2018年11月08日

信多純一先生

信多純一先生が逝去された。

その学問的・教育的業績は、ここであらためて言うまでもない。
近松をはじめとする近世演劇研究に加え、絵画と文学の関係についての論も多く、どれもが魅惑的な論である。
八犬伝や好色一代男にも一家言があり、議論を巻き起こされた。

先生に対しては、「恐れ多い」「申し訳ありません」という言葉が私の中から湧き上がってくる。
実際、先生からは、何度か、流麗な文字で書かれたお手紙をいただくことがあったが、そこに書かれていたのは、いつもご教示とご叱責であった。
先生は、阪大の国文学(今は日本文学)の研究室を本当に愛しておられ、心配しておられた。
私などが、近世文学の教員を務めていることに、危うさを感じられておられたと思うと、まことに恐れ多く、申し訳ない次第なのである。

もともと私は大胆で一見奇抜な論文を読むのが大好きだったので、大学院生時代から自分勝手に信多先生ファンだった。もちろん、先生の本領は厳密な学問である。しかし、あっというような仮説を述べられることがあるのだ。

教え子の方たちと比べると、私の思いなど、芥子粒のようなものだが、私なりにいろいろな思い出がある。
それを全てここに記すことはもちろんできない。少しだけ記す。

私の後輩の時松孝文君が浄瑠璃研究を志し、中野三敏先生のお勧めもあって、信多先生の門下になった。
その時松君が、ある私のことば(信多先生に関することではない)を、信多先生に告げたところ、「けしからん!」とおっしゃったということ。「言うなよ〜、時松」とその時思ったが、何十年もたってみると、なにか私の中ではいい思い出である。時松君は若くして急逝したが、葬儀の時の信多先生のご弔辞は、胸を打つものであった。

先生が叙勲を受けられた時、先生の功績調書を作成したことがある。教え子に協力してもらい、過去の「国文学」と「解釈と鑑賞」の学界時評を全部確認したことがあった。先生ご自身も、多くの書評や新聞記事をストックされておられたが、時評までは確認されていなかったようで、感謝されたことがある。先生とメールや電話にやりとりを頻繁にしたのは、この時だけだったが、これも貴重な経験であった。
叙勲ご受章のお祝いの会では、かたじけなくも先生ご夫妻と同じテーブルにすわらせていただき、大変緊張したが、有り難かったことを思い出す。

また、先生と親しい柏木隆雄先生が、阪大の日本文学の教員との会食で、先生をお招きくださったことがあり、会食のあとに、信多先生行きつけのすごく格調の高いカラオケ店(?といっていいのか?知らない方もいるなかで一人ずつステージのようなところで歌う形式。元歌手の方がたくさん常連でいらっしゃる。リクエストは紙に書いて渡す)に連れて行ってくださったことがあり、そのプロ並みの歌に驚いたこともあった。

そして先生は、本ブログのコメント欄にコメントをお寄せくださったことがあった。「志水」の号で。これは本当に嬉しかったのである。
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2018年10月24日

芭蕉の手紙展を観る

前に案内をこのブログでしていましたが、実際に見てまいりました。
今日はゼミのメンバーで「芭蕉の手紙」展見学。この展示を担当した辻村さんにギャラリートークをお願いし、みっちり90分解説していただいた。

手紙というのは懐紙などのハレの文字とは違い、”素”がうかがえる文字であるので、筆跡鑑定にも重要な資料であること。
その中でも、人によって、中身によって、芭蕉は書き方を変えている。
たとえば、女性への手紙と男性への手紙、明らかに書きぶりが違う。
また、スケジュール調整をするような手紙、俳諧について論じるような手紙、これまた違う。
とくに、「風雅」を述べる手紙は、特別の思い入れがこもるような書きぶりとなる。
だから、芭蕉の手紙を活字で読んでも、それは、十分に読んだことにはならない、のである。
非常に共感する解説である。秋成の書簡にもそれと同じことが言えるのである。

今回、初めて展示される新資料もあり、俳諧研究者も必見であるし、芭蕉の愛読者にもぜひ観ていただきたい。

さて、図録の表紙、いろいろ仕掛けがあったんですね。いろんな方向からこの表紙をながめると、ああっ!という仕掛けが。そしてそこに籠められた意味、説明されてなるほどと唸りました。ぜひ、図録を手にされた方は、トライしてください。

さらに、芭蕉の文字でつくった変体仮名表「芭蕉のくずし字」クリアファイル!これはくずし時の勉強にもなるし、お土産にも最適ではないだろうか。
いい展示ですので、お勧めです。
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2018年10月22日

学会記(愛媛大学)

日本近世文学会秋季大会は愛媛大学で行われた。38年ぶり。長島弘明さんの閉会の挨拶で、そのことに触れられたが、実は私にとってはじめて学会に出たのがその38年前の学会だったのだ。小倉から夜行のフェリーで園田豊くんと行った。雑魚寝だったが、隣のグループがたまたま、私の同級生の結婚式に向かう人たちだったので吃驚した。朝早く着いたのですることがなく、道後温泉に向かい朝風呂。お風呂にいたのが長島さんだった(その時はそれと知らなかったのだが、学会で、「あ、あの人は・・・」となったわけである。白石良夫さんから紹介され、抜き刷りをいただいた)。
おっと昔話はこれくらいにして、今回の学会。神楽岡幼子さんのお世話だったが、まことに行き届いた運営で、素晴らしいの一言。とくに懇親会のお料理・お酒の美味しかったこと。
初日は、鈴鹿文庫と愛媛の芸能をテーマにしたシンポジウム。前半は方丈記・徒然草の話題で、中世文学とクロスする内容。中世文学の専門家の質問もあり、スリリングに展開した。後半は、川名津神楽というアクロバティックな「柱松登り」の神事が、動画で紹介され、これまた息をのんだ。
二日めは研究発表が九本。こちらは質疑応答が非常に勉強になった。たとえば演劇ネタを草双紙化する場合の傾向がデータで示されたが、なぜそうなるのかというのが、ベテランの研究者の方々の質疑で明確になった。私が司会をした都賀庭鐘の作品について中世文学専門の方が、三国志享受という枠組で南北朝期の学問の影響を指摘されたが、質疑は庭鐘の『英草紙』や近世の同時代の文芸・歴史観からのもので、応答は残念ながら絡んでいたとはいえないが、庭鐘をそういう枠組で扱うという発想は近世文学研究側にはなかなかない。あえてアウェーの日本近世文学会で発表されたのは、開催大学の方だったということもあろうが勇気の要ることで、有り難かった。
会員が漸減しているこの学会で、もはや近世文学研究という枠組だけでの議論は、縮小再生産になってしまう恐れがある。意識的にディシプリンを越えた企画や、発表勧誘があらまほしく、そういう意味で、今回の愛媛大学の試みは、そのひとつのモデルであった。昨年の鹿児島大学でも中世文学の専門家をお招きした。講演やシンポで、他分野の人をどんどん呼び、学会発表もしていただく、これがダウンサイズは避けられなくとも、活発に学会を運営する一つの道だろう。
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2018年10月14日

文学地理学入門


 10月11日、私の授業の時間を使って、ユーディット・アロカイハイデルベルク大学教授の講義「文学地理学入門」が行われた。
現在、ハイデルベルク大学・国文研・大阪大学が共同で進めている「デジタル文学地図」の理論的な土台である「文学地理学」。なんとなく、わかったような気でいたけれど、講義を聴くことで、その理論・意義・歴史などが、私の中でかなり整理された。学生にとっても、とても刺激的であったようで、みずからの研究に照らして、色々な質問も出た。
 その理論のベースは、チューリッヒ大学のピアッティ・バーバラ氏の『文学の地理学−場面・ストーリーの空間・想像された空間』という著書である。原題はPiatti, Barbara: ”Die Geographie der Literatur, Göttingen” 2008。残念ながら邦訳はないようなので、是非これは出版していただきたい。
 ヨーロッパの文学地図というプロジェクトのウェブサイトもある。
  もう1冊、フランコ・モレッティの”Distant Reading”こちらは、邦訳あり。邦題は『遠読』。何百冊もの英国小説を地図に載せていると。どの場所が、文学でよく描かれるのか?をはじめとする遠読ならではの分析が可能。この本は私も知っていた。
 日本にも前田愛氏による『都市空間のなかの文学』という、文学空間に注目した名著がある。前田愛の分析は、作品によって方法が違うようにも思ったが、文学地理学は、多くの作品の場所を地図に載せるというところが、今の時代ふうである。ピアッティ・バーバラ氏は、スイスの山中、プラハ、北ドイツの海辺という場所をとくに選んで分析しているという。
 歌枕を日本地図に載せ、その歴史的奥行きと空間的分布を分析する「デジタル文学地図」も、複数の古典和歌・古典作品からピックアップして、その地名・場所の意味を考えるものである。
 文学地理学の射程は大きく、場所・地域の描かれた方、ひとつの作品の中での場所をベースにした分析、虚構空間と世界感覚など、いろいろな研究方法が浮上する。無意識に使っている方法もあるな、と伺いながら考えたところである。
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2018年09月02日

ミュンヘン探訪

8月29日から9月1日、3泊4日でミュンヘンのバイエルン州立図書館を訪れた。最大の目的は、雲英末雄先生や鈴木淳さんが御覧になった秋成書き入れ古今和歌集を見ること。この書き入れについては、少し皆さんの見解が異なるので、一度見ておきたかったが、今回じっくりと見ることができた。
 さて、ミュンヘンという町だが、実にしっくりくる。ドイツに住む方がこの都市を「大きな田舎」と呼んでいたけれど、言い得て妙だと思う。人々が人なつこくって優しく、けれども上品な印象。場違いながら「雅俗融和」という言葉を思い出させる。なにかゆったりとしていて、落ち着く。
 最初の日は夕方にミュンヘン入りし、午後8時まで開いているノイエ・ピナコテークへ。ドイツの近代画家の名作のほかゴッホの「ひまわり」も。人は少なくて思う存分間近で見られる。写真も自由。
 あとは日中は図書館で閲覧、夕方から美術館や歴史的建造物の見学。アルテ・ピナコテーク。フェルメールの特別展示もあって(一枚だけだが)ラッキー。ちなみに「ノイエ」は新しい、「アルテ」は「古い」の意味。そして市庁舎、レジデンツ(宮殿)の壮麗さに圧倒された。これらはすべて徒歩圏。ミュンヘン駅近くの安いホテルを拠点にすれば、勉強、観光、買い物、食事すべて30分圏内でOK。歌劇場は外から見ただけだが、ここでオペラみたいところですね。
 さて、ミュンヘンといえば、白ソーセージにビールですね。3日間、いろいろな店で堪能。最後の日は市庁舎の地下食堂ラーツケラー。ここのビール、白ソーセージとくにうまかった。ザワークラウトも今まで食べた中で一番美味い。そこに、ビールとワインが戦っている絵が掛けられていて面白いなと思ったが、訊いてみるとドイツとフランスの戦いを寓意しているそうだ。なるほど〜。
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2018年06月22日

地震記

6月18日、午前8時前、これから朝食をとろうかという時、突如として、轟音とともに激しい揺れ。「何が起こった?」という感じ。わが家は築50年弱の宿舎の4階。狭いスペースのほとんどの部屋に、併せて17の本棚を立てている。その多くはスチール製である。私の居た場所は奇しくも本棚全体が見渡せる位置。次の瞬間、家人がこちらに向かって走ってくるのと同時に、ほぼ一斉に本棚が倒れてきた。私の後ろではガシャーンという音とともに、食器が散乱したもよう。すぐに逃げる態勢をとったが、揺れはわりと早く収まった。一瞬にして部屋はめちゃくちゃである。こんな感じ。
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しかし、幸いにして、大きな怪我はなし。家人は少しすりむいたが別条なし。しかし心配だったのはPCとそれに突き刺していたUSBメモリ。倒れた本棚と山積した本で、デスクまでたどり着けない。結局、確認したのは翌日。開いたままのノートPCは、ひっくり返って下を向いていたが、USBメモリともども無事だった。また、水道・ガス・電気も確保。ガスは一時自動停止していたが復旧。しかし、流通が危ないのではないかと、いったん外出したらスーパーは軒並み閉店、コンビニは長蛇の列で、水や電池は早くも品不足の様相であった。幸い水だけは自宅にたくさんあったので、あまり心配はなかった。
 ちなみに、固定電話は電源が外れていたが、それを復旧するのに手間がかかり、ご心配をかけた向きもあったようである。申し訳ない次第である。あらためて、無事であったことをご報告する。我々が住んでいるところは、震度5強だったようであるが、記したように、古い鉄筋の宿舎であり、震度6なみに感じたし、被害もそれなみだったかと思う。大学の研究室の方は、数十冊の本が散乱した程度で、「いつもとあまり変わらない」感じだったのだ。
 このところ、片付けに追われているが、なにしろスチールの本棚は、根元が曲がり、使えない物が多い。取り急ぎ散乱のものをまとめて部屋のすみにダンボ-ルとかにいれたり、紐でくくって置いておくという状況。この際処分した書類・プリント・雑誌も多い。必要な本を探す時に大変だとはわかっているが、とりあえずの作業をしないといつまでも片付かないのである。
 阪神大震災を体験した友人が、地震で人生観が変わったと言っていたが、実感する。
 とりあえずは、元気である(本棚倒壊の時のことが、動画のように繰り返しフラッシュバックするが)。どうぞ、ご心配なく。
 そして、私たちよりももっともっと大変な被害を受けた方がたくさんいる。心より、お見舞い申し上げ、一日もはやい回復をお祈り申し上げます。
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2018年05月23日

水田紀久先生

大阪藝文研究の雑誌「混沌」(混沌會)41号に、12人の方による水田紀久先生を追悼する文章が寄稿されている。中野三敏先生が、『江戸狂者傳』に、先生の序をお願いしたことを書かれていた。漢文の序を格調高く。本書には特装版があって、そちらには自筆影印で載っていたかと思う。我々の間では、「印が読めないときには水田先生に聞け」というのが約束事で、どんな印でもお読みになると伺ったことがある。私も読んでいただいたかもしれない。ただ、私はそんなに先生のお近くにはいなかった。研究会でご一緒することもなかったけれど、しかし、どこそこでよくお会いするのはどういうわけか。シンポジウムや展示会・講演会など、誘われたら、必ず行かれるという。私も2007年に阪大で開催した秋成のシンポジウムにお誘いしたが、そのときは、主客転倒、いろいろお世話になった。2次会では浪高校歌を歌われたという記憶がある。蒹葭堂顕彰会・鉄斎美術館・中之島図書館・放送大学などなど、いろいろなところでお会いした。有り難いご縁である。確か秋成展がらみだっただろうか、鉄斎美術館にある秋成肖像を見せてもらうために出かけた際、なぜか私の車で先生に同行していただいたように記憶する。こちらが何か書いたものをお送りすると、いち早くお返事を下さり、ほぼ必ず間違いを指摘される。本などをお送りするとみなさんが書いていらっしゃるように、歌を添えてくださる。そして電話がかかってきたときには「スイタのミズタです」。これも皆さん書かれているようにお約束である。洒脱というか、茶目っ気というか、80歳を超えられても矍鑠としておられたし、つい最近まで本当にお元気な姿をお見かけしていたのだが。ついつい、私もいろいろと思い出を書いてしまった。

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2018年04月26日

松永貞徳は魅力的!(柿衞文庫で展示中)

 今日は大学院のゼミの時間を使って、近くの柿衞文庫で開催中の「手紙シリーズX 松永貞徳とその周辺」を見学に行きました。
この展示、非常に面白いので、是非来て下さいという、辻村尚子学芸員(私の教え子です)の言葉通り、なに、貞徳ってこんなに面白い人なの!ということが、びんびん伝わってくる展示でした。
 もちろん、これは辻村さんのギャラリートークがあってこそなのですが、出ているものも、滅多に見られないものがいくつかあって、実に興味深い。いくつかピックアップ。
 連歌のコーナーでは貞徳が師事した紹巴主催の連歌百韻「賦何人連歌百韻懐紙」。連歌懐紙を改装して巻物にしたものだが、懐紙のありようもよくわかった(これは解説なしでは気づかない)。貞徳はここでは「勝熊」という名で出ている。なぜ「熊」か?というと、彼の母親が長男を懐妊した時に、夢に熊が現れお腹を撫でて、それで安産だったので三人の子供に熊の名前をつけたらしい。貞徳は「小熊」と呼ばれていたが、俳号はそれと音が同じの勝熊。という蘊蓄を伺う。こんなことは解説にも書いていないことだ。
 紹巴宛木食応其(もくじきおうご)宛書簡は、連歌懐紙を美しく仕上がるべく、「下絵所」に下絵を注文するということがわかるというもの。
 羽柴千句は、紹巴亭で催された秀吉毛利攻戦勝記念千句。第十百韻の発句は秀吉だが紹巴の代作だという。この中に貞徳の父永種の名が見える。
 貞徳が父から伝えられた名物の硯を末吉長久に与える譲り状の草稿。自筆。永種は法華経を二十日で暗記するほどの収載だったゆえ、東福寺永明院の霊宝である硯を譲られた。永種の伝記資料としても貴重。
 望月長孝宛貞徳書簡。「長頭丸」名で出している。この名前の由来も説明してくださった。寿命が来たので生まれ変わってまた幼名になったと。
 貞徳筆葉茶壺の記百韻。数少ない自筆百韻資料。板倉重宗と考えられている高位の武家に献呈。推敲の後が見られる。重徳編の『誹諧独吟集』に入集。それも展示。
 短冊「鳥の名をふたつ持たる今年かな」。「乙酉」の年、つまり正保二年の作だと。燕のことを「乙鳥」というので「鳥の名ふたつ」になるという説明。なるほど。
 野村九郎兵衛宛貞徳書簡。貞徳が拝領した塩漬けの鶴の肉(養生食らしい)を母思いの九郎兵衛当てにお裾分けする手紙。「長頭丸」名で出している。「たらちめを千代ともおもふ人の子に此はいりやうをゆづる成けり」。ゆづるに「鶴」がかかる。返歌もあるが省略。
 とにかく、ギャラリートークが面白い。これまで聴いたギャラリートークの中でも1、2を争うくらいの内容。これも学芸員ご本人が、貞徳をすごく面白がっているからである。聴くと貞徳のファンになってしまう(これは大げさではなくそういう感想続出)。
 俳諧に興味のある方、お願いすれば、辻村さんが説明してくださいます!連絡してみましょう(そう宣伝していいと言われました。その場でお願いというのはちょっとむずかしいと思いますので事前に連絡を)。HPはこちら。展示は6月10日まで。10:00-18:00(入場は17:30まで)
 

 
 
 
 
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2018年04月22日

出版社を「編集」すること

日文研の荒木浩さんの主宰する共同研究「投企する古典性−視覚/大衆/現代」に参加しました。
今日は文学通信という新しい出版社を立ち上げた岡田圭介さんの発表

出版社を「編集」すること−「文学通信」の立ち上げと、学術メディアを取りまく状況

なかなか聞けない裏事情を含め、下記のような多くの有益な情報が聞けてありがたかった。
〇1996年をピークに出版売り上げは毎年下降し、現在は最盛期の半分ほど。なぜそれなのに出版社はやってこれたのか?
〇日本書籍出版協会や版元ドットコムの働きや存在意義。
〇TRC図書館流通センターの存在感。
〇出版危機の分析
〇日本文学系メディアの消滅がもたらしたもの。
などなど。

その後の議論の中でも、様々な貴重な情報や分析を聞くことが出来た。例によって、文学あるいは古典の愛好者の裾野を拡げるには、という話になったが、「そもそも古典は地方文学、万人に受け入れられるものではない」という荒木さんのご意見には納得。一口に古典と言っても、京都に住む人と、新潟に住む人では、親しさが違う。京都ならすんなりと受け入れられる。
学術メディアを取り巻く状況を単に厳しいと言っているだけでは解決への糸口はつかめないし、糸口をつかんだ気になっているのも能天気。
こういう問題を、研究者たちが飲み会とかではなく、研究会で議論するのは珍しいことだが、岡田さんの報告のおかげで、様々な問題を共有できたことは、たいへんよかった。
 ところで呉座勇一さんとも初めて帰りのバスの中でお話ができたが、大変気さくな方であった。また個人的には屋良健一郎さんとご挨拶できてよかった。屋良さんは琉球における和歌の受容について昨日発表されたのだが、私は聞けなかったが、帰りの電車が一緒だったので。屋良さんは「心の花」所属の歌人でもあって、こちらは勝手に短歌時評を読ませていただいたりしているのでした。
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2017年06月12日

学会記(東京女子大学)

 日本近世文学会春季大会が、6月10・11日の日程で、東京女子大学で行われた。
 その前週に、中古文学会も開催されていて、運営の点では、まことにそつがなく、行き届いているという印象。たとえば、研究会開催前に委員会が開催されるが、委員は総合受付を経由せずとも、委員会会場で受け付けと発表資料を受け取れる仕組みなど、細部に心配りが。事務局と大会校にはいつもながら感謝感謝。
 発表者は9名で、やや少なめだが、ゆったりした日程で、早めに終わるのも悪くない。ちょっと帰りにバーにでもよって発表の感想を述べ合うような会もできるというものである(←それをした人)。
 さて、発表は全部を聞いたわけではないので、例によって、恣意的に取り上げる。
 まず土曜日のトップバッターは、私のゼミの学生。ボコボコにされるのは本人十分覚悟の上の、西鶴でのいわば異説の発表。私のアドバイスは「堂々と発表してきなさい」ということ(←精神論か!)。
 従来、ほぼ読みの定まっている作品に対して、別の鑑賞法もありうるという問題提起だった。大家のお二人の質問を引き出したのはOK。前者の方の質問はさすがに鋭く、しばしの沈黙があったが、「貴重なご指摘ありがとうございます。今後の課題とさせていただきます」と逃げるのではなく、ちゃんと自分なりに答えたのは、いいのではないかと思った。私の聞いた範囲、あるいはSNSなどでも、面白く聴いたという意見は多かった。「10人が10人そう読む」という読み方に敢えて異を唱えるのは「岩盤ドリル」だが、それをやろうとしたことにエールが送られていたと思うし、「論じ方次第では、もっと説得力を持ったよ」と教えてくださる西鶴研究者の方もいたのはありがたい。発表したからこそ見えてくることがあるのだ。
 2日目の合巻の表現規制を戯画化した合巻についての佐藤至子さんの発表は、聴いてて惚れ惚れするような明快な論旨と展開であった。それに対する質疑応答も非常に高度で面白かった。ずっと聴いていたいような至福感。学会発表を聴きに来る醍醐味がここにあるといってよい。
 徳田武先生の、前年の発表「洒落本『列仙伝』は上田秋成作ならん」の続考となる「『雅仏小夜嵐』も上田秋成作ならん」。前考を認めない方には当然今回も受け入れられない。実は、前年の議論を(在外のため)私は聞いていない。秋成研究者が批判したとは聞いていたが、今回、秋成研究の大家からの質問意見が出なかったのは、前年の発表を認めないという立場からの当然の対応なのだろうと思った。
 ただ、この推定を根拠薄弱、実証手続き不十分と批判することはもちろん可能だが、絶対にありえないとは少なくとも私には言えない。だから多少秋成研究者との議論を期待していたのだが残念であった。作者「蘇生法師」をめぐる井口先生との議論はあったが。
 もっとも若い人がこういう発表を真似すべきではない。徳田先生には、秋成研究史の上で、従来手薄であった秋成の漢学についての有意義な研究があり、読本における数々の典拠の指摘の実績は言うまでもない。それらを総合的に判断すれば、かかる発表もありだろうと思う。現にいろいろな意味で勉強になったし、質疑を含めて有意義だったと思う。異論があるだろうが、それを承知で敢えて私感を述べる次第である。
 それにしても、今回は学会発表における質疑について考えされられた。
 発表者が少なくなってきているのを逆手にとって、質疑時間をもう少し長くとってもいいかもしれない。せめて10分とっていただければ、今回挙手しながらも質問できなかった方も質問できていただろう。
 とはいえ、現状は5分というルールである。であるならば、質問する方もそれを意識しないといけないだろう。他にも質問者がいるかもしれないから、手短に、整理して質問することを意識しなければならないだろう。質問の内容も、できるだけ発表の可能性を引き出してあげるような、問題意識を深めるようなものであることが望ましい。長い質問・やりとりがよくないというのではない。現に佐藤至子さんと佐藤悟さんのやりとりは、今大会の白眉というべきもので、時間は気にならなかった。研究会のようにゆったりとした時間があることを前提とするかのような質問は勘弁してほしいのである。
 さて、個人的には、今学会会場渡しを約束していた、とある編著の念校が無事渡せたことが何よりであった。 

 
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2017年01月07日

大阪大学国語国文学会

恒例の大阪大学国語国文学会が本日、豊中の大阪大学会館で行われました。
たいへん盛況でした。蜂矢先生もお見えになりました。
学生3名の発表ののち、山本嘉孝さんと出原隆俊先生の講演がありました。
山本さんの講演は、室鳩巣の辺塞詩が、『唐詩訓解』の学びから生成していることを、非常に丁寧に説き、その擬古的手法の中に、時勢への諷諌や感懐が実は込められているということを、訓解の注釈を重ねつつ読み解いて行き、さらにそれを『赤穂義人録』と関連づけるというスリリングな展開で、面白かったです。
出原先生の講演は、透谷・一葉・漱石・鷗外を通してご自身の研究を振り返りつつ、研究することの意味を自問する苦悩についても語るという、「自分語り」色の濃いご講演で、なかなか日頃はきけない貴重なお話でした。「〇〇論」というタイトルを論文に付けたことがないという話をきいて、そうだったのかと思いました。出原先生の論文は「論」のイメージがありましたが、そこには全体を論じなければ論ではないという先生の美意識があったようです。出原先生が阪大に着任されたのは平成元年のことだそうで、28年間の長きにわたっての阪大での教育研究であったわけです。
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2016年10月11日

いたずらコンビは最後は死んで誰も同情しない

 本日10:30分から、大阪大学豊中キャンパスで、ハイデルベルク大学教授ユディット・アロカイさんのご講演「明治時代における西洋文学受容―"Max und Morits"とローマ字訳『Wampaku monogatari』を例に―」がおこなわれた。西洋では誰でも知っている、ウィルヘルム・ブッシュ作の「マックス ウント モリッツ」をローマ字訳した『Wanpaku monogatari』を紹介し、その翻訳の戦略を明らかにしたご講演であった。
 原文はいたずらコンビの7つの話だが、ローマ字訳されたのは最初の4話だけ。実は7話でこのいたずらコンビは悪さがたたって殺されてしまうが、誰も同情をする人はいなかったという「えっ」という結末。この部分は日本的な土壌には合わないとみたのか、訳されることがなかった。
 いろいろと注目すべき点があって、原文がかなり韻律的であることを受けて、翻訳もほぼ七五調で韻律的。磐梯山の噴火なども強引に取り入れていたりして当代性もあり。教訓なのか、ファンタジーなのか、ユーモアなのか。誰をターゲットとしたものなのか。翻訳・文語・韻律・寓話・ローマ字普及・漢文訓読などなど、さまざまな問題が浮上する問題のテキストである。世界各国にものすごく訳されているこの本、まさしく国際シンポの題材にもうってつけではないか。小さな集まりではあったが、議論は高度で活発であった。
 さて、10月7日のエントリーで書いたように、13日午後2時からは、アロカイ先生が中心のプロジェクトチームが発表する「国際ワークショップ、デジタル文学地図の試み」が、大阪大学基礎工学部国際棟セミナー室で行われる。こちらも是非ご参集を。
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2016年08月31日

帰国

8月29日に無事帰国しました。
たいへんご無沙汰しました。
4ヶ月のハイデルベルク滞在と少しばかりの中欧の旅。
勉強になることばかりでした。
いろいろ考えさせられました。
追々、それを書く事があるかもしれません。
今は、旅の後始末と、諸々の締切と、新学期へ向けての準備などなどで、ちょっと余裕がありませんが。
お世話になった皆さまへ、心より御礼申し上げます。
また、留守中、多くの方にご迷惑をおかけいたしました。深くお詫び申し上げます。
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2016年05月07日

島津忠夫先生を悼む

 島津忠夫先生が亡くなられた。
 その訃報に接した時、にわかには信じられなかった。
 一人暮らしをされていた川西のご自宅から、ご家族のいらっしゃる関東(所沢)に移ることを決心されたのは、確かに先生のご体調が理由だとうかがっていたが、先生はお元気でいらっしゃると、幾人かの方に伺っていたからである。
 しかし、その時は来てしまった。
 先生ご自身は、それを覚悟されていた。
 この6月ごろ出る予定の『上方文藝研究』へのご投稿は、ご自身にもしものことがあっては、と去年の夏には入稿されていた。先生のご意向を汲み、校正も早く出してもらい、秋には校了していたのである。
 また、ご蔵書なども、生前から着々と整理しておられた。
 それでありながら、著作集完結のあとも、次々と論文・著書を公にされていた。最後までバリバリの現役研究者として第一線を走っておられたことを心から尊敬する。これは決して誇張ではない。このブログでもしばしば書いているように、学会での質疑応答、そしてとりわけ『上方文藝研究』合評会での、鋭いご指摘は、常にだれよりも深い示唆に富んでいた。先生が、『上方文藝研究』の合評会に、よくいらしてくださって、教えてくださった数々のことは、院生諸氏にとって、そして私たちにとっても、本当に貴重な財産となっている。私たちは、次号を、先生の追悼号とする。
 島津先生を知るすべての人が、言うだろう。島津先生のように、学問的にも人間的にも本当にすばらしい方は、めったにいない。島津先生から人の悪口はきいたことがないし、島津先生を悪く言う人もきいたことがない。そして、本当に気さくでいらっしゃった。先生は、どんな人に対しても気さくに接し、惜しみなく知識を授けてくださった。先生は現代歌人でもあり、先生を囲む短歌の会も行われていたときくし、連歌関係の研究会があったり、杭全神社での連歌興行などでも指導的立場におられ、源氏物語を読む読書会も長く続けられていたと聞いている。
 私がかかわった学術誌、「江戸時代文学誌」「雅俗」「上方文藝研究」の創刊号の巻頭論文はいずれも島津先生が書いてくださっている。
 そして私が大阪に来てどれだけ先生に教えられ、励まされ、助けられたか。私が、そして私の妻が大阪で曲がりなりにもやってこれたのは、島津先生のお力が本当に大きい。
 先生は、佐賀大学におられたことがあり、九州大学関係の先生とのご縁も深い。そこで私が阪大に赴任した時の歓迎会には、先生もいらっしゃってくださったが、それまでに、そんなに先生と深い御付き合いがあったわけではない。先生は、慣れない関西に来て戸惑っているであろう私たちを気遣ってくださり、居場所を作ってくださったのだと思う。大阪に来たころは、島津先生のお宅に押し掛けて、いろいろなお話を伺って、あまりの愉しさに時を忘れたこともしばしばあったことが思い出される。柿衛文庫で仕事をさせていただいるのも先生のお陰である。
 いまはこの喪失感を何とも言い表すことができない。
 心から哀悼の意を表する。
 先生、ありがとうございました。
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2015年10月26日

日本古典文学学術賞の選評

国文研ニューズ。第8回日本古典文学学術賞の受賞者(同僚の合山林太郎氏)の発表と、内田保廣氏の選評が載っている。
(以下引用)
「清新論的文学観」(中村幸彦)もしくは「性霊論」(揖斐高)が主流として高く評価されてきた江戸後期にあって、それに反するように、なお多くの古文辞を重用する漢詩人が存在した事、詠物詩や遊仙詩など知的、または技巧が重用される作品が多作されていたことなどへの疑問が、明治への長い射程の中で、個々の事例に即して実証的に説明されている。他方、「性霊論」以降の漢詩が徐々に平板に堕してゆく様相も照射され、両々相俟って幕末明治の漢詩文が抱えていた根深い問題点を剔抉している。政治や戦争漢詩など、旧幕時代には題材たりえなかった新時代の諸問題も含みつつ、〈古典から近代へ〉という転換期に漢詩文が有した「意味」が、繰り返し問われている。(引用以上)
この分野は今後急速に展開しそうな気配。合山さんには是非、その牽引者として頑張ってほしい。
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2015年10月22日

柿衞文庫の俳画展を見る。

蕪村の新出資料が新聞紙上を賑わわせているが、柿衞文庫でも「俳画の楽しみ」という展示が行われている。昨日午前ゼミの時間を利用して10人ほどで訪問、学芸員根来さんの解説つきで鑑賞した。蕪村の新出短冊「牡丹散りてうちかさなりぬ二三片」というのがあったが、「うちかさなりぬ」の部分を、実際に「うちかさねて」書いているという解説を聞いて、面白いと思った。他にも興味深い俳画が多数並んでいて、実に楽しい展示であった。柿もたわわになっているところで、それを背景に記念撮影も。
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2015年06月29日

秋成忌

6月28日(日)に、6回目の秋成忌が行われた。
今回は、朗読・講演・講談・筑前琵琶演奏と、バラエティに富んだ構成で、3時間という時間を感じさせなかった。
近衞典子さんの講演「秋成と河内」は、まるで一緒に文学散歩をしているかのような感覚になれるくらい、多くのスライドを使用、秋成の河内滞在をリアルに体験できるように仕組まれていた。
旭道南海さんの講談は、秋成と妻のやりとりを軸に、「見てきたような」物語を紡いで見せた。講釈で秋成を語るのは珍しいが、それはむずかしいからでもある。しかし、流石に面白く料理していた。有難いことに、拙著『上田秋成』を種本に使って下さっていた。これでわが拙著、以て瞑すべしである。ありがたや〜。
いつもの常連に加えて、近衞さんのスライド操作の「助手」として福田安典さん、そして京都に戻ってこられた山下久夫さんの姿も。私は3年ぶりに参加したが、秋成忌、すっかり定着していた。89歳のご住職はますますお元気で、だんだん秋成陶像に似てこられたというのが、皆の一致した感想である。
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2015年06月26日

日本語学会で「うた」のシンポジウムがありまして、その報告が面白い。

笠間書院の『リポート笠間』が学界時評を終える代わりに、学会シンポジウムレポートを始めるという。
その第1弾のひとつとして、日本語学会のシンポジウムリポートを、浅田徹さんが書いている。
大阪大学の矢田勉さんの発案で、日本文学研究者と美学研究者を呼んで、「うた」についての議論をやったという。これを聴き損ねたのは、まことに残念だった。レポートを読むだけで、面白さが伝わってくる。
こちら
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2015年06月23日

いま、大学で何が起こっているのか

 『いま、大学で何が起こっているのか』は、名古屋大学大学院文学研究科の日比嘉高氏が、ご自身のブログに書かれた記事を基に、1冊のブックレットとして刊行されたもの。ひつじ書房から5月29日に初版が刊行された。
 名古屋大学文学研究科といえば、塩村耕さんがコーディネートしたシンポジウムの記録として『文学部の逆襲』という本が刊行されたのも記憶に新しい。
 今回の日比氏の本は、文学部擁護論とはちょっと違って、も少し広い範囲で大学の役割や意味を論じたものである。ブログの記事がネット上で大きな反響を呼び、それがきっかけで出版にいたった経緯が「あとがき」にかかれている。私もいくつかの記事をブログで拝読した。
 日比氏のスタンスはどちらかといえばリベラルに見えるが、文科省や保守系メディアを、ヒステリックに批判するような、ありがちな言説・議論ではなく、バランス感覚に優れている。大学関係者はもちろん、一般の方にも読んでいただきたいところが多い。

 ところで、たとえば6月8日付の文科省の国立大学への通知の中で、
「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。」
という文言があって、これを、文学部あるいは文系学部廃止論と見る観方も多いが、そうなのだろうか?
そもそも「社会的要請の高い分野」とはどういうものなのか?何をもって「社会的要請」というのかがわからない。国民に「大学に必要な学部とはどんな学部ですか?」というアンケートでもとったというのであろうか?「社会的要請の高い分野」とは、職業訓練的な実学の分野だという前提で議論がなされているようなのだが、教員養成系や人文社会系だって職業訓練的なことをいろいろやっている。それらは国立大学に必要であるという意見が結構多かったりしたら、どうなのだろうか。声の大きな人にそういう人は少ないのかもしれないが。地方の国立大学では、そのような社会の声を一度調査してみるといいのかもしれない。「社会的要請の高い分野」を単なる先入観で思い描くのは早計だろう。
 もちろん調査の結果がどうあれ、「社会的要請の低い分野」を「社会的要請の高い分野」に転換すべきであるという前提も、そもそも「大学」って何?という議論が欠けているのはまずかろう。
 と、私などもいろいろと考えさせられる、そういう切っ掛けになるブックレットである。
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2015年06月06日

仏像修理技師 西村公朝

 私の住んでいる豊中市のお隣の吹田市には、山手の方に公園があって、その中の一角に市立博物館がある。初代博物館長であった西村公朝氏の生誕百年記念の特別展が開催されている。明日までである。
 入場料200円という展示であるが、ものすごくいい展示であった。
 大阪出身で東京美術学校で学んだ西村公朝氏は、美術教師を経て、仏像の修俚の専門家となり、妙法院三十三間堂の千手観音をはじめとして、日本全国の多くの仏像・神像の修復を行った。自身も得度して天台宗の僧侶となった。また仏像制作も行い、画も書いた。戦争に従軍していたとき、行軍中にあまりの疲労で眠ってしまい、その時多くの壊れた仏像の夢を見た。その夢の絵も展示されていたが、どこか飄味があるのがかえってよくて、見入ってしまった。その夢が一種の啓示となって、仏像修理に専念するようになったということ。
 今回の展示では、西村氏の学生時代のノート、修俚のための記録、彼が修理した仏像、多くの写真・レプリカ、制作された仏像、仏の絵などが出品されている。釈迦とその弟子とのやりとりを描いた絵がよかった。
 西村氏が初代館長になったのは77歳の時で、88歳でなくなるまで、第一線で活躍、著書も多数のこし、多くの啓蒙を行った。
 仏像を修復する仕事がどういうものであるか、というこの展示に、私は自分でも想像できないくらいに感銘を受けた。研究者であり芸術家であり宗教家でもある西村公朝という人の、人の心を動かす力を否応なく感じたのである。その力はやはり毀れた仏像を修復することに専心した者の力である。、
 学生時代に、友人と京都奈良の仏像を見て回る旅をしたことがあった。その後、幾度となく仏像をみたし、仏像の展覧会もみたが、今回の展示は、仏像修理をコンセプトにしている点で、仏像の展示とはまったく違う人間の仏への思いを感じた。ともあれ期待以上のものがあった。もう少し早く紹介できればよかったのだが。
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