井口洋先生の訃報が届いて愕然としている。コロナ前は研究会のたびにお会いしていたが、コロナになってお会いできない日々が続いていた。しかし、それもあとわずか、春になれば、先生も研究会に対面で出席されるだろうと期待していた。
近松・西鶴・芭蕉。元禄時代、いや江戸時代を代表すると言っていい三大作者のすべてについて論文集を刊行した研究者は、少なくとも私の知る限りにおいては、井口洋先生しかいない。その論は周到で、徹底的に本文を読み抜くことにおいて共通している。
かつて私にとって、井口先生は近寄りがたい「怖い」先生だった。井口先生だけではなく、同世代の上野洋三先生、矢野公和先生など、若い頃とても気軽に口を聞けるとは思っていなかった。そういう時に大失敗もした。私がQ大の助手の時、近世文学会がQ大を会場として行われた。ものすごい趣向に満ちた会ではあったが、懇親会のあとの飲み会もすごかった。一次会の懇親会が西鉄グランドホテル、二次会場の千代の海(だったっけ)というちゃんこ屋に入れなかった人たちが、「ここにはいろう!」という渡辺憲司さんの号令の下に、隣の焼き鳥屋に入る(これ2次会)、そこからタイミングを見計らって千代の海に移動(これ3次会)、そこから別途二次会の行われていた「芝」に移動(これ4次会)、ここに井口先生もいらして、なぜか私は隣にすわってきまずい感じに緊張していたのだが、緊張のあまり、井口先生のズボンにたっぷりの量のお酒をこぼしてしまったのだ。怒りもせず、笑いもせず、表情を変えない井口先生…。こわかったっす。ちなみにそのあと客に踊らせる店「福岡屋」(5次会、大谷篤蔵先生、長谷川強先生らも居て、長谷川先生はおてもやんを扮装させられて踊っていた。ちなみに私はピンクレディー。タイツをはかせられて。完全に逆カスハラである)、そしてそのあと数人で24時間営業の「芙蓉」という店(6次会)。
時は経って1997年、いまからちょうど4半世紀前の近世文学会秋季大会。私はまだ山口にいたころであったが、天理大学で「血かたびら」について発表。語り手人麿論という奇矯なことを言ったために、総攻撃を受けた。その時に手を挙げて質問してくださったお一人が井口先生である。これまた緊張のあまり、内容を憶えていない。壇を降りた後話しかけられて、論はダメだが人麿への着目はいいという評であったかと思う。
2001年、私は大阪大学に転任する。いろんなことがあって、かなり心身とも参っていたが、奈良女子大にいた井口先生は私を非常勤に呼んでくださった。それだけではなく、毎年奈良女子大に招く集中講義講師の方を囲む会にも誘ってくださった。授業は「思う存分、好きなことをしゃべっていいから」と言って下さったのである。奈良に行く時が楽しく、救われた。
京都近世小説研究会でもお会いするので、段々と距離が縮まって、親しくお話できるようになった。
研究会では、井口先生は、若手の発表であっても容赦のない質問・コメントを浴びせる。これは修士課程の学生であろうと、研究者として対等だという認識によるものだろう。教えさとすという感じではなく、議論を仕掛けていくという感じなのである。京都近世には全体としてその雰囲気があるが、一番尖っているのが井口先生ではないだろうか。しかし、実は心根のやさしい方なのである。
井口先生に対して、心から申し訳ないと思うのは、2021年11月に刊行された『『奥の細道』の再構築』のことである。井口先生には個人的にお礼申し上げたが、きちんと読み切っての感想を言えないままであったことである。中尾本『奥の細道』を「芭蕉自筆本」だとして疑わない学界の空気に、先生は違和感を覚えていた。中尾本の添削前のの本文を、『奥の細道』の一異本として読解する孤独な営為。先生はこれを長い時間をかけて徹底的に行い全うする。
そこであらためて「再構築」という書名の言葉に注目したい。古典を「再生」というキーワードで捉え直すという最近の私の試みにあまりにも近しい言葉ではないか。井口先生の中では、この本文批判は、「奥の細道」を未来につなぐための再構築、すなわち「古典の再生」に他ならないのだと、今の私は読む。
「古典の再生」とは、その都度その都度、古典を未来に繋ぐことだということを、井口先生は教えてくれる。
感謝とともに、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げる。
2023年02月28日
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