『西鶴解析』(文学通信、2023年12月)。井口洋先生は、この本の三校まで進めていたが、2月に亡くなった。教え子の肥留川嘉子さんの尽力で、遺稿となった本書の刊行が実現した。100頁近い、親交のあった方々の追悼文を付して。
本書の冒頭の『懐硯』「案内しつてむかしの寝所」の一篇についての読みは、2015年に『かがみ』に発表されたものだが、この論文が巻頭に配されたことは私にとって感慨深いものがある。この論文を私は読んで、その読みの面白さを堪能し、ブログに感想を書いた。リンクではなく、あえて再掲してみる。
井口洋先生の「案内しつてむかしの寝所―『懐硯』解析」(『かがみ』45号、大東急記念文庫、2015年3月)は、『伊勢物語』24段を典拠とする『懐硯』巻1の4の作品論である。
この論が異色なのは、論文の過半を『伊勢物語』24段そのものの解釈、それも「あづさ弓まゆみつきゆみ年をへてわがせしがごとうるはしみせよ」の和歌解釈、そのなかの「うるはしみす」の解釈に費やしているということなのである。
そのしつこいくらいの考証は、しかし西鶴も井口先生と同様の『伊勢物語』解釈をしたのか、という当然の疑問をうむ。その一番の隘路を通り抜け、『懐硯』論に戻ってくる展開は、大技といおうか、手練といおうか、ちょっと真似のできない芸当であろう。
かくして導かれるのは、『懐硯』が『伊勢物語』の「こよひこそにゐまくらすれ」の未遂を既遂に翻し、その時の女の心の機微に触れたという読みである。その読みが劇的にたち現れる手続きが、この論文のキモではないか。久しぶりに「読み」の面白さを堪能した論文。
井口先生の周到かつ華麗な論の展開は、いつも私を唸らせた。その論の展開は、一言で言えば、独自であり、「井口読み」であって、外の誰にも真似できない、読みの創出ともいうべきものだ。読みにおいては何事もゆるがせにせず、研究会でも忌憚のない意見をいう先生ではあるが、実際にお会いすると、失礼ながら、なんとも愛嬌のある可愛らしさがある。その落差に魅力を感じた人も少なくあるまい。
文学通信は、先生の『西鶴試論』(和泉書院)の装幀そのままに本書を作った。文学通信らしからぬ装幀だが、これも素晴らしい趣向だったと思う。
2023年12月29日
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「案内しつてむかしの寝所」が『かがみ』に載ったときは、私はなかなか「木工兵衛かはゆがり」が、「木工兵衛」が「かはゆがり」であることが呑み込みにくく、「かはゆがる」が「男から女への行為である」ということが確定していないと、対訳のように「……女も久六の事は自然と忘れて、木工兵衛を可愛ゆく思い……」という口語訳をしてしまいそうになります」というメールをお送りしたら、「それが確定していない、とでも?」というお返事をいただきました。
「久六が事はおのづからわすれて」の主語は「女」で、それから主語が「木工兵衛」に代わって「木工兵衛」が「かはゆがり」、それからまた主語が「女」に戻って「此時の気にうちまかせける」となる、ということでしょうか、としつこく念を押したのには、そのとおり、そのことをこそ論証したのだ、それを論証する、つまり「かはゆがる」の意味を確定するために、「延々回り道をして「うるはしみせよ」の意味を確定したのだ」とのお返事でした。そのお返事には、「ちなみに伊勢物語も、尊敬する片桐氏を含め、全部間違っているのだった」ともありました。
私からまた御返信して、「わかりました。特に「身がな二つ」と並べるとよくわかります。そこも読んでいたのに、身にしみていなかったようです」と申し上げたところ、それへのお返事には、「対訳の口語訳の「木工兵衛を可愛ゆく思い、」の次(結び)は、「を」と訳すると、「気」(=心)でなくて、「身」の話になる(好色ものになる)ということを如実に示しているだろ!」といただきました。
宗清和子さんが追悼文の中で、先生から「案内しつてむかしの寝所」の抜き刷りをいただいたときの先生のお手紙を引用していらっしゃいますが。そこには「半年かけた西鶴(実ハ伊勢物語)論をお目にかけます。実ハ寄り道ではなくて、四十年以上考えてきた本道なのです」とあった由。
飯倉さんのおっしゃる「西鶴も井口先生と同様の『伊勢物語』解釈をしたのか。という」「一番の隘路を通り抜け、『懐硯』に戻ってくる」「大技といおうか、手練といおうか、ちょっと真似のできない芸当」はこの年月をかけて磨かれてきたのだなあ、と納得させられました。
と同時に、井口先生が「忘却散人」の愛読者でいらした所以も、あらためて納得いたします。
一つ書き忘れました。
『西鶴解析』の装幀について、『西鶴試論』(和泉書院)そのままに作ったことを、「文学通信らしからぬ装幀だが、これも素晴らしい趣向だったと思う」とおっしゃってくださったことについて。
装幀については、御生前の先生と相談できていなかったとのことで、文学通信が御子息の御意向もお聞きした上で、『西鶴試論』へのオマージュを込めてそのようにした、ということでした。この判断について賛同していただけたことで、とりわけ文学通信は、喜ぶことと思います。私からも御礼申し上げます。
コメントありがとうございます。
井口先生は、素晴らしい教え子を持って幸せだったと思います。
師の論文に、教え子が本気で質問してくることほど、師にとって幸せなことはないでしょう。
そういう教え子を育てたのも、もちろん井口先生なのですよね。
私が関西に来て本当によかったと思った理由のひとつは、井口先生に親しくお声がけいただいたことです。心から感謝しています。
お返事恐れ入ります。
先生のお命にも限りがあるということを、見たくないから見ようとしなかったという面はありつつも、実際見ずにいた不覚悟が、思いも寄らない御急逝に遭うという結果を齎したのか、と今さら悔やまれます。
先のコメントで、此の方の操作が誤っていたらしく、同じものを二度投稿してしまったようで、申し訳ございません。できますなら、一方を削除していただけましたら、と存じますが、お任せいたします。
いずれにしても、先生の渾身の御論文は、飯倉さんのような理解者を得られるのだと、嘯いておいでの先生のお姿が見えるようで、そのことこそ、先生のお幸せであったと、おこがましい申し様ながら私からも感謝いたします。
こちらこそ恐れ入ります。
なお、下記の件、ご心配のようなことはございませんでしたのでご放念を。
>先のコメントで、此の方の操作が誤っていたらしく、同じものを二度投稿してしまったようで、申し訳ございません。