2024年03月24日

研究会三景

 春休みは、研究会やシンポジウムが花盛りで、あれも出たい、これも覗きたいと思うのだが、いろいろな借金(稿債)取りに追われているのも、大体この時期というので、なかなか悩ましい。3月15日のDH国際シンポについては、自分も登壇したため、その日の夜に報告したわけであるが、私の科研で主催した、2月17日の国際研究集会「教育ツールとしてのデジタル文学地図」、3月3日に行われた、私も共同研究メンバーである科研ワークショップ「18-19世紀京都文芸生成の現場一みやこに吹く新しい風」、そして3月23日に行われた、京都近世小説研究会特別例会「井口洋の学問と研究」。いずれも大いに刺激を受け、いずれも研究会のあとの懇親会で、楽しい交流が出来た。一連の流れは、コロナ前を思い出す。そして、「やはり対面はオンラインの何倍、何十倍もの収穫が質量ともにあるなあ、と実感した。
 2月17日の国際研究集会では6名が登壇し、我々が開発している「デジタル文学地図」を利用した授業の報告をした。こういう使い方もあるのか、というユニークな授業の紹介が続々登場し、たいへん嬉しくなった。
3月3日のワークショップには、あっと驚くような方が何人もフロアに参加され、発表者はさまざまな視角から、近世後期の京都文芸を浮き彫りにした。発表者に美術史の門脇むつみさん、コメンテーターに日本史の鍛治宏介さんと、学際的な集まりとなったが、やはりこのお二人からもたらされた情報が私にとっては非常に貴重なものになった。
 そして3月23日の「井口洋の学問と研究」は、昨年なくなられた井口洋先生を偲び、その研究を批判的に検証する会であった。井口先生の研究の素晴らしさと、危うさとが浮き彫りになったが、誰もが感じたのは、井口洋の学問の「面白さ」であろう。コーディネータ・司会は浜田泰彦さん。「主題・解析・本文批判」という副題であった。近松を早川由美さん、西鶴を仲沙織さん、芭蕉を辻村尚子さんが担当し、井口先生の説を入口に、自らの説を披露する形となった。そして井口先生の研究全体について大橋正叔先生が総括する形となった。
 私は、みなさんの発表を聞いていろいろ考えさせられた。ただ井口先生の頭の中には、井口先生の考える(あるいは仮構した)西鶴や近松があり、その西鶴や近松が意図した主題を、あの独自のしつこい文体で析出していくのだな、と私なりの理解を述べた。
 初期の研究である文壇研究を看過してはならないという福田安典さんの指摘も重要である。実証と論証の両方備えるのが、京大風だという話題もあった。オンラインで参加した中嶋隆さんは、長いお付き合いを踏まえて、鋭利な井口学を分析した。対面で約30名の方が参加し、あーだこーだと言っているのを、泉下の井口先生はどう御覧になっていたのか。たぶん「激怒」(中嶋隆さん)しつつも、喜んでいただろう。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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