神谷勝広さんの『近世文芸とその周縁 上方編』(和泉書院、2024年1月)。江戸編に続く刊行。浮世草子や多田南嶺の研究で知られる神谷さんだが、文壇研究(伝記研究)にも熱心である。ご所蔵の資料を使われることが多いが、各図書館で資料発掘もよくやられている。
例によって、いわゆる「盛っていない」文章で、そっけないのだが、新しい情報だらけであり、有用度が高い。
ただ、やみくもに新しい資料を紹介するのではなく、ひとつの指針があるという。
中村幸彦先生の文章(著述集11巻の「後記」)を引いて、「著者も、「師弟」「交友」等に注目し、「集団の中」で交流する存在として考察したい」と言う。「はじめに」と第一章第一節の最後に、「一人に限った資料蒐集」ではなく、「師弟」「交友」を視野に入れ、「集団の中」で交流する存在として考えることが、くり返し述べられている。これは全くの同感である。下記の共同研究はまさにその視点で行っていた。
第一章第二節は「上田秋成資料の紹介」で、師匠の長島弘明さんばりに、多数の秋成資料を発掘紹介している。まことに有用だが、ここもさりげなく紹介するのみ。どうぞ使ってくださいと言わんばかりなのだ。第三節「上田秋成「哭梅克q」を読む」は、珍しく資料を踏み込んで解釈するが、その初出に対して高松亮太氏の反論を受けている。『金砂』をめぐる問題である。
第四章第四節は古義堂と小澤蘆庵歌壇、第五節は古義堂と妙法院を扱い、我々の共同研究「近世中後期上方文壇と文芸生成の〈場〉」と関心を共有する、う非常にありがたい論考である。学ばせていただいた。第五章賀茂季鷹については、あまり進んでいない狂歌師や歌舞伎役者との関わりが明らかにされる。
このように、神谷さんの著述には、新しい情報が満載であり、それについての解釈は全体に抑制的であって、どうぞ使ってくださいというニュアンスなのである。神谷さんは資料を入手すると、惜しげもなく研究会に持ち込んで見せてくれたり、秋成の資料であればコピーして何度も送ってくださる。多分「使ってくださって結構ですよ」という意味もあったのだろうが、私は上手くそれらを使えなかった。人さまのお持ちの資料を使う以上は、なにか意味づけをしないとできないからだ。しかしご架蔵のものであれば、紹介するだけで十分意義がある。今回、多くの資料を紹介してくださったのは、まさに学恩である。
2024年02月03日
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