2025年08月24日

藤原定家と式子内親王

 拙著を批評していただきながら、いただいたご本の感想を、このブログではまだ書いてなかったですね。天野聡一『藤原定家と式子内親王:恋物語の生成と展開』(新典社、2025年5月)。授業から生まれたという、恋物語の生成と展開の諸論である。初出をみると、2019年から2024年にかけて、立て続けに執筆された13本の論考に、書き下ろし3編を加えたものだ。2021年ころだろうか、続々とこのシリーズを発表するのを見て、「おやあ、これは新書にでもするのかな?」と思ったが、ご本人も当初はそういうスタイルを考えていたようだ。しかし、結局は新典社の研究叢書の1冊となった。
 本書では、まず第一章で「史実の二人」をとりあげる。伝承と物語の生成を叙述する前の手続きとして当然であろう。とはいえ、専門と時代の違う超有名歌人の事実関係を論じるのは、そう簡単ではなかったはずだ。この部分はしかし、一書にまとめるにはどうしても必要な手続き。書き下ろしである。分厚い研究史に臆することなく立ち向かい、まとめ上げている。
 二人の恋物語が生成したきっかけは、式子の詠んだ恋歌「生きてよも明日まで人もつらからじこの夕暮れを訪はば訪へかし」であるという。おそらくは題詠だが、実に切迫感のある歌である。背景に式子の恋があると人々が想像してもおかしくはない。それが「身分違いの禁じられた恋」であれば、劇的である。
 そこで本書には、謡曲「定家」にはじまる、数々の、定家と式子内親王の恋物語の演劇が紹介され、考察の対象となる。近世文学研究者である天野氏が、中世文学研究者が手を付けなかった、浄瑠璃・歌舞伎における定家・式子を取り上げることで、本書は類を見ない研究書となった。それにしても、中世文学・和歌文学・説話文学という論客ひしめく分野を横断し、近世演劇というマニアだらけの恐ろしい領域に踏み込むのに躊躇しない勇気には、感銘を受ける。そしてわずか四、五年で、ここまで多産する筆力。そこは、やはり神戸大学出身ならではか。
 一連の研究の最初の論考と思われる第八章「振られる定家」。最初にいきなり「その顔で?」の小見出しが来てるのがいい。別人の話が、定家と式子の話に置き換えられて、尾ひれがついて展開する経緯が丁寧に説明される。尾ひれの部分、これは確かに「近世文学」である。恋があったかどうか、それを追うのも面白いが、どんどん話が拡がり、時に笑話となり、時にファンタジーになるところこそ、面白い。
 「身分違いの禁じられた恋」の幻想、実在した有名な男女、ぎりぎりの気持ちを見事に歌いあげた名歌の組み合わせが、これだけの物語群を生成したのは、もしかすると希有な光景かもしれないが、そこに着眼しえたのは、流石である。あとがきに、天野さんがキャンパスでテイカカズラを見つけたということが、本書誕生の一契機であったと書かれていて、それはもはや「物語」でしょう!と突っ込みたくなった。しかし、研究というのは、そういうところがあるものなのだ。荒木浩さんのいう「研究はシンクロニシティ」である。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | TrackBack(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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