久しぶりにシリーズ大阪本。今回は萬代悠氏の『三井大坂両替店ー銀行業の先駆け、その技術と挑戦』(中公新書、2024年2月)である。両替商の仕組みを説明した本だろうと思って読み始めたが、たしかにそれもきちんと解説されているが、本書の目玉は、両替店が顧客の信用調査をどのような方法で行うか、その信用調査が、両替店の業績に直結しているということを、史料を読み込み、解釈して明らかにしている点である。それにとどまらず、そこから著者は、これらの信用調査のありかたから江戸時代の文化・社会風俗も浮き彫りになると言う。
江戸時代に来日した外国人の残した記録から、江戸時代の人々は「正直」で「誠実」だと言われることがあり、「今なお江戸時代の日本人が誠実であったとする先入観が多くの人々に共有されているようだ」。しかし、それは本当なのか。両替店の信用調査では、借り入れを申し込んだ顧客の8割が信用調査で不合格であった。不誠実な顧客を排除しようとしたのである。すくなくとも、不誠実な人がいることを前提として両替店は、信用調査の方法に磨きを掛けた。そこをみよういうのである。
本書の内容は、
第1章 事業概要
第2章 組織と人事
第3章 信用調査の方法と技術
第4章 顧客達の悲喜こもごも
第5章 データで読み解く信用調査と成約数
の5章構成である。第1章では、とくに主力融資である「延(のべ)為替貸付」の解説が重要である。幕府の公金を預かる両替店は、それを90日以内であれば、融資して運用することができた。そこにいろいろな仕組みがあるのだが、実に巧みなシステムで、びっくりするほどきちんとしていて、近代的にすら見える。
第2章では、店舗の立地や、店の見取り図を示しての解説および奉公人の構成・報酬、彼らを飴と鞭で巧みにつかう様子が活写される。
第3章以下、信用調査の方法と技術。まずは「聴合(ききあわせ)」と称する信用調査の実際である。親類をふくめての資産状況、担保物の実際、世間の評判、人柄などが徹底調査される。不安があれば、契約に至らない。不動産の評価の方法もきわめて具体的に示されている。
第4章では、調査された側の顧客の悲喜こもごもの実例紹介。は遊郭通いで資産を取り崩し、身をもちくずしていくパターンが多く、なにやら浄瑠璃の世話物を思い出す。
第5章では、契約口数や顧客の業種・人柄・家計状態などのデータを分析、三井が信用調査で業績を上げたことを明らかにする。
このような研究は、文学研究側から申し上げても、たいへん有り難いものである。
そして、ここから江戸時代(人)像を再検討する必要があると著者はいう。人々が誠実に見えるのは、両替店の信用調査が「巨大な防犯カメラ」の役目をしていたからだと。大手の金貸しから融資を受けるには、品行方正でなければならなかった。これはいわゆる権力による監視社会というのとはまた違う、品行方正誘導装置としての信用調査システムが働いているということなのだ。
そもそも、江戸時代の人は、我々よりも「借金生活」が常態だったはずだ。「掛け売り」という慣習もそれだ。三井呉服店(越後屋)は「現金掛け値無し」商法でも有名であるが、現金掛け値無しでしか物が買えないとなると、今の我々だって、質素で、品行がかなり方正になっていくのではないだろうか。そういう江戸時代人にとって、「信用」は命と同じくらい大事なものだっただろう。だから信用調査のスキルは非常に大事になるのである。
とはいえ、本書を読んで、「信用調査で八割審査おちするくらいだから江戸時代人は一般に不誠実」と簡単にいうべきではない。そもそも、調査される人は、お金の借り入れを申し込んだ人だからである。もちろん、著者は問題提起をしているだけであって、「江戸人は誠実」を否定しようというしているわけではないので誤解なきよう。ただまあ、お金をどんどん使って、貯金をためこむことの少なかった江戸時代の方が、今より経済は回っていたのかも知れませんな。
2024年06月26日
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