『研究と評論』100号の中嶋隆さん「近代初期(近世)文学史論序説」について感想を書いていたところ、染谷智幸さんからコメントをいただいた。ところが、そのコメントが他の記事についていたこともあり、あまり皆さんの目に触れないのではないかと思い、新たに投稿をすることにした。
まず、染谷さんのコメントをここに再掲する。
>「日本近世文学の研究者で、近世を「近代初期」(アーリーモダン)と称した人は、これまでいなかった」。確かに、それほど居たとは私も思わないのですが、拙論「日本「文」学に近世化をもたらしたもの−経済の与えた影響を中心に」(河野貴美子他篇『日本「文」学史(第三巻)−「文」から「文学」へ―東アジアの文学を見直す』勉誠出版、2019年)にそうした視点から少し書きました。これは、オレも書いとるよ、ということではなくて、大切で面白い問題なので、いずれ関心をお持ちの方々と議論してみたいなぁと。そんな気持ちから、ちょっと割り込んだ次第です。で実は、中嶋さんのご高論、まだ読んでないので、これもいずれ近いうちに拝読して、中嶋さんに直接感想などをお話ししても良いかと考えているところです(WEB日韓古典研究会でお会いしますので)。江戸は近代、は歴史学者からよく聞く話ですが、文学でも大いに議論したいところです。ちなみに、江戸初期が近代というのは、そのまま中世末ということと矛盾しません。閑山子さんのお話も、ぜひ拝聴したいです。
(以上、再掲おわり)
大変失礼しました、とここでお詫びしたい。もっとも「これまでいなかったのではないか」と一応断定はしてなかったのでちょっと安心(笑)。
ただ、染谷さんは「日本近世文学の研究者」というよりは、「東アジア文学研究者」と言った方がよいので、「アーリーモダン」という言葉を使っていても、「さもありなん」と思うばかりである。
それは、さておいて、染谷さんの「日本「文」学に近世化をもたらしたもの−経済の与えた影響を中心に」を見てみよう。中嶋さんとは少し視点が異なると思うが、「経済」を重視している点では共通している。ものすごく大昔に、唯物論的立場から西鶴は資本主義社会を描いた先駆けというような論があったり、もう30年位前だろうか、経済学者の岩井克人さんが貨幣論の立場から『日本永代蔵』を論じて話題になったこともあって、そういう議論に若干ついていけなかったのだが、染谷さんのアーリーモダン論は、西洋の近代小説の登場と江戸の近世文学の登場を比較して、どちらも中世の宗教的権威の退場に変わって、人生いかにいきるべきかを、提示するテキストとして現れたという見方をしていて、非常に斬新であった。これにはまず、西洋近代小説を芸術至上主義的なものではなくて、実用教訓的なものとして捉える見方が前提となっている。学部生のころ、私も岩波講座文学の各論は結構読んでいたが、染谷さん引用の桑原武夫がそういう見方をしていたんですね。このあたり、今の西洋文学の専門家の見方はどうなんでしょう?
まさに「従来の近世文学研究において、近世文学の実用性や教訓性について指摘する論考は夥しくある。しかし、その教訓性の意味が、同時期の西欧近代小説の教訓性と比較・検討されたことはほとんどない。しかし、西欧の近代小説が、教会すなわちキリスト教という巨大な宗教的権威が、歴史の表舞台から退場し、それち入れ違いで出てきたことを考えれば、日本近世文学の実用・教訓性も、中世の仏教や神道を始めとする巨大な宗教的権威が崩壊・変容してゆく中で、それと入れ違いに出てきて、人々の「いかに生くべきか」を支えたと考えてみる蓋然性は十分にあるのである」
と。
そうした近世文学の教訓性・実用性は、仏教や儒教の言説が再編成されて取り込まれていたりする・・・と染谷さんの論は展開しているようだが、それは中嶋さんの「近世文化は中世文化のメディアによる再編成」論と通じるものがある。また、なぜそのような儒教・仏教文化の再編成(日本的受容)が可能になったのかということでは、「中心・周辺・亜周辺」の概念を使って、日本が亜周辺だったから(ちなみに朝鮮は「周辺」)と説く。このあたりは不勉強にして論の妥当性がわからないが、ともかく、中嶋さんに劣らぬスケールの大きな議論である。
粗雑な紹介で申し訳ないが、染谷さんのコメントへのお礼として書いた次第です。染谷さんの論は2年前のもので、今頃申し訳ありません。で、この議論、大切かつ面白いので、どなたかに是非シンポジウムなど企画していただきたいと思います。
実用性・教訓性と言えば、今では日めくりカレンダーのような形でした見られませんが、アーリーモダンにそれまでの宗教的権威に代わって登場し、社会を安定・調整するものだったとすれば壮大な知の実験だったはずです。そして、そうした徒手空拳、身一つで作り上げてきた世間知を見くびってきた末が、学級崩壊の体をなす現在の日本や東京の姿かも知れません。中嶋さんのご論考は続稿があるとのことですから、それを見据えて討議を計画しても良いですね。西鶴研究会の番外編という手があるかも。ちなみに、「いなかったのではないか」の「ので」以下を勝手に省いてはいけませんね。失礼しました。
コメントありがとうございます。そうですね。アーリーモダンを考える人々は西鶴研究者でもあるでしょうから。そういうシンポジウムには、東アジアと、ヨーッロッパの文学の研究者も是非討論に参加していただいて、かつオンラインで公開にしてほしいですね。西鶴研究会でなくてもいいんですけど、仕掛けてくれる人がいればなーと。