2026年最初の更新。本年もよろしくお願いします。
昨日、1月10日は、大阪大学国語国文学会が豊中キャンパスで行われた。4歳歳下の大学の後輩であり、2022年からは大阪大学での同僚となった岡島昭浩さんの、退休記念講演があった(最終講義は別に行われる→こちら)。
言語意識史がテーマだったが、内容は個人つまり岡島さん本人の言語意識史ということで、いわば、その前史をふくめての研究人生史のお話であり、あわせて30年ほど、「同じ釜のめしを食った」私としては、最高に面白かった。いろいろなことが思い出された。本ブログでは7回登場している。参考資料として、公にされているエクセル仕様の「履歴」も参照しつつである。
九州大学時代、私が助手のころは、岡島さんも毎日研究室に来ており、夕方6時前になると、一緒に農学部生協に食事に行った(文系食堂は昼しかやってなく、一番近いのが農学部食堂だったので)。たぶん100回以上じゃないかしら?大抵二人だったと思う。研究室にワープロを導入した時には、二人でカホ無線に行き、ブラザーのワープロ購入を決めた。やがて私のあとの助手となり、そのあと、京都府立短期大学に就職、それから福井大学に移られた。その間私は山口大学におり、九大学会の時に合うくらいだったか。
2001年に私が大阪大学に奉職したその年、山下久夫さんのお誘いがあって北陸古典研究会に参加した。前泊したのだが、ふと思いついて急に岡島さんに会うこととなった。電話すると(当時は急な連絡といえば電話以外なかった)幸い在宅されていて、福井市内をいろいろ案内してくれた。まさか次の年に大阪大学に着任されるとは夢にも思っていなかったが・・・。
しかし、大阪大学というのは、非常に忙しくて、考えてみると二人だけで食事とかはしたことがない。大体ハイキングや教室の飲み会や夏の研究室旅行でご一緒するのみだ。最初の比は後藤昭雄先生もいらして、ハイキングの時に、九大出身3人組でお弁当を食べていたりすると、近代文学の出原先生から、「また九大で固まって(笑)」などと揶揄されたこともあった。その時の1回だけだったと思うのだが(笑)。横道にそれるが、阪大文学部では一時「九大の会」というのがあって、数年ほど九大ゆかりの先生方であつまって会食するということもあった。
岡島さんが赴任されたすぐあとに、蜂矢先生から「岡島さんを自宅に招くのであなたも一緒に来て下さい」というお誘いがあって、二人で伺ったことがある。また横道にそれるが、きのうの懇親会で蜂矢先生のスピーチで「岡島先生といえば飯倉先生と・・」と言われた時に、あーそのことだなと思ったら、カラオケで二人であみんの「待つわ」をハモったことだったので、それを思い出して吃驚した。3回くらい惜別会のあとのカラオケで披露したことがある。あと、近代文学の長野秀樹さん(九大OB)が大阪に来た時に、3人で食事した。それくらいかなあ。
阪大では、研究室活動のほか、懐徳堂記念会の仕事で少しご一緒した。平雅行先生が転出されたあとに、当時の研究科長の和田章男先生が岡島さんを指名されて。それでよかったのが、まだ大阪美術倶楽部で大阪古典会か開かれていた時だったが、懐徳堂関係の書籍数十点がまとめて出品されていた。たまたま岡島さんがその時に来ていたので、一緒に購入を仮決めし、あとで会議に諮って記念会が購入することになった。非常に珍しいものも含まれていて、あれはいい仕事だった。
今回の岡島さんの講演から、実は大きなヒントをいただいた。多分、6月ごろにそれが何だったかがわかると思います。とまれ、岡島さん、お疲れ様。研究人生はまだまだ続く、というか、まあ折り返し地点ですね。おたがい頑張りましょう。
2026年01月11日
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