2021年08月14日

私説・昭和の国文学者・続

 長坂成行氏の『私説・昭和の国文学者・続』(私家版、2021年6月)については、元同僚の滝川幸司さんや、川平敏文さんのSNSでの評があり、読みたくてたまらなかった。とはいえ私家版であり、面識もないので、諦めていた・・・。ところが、井口洋先生のご仲介により、著者から御本をご恵送していただくことができた。
 長坂氏は、国文学者の、なんらかのお祝いや追悼などの記念文集、いわゆる饅頭本をこよなく愛し、あつめられてきた。それを100ほど選び、適宜要約して、ご自身の感想などを挟まれている。これが抜群のバランスで、無類に面白い。
 すでに2012年に正編を同じく私家版で刊行されている。そして、おそらく、その後も、饅頭本を集め続け、興味を持たれたところを、抜き書きされたメモを書きためてこられたのだろう。
 たとえば、中野三敏先生の項目では、中野先生著の『師恩』と傘寿記念の『雅俗小径』が取り上げられている。前者は中野先生が見た近世文学者や古本屋のご主人のエピソードや評、後者は中野門下生の中野先生の思い出である。この項目だけでA5判2段組で15頁にわたる。私の文章も取り上げられているのだが、こういう風に書かれている。
 教養部一留(こんなこと書くな、と言われそうだが同じ体験ある者としてゆるされたい)、もともと西洋ドイツ史志望、親鸞・梅原猛を読み国文に転向、仏教文学研究を希望・・(下略)
 つまり、この私の傘寿祝の文章から、私の情報を抜き出し、コメントまでつけて下さっているのだ(ちなみにこの一留時代は、私の宝なので、こんなこと書くなどころか、書いていただいて嬉しいのである!)。こういうのが至る所にあり、ものすごく重層的な人物資料になっている。それと関わるのが、索引で、対象となっている国文学者だけではなく、文章を書いた側の人や、文章中に出てくる人の名前まで索引に網羅されているようなのだ。だから、へー、この人はこの先生とこういう繋がりあったのね、と、自分の関心のある研究者から辿ることも出来る仕組みである。
 そして、このお祝い文や追悼文だけではなく、それを特集した雑誌のあとがきなども引いていて、痒いところに手が届く感じである。論文とちがって、人柄や文章力まで浮かび上がる。あらためて中野先生の人物評はすごく面白いことを再認識する。個人的には益田勝実の項目に載せられた加藤昌嘉さんの「編集後記」の文章にうなる。これは長坂氏も「共感」したと書いて異例の長い引用をしているが、加藤昌嘉さんの天才的な文章力が垣間見えるもので、感銘を受けた。
 そして、長坂氏のコメントがまた、ほどよいスパイスになっている。これも名人芸と称してよさそうだ。
 しばし没入して読み耽っってしまった。滝川さんが「旱天の慈雨に等しい贈り物」と称したのも、むべなるかな、である。(今は逆か、長雨の隙間の陽射し?)
 
 
 
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。