あとがきに、「そもそも「名所」について考えるきっかけになったのは、編者が学部生の頃、千野香織先生の授業で名所絵の成立について「名所」は最初から存在するわけではなく、「名が与えられることによって成立するのだ、と聞いたことであった。「名物」や「名品」なども同様だということに気づかされた瞬間だった」とあるように、そして副題に示されるように「名所」とは「名」を与えられた風景だという考え方で本書は編まれている。美しい!と感嘆する風景に我々は遭遇することがあるが、そこは必ずしも名所ではない。「名もない風景」であることがほとんどだ。そう省みれば、名所の恣意性は明らかである。
我々のプロジェクトでも、名所のイメージ形成について様々な考察を試みてきた。しかし、井戸さんは、まず名所とは何かという根源的な問いをその前提に置いたのである。つまり、「それぞれの土地や場に与えられた「名」の本質とはいったい何なのか。「名」はいつ、誰によって与えられ、「名」あるところ、「名所」となるのか。」「名所が誕生するメカニズムを明らかにする」というのである。
「名」を問題とするからには、名所をどのように言葉で表現するか、またどう絵画化するか(実際の風景を写しているとは限らない)が問題となる。
もちろん、これらの問題意識は、具体的な名所に即して、領域横断的な研究分野からアプローチされる。
井戸さんの論考は「山水と見立ての構造ー琵琶湖が名所になるとき」と題され、今では誰でも疑わない名所である近江の名所ー比叡山と琵琶湖の名所としての成立に、天台座主であり優れた歌人である慈円の存在が重要であることを丁寧に論じている。
実は我々のプロジェクトは、初の試みとして、最近クローズドでの研究会を実施した。これは発表として完成されていなくとも、考え方や構想を仲間内にきいてもらい、十分な質疑応答の時間をとって、互いに刺激を与え合うことを狙ったものだが、ここに井戸さんをゲストとしてお招きした。井戸さんには発表もしていただいたが、質疑応答もアクティヴやっていただき、貴重な指摘を多く受けることができて感謝している。井戸さんの論理的な思考はこの研究会でも見られた。名所研究、あるいは芸文の空間論的研究にタッグを組んでやっていきたいと思う方だった。
