2023年01月12日

古典と日本人

ブログの始動が遅くなってしまいました。本年もボチボチとやっていきますのでよろしくお願いします。
1月7日は、2020年以来の、対面での大阪大学国語国文学会に出席した。オンライン併用ではなかったこともあってか、予想以上に多くの方がいらしてた。久しぶりにお会いした方も多く、「旧交を温める」とはこのことか、と感じ入った次第である。
2月11日・12日に開催予定の国際シンポジウム「古典の再生」、私は司会、発表、そして運営スタッフでもあり、準備に追われている。私自身は、秋成の「古典」語りを通して、「古典の再生」のテーマに迫りたい。具体的には『万葉集』である。秋成は『万葉集』を読者として読むだけではなく、研究し、そして貴顕に対して教えた経験もあった。秋成の『万葉集』への向き合い方は複眼的なのである。『万葉集』評釈という語りを逸脱して自身を語るというあり方、近代古典評論とも異なるその語りは一考の価値があるということを問題提起したい。
 そして、「古典の再生」というテーマに非常に関係の深い本が年末に読みやすい新書で出た。前田雅之氏の『古典と日本人』(光文社新書、2022年12月)である。副題が「「古典的公共圏」の栄光と没落」。「古典的公共圏」は前田氏の造語。概念を創出し、それを通すことによって、文学史が俄然見えてくることがあるが、「古典的公共圏」もそのひとつで、私はこの概念を借りながら、文芸や文壇について様々に考えることができた。前田氏の「古典的公共圏」論が、読みやすい形で体系的にまとめられたらどんなにいいかと思っていたところ、まさにドンピシャの本が出たわけである。
 近時話題になることの多い、古典教育不要論も意識している。古典や古典教育を感情的に擁護するのではなく、厳しく冷めた目で現状を分析した上で、なぜ古典が、古典学びが必要であるかを説いている。まずは前田氏の「古典的公共圏」の定義をみておこう。124頁。
  古典的公共圏とは、古典的書物(『古今集』・『伊勢物語』・『源氏物語』・『和漢朗詠集』)の素養・リテラシーと、和歌(主として題詠和歌・本歌取り)の知識・詠作能力とによって、社会の支配集団=「公」秩序(院・天皇ー公家・武家・寺家の諸権門)の構成員が文化的に連結されている状態を言う。
  「古典的公共圏」は、ドイツの社会哲学者ユルゲン・ハーバーマスのいう「代表具現的公共圏」と密接に関わる。前近代の公共圏である「具現的公共圏には修辞的語法がつきものである」(カール・シュミット)。行動・服装・言葉という礼儀作法が重要である。日本の古典的公共圏では、古典の素養や題詠和歌の詠作能力や、有職故実の知識が必須となるわけである。最重要の古典は、先に挙げた4つの古典で、万葉集や今昔物語は入っていない。
 この「古典的公共圏」は、古今集以下の4つの古典の注釈が現れ、本文校訂が現れ、徐々に形成されてゆき、それが確立した時代は後嵯峨院の時代であった。後嵯峨院は2度勅撰集を下命した。どちらも20巻であり古今集を継承する意識が明確である。そしてこの時代には古典のパロディーも現れた。
 戦乱の中でも和歌を読む事や古典の知識は重視された。それどころか和歌と政治は密接につながっていた。
 古典を写す行為は重要だった(松平定信は源氏物語を7回写している)。
 とはいえ、古典の教養と人格は関係ないことも、前田氏ははっきり言明している。これには強く共感する。多くの古典擁護論は、古典がよい人格を作るという言説をたてるが、これは何の根拠もない、ポジショントークといわれても仕方のない論なのだ。
 日本における前近代人と近代人の文章や論理の変化についても興味深い指摘をする。前近代の思考は、言葉と言葉の連想が基軸となっていた。記憶・連想による思考だ。対して近代の思考は、AだからBという線形論理である。また前近代の人間には「要約」という行為ができないという。これはなかなか大胆な仮説だが、確かに前近代の文章に「要約」というものを見ることがほとんどない。要約とは本質の摘出であるが、それをしない。彼らはこまめに抜き書きをするのである。面白いなあ。いやはや、100パーセントではないと思うが。とはいえ「近代」を論じた部分は、一等前田氏らしい議論が次々に出てくる。余談だが、「いやはや」「とはいえ」「一等」は前田氏の文章に頻出する前田節である。
 なかなか類書を見出し難い本である。肯定的であれ、否定的であれ、古典文学研究者はやはり必読だし、古典に関心のあるすべての人に読んでいただきたい本である。
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