俳文学会の『連歌俳諧研究』140号(2021年3月)に掲載されている、中森康之さんの「『葛の松原』強行出版説には根拠がない−検証八亀説」が面白い。支考が『葛の松原』で、芭蕉の有名な「古池や」の句を「蕉風開眼の句」と説いたが、実はこれはすごい詩論なんだということを、中森さんが学会で発表され、私がその発表に衝撃を受けたことをかつてこのブログで書いた。しかし、その支考の『葛の松原』を、芭蕉の許可を得ずして強行出版したものだと主張しているのが八亀師勝氏で、その説は影響力を持ってきたらしい。支考は胡散臭い人物で、人間的に問題があるというイメージがあり、その偏見先行で、強行出版説が唱えられていたことを、中森さんは本論文で検証した。非常に説得力のある内容で、『葛の松原』が強行出版されたものだから、書かれていることは信用できないという根拠は崩れ去ったと言える。
それにしても論文というのはこわい。その結論がそれを読んだ研究者にとって都合がよいものであれば、その論拠のなさを見過してしまう。逆に言えば、論拠がなくても、詭弁的に自分の都合の良い方向に結論を導き、それが他の人の論文の「論拠」として、一人歩きしてしまう。
論拠がなくても、都合のよい結論に導く魔法のことばは、「〜だとすれば」「この仮説が正しいとすれば」という、さりげなく挿入される仮定法である。これがあれば、何だっていえるぞ。そしてその仮定法がいつのまにか既成事実となっているという叙述法だ。
しかし、私自身もこの論法を使ったことがあるのだ。使い方としては都合のよい結論に導くためではないつもりだが、褒められた物ではない。自省自省。
2021年04月05日
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