2019年09月09日

第49回西鶴研究会

通常は、東京で年2回行われる西鶴研究会。久しぶりに大阪での開催となり、9月7日に聴きに行きました。阪急インターナショナル内の関西学院大学サテライト教室。素晴らしい立地ですね。印象的だったことを、メモります。
発表2本と講演1本。
 長谷あゆすさんの『本朝二十不孝』の一篇、「親子五人仍書置如件」。富裕な財産「見せかけ」のために、虚構の遺言書を書くからと、息子たちに言って死んでいった虎屋の家長。この虎屋のモデルとして三井越後屋が考えられるとし、そう考えたら読みが拡がるという。その通りだなとは思ったが、これでもかこれでもかと繰り出す資料でそこと結びつけようとするのは逆効果だったかなと。長谷流の読み健在というところだが、遺産が多いように見せかけるという趣向、次男以下が急転遺言書通りの相続を主張する展開、さらには壮絶な殺害事件という結末、こういった部分に、三井越後屋の影が指摘できればね。長谷さんは論が立ち、調べがすごい方なので、この方法を「一度」捨ててみて、別の問題の立て方をしてみてほしい。ついでに西鶴からもちょっと離れてみてほしい。懇親会で話せなかったのが残念だったが。というかその時伝えたいことが茫洋としていたので、この場を借りて記しておきたい。
 対照的に染谷智幸さんの発表は、昨今の『男色大鑑』ブームの経緯と展望、古典作品を社会とどうつなげるかの事例報告だが、最後におっしゃった「現代語訳が大事」とのお考えに同意した。わたしの疑問は今のBLブームに乗ったから上手くいった特殊ケースなのではないか、ということ。でもその時流を捉えた嗅覚は、研究者的ではなく、プロデューサー的。いまこれが古典研究者には必要なのだ、と私は思う。染谷さんは東アジアを視点に日本文学を照射する国際派。韓国語でも発表できる。今後の日本文学研究、社会との連携の展望について、懇親会や二次会で意見交換した。
 最後の河合真澄さんの講演は、西鶴の表現を「利用」した役者評判記の文章から、逆に西鶴の難読箇所を解読するというやり方。すべての例示が鮮やかで、難読箇所を放置して作品を論じるなんて空論よ、というメッセージが込められている。河合さん自身が言っていた「京大流」である。私の母校もどちらかというと京大流の学風で、注釈を徹底的に突き詰めてそこから突破口を開くという論のスタイルが、研究者としての私の血液にも流れている。京大流は、それで終わらず、大胆な読みに繋げていくところがある。そこがスリリングなのだが、河合さんはあえてそこを封印して、京大流の基本を示して見せたといえる。これぞ関西での開催の大きな意味であろう。
 まさに三者三様。そして、西鶴研究会は次の50回で一応の区切りを迎えると。世代交代の意味もあり、日本文学研究を取り巻く状況の大きな変化という背景もある。妥当な判断だと思う。そもそも一人の「作者」の名を冠した研究会というものの可能性よりも、限界の方が今は突きつけられている。では西鶴研究会はどうリニューアルされるのか?それは、ちょっと注目してみたい。
posted by 忘却散人 | Comment(2) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
取り上げていただき有難うございました。ご返答をここに書かせていただこうかと思いましたが、少し長くなりましたので、拙ブログに載せました。上記のアドレスです。
お時間のある時にご覧いただければと存じます。
Posted by 染谷智幸 at 2019年09月11日 13:54

染谷さん、コメントありがとうございます。ブログ拝見しました。
Posted by 忘却散人 at 2019年09月16日 12:00
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