拙著『仮名読物史の十八世紀』(ぺりかん社、2024年11月)についての書評を、天野聡一氏が書いて下さった。『日本文学』2025年8月号。2ページだが、単なる紹介にとどまらず、問題点や課題を的確に指摘したもので、著者にとっては大変ありがたい書評である。この場を借りて感謝申し上げる。
私がとくに、嬉しく思ったのは、次のくだりである。
飯倉氏の狙いは、十八世紀に起こった諸ジャンルの変容、混淆、生成といった大きな文化史的展開を、個別の作者・作品や特定のジャンルを越え、可能な限り広い視座のもとで実相的に捉え直そうというところにあろう。このあたりの問題意識は、アプローチこそ異なるものの、氏と同年生まれで出版・流通研究の第一人者である鈴木俊幸氏と重なる。
敬愛する畏友である鈴木さんと「問題意識が重なる」との見立ては想像もしていなかったが、率直に嬉しい。
また、私の「奇談」について、@現在通用の珍しい話という意味での「奇談」A書籍目録上の「奇談」B仮想的領域として再定義された「奇談」の三つを区別して読者は読み進めなければならない、という。私自身が整理すべきことを、鮮やかに整理してくださった上に、Bの奇談を「いくつもの流れを引き込んで湿地や湖を形成し、やがてそこから新しい溢れ出させる「窪地」の如くである」と見立ててくださった。あー、これ拙著にそのまま使えばよかったという見事な喩えであり、やや複雑で抽象的な拙著の「奇談」概念をを深く理解してくださっている証しでもある。
ただ、拙著を読み込むだけではなく、貴重な指摘もある。『怪談とのゐ袋』論に関わって、新美哲彦氏の秀吉と源氏物語についての論文があることの指摘(初出時には出ていないとはいえ見逃していた)、『新斎夜語』の作者三橋成烈は江戸冷泉派歌人の武士、ならば江戸冷泉派の言説の中に彼の〈学説寓言〉を置いてみるべきではないかという提案(具体的に石野広道を挙げている)、第四部に関わって「十八世紀半ば以降の朝廷による知の管理の弛緩」はないか、それに関わる参考文献のご教示まで、短い紙幅にありがたい情報が詰め込まれている。
他の方からも拙著へのさまざまなご教示、ご感想を個人的に手紙やメールで賜っているが、天野氏の批評は独自であり、氏が堂上歌壇を含む和学と和文小説を往還する仕事をされているからこそであろう。本当にありがたい書評であった。
2025年08月24日
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