大谷節子編著『謡の家の軌跡 浅野太左衛門家基礎資料集成』(和泉書院、2022年3月)。いわゆる「京観世五軒家」、京都にあって観世流の素謡の師範にあたる五つの家、そのうちのひとつ浅野家伝来の資料が京都観世会に寄贈された。謡文化ネットワークの実態を伝える資料の解題目録に、浅野家歴代の事蹟について解説した大谷さんの文章などを加えた、貴重な出版である。大谷さんを代表者とする2017年度〜2020年度の共同研究と科研のプロジェクトの成果でもある。ちなみに浅野家は浅野長政を先祖とするとされる。
さて、大谷さんの解説の中で特に八代目栄足の事蹟に目を瞠る。この人は「浅野家中興の祖というべき存在」であり、多くの研究的著作を残し、門流の拡大に力を尽くした。なかでも『能楽余録』は重要だという。「能楽」は現代では能と狂言を含む語として使用されているが、「猿楽」に代わるべき語として栄足が用い始めた可能性が高いのだという。「今よりは何にまれ物に記さんには、能楽とこそ記さめ」と栄足はいう。さらに謡曲が能に先行するという主張もあるという。
そして、我々(上方文壇人的交流科研メンバー)にとってきわめて興味深いのは、栄足が詠歌を通して、京都歌壇の人々と交わっていたことである。ちょうど大谷さんのプロジェクトと同じ2017年度〜2020年度に私が代表者として行った共同研究(科研基盤B)の「近世中後期上方文壇における人的交流と文芸生成の〈場〉」と重なってくるのである。文壇の人的交流が、画壇ばかりでなく能や茶の湯とも大いに関わるであろうことはわかっていたが、我々の研究ではそこまでカバーしきれなかった(山本嘉孝さんが茶文化と文芸の関わりを追究されているが)。しかし大谷さんによれば、この栄足の和歌を添削していた師は賀茂季鷹ではないかというのである。浅野家資料のひとつで影印も掲載されている〔狂歌詠草〕は栄足筆。北邑氏隠居が「蟻通」を勤めた際に、季鷹がワキを演じ、狂歌を応酬した記録がある。その狂歌を大田南畝に見せたら、南畝も狂歌を詠んだようだ。奇しくも季鷹のご子孫の家に伝わる書籍のうち江戸以前のものの補遺目録を我々の科研報告書には載せている。
さらには前波黙軒との関係も裏付けられる。『蕉雨園集』に栄足が出てくるが、栄足が持ち込んだ竹の絵に黙軒は画賛の歌を詠んでいる。それも竹の節と痛いの節をかけたものだ。いやはや、この『蕉雨園集』は七八年ほどまえだったかに大学院の演習で1年ほど読んだものだ。こうして、謡の家と蘆庵を中心とする上方文壇が重なってくるのである。こりゃなにか縁を感じるぞ。
謡文化のネットワークと和歌のネットワーク、それをまたぐ人的交流という新たな課題が見えてきた・・・といっても、これはどなたかに是非やっていただきたいというしかないのだが。どうぞよろしく。
2022年05月25日
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