2025年01月25日

近世随筆における考証の意義

2025年の初ポストです。今年もよろしくお願いします。
いくつも紹介したい研究書が溜まっておりますが、少しずつペースを挙げて参りたいと思います。

 さて今日は、読んだばかりの論文の紹介。最近はあまり論文紹介はしてませんでしたが、大変勉強になったので、メモを残す意味で。
 小林ふみ子さんの「近世随筆における考証の意義ー大田南畝から考える「考証随筆」」(『國語と國文学』、2025年2月号)。
 まだ1月ですが、2月号はもう出ているのですね。学術雑誌は、奥付より遅れて出ることも多いのですが、さすがは学界をリードする雑誌です。

 この論文では、まず「考証随筆」というテクニカルタームについての問題を指摘する。「考証随筆」は「第一義的に戯作者の著述を指すものと解されてきた」感があるが、古くは和田萬吉、近くは白石良夫・日野龍夫・山本嘉孝らが、文体の和漢を問わず文献を論拠として実証的態度で書かれた随筆という認識で用いられているのである(ちなみに、私も後者の意味で理解していた)。
 ではなぜ戯作者の著述に限定する理解が生じたかというと、その源は中山久四郎の「考証学概説」(1939)にあり、さらには中山の引く大田錦城の「梧窓漫筆
拾遺」に、清朝考証学が戯作者らの考証好きに影響を与えたする見解が示されていたからだと。中山説はその後の研究に大きな影響を与えたが、実は清朝考証学以前から和学の世界で考証があり、それが流れ込んでいるのであり、「清朝考証学→戯作者の考証随筆」は正しいとは言えないと。
 小林さんの専門である大田南畝の考証随筆に注目すると、南畝は先人の考証に目配りをしているが、とくに南畝以前の幕臣達の考証を参照していることがわかる。小林論文ではとくに南畝がその名を書き留めた幕臣大久保忠寄に焦点を当てる。忠寄の考証は京伝にも影響を与えているという。
 ここからは、私の感想であるが、こうした考証は、たしかに戯作者たちの楽しみとなっていて、彼らは随筆のみならず、読本などの読物の中にもそれを持ち込んでいる。いわゆる「小説」の中に取り込むにしては大真面目で、よい意味では読み応えがあり、悪い意味では蘊蓄に走りすぎるのだが、江戸人にとっては、物語の筋と同様、あるいはもしかするとそれ以上に、面白い部分だったのではないかと思う。私の用語で「学説寓言」という、作者の考えを寓意する知的な読み物は、18世紀に「奇談」という仮名読物の領域で盛んになっていた。秋成なども「物語」の中に考証随筆を織り込むが、その結果、物語の体を崩しても構わない。というよりも、学説を語ることもまた物語なのだった。
 そのようなことを考えている私のアンテナに、小林さんの問題意識はびびびっと来たのであった。
 なお、考証随筆は先行の同様な随筆を承継するとともに、人的交流を通して横にも拡がっているだろうし、考証をみんなで楽しむ一種の「共同研究」的な在り方もあるだろう。明日国文学研究資料館で行われる川平敏文氏の随筆をめぐる研究会も、ちょっとオンラインで覗いてみたいものである。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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