今西祐一郎先生の「片假名版と平假名版ー江戸時代出版の一風景」(『東方學』146輯、2023年7月)は、江戸版本で、片仮名版と平仮名版の両方がある本についての知見を述べられ、多くの図版を掲げる。その図版はほとんど先生の蔵書によると見られ、多くに先生の蔵書印が見える。
板本書誌学を中野三敏先生の授業で叩き込まれた私たちにとって、漢字ー片仮名ー平仮名の階層性は自明のことであるが、考えてみると、今西先生が指摘するように、国書総目録やそれを引き継いで今にいたる「国書データベース」には、その記載がない。もちろん、1点1点を調査した上で作成されたわけではなく、目録やリストを元に作られた国書総目録に、それを望むのは無理な話なのだが、しかし、それにしても、その階層性を、研究者がこれまでどれだけ意識していたかは、心許ないかもしれない。モノとしての本の重要性や書誌学・書物学の発展によって、今では古典研究者であれば、ほぼそれを意識していることは間違いないにしても、教育的配慮と称して、片仮名表記をいとも簡単に平仮名表記に直していることは、私自身がやってきたことである。
今西先生の論文で、あらためて思う。先生が図版で示しておられるように、江戸の書籍目録ではそのことをはっきりと意識していることが示されている。そして、通俗物や軍記・仏書など、片仮名表記という形式をもつ本たちを一度あらためて確認してみる必要があるかもしれない。また挿絵は平仮名表記との方が親和性を持っているというのも、言われてみればその通りである。
個人的には「仮名読物」というタームをここ15年ばかり使っていて、その場合の仮名は、平仮名も片仮名も含むのだが、「仮名読物」という言葉の使用も、ちょっと考える必要がありそうだと、反省した。
2023年09月08日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

