2020年03月27日

怪異をつくる

木場貴俊『怪異をつくる‒日本近世怪異文化史』(文学通信、2020年3月)。いただいた。
歴史学の立場からの近世怪異文化史。今までなかった、怪異意識史。文学研究の目の届かない資料、視点が満載で、本当に文字通り私たちの役に立つ。
木場さんは、子供の頃から水木しげるに傾倒していたという筋金入りの怪異オタクと見受けられるが、大きな視野から怪異史を構想する力もあって、いわばミクロとマクロの両視点をもつ方。わが師もそうだったが、これは学者として強い。
序章に4つの課題。近世人はなぜ怪異を記録したか。(事件としての怪異)、2中世から近世へ。政治と怪異の関係が重要、宗教と学問が関与。3は学問と怪異の関係。4は怪異はどう表現されるか。ということ。やはり我々の問題意識と少し違うなという印象。以下、各章ごとにキーワードを抜き出していく。第1章林羅山。「子は怪力乱神を語らず」。朱子学では「怪異」「勇力」「悖乱」「鬼神」をさし、それぞれ常・徳・治・人に対する概念であると。この基本は押さえておかねばならないと肝に銘じる。「羅山にとって[怪異]とは、教化の道具であった」第2章政治。日本において怪異を語ることができるのは国家であったということ。神仏と深い関わりがあり、占いで対処を決める。政治と関わる恠異を「恠異」で表現している。うかがいたいのは「その根拠は何でしょうか?」論述のための便宜的なものではないと思うので。徳川初期はこの「恠異」が活きていた。それがだんだん自然現象と片付けられる。また法によって奇異妖怪説をいうものは取り締まれる。「馬の物言い事件」などはそうである。納得。江戸時代は恠異を語る人間は処罰されるのである。しかし一方で恠異が盛んに出版されるのは何故なのかという問題設定が深く感じられる。一方朝廷では「恠異」が生き続けることも指摘。第3章本草学、モノとしての怪異。また補論の『日東本草図纂』が江戸の怪談集を典拠にしている具体例は近世文学研究にも有益な指摘。第4章、語彙。怪異に関する言葉の研究は「怪異」「物怪」など。辞書の検討。妖怪・変化・化物・化生の物は同義で互換性あり。「化生」は「四生」のひとつで仏語。何もないところから出生、あるいは形を変えて生ずること。化生であることは不思議であることではない。鬼・樹神・河童・天狗・猫又なども検討。第5章、語彙A。『太平記』『伽婢子』。「奇」の説明も。また「子不語怪力乱神」の徂徠解釈。第6章民衆の怪異認識。政治的な恠異からの脱却。稀少な出来事=怪異。唯心論的怪異認識。「妖怪革命」(香川雅信)。第7章化物絵、描かれる怪異。図入り事典と絵巻・絵手本。このあたりかなり生き生き書いているのがわかるところ微笑ましい。8章ウブメと9章河童は具体的なモノに即してその歴史的流れを追いかける。補論三の「大坂」は西鶴・庭鐘・秋成・懐徳堂を扱う。西鶴で拙論を引いてもらって恐縮。秋成と懐徳堂は怪異の受け入れ方が真逆だが、どちらも「合理的」というのは頷ける。西鶴の「人はばけもの」認識をその起点においてみせる構想に感心した。10章 古賀侗庵。懦者が怪異を記すことの意味。格物致知のための素材。無鬼論ではなく理気論で[怪異]を平常化。メモっぽい紹介で申し訳ないが、なんとなく本書の叙述内容のイメージが伝われば御の字である。
 ちょっと突っ込みたいところもないことはない。それはご本人に直接伝えることにしよう(笑)
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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