あけましておめでとうございます。
昨年は全世界が同じ問題で悩まされ、必死で解決に向けて知恵を絞りながら、事態の収束には至らなかったという歴史に残る1年になった。
ただ、歴史的に見れば、人類は同じような経験をしており、その際に書かれた記録や文学作品が改めて注目された。そのように「過去に学ぶ」ためには、それなりの学びのツールが必要であり、これは我々がこれからも確保しておかねばならないものだろう。
前近代の、言語認識も表現方法も違うテキストを読んでいる我々は、そのツールの重要性を認識し、社会に理解していただくために発信をしつづけていく必要があるだろう。そういう思いを新たにしつつ、しかし一方では軽やかに楽しみながら、このブログを今年もぼちぼちと続けていきたいと思います。よろしくお願いします。
さて、昨年も素晴らしい本や論文、そして有用なデータベースの公開などが沢山あった。このブログで紹介したのは私の怠慢もあるが本当に氷山の一角。私自身が目にしていないものも山のようにあるし、眼に触れながら、紹介しそこねてしまったものも少なくない。いつも、「出たときにすぐ」と思っているのだが、気にしながらそのままになってしまった本がいかに多いことか。著者の方々には心よりお詫び申し上げます。
新年にあたり、まずは昨年出た本で、ここで取り上げそこなてしまった良著を少しずつ紹介していこう。
まず、ハルオ・シラネ氏の『四季の創造』(角川選書)。これは2020年5月刊。2012年にアメリカで出版されたJapan and the Culture of the Four Seasonsの日本語版。北村結花氏訳である。本書は山片蟠桃賞(大阪府が出している海外の優れた日本研究に与えられる賞)を受賞し、受賞のため来日されたシラネ氏を阪大にお招きしてご講演をお願いしたこともあった。原著刊行から待望久しい邦訳の登場である。シラネ氏はパートナーの鈴木登美氏とともに「キャノン」という今では誰でも使っている概念を提案した方である(『創造された古典』)。この概念は、日本文学を国際的な場で議論する時に非常に有用であるが、これは海外の日本研究者でなければ、あるいは日本文学研究というディシプリンの中だけで研究している者には、なかなか思いつかない概念だっただろう。ある意味自明の事柄であるために、その問題意識に至らないのである。
源氏物語や芭蕉についての著書もあるシラネ氏だが、今回の著書は、日本文学・日本文化を「四季の創造」という視座から論じたスケールの大きいものだ。「四季の創造」を「創造された四季」と言い換えてみれば、本書の発想が、『創造された古典』から一続きのものとして見えてくる。
日本文学、とくに和歌・俳諧を少し勉強すると、四季それぞれの美意識が、自然をそのまま受容した素朴なものではないことが理解される。そもそも「四季」つまり春夏秋冬のイメージさえも、一筋縄ではいかない。シラネ氏はその認識論的な文化基盤の構造を丁寧に説いてゆく。自然ではなく「二次的自然」(=四季の創造)の発生と展開である。われわれがもっている「自然」観、それらは和歌(特に勅撰和歌集の和歌)によって認識され、整序化された「和歌が創った自然」であることが明らかにされる。実際は本来の自然など知らない貴族たちが、彼らの住居に屏風や庭などで構築した「四季」がその認識の根本にある。源氏物語の六条院を我々は想起するだろう。一方で「里山」の自然というものにもシラネ氏は着目する。そちらが一次的自然かというとそうではない。社会の喧噪から逃れる閑静な場所として理想化されたやはり「創造された自然」である。都であれ、里山であれ、すくなくとも中世以前の四季のイメージは天皇・朝廷の秩序と関わり、創られていく。歌枕という名所の形成は、この認識ぬきには語れない。
実は現在、我々は「名所の形成」について考える国際共同研究プロジェクトを進めているが、この本から学ぶところは大きい。名所を歌や詩で詠む際に、歌人たちはそこに行かなくとも、名所を詠むことができる。そして実際に旅をする人が、名所という〈現場〉を記述する時に、みずからの実際の見聞を記すのではなく。伝統的な創造された自然のイメージを記し、詠歌してしまうという転倒が起こるのは何故かという問いに、この本は解答を用意してくれているのである。年中行事も「四季の創造」と深く関わり、歳時記は創造された四季イメージのリストであるとも言える。
こうした着想は、文学(史)を理論的に構築しようという学問的なモチベーションがないと生まれないが、おそらく欧米のみならず海外の文学研究者は、それが当たり前な(ケースが多い)のだろう。そこに「相容れない」学問観を感じる研究者もいるだろう。しかしこの学問方法と日本古典文学のオーソドックスな方法は決して対立するものではない。むしろ新しいマリアージュの形があるのではないかと、夢想してもよいのではないだろうか。
2021年01月03日
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