2019年09月02日

「勉強をしていない」(立教大学日本文学122号)

ちょっと理由があって、立教大学日本文学会から「立教大学日本文学」122号を送っていただいた。
そこに、名古屋大学との合同研究会の報告みたいな特集があって、「教員セッション」のトップバッターとして石川巧さんが話をしている。
この文章に引き込まれた。
というのは、石川さんがここに書いているが、彼がはじめて赴任した山口大学(教養部)の、専門としては最も近い同僚が私だったからだ。
30歳の石川さんにきていただいて、ある意味、彼の人生はそこで大きく運命づけられるのであるが、その後、九州大学に移り、さらに今の母校の立教大学に、いわゆる「帰った」のであるが、山口大学時代の彼のことを私は近くで見ていたので、ここに書かれていることが非常によくわかるのだ。山口大学・九州大学のころの石川さんは、

「研究上の苦悩など殆どなく、自由に研究ができていたような気がします」
「東京(=中央)を仮想的に見立てて、「オレは地方に根を張って、いま自分が立っている場所から見える光景を問題化していくんだ」と」
「私の三〇代は、毎日ひらすら勉強し」

当時は「国文学」や「解釈と鑑賞」といった商業雑誌があり、若手研究者にはよく無理難題のテーマが与えられ、それがいい修行になったという話もされている。

立教に来てから、大型プロジェクト・学内外の共同研究・海外の大学との交流など「欲」がでて、研究計画書ばかり書くようになった。自分の論文より学生の論文のチェック・・・・。

「結局、自分が「勉強をしていない」ということに突き当たるわけです・・」

(私は)30代の時にも勉強していなかったという点が(石川さんと)違うが、それ以外は「実によくわかる」と思う。
実際は石川さんが私の何倍も教育研究に時間を割いているに違いないので、僭越だが気持ちは「よくわかる」。
それにしても、すごく率直に話されているので驚いた。
石川さんは、まだこれから十年の展望をすることができるが、私にはその時間も残されていないのに、なにかまだいろいろなことをやろうとしていて、「勉強をしていない」。

この焦燥感というもの。これはもう正当化なんてできない。

私の30代も石川さん同様山口大学とともにあって、まだ大学教員は余裕があった時代で、あーあのころをもっと計画的に有意義にすごせば・・・という悔恨にいつもさいなまされるのだが、一方で自分自身にも淡泊なので、まあ仕方ない、それがオレだから、と諦めてしまうのである。
だから、なにか自分の心の声を、スピーカーモードでさらされたような、そんな恥ずかしさを感じつつ拝読した石川さんの文章であった。

石川さんの作品論は非常に面白かった。しかし作品論に興味を持てなくなったというのは、時代の先をやはり読んでいたのだと思う。私は50になっても作品論を書いていた。いまはちょっと別のことがやっと面白くなってきたところだ。まあ12月には、25年ぶりに、文学の話でもしてみたいと思う。







posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。