訃報が相次ぐ。上田秋成研究の先達である浅野三平先生。先生は数奇な人生を辿られた方であったようだ。今私はそのことをここで述べることはしない。
私は私と先生の関係においての先生を語り、追悼の言葉とする。
先生が上田秋成研究に果たしたご功績はこのうえなく大きなものだった。大著『上田秋成の研究』で、秋成の全体像を示したが、特に恩恵に与ったのは『秋成全歌集とその研究』だった。増補改訂版も出して下さったので、古びることなく、私の座右の書となり続けている。秋成の和歌を、文字通り資料を博捜して網羅しているので、たとえば古書店で秋成の和歌短冊が出てきた時に、まず先生の『全歌集』で検索し、新出かどうか、新出でなければどういう作品に収められている和歌かを、たちどころに知る事ができた。秋成研究においては、現在歌文の研究が重要になってきているが、本書は益々その価値を増しているように思える。
先生の研究は、秋成だけではない。たとえば『近世中期小説の研究』という本では、多くの談義本作者を取り上げて論じておられる。18世紀の散文をすこし研究している私にとっては、この本もまた頼もしい先導役だった。
ある時、私は本屋で、先生の書かれた研究書ではない文庫本を見付けた。それが『スピリチュアル犬ジローの日記』だった。同姓同名の方の本かと最初は思ったが、中身を読むと明らかに先生が書かれたものだった。私はその本を購入し、一気に読んだ。それからまもない時期に開催された日本近世文学会の懇親会場に向かうバスで、偶然浅野先生と相席になり、ジローの話題で俄然盛り上った。先生がジローをこよなく愛し、死んだ後も霊となってもいつも近くにいることを信じていらっしゃることがわかった。今頃は、ジローとお会いになっていることだろう。
私が日本近世文学会の事務局をしていた時に、学会初めての試みとして、韓国の高麗大学校で大会を開催したことがあった。大会は大会校をはじめとする関係各位のご協力のおかげで大成功だったが、初日の懇親会も、二日目の懇親会でも、浅野先生に乾杯の音頭を取っていただいたことは、忘れられない思い出である。先生は、スピーチで、三十七年前にソウルであつらえたスーツを着て来たんだとおっしゃっていた。大会を成功に導いて下さったお一人だと本当に感謝している。
他にも、私が主催した秋成シンポジウムのため、はるばる東京から大阪にいらっしゃって下さったこと、秋成の未紹介資料についての私の学会発表について、新出和歌を紹介してくれてありがとうとお声がけ下さったことなど、ありがたい思い出が次々に甦ってくる。まだまだ、お導き下さってほしかった。今は心からご冥福をお祈りするばかりである。
2023年03月06日
この記事へのトラックバック
のご指導をしていただいた教え子です。近藤先生にご連絡させていただいたのも私です。
在学中も就職も卒業後も、浅野先生にはお世話になりました。
行きつけのお店でお酒をいただいたり、ご自宅にお伺いして謹呈本を拝見したりした思い出が有ります。
浅野先生の研究については知識の無い平凡な主婦ですが、私の大学時代を語る時には、浅野先生の存在無しではいられません。
大きな声で講義をなさり、明るいご性格。そして卒論のご指導は実に細かくしてくださいました。豪華さと繊細さを併せ持つておられたと思います。
毎年いただく年賀状が今年は来なかったので案じておりました。まだまだお元気でいて欲しかったです。
浅野先生の追悼の記事を書いてくださり、本当にありがとうございます。
駄文になり失礼をお許しください。
最後までお読みくださり、お礼申し上げます。
ふと、飯倉先生のブログを開いたら、ありがたい情報がありました。探していた方がここにいらしたようです。
元浅野先生のゼミ生の方、はじめまして。(ちがったらごめんなさい)
同じ浅野先生門下の者です。
私が皆様の先生へのメッセージを取り集めて、ご霊前にお持ちすることになったのですが、
ご一報をくださった方をお誘いしたくても
連絡先が分からず、残念に思っていました。
きっとあなたがその方ですね。
本日、先生のお宅に伺います。
時間的にお誘いするのはもう叶いませんが、
みなさんのメッセージに加えて、こちらの文章を印刷して一緒に持っていきます。
ありがとうございました。
コメントに気づくのが遅れてすみません。間に合わなかったかもですね。申し訳ありません。