思っていて、自分のギャグを自虐的にくさしていたつもりでしたが、どうも、草には「笑い」という意味しかないようなので、それだと自賛みたいになってしまいます。それで、「草」を「ださー」に改めておきます)

そのあとも何回か紹介しているが、「この注釈は、ご夫妻が本当に楽しそうに会話しているかのように作文されています。しかし実のところ、どういう風に作られているのだろう?と、どうでもいいことに興味が向かいます」と疑問を呈していたら、「それは企業秘密です」とこの本の後書きで答えられていた!とは嬉しいというべきか、恥ずかしいというべきか。だって他の方の名前もたくさん出ているけれど、みなさん、お二人の注釈の内容に具体的に関わるご指摘やご意見を述べた方ばかりですから。そういうことを述べて後書きに載るとは、なんとも恥ずかしいのう、やはり(←なんで急にじいさんになる)。

とくに、尾崎千佳さんが何度も登場する。尾崎さんが宗因研究の第一人者であることと、尾崎さんの誠実さ。真面目さによるもので、すごいなあと一々感心する。そう、この注釈は夫婦対談形式というのが異例なら、そこに寄せられたコメントを(多分、許可が得られた方のは全部)そのまま掲載しているということである。さらに、それへのご夫婦のコメントもまた載せているのである。まさに場の文芸に相応しい本づくりである。
 さて、またまた内容に関わらないことばかり申し上げているが、この注釈が連載されていた『近世文学研究』が終刊となってしまって、ユニークな夫婦注釈の掲載誌がなくなってしまった・・・。そこでわが『上方文藝研究』がご相談をうけた。「査読しますよ」というのを条件に、投稿していただいたのが、前号の注釈だった。合評会には尾崎さんもいらっしゃって、激論が戦わされたことは記憶に新しい。そういうことで、この本は深沢夫妻+そこに積極的にコメントした人々が作り上げた、注釈の巻なのであります。忘却散人はそれを紹介するだけなのであります。

こちらに詳しい情報があります。
 

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