神林尚子さんの『幕末・明治期の巷談と俗文芸』(花鳥社、2022年2月)が刊行された。
副題は「女盗賊・如来の化身・烈女」。これは読みたくなりますね。序章・終章を除いて、三部各八章、全部で24章、700頁の大冊である。
評する能力は全くないので、私の理解による(まちがっているかもしれない?)紹介と素朴な感想(感嘆?)だけですが、お許しください。
まず、「本書は、日本近世・近代の「巷談」と、戯作や歌舞伎、巷談などの文芸・芸能との交渉を、具体的な作品に即して考察するものである」(序章)
神林さんによると「巷談」とは、「口碑や風聞に淵源し、諸種のジャンルにわたって扱われた題材の総称」であり、歌舞伎・浄瑠璃・読本・草双紙の題材となる実録のあり方よりもさらに広く、巷説・話芸としても成長展開する。だから「実録の下位分類として措定するだけでは」不十分である。そこで神林さんは「巷談」を「分類指標」として設定する必要があるという。分類指標というのは「ジャンル」とは違う。あくまで「街談巷説に由来する題材の謂」である。
それは「研究領域」と言いかえられるかもしれない。巷説と特定ジャンルとの関係(読本における巷談物など)、あるいはある特定の巷説の実録・読本としての展開という先行研究はあるが、巷談という分類指標を意識し、その視点から諸々の巷談の原型と展開・拡散・転化、それも近世から近代にかけてのそれを実証的に追うことで、文学史の一端を明らかにするというものである。この時期は文学史でも様々な立場からの発言がある。神林さんの視座はそこへの新たに参入宣言でもあるのだ。つまり「巷談」の文学史的研究というものを目指して、そのおおきな第一歩を踏み出したのが本書である。
実に壮大かつ堅実かつ緻密で明瞭な構想が序章で示されているのである。
では具体的には何を扱うのか。
1 「鬼神のお松」。門付芸能の「ちょんがれ」に端を発して様々に展開したと跡づける。まず「ちょんがれ」自体を丁寧に丁寧に考察するところ、その徹底ぶりに鳥肌が立つ。個人的には大阪大学の忍頂寺文庫を使っていただきありがとうございます(笑)。忍頂寺務さんも喜んでいます。
2 「お竹大日如来」。名主の家の下女お竹は実は大日如来という口碑。開帳や略縁起の世界にも果敢に挑んでいる。
3 「烈女おふじ」。飯田藩の江戸上屋敷で藩主の側室を斬りつけた奥女中「おふじ」が、烈女として顕彰され、烈女イメージを生成してゆく。「烈女」の問題は、思想史・政治史にも拡がっているが、そこもしっかり押さえている。
いずれも女性の巷説を扱っているところが興味深い。もともとジェンダー研究を志す意図はなく、面白いからという理由で選んだものらしいのだが、自ずから「巷談の展開と女性表象」の問題に繋がるわけで、それは終章で考察されている。
それにしても、各部各章の徹底ぶりがすごい。「ザ・研究」と呼ぶにふさわしい実証へのこだわり、関連する文献の博捜、感嘆せざるを得ない。
神林さんは、畏友ロバート・キャンベルさんの教え子。キャンベルゼミから実証を重んじる素晴らしい研究者が輩出しているが、神林さんもその一人。「巷談研究」という新たな研究領域の方法と実践を体現した研究書として本書は永く記憶されるだろう。
2023年03月30日
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