2022年06月12日

学会記(中京大学・オンライン)

 6月11日・12日、中京大学を会場校(ただし全面オンライン)として、日本近世文学会が行われた。土曜日は学会70周年記念シンポジウム「独自進化する?日本近世文学会の研究」。パネリストは5人。40年以上学会を引っ張ってこられ、今なお高い問題意識で次々と刺激的な提言を行う中嶋隆さん、ハーバード大学で理論的研究を学び、紆余曲折(本人談)の後東大駒場のロバート・キャンベルさんに文献実証学を叩き込まれた山本嘉孝さん、若手俳文学研究の期待を担う河村瑛子さん、中国出身の書物史研究者の陳捷さん、日本の古典芸能に造詣の深いイタリアの研究者ボナヴェントゥーラ・ルペルティさん。後二者は学科以外からのコメントである。
 ここでは中嶋さんと山本さんの発表について述べる。
 中嶋さんは、いつも通り明晰な文学史論、研究史論。暉峻康隆・野間光辰・谷脇理史という戦後の西鶴研究の流れを見事に整理し、中村幸彦の仕事を高く評価した。中嶋さんの17世紀=近代初期論については、かつてここでも取り上げたところであるが、ポイントは出版メディアである。出版研究が近世文学研究にとって重要であることは、ここ30年ほどの研究動向から明らかである。しかし、文学史というパースペクティヴの中で出版メディアを論じている人は、それほど多くはない。中嶋さんの今回の発表は、西鶴研究を具体的事例として、これまでの近世文学会の研究の流れを総括するとともに、今後への指針ともなる70周年記念に相応しい基調講演的なものであった。
 山本さんは、山本さんがアメリカで学んだフランス文学研究者のスレーマン先生が、〈ホロコースト〉経験によって人間の知性や歴史への不信を抱き、そこから理論的研究にいったんは向かいながらも、結局は「実証主義者」を自称するようになっていく「物語」を枕に、「実証的研究の普遍性」を説き、その実証的研究を展開してきた日本近世文学会が、初学者のサポートとして、研究会やゼミでの伝達に閉じられている注釈のノウハウを開いていくべきだと提唱した。理論的研究を本場アメリカで学んできたからこそ、それを否定的に言及することに説得力があったわけであるが、今回のシンポの「独自進化?」というのは、これまで実証的研究の方向をまっしぐらに歩んできたかにみえる近世文学会のありかたの是非とは?という意味を持たせていたので、山本さんの、理論的研究を否定し、実証的研究こそ普遍というテーゼは、交流会をふくめて質問や議論をまきおこした。
 理論と実証を二項対立的に把握していいのか? それは車の両輪では?そう思った人は多いはずである。しかし、山本さんのやや挑発的な理論的研究批判は、やはり本シンポジウムの最大のヤマ場だったであろう。
 大高洋司さんが閉会の挨拶でも述べ、ご本人も触れていたように、40年ほど前、30歳くらいだった中嶋隆さんが、好色一代男のはなしの方法という発表(タイトルはうろおぼえ)をされた。これは日本近世文学会ではきわめて珍しい「理論的発表」だった。20代だった私も驚いた。中嶋さんは、この時を回顧して、中村幸彦先生から、「君のは美学だ」と言われたというエピソードを披露していた。しかし、大高さんはこの時の発表に大きな影響を受けたと言っていた。それはおそらく、読本研究で一時期おおいに話題をさらった「読本的枠組」という「理論」だった。いや、これはたぶん「理論」ではないだろうが、演繹的方法が多分に用いられたものだっと思う。そしてこの「読本的枠組」をめぐる、追随的、対抗的読解が出ることで、読本研究は盛んになったという側面があると思う。
 ただ、山本さんのいう「理論的研究」を多くの人はやや誤解していたのではないか。いわゆるパースペクティブや、テクストだけで読むという方法なども理論だと認識して反発していたかもしれない。とはいえ、それも含めて、大きな反響を呼んだ山本さんの発表は、これまた記念シンポに相応しいものであった。
 2日目は、多様な6本の発表があったが、ここでは中森康之さんの奥の細道の冒頭文についての発表について触れよう。
 まさに前日のシンポで問題になった「理論的研究」といえる発表であった。井筒俊彦の考えを応用した部分がある。しかし非実証的研究ではなかった。芭蕉が引用する「荘子」。『荘子けん斎口義』の和刻本を見せながら、従来の解釈に欠けていた「文脈」を考慮することの提言。さらに『笈の小文』冒頭文と対応させての読み。さまざまな切り口、理論、比較などをとりいれた、美しい読みである。結論よりもその論証過程に美しさが宿る。質問した川平敏文さんが「中森ワールド」と称したが、まさに。
 私は初日のシンポジウムのディスカサントで、やや挑発的に、学会の外に向けて、どう研究をアピールするのかという問いを投げたが、これは自分の役割を少し意識したものだった。「発信」というキーワードを、コーディネーターから与えられていたからだ。その回答として、中嶋さんが個々の研究者が現代との接点を問題意識として持つ以外にないと言われたことに、胸を打たれた。
 最後にコロナ禍のつづくなか、難しい運営を見事に乗り越えられた柳沢昌紀さんはじめとする事務局、実行組織のみなさん、シンポの企画を立てられ、猛獣使いよろしく司会をこなされた藤原英城さん、そしてすべての登壇者のみなさんに感謝する。
posted by 忘却散人 | Comment(2) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 飯倉さんがブログで過日の学会シンポに言及しておられることを人から教えられて、拝見しましたら、私の「閉会の辞」も取り上げてくださって恐縮しました。
 ただ、ご挨拶の中で、中嶋さんのご発表年時を40年前と言ってしまったのは私の誤りで、1987年11月の秋季大会で口頭発表され3月に3月に論文を公表しておられますから、正確には35年前ですね。私も中嶋さんからのご連絡で間違いに気づきました。
 飯倉さんにも、私の誤認を踏襲させてしまい申し訳ありません。35年前、私は37歳、中嶋さんは35歳、飯倉さんは32歳だったでしょうか。今は昔で、30年も40年もあまり変わらないかもしれませんが、現在は2冊のご著書に入っている中嶋さんの一連の西鶴作品構造論から、私は大きな刺激をいただきました。そのことは、重ねて明言しておきたく存じます。
Posted by 大高洋司 at 2022年06月21日 13:23
大高さんのコメントにあるように、不正確だったようです。大変失礼しました。正しいのは、35年前だということです。私はすでに30を越えていたのでした。
Posted by 忘却散人 at 2022年06月21日 20:20
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