すでに、いくつかのレビューもあるが、河村瑛子さんの『古俳諧研究』(和泉書院、2023年5月)について。私は俳書については、とくに近世前期の俳書については、さっぱりなのだが、この本のことは、私なりに所感を記しておきたいと思っていて、しかしあまりにその内容が充実しているので、なかなか書き出せないでいた。
しかし、このごろ芭蕉以後といえる享保の俳壇についての研究を少し読み返す機会があり、あらためて芭蕉以前のことに思いを致すことにもなり、本書に少し向き合う時間が降りてきた。
河村さんは名古屋大学の塩村耕さんの教え子であるが、京都大学で教鞭をとっておられる。河村さんの論文のスタイルのひとつに、俳諧で使われる「ことば」にこだわり、徹底的な用例の検討から、そのことばの一般的なイメージを覆すというものがあって、これは言うまでもないことながら、京都大学の国文学の学風である。京大は、学風にふさわしい研究者をよく外から迎え入れたなと思う。すばらしい英断であったと思う。
河村さんは『俳諧類船集』を、ツールとしてではなく、正面から研究対象にすえて、古俳諧のことばの世界に切り込んでゆく。そこが新しかったのだと傍目の私には映っている。「ものいふ」「おらんだ」「やさし」を分析した諸論はいずれも、実証と論がバランス良い卓論とお見受けする。芭蕉は、その古俳諧から入ってそれを革新したは俳人だが、第二部での河村流は、古俳諧のことば分析から芭蕉句を照らし出す。
そして第三部では、具体的な俳書に即した研究を、第四部では、積年の手控えを元に、現在望みうる最高レベルの古俳書年表を提供する。この第四部は圧巻で、今後の古俳諧研究の基本資料となること、疑いない。この年表、書誌的事項に留まらず、かなり突っ込んだ内容解説を備えており、個人の調査としては、大変な労力をかけている。願わくば、実見したものについては、寸法を記していただくとさらに有益だったかと思う。もちろん、実見していないものもあるので、不統一になってしまい。賛否両論あると思うが、「巻子」や「横本」などは特にそれがあればイメージできるので。
とはいえ、このボリュームは本当に圧倒的で、それを惜しげもなく公開されることに頭の下がる思いである。
ところで「古俳諧」の定義はいろいろあるようだが、河村さんは大方の使用法にならって、「貞門・談林の俳諧をいう」と冒頭で定義する。考えてみると、我々近世文学研究を学んでいる者にとって、古〇〇、といって思い浮かぶのは、「古浄瑠璃」、そして「古活字」といった言葉である。「古活字」はジャンルを指していないので、そうなると古浄瑠璃と古俳諧がジャンル用語となる。前者は近松の曾根崎心中以前であり、後者は芭蕉あるいは蕉風または蕉門以前ということになるのだろうか?しかし、考えてみると、「古」というのは、あくまで相対的な見方であり、言いかえれば恣意的であるとも言える。俳諧の中で古い方、浄瑠璃の中で古い方ということだ。これは「古」という言い方ではないが、『好色一代男』以前を仮名草子と呼ぶのにも通じている。要するに、近世前期の三人の天才、芭蕉・西鶴・近松を文学史の転換点と位置づけているということになる。別にそこに異論があるわけではない(というより私にはわからないのだが)が、前期読本(初期読本)とか、前期戯作とかいう呼び方とは違うわけで(もっとも俳諧の場合は初期俳諧という言い方はある)、そこはもうすこし、詰めてみる必要もあるのではないかという気がする。
とまれ、本書の俳諧研究史上の意義はとてつもなく大きいに違いない。拍手である。
2023年10月20日
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