国文学研究資料館共同研究「京都女子大学蘆庵文庫の研究」(代表者:大谷俊太)が今年度からはじまっている。
蘆庵文庫とは、近世中期の歌人小沢蘆庵が、門人である新日吉社(現在は新日吉神宮)神官で非蔵人の藤島宗順(むねのぶ)のところに持ち込んだ典籍を中心として、社家新日吉神宮の蔵書と宗順をはじめとする歴代宮司の蔵書とが混成されて成立したとされる典籍・文書の資料群である。ながらく新日吉神宮で管理されてきたが、近年京都女子大学に入った。
その蔵書から、蘆庵の蔵書、地下和歌、非蔵人の実態、さらには妙法院宮文化圏の一端など、さまざまなことが見えてくる。蘆庵文庫の研究は、近世中期京都の文化・社会研究に大いに資するものとなるはずである。
その成果は、社会に還元しなければならないので、公開セミナーや展示を行う。
昨日は、そのはじめての成果発表(社会還元)、「第1回蘆庵文庫セミナー」が、京都女子大学で行われた。百人定員だったが70パーセントは埋まっていたのではないだろうか。盛況といえる参集状況だった。研究者の方それも遠方からわざわざ足を運んだ方も少なからずで、本共同研究が注目されているようで、ありがたかった。
講演が3本、1本めが加藤弓枝さんの「小沢蘆庵の人となり−−書簡資料にみる「例の癇癪」」。蘆庵の人となりは、当代の様々な人々の随筆に記されている。いわば外から見た蘆庵(イメージ)をまず挙げ、ついで、蘆庵自身の書簡を紹介して蘆庵自身の内声から、蘆庵のひととなりを引き出そうというものである。非常に繊細だが、まじめで、融通がきかず、失礼な門人に対して癇癪をおこし、時には破門にいたる。しかしそうしておきながら、くよくよと気を遣うという、今でも「いるいる」という人物像が見事に浮かび上がってくる。ここからは私の感想だが、似たような性格なのが上田秋成。今回は秋成の蘆庵観はあえて挙げられなかったが、秋成の知友のひとりで、秋成を最も理解してくれた人物だろうと思う。秋成と蘆庵の交流については拙著『上田秋成―絆としての文芸』(大阪大学出版会、2012)で触れています。ご参照を。
2本めは山本和明さんの「天明大火と蘆庵」。蘆庵は天明八年の大火に遭遇した。その時に、蘆庵はその蔵書をどうやって守ろうとしたのか、が今回の蘆庵文庫研究にとって大きなポイントになる。山本さんは阪神大震災を経験しており、その経験と重ねて、蘆庵の罹災とその後の行動について語るところがあり、「経験した者でないとわからない」視点からの言及もあり、説得力に富んだ講演となった。内裏焼亡を詠んだという「けさ見ればやけ野の原となりにけりこゝやきのふの玉しきの庭」の和歌は、今の我々が鑑賞しても胸に迫る。山本さんは伴蒿蹊や上田秋成の文章、そして蘆庵門人の藤島宗順の日記や、記録を駆使して天明大火をめぐる人々の反応を紹介した。そして最後に、火災以後、蘆庵の蔵書がどのように移動したかを、宗順日記ほかの資料を用いて追究した。そこでは蘆庵研究の先学、蘆庵門人中野熊充の御子孫でもある中野稽雪氏の研究が大いに活用された。
3本めは私。「妙法院宮真仁法親王文化圏のなかの蘆庵」と題しての講演。妙法院宮は円山応挙・小澤蘆庵・皆川淇園をはじめとする当代きっての地下の芸文家を寵遇し、近世中期雅文壇の中心にいた人物であることは、これまでもいろんな機会にお話してきたが、今回は、宮の文化圏で蘆庵がどのような位置にあり、どのような役割を果たしていたかという点に焦点を絞って構成した。蘆庵の自筆家集には180回以上妙法院宮が登場するくらい、二人は身分と年齢差を超えて昵懇だった。宮の文化圏に関しては、私たちの科研で作成したデータベースを使いつつ、わかりやすく可視化しようとしたが、これはまだまだだった。AIに作ってもらうといいのかもしれない。
質疑応答は、加藤さんに集中していた。いずれも研究者からのもの。
さて、セミナーでも紹介があったが、来年4月、和歌文学会関西例会に合わせて、蘆庵没後225年記念展示「こころをことばにー和歌の達人小沢蘆庵とその時代」が行われる。これは単なる善本の展覧ではない。昭和25年に新日吉神宮で行われた没後150年記念の蘆庵文庫遺墨展を「再現する」という、代表者大谷俊太さんのこだわりで、場所も同じ新日吉神宮、展示品も可能なかりぎ、75年前と同じものを出品するのである。展示はわずか3日のみ。
4月17日(金)〜19日(日) 10:00〜16:00 新日吉神宮 社務所
4月18日(土)は和歌文学会関西例会
4月19日(日)は第2回蘆庵文庫セミナー。登壇は大谷俊太・大山和哉・久保田啓一の3氏。
皆様、来年のスケジュール帳にしっかり書いておいて下さ〜い。
2025年12月15日
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