Edoardo Gerliniさんと河野貴美子さんの編による『古典は遺産か−日本におけるテクスト遺産の利用と再創造』(勉誠出版、2021年10月)が刊行された(もしかするとまだ書店には並んでないかもしれません)。
ジェルリーニさんが提唱する、「テクスト遺産」という新しい研究視角。これは遺産研究(Heritage Studies)の考え方を参照にしつつも、従来「文化遺産」とは見做されていない文学作品をはじめとするテクストを文化遺産と位置づけることで、古典研究を学際的な研究対象とするとともに、「古典の危機」への打開策のヒントにする意味もありそうである。私は、この概念は有効であると今のところ思っていて、なぜくずし字教育が必要かを話す講演でも、使わせていただいた。しかし、今では定着している「間テクスト性」とか「カノン」のような概念も、当初「それって何?」「〜とどう違うの?」という反応があったように、「テクスト遺産」という概念も、既存の文学研究者たちに受け入れられるかどうかは、あと10年くらいたたないとわからないだろう。
現に、ジェルリーニさんの趣旨に理解を示したと考えられるこの本の執筆者たちの「テクスト遺産」概念が、実はまちまちであることが本書巻末の「テクスト遺産とは何か」で示されている。そこには編者たちの依頼によって、各執筆者の考える「テクスト遺産」の定義が語られているのである。
この事態は、「テクスト遺産」の理解の困難を示すとともに、「テクスト遺産」が議論すべき、可能性に満ちた概念であることを示すのではないか。本書の執筆者たちは、一筋縄ではいかない、研究の最前線を走る研究者たちであり、与えられた「テクスト遺産」という概念から、様々な問題系を引き出してきているのである。
とはいえ、「テクスト遺産」概念はただの「おのころじま」のようなものではない。議論の叩き台としては、やはり冒頭のジェルリーニさんの緒論「なぜ「テクスト遺産」か」を挙げるべきであろう。あえていえば、古典研究者必読である。ここでは「テクスト遺産」という発想にいたる経緯として「遺産研究」の解説がまずなされ、「テクスト遺産」の概念の妥当性が主張される。そして「テクスト遺産」の好例として「古今伝授」が取り上げられている。「テクスト遺産」とは、単なるモノとしての資料や典籍ではなく、そこへの関わり、営みのプロセスそのものをいう。この切り口によって、「古今伝授」学が急に生き生きと動き出したと感じるのは私だけだろうか。テクスト遺産への関わりは、今だけではなく、過去においてもなされ続けていたから「テクスト遺産史」という構想も生まれるのである。
さて、もはや各論に触れる余裕はないが、昨年7月に行われたオンラインワークショップの発表者に強力なゲストを加えた豪華な執筆陣は、さすがにこの新しい概念を縦横に活かして論述している。「所有性」「作者性」「真正性」の3本柱に、「テクスト遺産の広がり」を加えている。私もこの新しい概念で、江戸時代中期の読物に「作者」が明記されるようになることをからめて考えてみた(「近世中期における「テクスト遺産」と「作者」」)。
最後になってしまいましたが、編者以外の執筆者は、佐々木孝浩、海野圭介、盛田帝子、兵藤裕己、高松寿夫、陣野英則、前田雅之、山本嘉孝、阿部龍一、Wdward KAMENS、荒木浩、Roberta STRIPPOLI、佐野真由子、林原行雄、稲賀繁美の各氏。https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=101251
2021年10月10日
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