10月26日(土)、大阪大学中之島センターで、懐徳堂創立300周年記念シンポジウム「大阪文化の過去・現在・未来―懐徳堂から大阪大学へ」が行われた。会場は満室で、別室で画面をみる来聴者も少なくなかった。
基調講演はロバート・キャンベルさん。「災禍見聞の文芸と思考―大塩平八郎の乱をきっかけとした都市観察の記録と「証言文学」の可能性をめぐる考察−」という長いタイトル。『戦争語彙集』(岩波書店)で、ウクライナの普通に人々の戦争体験を表現した「戦争語彙集」を翻訳し、ウクライナにも取材に出かけたキャンベルさんは、その仕事を発展させて、災厄・動乱の証言の記録がどのように表現され、流通し、さらに物語化していくかということを考えているという。そのひとつの試みが、「大塩平八郎の乱」の文学である。乱は一日で制圧されたが、多くの人を巻き込み、「大塩焼け」という大規模な火災も起こった。乱に関わった人、その噂を聞いた人、いくつかの資料を集めて物語にした人・・・など様々なレベルの表現を緻密に分析し、その意味を問うていくスリリングなお話である。そもそも懐徳堂も大阪の3分の2を焼き尽くすような「妙知焼け」という災害をきっかけに創建されている。大塩の乱は、懐徳堂閉校の引き金にもなった。大塩の乱は直接に懐徳堂に関わるものではないが、いろいろな「フック」(ひっかっかり)がある。
この講演の構想を私は、一月ほどまえのオンライン打ち合わせで聞いた。そして直前の打ち合わせでも聞いた。かなりブラッシュアップされていたようだったか、本番では一層磨きがかかっていた。原稿を用意することもなく、優しく、ユーモアを忘れない、臨機応変な講演が展開された。
とはいえ、そのあとの鼎談は、講演を受けて、大阪文化に繋げるトークにしなければならない。もともと話芸の名手である鷲田清一先生、そして引き出しをたくさん持っているキャンベルさんは、自在に話を盛り上げることができるが、「先生には大阪の学芸・文化のお話を」と要請されている私としては、その自在な展開にどうついていけばいいのか、最初から不安、いや諦めムードではあった。とはいえ、こう振られたらこういう話題でも・・・とメモは作っていた。使わないだろうけど。
案の定、二人のテキパキとしたトークが炸裂、これは横でニコニコしながら聴いておくだけでもいいかも、などと横着を決め込もうとすると、司会ではなく、キャンベルさんや鷲田先生から、急に話を振られるということがおこって、まさに「汗!」。鷲田先生から振られたのは秋成の話だったので助かった(ただ、少しだけまちがい。秋成は中井履軒のことを「ふところ子」と呼んでいたのではなく「ふところ親父」と呼んでいました・・・。
木村蒹葭堂の話を最後にちょっとすることができたのだが、あっという間に一時間が経ってしまったのであった。
鷲田先生は大阪の民間の力の底力、寄付の文化の伝統、そして社学連携の経験の中でも天神祭における阪大船の実現の裏話など、興味深い話題を次々になさっていた。
私は大坂が町人の町であり、武士の町江戸や、天皇のいる京都と違って、求心力のある江戸城や御所のような求心的なものがないこと、海に開け水路が張り巡らされた水の町であることから、思想や文芸も「流動性」「越境性」が特徴であり、鷲田先生の哲学も大坂ならではの停滞とは無縁のよい意味での流動姓が魅力だということを申し上げた(つもり)であるが、実はその先のことも言いたかった。打ち合わせではちょっと申し上げたが、近世大阪文化における武士(あるいは幕府)の意味についてである。大塩の乱もその視点が必要だと思っていたからでもあるが、藪田貫先生の『武士の町大坂』(中公新書→講談社学術文庫)にも述べられているように、大坂町人は町奉行などの幕臣(武士)を非常に意識している。竹山も『草茅危言』を定信に献上し、『逸史』という徳川家康の一代記を書いたり、懐徳堂の官許化を受けたりと、幕府との関係つくりに力を注いでいた。秋成の国学の師は大番与力の宇万伎だし、尊敬する文学上の友人も幕臣の大田南畝だった。大坂の学者を象徴するような木村蒹葭堂は、城番加役で伊勢長島侯の増山雪斎と深い付き合いをしている。中村幸彦先生の「「天下の町人」考」の「天下」は幕府の意味だという論文もある。江戸幕府に背を向けるどころか、きちんと礼を尽くし、じっくり観察して、したたかに付き合う。そういう面も見逃せないということを言おうとしていた。しかし、これは言わなくてよかったかもしれない。議論が複雑になってしまったかもしれないからだ。
ともあれ、多分問題なく鼎談終了。久しぶりに加地伸行先生にもご挨拶が出来た。先生は「レセプションの乾杯の挨拶で、飯倉さんの発言を引用させてもらう」という、もったいないお言葉をいただいたが。ご挨拶を聞くと、懐徳堂の学内幹事をしていたころの企業回りの話で、ご自身のご経験を思い出されたとの事であった。
とまれ、こんなビッグネームお二人と鼎談できるとは。最初は吃驚・困惑したいろいろ勉強することになって、大変私にとってもよかった。大変だったはずの司会の門脇むつみさんも、同様なご感想であった。とりあえず(のわりには少し長い)レポートでした。
2024年10月27日
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