「儒医の文芸」とは、福田安典さん独自の研究分野であり、他の追随を許さない独擅場であり、かつ彼のライフワークであると言ってよいだろう。
従来の近世文学史では、儒学まではなんとか見なければならないと思われてきた。しかし、医学や本草学は・・・見ないふりをされてきたと言ってもよいだろう。それを長年、見なければならないと主張し、実際に見てきて、論文をコツコツと積み上げ、一書になしたのが本書である。
私の研究に近いところでは、上田秋成も本居宣長も「儒医」ではないが、「医者」である。そして医学と文学は、理系と文系だからかけ離れているという現在の感覚は、江戸時代では通用しない。福田さん自身が、『「医学」書のなかの「文学」』(笠間書院)で説いたことである。
今回の本は、儒医である香川修庵と都賀庭鐘を柱に据えているが、その前に「儒医」とはなにか、「儒医」の前に「医陰」(陰陽道との関わり)があり、「医陰」から「儒医」への流れを明らかにする。近世文学史を相対化する「儒医」の文芸史である。
秋成と宣長の国学論争も、医学論争の影響があるという。私は40年くらいも前に秋成の宣長批判書である『安々言』を読んでいたが、中村幸彦先生が指摘するように、秋成筆の神宮文庫本の見返し付箋に、香川修庵と戸田旭山の『薬選』論争のことが書かれているのだが、なぜここに修庵が出てくるのかピンと来ていなかった。福田さんの『儒医の文芸』には、そのことが丁寧に分析されている。修庵→庭鐘→秋成の系譜は、「儒医の文芸」の視点がないと見出せない。
都賀庭鐘も、福田さん独自の「儒医の文芸」の視点から解析され、独自像を提示していると言える。
もとより私の感想は、本書のごく一部しかすくい取っていない。本書には本格的な書評が必要であろう。福田さんの前著は医譚賞という医学史研究の賞を受けたが、新たな「文学史研究」としての評価が求められるのである。

