2024年03月11日

江戸の合巻

佐藤至子(ゆきこ)さんの『幕末の合巻 江戸文学の終焉と転生』(岩波書店、2024年2月)が刊行されている。
「合巻」とは何か。本書の「はじめに」に次のようにある。
「合巻は江戸で出版された草双紙の一種である。草双紙は中本と呼ばれる書型の絵入りの読み物で、赤本・黒本・青本・黄表紙・合巻の五種類がある」
「合巻は、黄表紙の後継のジャンルとして文化期(1804〜18)に発生し、明治20年(1877)頃まで続いた」
では、草双紙とは?「ほぼすべての紙面に絵があり、絵の余白に文字が書かれている」。「草双紙には五丁(10頁)を一巻と数える慣習があり」「数巻を合わせて一冊に綴じる方法がとられるようになり、それを「合巻」と呼んだ」。
 このように、「合巻」は、草双紙、つまり絵本の流れにある。合綴されることにより、一定以上の長さが生まれ、豊かな物語性をもつことになる。形としては黄表紙、内容としては読本(よみほん)に近づくのである。
 「合巻」を正面から謳った研究書は私の記憶ではほとんどない。本書は、今後合巻研究者が必ず手に取るべき本になるだろうし、合巻研究の入門書の役割をも果たす。それに耐えうる内容・構成を持っている。というのも、本書第1部の第1章「合巻の流れ」で、合巻の概要と合巻史がわかりやすく叙述されているし、第2章では明治以後現代にいたるまでの研究史が、文学研究の中に位置づけられながら概説される。著者も、本書が合巻の基本図書になるであろうというじ自負のもとに、第1部を書き下ろしたのであろう。徹底的な先行文献の紹介で、合巻研究初心者は、安心して合巻の研究世界に導かれる。
 第2部・第3部は合巻を代表する作品である『児雷也豪傑譚』と『白縫譚』をそれぞれ論じる。『白縫譚』は合巻の中で最も長い。国書刊行会から佐藤さんの校訂で3冊本が刊行された時には目を剥いた。こんなものを一人で・・・と。しかし、とある学会の二次会の席でご一緒した長島弘明さん(佐藤さんの指導教員)から佐藤さんが修論を書き上げた際に、黄表紙という黄表紙を読み尽くした、とおっしゃていたことから、なるほどその人なら、とも思ったものだ。まだ佐藤さんのことをあまり存じ上げなかった。第2部第五章の「長編合巻を作る−キャラクターと見せ場」は、読者を意識した合巻の作り方を解説したもの。
 第4部の「越境する合巻」は、合巻と歌舞伎、合巻と読本という隣接ジャンルとの交渉を明らかにしていてる。歌舞伎・読本・合巻という三つのジャンルの相互影響と相互依存、共栄のありさまが具体的にわかる。またこれらのジャンルが「世界」と「趣向」という作品創造の方法を共有していることもよくわかる。その上で、第三章の「伝奇性と当世性」は、「芸者像」にフォーカスしながら、優れた合巻の伝奇性と当世性の接合を解説してゆく。さらに、越境は時間をも越える。第五章「合巻と転生ー虚構の生命力」は、「転生」というキーワードで、合巻研究を一気に平安時代から、そして現代へと繋ぐ。紹介されている高木元さんの「八犬伝の後裔」における九つの受容のありかた(翻刻・抄録・改作・外伝化・戯曲化・図像化、蘊蓄、翻訳、研究)を最初に紹介されているが、この内の外伝化(スピンオフ)を「転生」という言葉で呼ぶ。「転生」の主体は虚構自体。虚構自体に転生する力が内包されている、それを虚構の生命力と佐藤さんは考える。
 去年の二月に開かれた国際シンポジウム「古典の再生」は、高木さんのいうさまざまな受容のあり方を2日間にわたって議論した。それは3月末に書籍化されるが、そこに「転生」という言葉は出ていなかった。なるほど、やられた!と、個人的には思う。それほど「転生」という語は、魅力的なのである。
 合巻は、絵が主体であり、現代のマンガ・アニメに「転生」しているため、海外の人が興味をもつポテンシャルがあることに気づかされる。なにしろ、江戸時代の本も、絵があれば海外の人の興味を引く。ホノルル美術館のリチャード・レイン文庫の膨大な絵本コレクションを見れば明らかである。絵入読物は美術史側からも現時点ではあまり手をつけられていない(辻惟雄氏は例外)が、本書は学際的・国際的に合巻研究を普及する起爆剤になるのではないだろうか。

 
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