2022年08月13日

〈作者〉とは何か

神戸大学文学部国語国文学会2022年度研究部会の2日目のシンポジウム「近世俗文芸の作者の姿勢=mポーズ]――序文を手掛かりとして」のラインナップは次の通り。8月27日午後2時から。ハイブリッドで行われ、オンラインではどなたも参加できるようだ。

丸井貴史(専修大学准教授) 序文の虚実――『太平記演義』を中心に
天野聡一(九州産業大学准教授) 『雨月物語』序文小考
飯倉洋一(大阪大学名誉教授) 作られた序者――『ぬば玉の巻』と『春雨物語』に即して
小林ふみ子(法政大学教授) 主体の虚構性と実体性――大田南畝周辺から
有澤知世(神戸大学助教) 自序に登場する〈作者〉――山東京伝の戯作から

私も登壇するのだが、あらためて気になるのは「作者」って何?ということである。
今回のシンポジウムでみなさんが扱う「作者」は、いずれも実体としての作者そのものではなさそうである。では作者とは?

そこで、手がかりになるだろう論集が昨年3月に岩波書店から刊行されたハルオ・シラネ、鈴木登美、小峯和明、十重田裕一編『〈作者〉とは何か』である。バルトの「作者の死」、フーコーの「作者とは何か?」とその後の〈作者〉論を受けて、現代社会におけるメディア・ネット文化の中で、歴史的に〈作者〉を問い直すという鋭利な問題意識(ハルオ・シラネ「はじめに」)の下、多様な立場の研究者が、多様な〈作者〉像を描き出している。
 中でも、今回のシンポジウムのテーマと最も関わり深いのが、長島弘明「変装する〈作者〉−上田秋成の小説を例として−」である。ここで詳細は述べないが、「模倣のオリジナリティ」というキーワードを据えて、精読者を対象とする創作のあり方を論じ、「戯号」に注目し、実体ではない、作品個別に存在する〈作者〉(これが変装する「作者」)について論じ、さらに読者もまた変装することを述べている。今回のテーマ「作者のポーズ」とぼっちり重なることを論じているのである。私もこの長島さんの論に共鳴するところが多い。
 鈴木俊幸「江戸時代の出版文化と〈作者〉」も、近世小説の社会的位置が低かったことと戯名との関わり、そして誰でも「作者」であった時代における作者と読者の距離の近さを指摘するなど、看過できない論文である。
 さらに金文京「東アジア前近代における〈作者〉の語義とその特徴」は、中国における「作者」の意味とその変遷を明らかにしてくれていて貴重。「作者」の原義は古代の聖天子であり、それに続く人々は、聖人の言葉を祖述する「述者」、選ぶ「選者」、顕在化させる「著者」、編集する「編者」であると。もちろん意味は派生するが、原義からすれば「作者」とは優れた作品を創った人を聖人に擬えていうことば、日本の「作者」も優れた詩歌を作る人といった意味が中心にあるのだと。「作者」を論じる上で押さえておくべき基本的論文であろう。
 さて、本論集の多くの人が引用しているのが「機能としての作者」の概念を提示した、ミシェル・フーコーの『作者とは何か?』である。いくつかの論文を読んで、バルトの「作者の死」に基づくナイーブなテクスト論はおおむね乗り越えられてはいるが、「機能としての作者」はまだ生きている、現状はそういう認識段階だと感じた。
 『作者とは何か?』(清水徹+豊崎光一訳、哲学書房版)でフーコーは「機能としての作者」の四つの特徴を指摘している。しかしそれを要約することは、ちょっと困難だ。ただ今回のシンポのテーマに即すると、次のくだりあたりがリンクしてこよう。「作者を現実の作家の側に探すのも、虚構の発話者の側に探すのも同様に誤りでしょう。機能としての作者はこの分裂そのもののなかで−この分割と距離のなかで作用するのです」。
 さて、『作者とは何か』に戻ると、商偉「『石頭記』と〈作者〉」が興味深かった。というか『石頭記』という作品そのものが面白い。
 シンポジウムは、「序文」を手がかりにして、という副題がついているが、これは「作者」=「序者」、つまり「自序」を扱いますよ、ということになる。しかし自序にはもともと、謙譲、韜晦が含まれるのが常である。他序はその反対。それをもポーズというのであれば、型としての序を前提とした議論が必要となるだろう。
 おそらく、それぞれの登壇者が自分の関心のある「作者」の書いた「序」について、そのポーズについて事例報告をし、ディスカッションで論じあうという形になると思う。自分の発表準備は出来ていないが、楽しみである。
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2021年04月05日

都合のよい結論を導く魔法のことば

 俳文学会の『連歌俳諧研究』140号(2021年3月)に掲載されている、中森康之さんの「『葛の松原』強行出版説には根拠がない−検証八亀説」が面白い。支考が『葛の松原』で、芭蕉の有名な「古池や」の句を「蕉風開眼の句」と説いたが、実はこれはすごい詩論なんだということを、中森さんが学会で発表され、私がその発表に衝撃を受けたことをかつてこのブログで書いた。しかし、その支考の『葛の松原』を、芭蕉の許可を得ずして強行出版したものだと主張しているのが八亀師勝氏で、その説は影響力を持ってきたらしい。支考は胡散臭い人物で、人間的に問題があるというイメージがあり、その偏見先行で、強行出版説が唱えられていたことを、中森さんは本論文で検証した。非常に説得力のある内容で、『葛の松原』が強行出版されたものだから、書かれていることは信用できないという根拠は崩れ去ったと言える。
 それにしても論文というのはこわい。その結論がそれを読んだ研究者にとって都合がよいものであれば、その論拠のなさを見過してしまう。逆に言えば、論拠がなくても、詭弁的に自分の都合の良い方向に結論を導き、それが他の人の論文の「論拠」として、一人歩きしてしまう。
 論拠がなくても、都合のよい結論に導く魔法のことばは、「〜だとすれば」「この仮説が正しいとすれば」という、さりげなく挿入される仮定法である。これがあれば、何だっていえるぞ。そしてその仮定法がいつのまにか既成事実となっているという叙述法だ。
 しかし、私自身もこの論法を使ったことがあるのだ。使い方としては都合のよい結論に導くためではないつもりだが、褒められた物ではない。自省自省。

 
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2019年05月04日

木越治さんの問い

 2018年12月に出た『北陸古典研究』33号について書く。
 木越治追悼特集が編まれていて、教え子や研究仲間がそれぞれに木越治の投げかけた問いに答えている。
 丸井貴史・紅林健志・奥野美友紀・高橋明彦・山下久夫・山本一のめんめんである。
 北陸古典研究会は木越さんが立ち上げた研究会である。私も1度だけ参加したことがある。その時は、小林一彦さんや山本淳子さんも発表されたと記憶する。九州や関西のいくつかの研究会に参加したことがあるが、一番尖っている研究会だな、という印象で、それはやはり、木越さんとそれに共振する人々の「文学」への熱い思いに由来するものと思われる。
 木越さんは、今の、ご自身の、作品に対する感覚を大事にされていたと思う。「文学」とは、「語り」とは、という彼の問いは、すべて、いまここのご自身から発せられている。
 追悼の文章も、「読む」とは、「語り」とは、「面白さ」とは、「文学性」とは、という木越さんの問いを受け止めて、各人が真摯に答えたものと捉えられる。紅林さんの「〈つまずき〉と〈語り〉」では、ちらっと「菊花の約」の語りをめぐる木越飯倉論争が取り上げられている。紅林さんは、『雨月物語』全体の語りを、そして近世小説全体についての〈語り〉についてどう考えるかを詳しく説明せよという宿題を私に下さった。感謝申し上げるが、私はそれについて書くことはない。今の私には、「文学」とは、とか「語り」とは、という問いはない。「菊花の約」の場合も、あくまで近世の読者はこの話をどのように読んだか(もちろんその読みは多様だろうが、多様の中の可能性のひとつとして)、という着想で考えた結果、語りの問題が不可避となったわけであり、最初から「語り」とはという問いがあったわけではないからである。
 しかし、木越さんは、「それも飯倉の(今の)読みだ」と言われるのである。そう言われてみれば、その通りなのだが、なぜ私がそういう読みをするかという出発点は、大いに木越さんとは違うのである。
 だが、江戸時代の人はどう読んだか、という考え方は、私の師から学んだと言ってよいが、元々私は近代人だし、また「読み」の人間なので、本当は木越さんの言うとおりなのかもしれない。江戸時代のことも本当はあまり知らないしなあ。だけど、そういう私が、今の感覚で放恣な読みをすれば、他人が読んでも多分どうしようもなくつまらないだろう。しかし木越さんの読みは、凡百の秋成作品論とちがって、無視できない存在感がある。そういう木越さんの「読み」を経た作品だから、論じたくなるということは否めない。私の作品論は私が後輩だから当然だが、木越さんの読み方が大きな影響力をもたらしている作品を扱ったものが多いのだ。「菊花の約」「血かたびら」「海賊」「二世の縁」などなど。
 書いているうちに、わけがわからなくなったが、この特集に触れて、やはり何かを動かされるのは、木越治さんの問いの魅力から私も逃れられないからだろう。
 
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2017年07月16日

読本研究新集9

  近世後期小説研究の中心は、昔も今も「読本」にある。うろ覚えの話で恐縮だが、かつて横山邦治先生が『読本研究』を立ち上げた時(今確認すると1987年、いまから30年前だ!)、服部仁・大高洋司・高木元という、その当時の30代の若手読本研究者が、10号連続して原稿を投稿することを決めたのだと聞いた記憶がある。このブログで繰り返し述べていることだが、ある分野の、またはある地域の研究を盛んにしようと思えば、雑誌を創ることである。それが求心力となり、自然に研究者が育つのだ。『読本研究』の創刊は、その狙いを見事に実現したと言える。その後を継いだ『読本研究新集』は5集までは翰林書房の献身的なご好意による刊行があり、それが途切れた後、有志による研究同人誌としての再出発があった。一つのジャンルでこれほどの継続性をもった雑誌は、近世では他にないだろう。『読本研究新集』の現在の編集部は、服部・大高・高木の3人よりもさらに一回り(以上)若い、山本和明・田中則雄・藤沢毅・佐藤至子・木越俊介らが中心となっている。彼らは、一様に学界の行く末を真摯に考えて、無私の精神を持っているところが共通する。さらに若い中尾和昇・中村綾・天野聡一・丸井貴史・野澤真樹・有澤知世・長田和也らが、切磋琢磨しつつ、この雑誌に投稿することで、育てられているのもむべなるかなである。(ついでながら、西鶴と浮世草子研究は5号で終わったが、その意義はやはり大きかった)
 さて『読本研究新集』第9号が刊行された。「読本の口絵と挿絵」を特集している。(8号では善と悪という、「内容」が特集されたが、今回は「様式」か。されば、いつか「営為」的なものを特集して欲しいな)。
 ベテラン・中堅・若手といいバランスで、9篇が配されている。全体に若手はもうすこし叙述に工夫が欲しいところ。丸井貴史さんの「『通俗古今奇観』における訳解の方法と文体」は、中村綾さんとともに、通俗物研究の新たな地平を開く力作。井上泰至さんの「二つのリライト―『雨月物語』翻案の本質―」は、「浅茅が宿」「菊花の約」のそれぞれの典拠との比較という一見ありふれた方法をとるが、典拠論ではなく、「リライト」論という、作者の「営為」を問題としているところが新しい、と私は勝手に読んだ。今後の研究の国際化を展望しつつの、研究方法の提示でもある、と思う。外国の文学理論の適用という意味ではなく、逆に日本の蓄積された典拠研究をいかに有効に国際的に開くか、というサンプルで、この論文は個々の読みそのものよりも、その志向に注目すべきだろう。拙論を引いていただき恐縮。ちなみに教え子の有澤さんの「小枝繁の先行作品利用」も、作者の「営為」を実は問題にしていると言える。作品を創るとか刊行するとか写すとか訳するという「営為」は、世界共通なので、国際的な議論となりうると思う。
 敬称略のところがありましたが、お許しください。

 今回から新たに「読本研究文献目録」のコーナーが登場。これはありがたい。
 
 
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2017年05月11日

チェコの日本研究の現状

 今日は、チェコのカレル大学(プラハ)の日本学科長で、現在大阪大学に滞在して研究を進めているヤン・シーコラ先生の「チェコにおける日本研究の現状」というお話を聞いた。小さな会だったが、活発な質疑が交わされた有意義な会だった。シーコラ先生は、近世から近代の日本の経済思想史がご専門であり、「懐徳堂及びその周辺における経済思想の成り立ち ― 「利」をめぐる議論を中心に」(『懐徳』第75号、2007年)という論文もある。かつて、懐徳堂記念会で講演していただいたこともある。
 東洋学において、国際的には日本から中国に学生の関心が移りつつあると言われている中で、カレル大学では日本研究の人気が逆に高まっているという。約20人の狭き門に150人から200人が入学を希望するという状況。中国学は逆に・・・・。当然、日本語や日本についての知識のレベルが高い学生が入ってくる。そこで、学部時代は日本語漬けともいえるようなカリキュラムで、徹底的に日本語を鍛えるのだとか。卒業試験は、辞書なしで、たとえば日経新聞を読ませ、訳をさせるようなレベル。常用漢字は全部覚えておかねばならないのだと。
 学生の関心は、90年代までは、伝統的文化に関心があったが、近年は現代日本の政治・社会・経済・ジェンダーなど実用的な側面に移ってきていた。しかし、最近になって、再び伝統文化へのUターン現象が起こっているのだとか。これは前近代をやっているものにとっては有り難いことである。理由はいろいろあるだろうが、ざっくりいえば、学生のレベルが高くなっているので、より深く知ろうとするからなのだとか。大学院の試験は、かなり深いテーマが出され、3時間で2000字の論文を書くのだとか。このような学生の日本に対する知識は、翻訳が充実するなど、条件が整備されているからだということである。おそらくカレル大学の日本学科の学生は、日本の日本文学を専攻している大学生の日本語運用能力や知識において、さほどわらない力を持っているのではないかと予想される。それはハイデルベルク大学で教えた経験からも十分考えられるのである。変体仮名・くずし字・古文書学などの講座も開講されているので、歴史的典籍を扱う学生は、これらを読むのが普通だということである。
 他にも教育や研究のシステムの問題について、詳細な説明をきくことができた。チェコの日本研究においては、日本語で書かれた論文は、業績にカウントできない。もちろんチェコ語でもだめで、英語でないと国際的に認知されないから業績として扱わないのである。少なくとも現実はそうである。海外の大学の研究者と連携するという前提は、日本研究においても、「英語を使えるということ」になっていくのは流れとしか言いようがないだろう。もちろん、海外の日本研究者が「日本語を使えるということ」は、絶対的な条件であることもまた確かである。しかし、彼ら、とくにチェコの学生に関しては、その使えるレベルがかなり高そうである。
 というわけで、海外の日本研究の状況をまた知ることができた。備忘として記しておく。私の主観的なまとめなので、その点ご留意ください。
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2017年02月23日

表記の思想

入口敦志『漢字・カタカナ・ひらがな 表記の思想』(平凡社、2016年12月)。
すでに、いくつかのレビューもあり、好評のブックレット。国文研が出す〈書物をひらく〉シリーズの2冊目。入口さんは、このごろ大きなテーマのシンポジウムでよく発表やコメントを依頼される引っ張りだこの研究者。とくに最近は、東アジアの文献書誌学についても見識があり、間口が広い。

本書は、漢字・カタカナ・ひらがなの、どの表記を用いるかは、思想の問題だということを説く。

この観点は重要である。私も「仮名読物」なる造語を近世散文史に使うことを提唱したことがある。
(科研報告書『「奇談」書を手がかりとする近世中期上方仮名読物史の構築』2007年)

だから、非常な共感をもって本書を読むことが出来た。
しかし、入口さんの扱う文献は縦横無尽である。そこが真似できないところである。国文研でビッグデータを仕事として扱ってきた入口さんは、巨視的な観点からの提言を最近多くなさっている。国文研で提供される予定の30万点の歴史的典籍の画像を全部見ることは可能だとし、そこから生まれる研究テーマについて提言されたことは記憶に新しい。
今回の本も、『古今和歌集』、『平家物語』、医学書、そして山鹿素行・本居宣長と自在に操る。

さまざまなアイデアが満載の知的冒険の書といえるだろう。一般向けにライトなタッチで書かれているところも配慮が効いている。
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2017年01月20日

高麗大との研究交流で思ったこと

 昨日、高麗大日語日文科の先生お二方、学生さん三名が、大阪大学文学研究科日本文学研究室を訪問され、研究交流などを目的とするワークショップが開催された。
高麗大から3名、阪大から3名、それぞれ大学院生が20分の枠で発表。活発に質疑応答が交わされた。
高麗大側の発表は、時代・ジャンル・研究領域を超える発想のものばかりであり、日本文学研究側は、細部の実証的手続きを踏まえながら大きなテーマへの飛翔を模索するものであった。ここでは高麗大の発表について記す。
 高麗大側の発表は、@『平家女護島』と『平家物語』、また芥川などを引いて、俊寛とその周囲の人物イメージの変化を捉えようとするもの、ANHK大河ドラマにおける家康と三成の人物像の変化から日本の歴史観・文化観を探ろうとするもの、B日本の武士道の淵源に、鎌倉時代の東国武士の性格があるのではという仮説を主張するもの。というもので、これは日本における日本文学系の学会では、いずれも「ない」発表である。
 NHK大河ドラマについては、原作や脚本の志向・個性、小説・マンガ・ゲームなど他メディアでの扱われ方など、(日本的研究でいう)手続き的な問題についての質問も当然でたが、それ以前に、大河ドラマで日本思想、日本文化を論じると言う研究領域があるらしい(結構先行研究があって)ということが軽い驚きであった。一見、学問的に無理がありそうであるが、そういう問題設定が成り立つというところに、韓国からの日本の見方を理解する鍵があるように思う。つまり発表の中身よりも、発表の問題意識の方に興味を引かれるのである。
 もっとも高麗大の学生たちも、日本側の質問に虚をつかれたり、参考になったと、心から思っているらしいということで、この研究交流の意義はあったと思う。懇親会でもいい意見交換ができた。佛教大学の大学院生のTさん、わざわざ来ていただきコメントもいただいて感謝。また阪大の日本文学・国語学の教員の方が多く参加していただき、貴重なコメントをいただいたことにも感謝したい。
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2017年01月09日

世界の写本、日本の写本

 本日、1月9日、明星大学で開かれた勝又基さんのコーディネートによる国際シンポジウム「世界の写本、日本の写本―出版時代のきらめき―」に参加しました。想像を超える有意義な会で、日・中・欧における写本のありかたの違いが浮き彫りになりました。まずチェアの勝又さんが趣旨説明。写本を理解するには版本を無視できないこと、江戸時代は出版の時代と言われるけれど、出版の時代だからこそ、写本がきらめいていたのだというお話。勝又さんはUCバークレーの写本2800点の全点調査をベースに、写本の意味について、学際的・国際的な視野で発信をしていこうとされています。いわば世界のManuscript Studiesの中での位置づけです。
 
 最初の発表者野口契子さん(プリンストン大学図書館司書)のお話で印象に残ったのは、北米の大学図書館では大学の研究・授業との関わりが深いということ。司書のステイタスが高いということは知っていましたが、人文系の授業のほとんどのシラバスが図書館の利用について触れているとうかがって、日米の違いの大きさを知らされました。また、たとえば北米の中世研究をしている大学の授業や、文献を持っている大学、学会、研究会などがWEBで検索できるというのにも驚いた。日本でもやればできそうだがそういう発想はなかったと思う。2360校のうち150校くらいが中世研究に関わる授業を扱っているということがわかるということです。

 次いで高橋智さん(慶応大学斯道文庫)は、写本から版本へという大変革が宋の時代に生まれたとし、我々が認識している中国古典は宋時代以降に作られたものであって、それ以前の姿がわからないと説明されました。その後の写本はよき版本を作るために存在するものであって、中国には写本学はないと。正しく美しい版本が重要なのであり、価値があると。

 次いで松田隆美さん(慶応大学文学部)は西洋の写本から印刷本への過渡期のお話をされ、これまた興味深かったです。グーテンベルク博物館で、聖書の写本が印刷されたように美しいフォントで書かれていて、また手彩色で美しいのを思い出しながら話をきいていました。西洋の写本技術は最高峰に達したときに、活版印刷技術が入ってきた、活版印刷は手彩色で仕上げて、写本並に美しくなることを目指したと。
 中国も西洋も日本とどうもちがうのであります。

 入口敦志さん(国文研)とジェフェリー・ノットさん(スタンフォード大学大学院博士課程)も、半ば発表に近いコメント。入口さんは、複数の写本の校訂で「古典」が作られた時代から、今また画像データベースの公開で再び個別の古典「籍」への着目がはじまったと解説、ノットさんは「世界写本学」というのは成立するのかという問いかけを行いました。ノットさんの問いはきわめて重要で、現時点では「情報交換」「方法の違いの相互理解」の段階であって、世界写本学の構築にはまだ時間がかかるだろうと、パネリストのお答えを聞いて思ったのでありました。

 それにしても、3人の発表時間を1時間15分程度、質疑応答も同じくらいの時間とるのは、私がドイツで経験した研究会の方式と同じ。さすがアメリカ留学経験を生かしているなと思いました。会場には、古典書誌学のSさん、電車が同じだった中世文学のOさん、Kさん、Uさん、近世漢詩文のMさん、Yさん、中古文学のTさんなど顔見知りの面々が。明星のM先生もおみかけしましたが挨拶しそびれてしまいまいた。そのあと、隠れ家的なお店に場所を移して談論風発。楽しくも有益な会でした。ありがとうございます。
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2016年12月28日

徒然草への途

 ドイツ滞在中にご恵投いただいたご著書で、本ブログに取り上げたいものがある。なんとか年内にと思っていたのだが、厳しい状況になってきた。
 研究書を賜ると、まず「あとがき」を読む。多くの方もそうであろう。それから前書きか序文・序論に相当する部分を読み、そこから1頁ずつとりあえず最後まで繰って行く。その間に自身の現在の関心に関わるところにっひっかかることがあり、そこでは目を止めて拾い読みすることもある。その至福の時間で気持ちが高揚してくると、ブログに書き始める。書評と根本的に違うのは、著者の文脈をさほど考えずに、自分の文脈で読んでいくことだろう。申し訳ないと思うが、自分の持つ問題系というかアンテナに引っかかるところが大切なのだ。
 たとえば、荒木浩さんの大著『徒然草への途―中世びとの心とことば』(勉誠出版、2016年6月)。私の関心は、『徒然草』は誰に向けて書かれたものなのかということである。私が授業などでよくいうことは、前近代において人が著作するとき、それが出版など多くの人を最初から読者として想定していない時、ほとんどの場合は、ある特定の読者(それは神仏である場合もあるし、故人である場合もある)に向けて書かれている。そこを無視して作品を読解することはできない。またその特定の読者をまさに特定することは、研究上重要な作業であると。
 では『徒然草』はどうなのか。その序段によれば、あたかも「こころにうつるよしなしごとを」誰に向けてということなく書き綴ったかのようなイメージが作られているのではないだろうか?荒木さんは、そこをどう考えているのだろうか。そう思って、先に述べた私なりの読書法で読みはじめるのである。そうすると、どうやらヒントが示されているらしいと感じる。だが、「あとがき」を読んで、まず圧倒される。
 荒木さんが阪大にいた時、私は研究室が隣だった。今は斎藤理生さんがいる部屋だ。隣室で否応なく感じた荒木さんについている「筆力の神」。この筆力の神はどうも私が赴任する直前に降臨したようだ。あとがきを読むとそういうことらしい。荒木さんが「スランプを感じた」という時期の直後のことだ(スランプといっても我々とはレベルが違うが)。
 そして、序論に返ると、ああそうだった、いつもそうだったとあらためて思い知らされつつが、荒木ワールド、つまり著者文脈に引き込まれてしまうのだ。自分文脈では読ませない、「筆力の神」の為せる業である。とりわけ「心」と「書く事」との関わりについての考究は他の追随を許さないほど深い。それが、あとがきと呼応しているのである。
 むしろ、全部の頁をめくった時に、私の今の問題意識はどこかに消えて、ずっと忘れていた疑問を思い起こさせていただいた。それは『春雨物語』序文と『徒然草』序段との関わりであり、書き始める契機をどのように装うかの問題である。また歌人が散文を書くと言うことはどういうことかという問題。本書の評価などできないが、本書がどういう研究者にも与えうるインパクトの可能性について、それは限りなく豊かだと言うことだけは断言できるのである。
 そして、最初の疑問に戻る。『徒然草』は誰に向けて書かれたものなのか(と、江戸人は考えていたのか)。それについて少しヒントになる記述はある。それを手がかりにまた考えてみたい。
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2016年12月20日

加藤十握氏の「菊花の約」論

加藤十握「孤独を超克する「信義」―『雨月物語』「菊花の約」小考―」(『武蔵高等学校中学校紀要』第1号、2016年10月)。
まだまだ「菊花の約」の読み方には決着がついていない。加藤さんは研究史を丁寧に踏まえて、新しい注釈的指摘と、あまり考えてこられなかった場面の考察を行う。その2点につき私はこの論文が研究史に残る論文になったと考える。
そのひとつは「軽薄」の用例として「杜甫」詩に着目し、その江戸期的解釈として『唐詩選国字解』を挙げていること。
もうひとつは左門が宗右衞門を待っている間の何気ない情景描写の中に、経済活動を行うものの損得勘定が話題になっていることを、左門の関心をまったくひかない事例として指摘し、左門が経済活動への興味がないこと、そのことが彼を「信義」に向かわせたこと、と解釈すること。
結論は、木越治氏の、〈「信義」の相対化〉に近いかと思われる。ありがたいことに私の説も引用していただいている。最後の「となん」に秋成の嘆息を重ねるのは、私としては?であるが、全体としては好論だと思います。
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近世文学の深度

 これから年末年始にかけて怒濤の更新をしてゆきます(自分に鞭をあてているが、有言不実行に終わるかもしれません・・・)。
 日本近世文学会秋季大会で行われたラウンドテーブルという新しい形の試み。3会場で行われたが、そのうちの一つの、人情本・恋愛などをテーマとするラウンドを仕切ったのが木越俊介さん。この会場の真ん中に、発表者たちの3つのテーブルを三角に組むという斬新なセッティングをしたことが、学会のツイッターで写真入りで報告されていた。木越さんは、西鶴論争の火付け役でもあり、非常に頭脳が柔軟で、アイデアマンである。その木越さんから、学会でいただいたのが、神戸大学文学部国語国文学会が刊行する『国文論叢』51号。特集号であり、そのタイトルは「近世文学の深度」。すごくセンスを感じるタイトルだが、編集をしたのはやはり木越さんだ。
 原稿依頼3編と、神戸大学関係の3編からなるが、いずれも魅力に満ちた論考である。
 堤邦彦、西田耕三、稲田篤信、木越俊介、天野聡一、田中康二。
 この中で稲田さんの「「樊かい」考―絵詞として読む『春雨物語』―」に注目。タイトルが物語っているように、絵巻春雨物語を幻視する作品論である。実は私も「目ひとつの神」で、「絵のない絵巻」という幻視をしたことがあり、大いに共感する。稲田さんは、私の、「春雨物語論の前提」(初出「国語と国文学」→『上田秋成―絆としての文芸』に一部所収)の論を踏まえてくださっている。前に紹介した高松亮太氏の論もそうであるが、少しずつ拙論も受け入れられているようで、ありがたい。ちなみに「樊かい」は実は「奥の細道」を意識している。「奥の細道画巻」が存在するように「樊かい」絵巻が存在したとしても、というより「樊かい」絵巻を前提として「樊かい」が書かれたとしても不思議ではないのである。
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2016年10月14日

デジタル文学地図ワークショップの報告

 歌枕など、古典文学に現れる地名を、地図上に表示するとともに、その地名が含まれるテキストを検索したり、リンクしたり、蓄積された地名にまつわる説話・イメージを取り出す事ができる、WEB上のデジタル文学地図の構想について、そのプロジェクトを進めているハイデルベルク大学のユディット・アロカイ教授のチームが、プロジェクトの発想と現在の進捗状況を報告し、それを元に討論するワークショップが昨日大阪大学豊中キャンパスで行われた。
 題して「デジタル文学地図の試み」。たしかに研究にも教育にも、こういう文学的地名の空間的把握は重要である。これまでの地名(名所・歌枕)辞典の類に欠けていたものは、その名所がどの辺りにあり、近くにどういう名所があり、誰がそこを訪れたかというようなデータである。もっともそれは紙の辞典上では構築しにくいのである。そういう時に、Web地図でそれを示すというのはピッタリである。
 非常に壮大な構想であるとともに、エンドレスなプロジェクトでもあり、どれだけの日本研究者を巻き込むことができるかが鍵になるし、新たな地名辞典構想へののヒントにもなる。
 会場では30名以上の人が熱心に議論を戦わせた。女性の旅日記の専門家や、東京の辞書系の出版社の方もお見えで、夢を現実にする具体的な提案が続出した。今後の展開が楽しみであるし、出来ることはお手伝いしたいと思う。
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2016年09月19日

幕末明治 移行期の思想と文化

 少しずつたまっている受贈本を。簡略になってしまいますが。
 渡独中の5月に勉誠出版から出た『幕末明治 移行期の思想と文化』。
 帯に「ステレオタイプな歴史観にゆさぶりをかける画期的論集」とあるが、この移行期を「幕末明治」と連続で捉えることが近年の流れで、従来見向きもされないような著述(言葉)やモノ、パフォーマンスを掘り起し、それぞれの歴史を捉えなおすことが各分野で成果を上げはじめている。本論集もそのながれにあるが、明星大学スタッフの研究会を母体とする論集で、多角的な問題意識をぶつけ合う開かれた議論が実ったものと見受けられる。
 編者の一人、青山英正さんの論考は、韻文史の移行期の重要要素として七五調を取り上げる。すなわち新体詩が採用したものだからであるが、長歌→新体詩という従来の視点に代えて、教訓和讃や今様という全く注目されていなかったジャンルに光を当て、五七調か七五調かという歌学的議論がやがて終焉して韻文論的議論へと解消する状況にまで論及、説得力をもって叙述している。わかりやすく、切れ味のいい論文。
 冒頭井上泰至さんの「帝国史観と皇国史観の秀吉像―『絵本太閤記』の位置」は、私の、初期絵本読本に関する旧稿が参考になったと言われていたが論文を拝読して、そう結びつくのかと驚きました。
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2016年08月04日

歴史学者たちとの研究交流

8月3日。日本から、科研(B)「儒教的民本主義と国民国家建設―東アジアの政治文化史的比較」のチームがハイデルベルク大学日本学科を訪問。ハイデルベルク大学側の教員と研究交流をした。

メンバーは、趙景達(千葉大学教授・朝鮮近代史・日朝関係史・東アジア比較史)氏をリーダーとする8名。ユリアン・ビオンティーノ氏(千葉大学助教・朝鮮近代史・日朝関係史)、久留島浩氏(国立歴史民俗博物館館長・日本近世史)、須田努氏(明治大学教授・日本近世史)、小川和也氏(中京大学教授・日本近世思想史)、村田雄二郎氏(東京大学教授・中国近代思想史)、武内房司氏(学習院大学教授・中国ベトナム宗教史)、伊藤俊介氏(福島大学准教授・朝鮮近代史)という錚々たる面々。ひとり15分ずつくらい、自分の研究を紹介するというので、4時間近いミーティングであった。

日本・中国・ベトナム・韓国史の一流の方々ばかり。このような方々の研究紹介を聞ける機会、そして意見交換する機会はめったにない。もちろん日本でも。

このグループに顕著なのかどうかはわからないが、やはり歴史家というのは「現代」に対する強い問題意識を持っているのだな、というのが第一印象、そのスタンスはやはり反権力ですね。もちろん文学研究者にもそういう立場はあるのだが、私たち日本近世文学者の多くは、そういう問題意識をいったん捨てますね。というと、「新鮮だな〜」という感想を述べる方もあった。

次に、彼らが、文学的な作品や、歌舞伎、日記など、文学研究と接点のある資料を結構使うんだなということが印象に残った。そこでも、近世文学の場合での、そういう資料の扱い方について若干意見を述べさせていただいた。『奥の細道』の虚構性についても「えっ」という反応をされる方もいた。

加藤周一がそこで食事したというレストランでの懇親会に入ると談論風発。歌論・西鶴・近松・俳諧・太閤記から寛政期の地誌流行と名所探訪、丸山真男論まで。それぞれの所属機関に私のよく知っている方がおられたりして、話題はつきない。『儒学殺人事件』の小川氏は、井上泰至氏の本の書評を書いたということで、文学研究側の悉皆調査の方法にいたく感心しておられた。書物研でも活動していらっしゃるということ。

一方で、歴史学研究と文学研究がこれまであまり交わることなく、また方法論的な議論を交わすことなくずっとやってきたことのツケは大きいなと感じる。こういうのはお互いにそれぞれの成果である著書を読んでもなかなか理解できることではない。今回、ひとつのチームという限定はもちろんあるけれども、歴史学の人たちの志向というようなものを、肌で感じられることが少しできたことは何よりであった。

こういう機会は作ろうと思ってもなかなか難しい。Wolfgang Seifert先生のお骨折りによるが、本当にありがたかった。
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2016年06月29日

ドイツ前近代日本文学研究集会

 6月24日から26日までの3日間、ドイツを中心とする前近代日本文学研究者が集う研究集会が行われた。参加者は10数名。発表言語は基本ドイツ語(英語と日本語の発表もあり)。非常に中身の濃い、レベルの高い発表ばかりであったと思う。もちろんドイツ語はわからないのだが、スライドで原資料・原文を引用しているものは、日本語の発表要旨と合わせて、流れは理解できるものである。ちなみに、欧米では大体そうなんだろうが、発表はハンドアウトはなくて、スライドのみである。

 この研究会は、発足して16年になるらしい。毎年1回、テーマを設定し、持ち回りで開催される。今回も、ハンブルク大学・ミュンヘン大学・ベルリン自由大学・トリア大学といったところからの参加があった。今年のテーマは、「前近代日本文学における越境・空間・境界」というものだ。しかし個々の発表は中々面白く、想像以上に、マニアックである。

 たとえば島崎藤村の「津軽海峡」という作品。日本でもそうそう取り上げられないものだろう。島崎自身も「つまらない」とか言っているらしい。藤本操の事件や日露戦争を背景としている小説だが、その空間的構成の考察は、なかなか面白い。そして質疑の中で、『土佐日記』との共通性が指摘された。船旅の日記という体裁、亡き我が子の追懐、軍艦の出現・・・。実は私も『土佐日記』を想起していたので、この質問者にいたく共感したものである。

 あるいは、パラテクスト研究。ジェラール・ジュネットの提案する概念で、題・識語・奥書・書き入れなどの情報を指している。テクスト解釈の入口であり、内部と外部の間にある不確かな領域。この発表では『高野山秘記』とその異本群が題材である。いわゆる書誌学・書物学と親和性があるが、あくまでテクスト論として定位される。書誌学・書物学がモノとしての情報であるのに対して、パラテクストはあくまでテクストとしての情報である。パラテクストという概念は、日本文学研究ではあまり浸透していないと思われる。すくなくとも、近世文学研究の論文では、聞いたことがない。しかし、実物を見ることがむずかしい海外の研究者にとって、影印や画像データを用いて研究できるのが、パラテクスト研究なのだと思う。そして、識語や奥書などを、書誌情報ではなくパラテクストとして見るのは、既に日本の文献学で知らず知らずかもしれないが、行なわれていることである。しかし、パラテクストという概念を持ってきたとたん、同じ識語・奥書でもさらに見え方が変わってくるだろう。テクスト本体と、そのテクストの周囲のテクスト(パラテクスト)をどこで区別するかという大きな問題が浮上してくるのである。

 画像データベースを利用しただけの「書誌学」は、モノに即した書誌学の前では、「擬書誌学」に過ぎない。いったんそこで見当をつけておいて、実際に本を見に行くということになる。しかしパラテクストでは、モノには即さないので、画像データベースを利用した情報収集で十分学問になるのである。そう私は理解した。まちがっているかもしれないし、表紙の模様や紙質のようなことまでもパラテクストというのかもしれない。そこは質問しそこなった。

 かつて、江戸読本の研究で高木元氏が、テキストフォーマット論と称して、読本のフォーマットがテキストを考える際に重要な旨論じられたことがあるが、この書誌的事項もパラテクストとして捉え、論じ直すことが可能だろう。

 パラテクストについての発表を、ドイツで聞くことで、私には大いに勉強になった。ドイツの研究者が日本の歴史的典籍の書誌的事項を考察しようとするときに、パラテクストの概念は必須ではないかと思うが、それゆえに、発表内容が切実性を帯び、説得力が出てくるからである。

 この発表は最後の発表で、質疑も大いに盛り上がっていた。ハンブルク大学では、マニュスクリプトロジーという写本学のプロジェクトがあり、この発表でも最初に紹介された。ヨーロッパでは、日本と違って古い写本の伝存が非常に少ないそうである。そういう点も、学問の性格が異なる要因に違いない。
 
 さて今回の発表の中で、日本語でなされたが、デジタル文学地図の構想についての発表があった。まだ構想段階ではあるが、たとえば歌枕の空間的位置と、歴史的な用例と、イメージ(図像)が、重層的に表れるというもので、公開すれば、文学研究にとどまらない利用が見込まれる。課題はたくさんあるが、このような構想は今までなかったのである。非常に有意義なプロジェクトであり、このような研究にこそ、お金が投資されるのが望ましい。

 とまれ、いろいろと勉強になった3日間であった。
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2016年05月23日

日本「文」学史

 ボストン大学のWiebke Denecke氏の講演会が、6月2日にハイデルベルク大学で開催される。
 デーネーケ氏は『日本「文」学史』(勉誠出版、2015年9月)の編者のおひとりである。
 この本は昨年出版されたが、気になりながら、読んでいなかった。
 こちらにきて、氏の講演があるということで、私の受け入れ教員であるアロカイさんが、本を貸してくださった。早速デーネーケ氏の「「文」の概念を通して日本「文」学史を開く」を拝読。
 ヨーロッパ(とくにドイツ)において、歴史のある「概念史」という研究方法を、東アジアの研究に本格的に導入すること提唱するもので、日本における「文」の概念を多角的に検討することで、従来の日本「文学」史を相対化し、新しい「文」学史を開こうとするもの。大変な理論家で、おっしゃること、うなずくところが多い。
 「文」や「文学」の概念のとらえなおしは、近年の潮流であろう。思想史・美術史との連携企画も目にすることが少なくない。ただ、ここまで徹底的に「文」概念を洗いなおしたものは、なかったということだろう。、
 「文学」がliteratureの訳語として明治以降に定着した漢語であって、近世以前とのズレがあることについては、従前問題視されていたところである。『日本「文」学史』の第1巻では、古代・中世の「文」概念の検討となっているが、今後近世はどう扱われるのであろうか。
 近世においても「文」についての概念論は漢文・和文ともに盛んである。近代への接続と断絶を考える際に、近世の「文」概念は外せないはずである。徂徠の『訳文筌蹄』、真淵の『文意考』や蒿蹊の『訳文童喩』『国文世々跡』といった「ど真ん中」の著述もある。「史」を謳うのであれば、当然近世は外せないだろう。ぜひ『「文」学史』の中には近世期の「文」概念を取り入れていただきたくお願いしたい。

追記:編集担当の方によると、続冊には近世がたっぷりと盛り込まれるということ。よかった。楽しみである!
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2016年01月16日

死首の咲顏

 2014年4月から、放送大学大阪学習センターにて、原則月1回のペースで、勉強会と称して、上田秋成の作品を読んでいる。まず『雨月物語』を読み、次に『春雨物語』。序、血からびらから読みはじめて、今日は「死首の咲顏」を読んだ。「死首の咲顏」は、明和4年12月に洛北で起こった、渡辺源太という男が、妹の思い人の家に出向いて、妹の首を切るという衝撃的な事件を元にした作品で、事件後ただちに歌舞伎にこの事件のことが取り込まれ、また建部綾足も短期間のあいだに雅文小説『西山物語』として作品化した。事件の40年後、当事者の渡辺源太に会って感銘をうけ、事実を忠実に伝えんとする目的で『ますらを物語』(仮題)という文章を書いた。しかしどういうわけか、その二年度に再び大きく虚構を織り交ぜた「死首の咲顏」を書いて、『春雨物語』(文化五年本)の一編としたのである。秋成七十五歳の時の話。
 この作品のポイントになるのが、元になる事件でいえば源太の妹やゑの恋人右内に相当する「五蔵」の人物像である。『ますらを物語』とはかなり違うふるまいをするこの人物こそが秋成が描きたかった青年像だという点においては、従来の説はほぼ一致している。いわく「かひなき男」、いわく「優柔不断」・・・。あまり肯定的ではなかった。しかるに近年、高田衛氏は、この五蔵の、はっきりしない態度(自宅に帰れば結婚に反対の親に従い、恋人の家にくれば「僕を信じて」という)は、筋が通っているという説を発表した。物語ざまのまねびの上に、現実社会の倫理を置いたこのストーリーでは、物語的な恋愛と現実の家父長制の縛りの両方を具現しなければならない五蔵は、しかるべき言動をしており、ブレはないというのである。
 これは非常に面白い。かなり力業ではあるが、読みとして魅力的だ。
 「死首の咲顏」は、有力研究者がこぞって作品論を試みている作品であり、その視点はそれぞれ独自である。五蔵の性格を「血かたびら」の平城帝の「善柔」と重ねた揖斐高氏、五蔵の父で結婚に反対を貫くキャラクターの五曾次の俗なる言葉に注目した木越治氏、「墓の物語」の痕跡をみる長島弘明氏らが、最近の説であるが、それぞれに興味深い。この作品は、@秋成が唯一当事者に取材した事件の物語化、A同一題材でかなり違う二作を作った唯一のもの、Bその二作は、文化四年の草稿投棄事件の前後。というような特別な要素を持っており、『春雨物語』を解く鍵になる作品の一つである。
 私は『春雨物語』の中で、半分以上の篇について論じてきたが、「死首の咲顏」については独自の議論を展開できそうになく、論じたことがない。しかし、きわめてレベルの高い議論が展開されている本篇を論ぜずして、『春雨』を論じたことにはならないだろうと今回痛感した。書く意欲が少しではあるが涌いてきたので、ここに備忘録として書いておくことにする。
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2015年12月21日

京都近世小説研究会の西鶴まつり

12月20日(日)、キャンパスプラザ京都を会場に行なわれた京都近世小説研究会12月例会は、50名弱の参加者(文字通り北は北海道から南は九州まで)を得て、盛会の裡に終了した。この会の模様は別途まとめられているので、詳細はそちらを参照されたい(といっても、断片的実況なのでわかりにくいが)が、井上泰至さんと木越治さんを迎えて、西鶴特集の趣きとなった。
まず、井上さんは、『武家義理物語』を面白く読む/読めなくする視点―巻二の四、巻六の一を中心に―」と題して、従来とくに評価されてはいない2話を取り上げた。井上さんの読みは納得のいくもので、「面白く読む」ことに成功していた。質疑では、さらに面白く読める可能性や、読みを固める方向での意見がほとんどであった。西鶴の武家物と軍書との関係がポイントのひとつとなる。西鶴あるいは西鶴の読者は軍書に親しんでいたのか。「そんなはずはない、なぐさみ草の浮世草子と軍書の読者は違う」というのが、井上さんと対立している西鶴研究者の意見のようであるが、井上さんは、軍書は今日では硬いイメージがあるが、娯楽的な読まれ方もしており、浮世草子の読者が軍書を読んでいても全く違和感はないという。一方、西鶴の読者は町人であるというのも根拠のないイメージで、実際に大名蔵書の中に西鶴の武家物はよくある。西鶴の読者層と軍書の読者層が重ならないというのであれば、井上さんが言うようにその根拠を示すべきであろうが、現在のところ根拠は示されていないようである。
木越さんは、「よくわかる西鶴―『好色五人女』巻三の文体分析の試み」と題して、おさん茂右衛門の文章を、「叙述」「語り」「修辞」という三つのレベルで腑分けして、「語り」「修辞」のところに、西鶴の面白さを説く鍵があるとした。印象深いのは、文体分析というのは、分析者がその作品を読みこんでいなければできない、ということを明言されていたということ。これは確かにその通りであろう。そして分析の方法も、どの作品にも適当であるというわけではないという認識もおありである。これに対して、「はなし」とか「俳諧的文章」とかいうことを考えなくていいのかなど、さまざまな質疑応答があった。西鶴を剽窃しつつわかりやすくなっている其磧の文体を間にいれて考えてみたらという廣瀬千紗子さんの意見も面白い。なお「て」の続く文脈についても話題となり、これは中村幸彦先生の「好色一代男の文体」という論文で触れているような記憶があったので指摘しておいたが、確認したらやはり言及があった(『著作集』第6巻)。
今回は質疑応答が非常に面白かったが、それは発表が大きな問題提起を内包しているからに他ならない。年末スペシャルにふさわしい例会、懇親会も2次会も盛り上がった。
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2015年12月13日

「江戸庶民文化の諸相」シンポ報告

 ハイデルベルク大学で開催された、ハイデルベルク大学・大阪大学のジョイントシンポジウム「江戸庶民文化の諸相」に参加した。少し報告。
 初日。ドイツ文学がご専門の三谷研爾先生が、基調報告。「近世と初期近代のあいだ」。これはあとで触れる。シンポ初日。フランクフルト大学のキンスキー先生の、江戸時代の子供のイメージを従来の視角ではない視角で、たとえば女性の日記から求めてみようという構想は、なかなか面白かった。中尾薫先生の「小謡」=庶民の教養という話は、小謡を集めた和本を回覧しての発表で、非常に興味深かった。「小謡」は本文研究も、書誌的研究もほとんど立ち遅れている。是非「小謡」集成を作ってほしいとお願いした。電子データだと可能性がぐっと広がる。近世俗文芸の典拠の宝庫かもしれない。自分の発表「寺子屋と往来物」も、双六で遊んでもらうというアクティブラーニング(?)を最後にやって終了。ハイデルベルク大学のアロカイ先生は、女性の旅日記をさまざまな視点から分析されたが、旅日記に基づくデジタル文学地図の構想を進めているらしく、楽しみである。ノラ・バルテルスさん(ハイデルベルク大院生、元阪大の特別聴講学生)の「井上ひさしと江戸戯作」は、『表裏源内蛙合戦』の間テクスト性。源内戯作のほぼ丸どりの引用や、発表当時流行ったレナウンの「イエイエ」のCMの引用を実例に挙げた。とくにレナウンの引用については、実際の上演動画とレナウンのCMの動画を流して大いに受けた。レナウンの引用の方が江戸戯作的というのはその通り!アルプレット先生(ハイデルベルク大学)の初期説経節は、「さんせう大夫」というテキストを例に、説経の語りの意味について考察。
2日め。宇野田尚哉先生は、近世前期の上層庶民の読書生活を分析して、彼らの思想構造を分析。参考資料として配布した写本往来物、とくに単に表紙に「手本」と書かれた、挨拶の冒頭文を大書した(半丁に一行2,3文字)習字手本が面白く、写真撮影を許していただいた。
マーレン・エーラス先生(ノースカロライナ大)は越前大野藩の城下町大野の飢饉救済のありようを、文書から実証的に分析。身分社会とは何か、ということを考えさせてくれる素晴らしい発表だった。クレーマ先生(ハイデルベルク大)は江戸時代における人間と牛馬の関係を、農業書から丹念に拾い、報告。おもわず談義本『三獣演談』を思い出してしmいました。
 日本近世文学研究という枠組は、こういう場に出ると、あまりにも狭い。もちろんその専門的な知識や所見は大いに他の分野にも参考になると思うが、議論になった時に、日本近世文学研究のタームが通用しない。またヨーロッパの日本学の近世観あるいは近世観史というものが、どういうもので、それは日本のそれとどう関わり切り結ぶのかという問題意識を持たざるを得ない。いったんそうなると、日本近世文学研究という枠組みにその意識を捨てては戻れない。これは今回国際的というだけでなく歴史学・社会史・芸能史などの専門家とご一緒する学際的なものでもあったということで痛感した。
 専門はドイツ文学ではあるが、三谷先生の基調報告は今回のシンポで何が問題になるかを予告するようなものであり、最終討論もそこに戻った。キーワードは「アーリー・モダン」で、近代を用意した時代という意味ではなく、むしろ「こうあったかもしれない近代」の可能性を秘めた時代ととり、アーリーモダンに相当する日本の「近世」をどう評価するかという議論である。それは「明るい近世」という近年の江戸時代評価をどうするかという問題意識とつながる。私が自分の研究視野の狭さを感じるのは、世界的な意味での歴史・文学史研究の潮流に無関心であったということで、それを反省したところにきわめて個人的な意義を見出した次第なのである。
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2015年07月28日

うーん

『雅俗』14号と、『文学』7・8月号と、『近世文藝』102号のことと、『上方文藝研究』合評会のことを、いますぐ書きたいのだけれど、時間がないので、書きたいということだけ、書き付けておきます。
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