小川剛生さんの『「和歌所」の鎌倉時代ー勅撰集はいかに編纂され、なぜ続いたか』(NHKブックス、2024年6月)。
勅撰集とは全部で21回にわたり作られた。そのうち古今集、後撰集、拾遺集を「三代集」と言い、古今集から新古今集までを「八代集」という。「本歌取り」されるのは「八代集」まで(本書15頁)で、そのあと続くのは「十三代集」と一括して呼ばれ、文学史的な評価は低い。そういえば、奥村恒哉氏によれば、「歌枕」認定も、「八代集」までだったように記憶する。しかし「勅撰和歌集の権威が確立するのはむしろ鎌倉時代であ」り、下命者は治天の君(上皇か天皇)であり、「編纂は政治日程の上に位置づけられた。そして撰者の私邸を「和歌所」と称した」(本書13頁)。そして「十三代集は、八代集とは異なる力学によって作られている」(17頁)という。
本書は序章で和歌所とその源流について解説し、続く第一章で新古今和歌集を扱い、九章(続後拾遺和歌集)まで次々に作られる勅撰集の政治ドラマ(人間ドラマ)を叙述する。小川さんの歴史知識がものすごく、「そうなのか!」と何度も頷きながら頁をめくる。入集希望者への対応(書状・面会)なども生々しい。政治力学があちこちで働く様子もよくわかる。人間関係を配慮しなければならず、撰者は単にいい歌を選ぶというだけではない、またそれをどう配列するかにも腐心する。定家が撰者である新勅撰和歌の集巻十九雑四は七十五首すべてが名所歌であるが、その配列は整然としており、「下命者が全国を統治していること、統治している地域はすべて和歌がゆきわたっていることを示すという王土王民思想が看取される」(99頁)と。これは名所歌に目下関心のある私のアンテナに強く反応する。また二条為世と京極為兼の玉葉集撰者をめぐる争いも壮絶を極める。その為世の議論を「陳腐な三段論法」と切って捨てるあたり、小川さんの厳しい評価が見られるが、和歌についても結構忌憚のない批評をしていて、非常に読んで痛快でもある。
ただ、私に中世史と中世和歌(史)の知識がなさすぎて、本書の本当の価値を伝えられていないことは大変申し訳ない。完全に門外漢の感想として読み流していただき、専門家のご批評を是非ご参考にされたい。ただし、読む方に知識なくても面白いことは保証します。
2024年07月12日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック