というわけで、京都国立博物館へ。かなり(妙法院展で)お腹いっぱいなので、ここはさらっと、と思って入館した。だが、ここの展示もフルコースディナーだった。満腹を通り越して、朦朧とするくらいだ。
佐竹本三十六歌仙絵だけでなく、人麻呂像特集など、和歌関係の展示で充実していた。しかし、やはり佐竹本三十六歌仙絵というのは、すごかった。もともと秋田佐竹藩所蔵のお宝の二巻の巻物だったのが大正年間に売り出されたものの、今のお金で約40億ほどの値がついて誰も買えない。そこで、当時の財界の中心にいた、三井物産初代社長で数奇者の茶人である益田鈍翁が、これを歌仙一人ずつに切断し、お仲間の富裕な茶人たちで分けて買うという大胆なことを考え、実行したのである。それも、どれを買うかは籤引きなのである。とんでもない話だが、これが、1つ1つ趣向を凝らした掛け軸となって蘇り、あらたな美術品となった。つまりどういう表装を施したかというところも大きな見どころとなる。いやはや、昔の実業界の人というのは、江戸時代の富裕町人と同様に粋人である。茶会が彼らの社交の場である。今とは文化観が違う(「文化度」と書いたら怒られるので、「文化観」とした。今なら富裕層や政治家は大抵、社交(外交も)はゴルフなんだろう。首相でもそうだし)。茶会のためには茶のことはもちろん、華道や、古美術にも通じていなければならない。くずし字だって当然読めないとね。
三十七の絵のうち、今回三十一を集めた。どれだけの苦労があったことか想像するにあまりある。一堂に会すとはこのことであり、これらをひとつひとつ見ていくことで、所蔵者たちの美への執念を比べながら見ていくことができるのである。みながら「古雅」という言葉が強く実感される。巻物のままだったら一体何メートルになるのか知らないが、全部を展げてみることは、博物館であっても不可能である。掛け軸になっているからこそ、全部(三十一点だが)が見られるのである。ホントすごかったです。
2019年11月03日
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