2014年11月12日

蒹葭堂日記勉強会

『蒹葭堂だより』14号(蒹葭堂顕彰会、2014年11月)によれば、20代の学生と社会人5人が集まって、『蒹葭堂日記』の勉強会をやっているらしい。2013年の春から、ということであるが、はじめた動機も純粋な向学心によるもので、それぞれがテーマをもって臨んでいるという。本当に、素晴らしいことである。
 メンバーの方が、勉強会についての所感を記されているが、その中で黒澤暁さんが、参考になる資料として、我々の科研報告書『近世上方文壇における人的交流の研究』中の、「上方文壇人的交流年表」を有用なツールとして使ってくださっていることを書かれている。このような形で利用していただいているのは、本望であり、心から嬉しく思う。この場を借りて御礼申し上げる次第である。
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2014年09月23日

西鶴の授業をやるので、中嶋隆さんの概説を読んでみたら、これが

 後期に西鶴のテキストを読む授業を行うということで、西鶴研究の最新の入門書はなんだっけ、と改めて書棚を見ると、『21世紀日本文学ガイドブックC 井原西鶴』(中嶋隆編、2012年)が目に入る。このなかの執筆者のおひとりである森田雅也さんに送っていただいたものである。一通り目を通したつもりだったが、総論や研究史概説などは、この時の関心からして、読んでいなかったようだ。それを執筆しているのは編者の中嶋隆さんである。

 で、「西鶴研究案内(浮世草子)」と、そっけないタイトルで書かれている研究案内のなかの「西鶴浮世草子の研究動向」なる文章が、唸るくらいにユニークなのである。「私の意図しているのは、研究事象の羅列ではない」「客観的な研究史があるわけでなく、ここで叙述するのは私自身の通時軸に基づいた研究史である」と言い放つ。この中で私がユニークだというのは、野間光辰の小説観を「「私小説」に偏向しているのではないか」と指摘したり、中村幸彦の学問を「フォルマリズムさながらに文芸史の動因を新旧様式の相克として把握している」点に現代的意義を認めたり、谷脇理史の学問を、対暉峻との対比で分析し、そのエピゴーネンの輩出と限界につき、正確にその問題点を指摘していることである。中でも「作家論」には研究者の人間観が反映するという指摘は思わず膝を打ってしまう。

 それに「総論」がまた大胆である。ほとんど俳諧と好色物だけで総論としてしまう。そこが本質だとみているからで、全体を論じるのではなく本質を論じればいいという考え方だ。中嶋さん得意のメディア論を視座として、俳諧から「好色物」浮世草子へ至る道のりを解説するが、概説の域を超えたハイレベルな論である。そして、その中に数々のキラリと光る文学史の見立てがある。たとえば、「図式的にいうと「仮名草子」の作者・読者は上・下の関係にあり、『好色一代男』の場合には、作者・読者が水平関係にある」とか。こういうのがあちこちにみられる。なんとなく中嶋西鶴というのが(私の中で)見えてきたように思う。やっぱり西鶴は早稲田のお家芸なんだなあ。

そういえばこのシリーズ、芭蕉は佐藤勝明さんの編で、佐藤さんの総説がまた、すごい力作だったことを思い出す。もしかすると「野心的な総説・概説を」などという編集方針があるのか?
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2014年09月18日

新しい日本漢詩史へ

 9月初めの5日間、A国のH州H美術館でR.L文庫目録作成のための調査をさる科研チームで行った。L文庫は、膨大な数の絵画・絵本のコレクションであるが、実はそこに、一定の量の「絵なし漢籍」がある。「絵なし漢籍」などというジャンルはもちろんないが、L文庫の中では、その分類が不自然さを感じさせない。今回宮崎修多氏をリーダーとする日本漢学研究者3名が、その山を整理した。流石の手腕と目を見張った次第だが、その時、宮崎氏が韓国で行われた古文辞に関するシンポジウムの話を熱く語ってくれた。その時彼が話したものが韓国で出版されたということで、抜刷も頂戴した。「日本近世中期にける古文辞の受容と流布に関する検討―徂徠研究を俯瞰して―」(『漢文學報』30、2014年6月)である。
 
 近年の徂徠研究が、丸山真男の『日本政治思想研究』における徂徠評価を批判する流れになっている現状を指摘するとともに、それらの丸山批判も結局は、徂徠に「近代」を見出せるかどうかという問題意識を持つという点で、丸山の呪縛を免れていないと指弾する。
 
 その呪縛から離れて、なぜ擬古があれほど流行したのかということを改めて考察した時に、「個性」とか「近代性」とかとは違う物差しが必要であることが示唆され、また、文学史的に、「清新論的文学観lが主流とされているはずの近世後期に、古文辞で作詩する有力詩人がかくも多く、それは明治期の漱石にも連なることが多くの事例をもって証される。これは合山林太郎氏の近著でも同様のことが指摘されていたと記憶する。
 
 「擬古」という意識で説明するのではなく、古文辞でもってどんな心も表現できるという考えで、藤原定家の『詠歌大概』の「情、新を以て先とし、詞、旧を以て用ふべし」に基づいているのではないかという可能性を述べる。なぜなら徂徠が、古文辞の総帥である李・王に先んじて定家は既に李王の奥義を会得していたと述べているからである。

 結局、模倣から個性へという日本近世漢詩史の図式は、近代化というモデルにあてはめたもので、実際は、格調主義と清新主義の双方に傾斜する模索を繰り返しながら、それらが並行して詩史を作っているというのが実態ではないかと提言している。
 
 丸山批判から、丸山を軸にした議論そのものの相対化へという新しい流れが来ているようである。宮崎氏も引用する高山大毅氏や合山林太郎氏の最近の論も、その流れのひとつなのだろう。
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2014年08月13日

仮名読物

 前のエントリーで報告した合評会の席上、近世文学研究の「用語」の国際化、あるいは国際的発信のことが話題になった。その際、私自身は「仮名読物」という名称を使っているということを申し上げた。たとえば科研で「「奇談」書を手がかりとする近世中期上方仮名読物史の構築」という課題名の報告書を出したこともある。「仮名読物」は、これまで「近世小説」の名称でくくられていた、仮名草子・浮世草子・談義本・読本などを全部含むのはもちろん、教訓書や心学書や仮名法語、紀行文・評判記にいたるまでありとあらゆる漢字かな交りの読物を包摂するものと考えている(片仮名漢字交じりは、漢文意識に近いので、漢文と仮名読物の境界に位置するかと思う)。「仮名読物」は中野先生のいう「戯作」よりも範囲は広い(誤解を招くといけないので言っておくが、「戯作」は「戯作」で国際的発信をすべき用語であると思っている。その範囲をどこまで広げるかは議論のあるところであるが)。
 「仮名読物」という領域を考え出したのは、「奇談」書のことを調べている最中である。「文学」という概念でこれまで弾き飛ばされてきた読物がここには沢山ある。水谷不倒の『選択古書解題』に収められたものと多く重なってくるが。「奇談」に限らず、「文学性」の薄いこういう読物を「文学史」に位置付けるには、新しい概念が必要だと思ったのである。もちろん認知されればそれでいいので、この用語を普及させようなどという野心はない。浅学菲才を顧みないとはいえ、それほど厚顔無恥でもない。ただ、ちょっと問題提起ができればとおもっているだけのことである。「奇談」についても同様だったか、これは私の思った以上の反応があったので、それなりによかったと思っている。
 そういうわけで、私が「仮名読物」という語を使うときは、ちょっと意識的に使っているということでございます。
 
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2014年07月09日

田中善信著『芭蕉』

2010年の3月に出た本。中公新書。少し前に必要があって、精読。読了後に大きな満足を得た。精読するときには、本にボールペンで線を引き、見開きの左右余白に学んだことを書き入れる。忘れてはいけない、有意味なことだけであり、単なる知識としてではない。それが24箇所に及んだ。私の無学のなさしむるところであるかもしれないが、俳諧を学ぶ人にとってはお役立ち情報が満載である。ということで、4年以上前の本をここで紹介する次第。
 
 本書の魅力は、単なる芭蕉伝に終わらず、善信先生の芭蕉観、あるいは蕉風観が強く反映した芭蕉伝であるということだろう。
 私は善信先生とのおつき合いはほとんどない。かつて俳諧関係の拙論を書いてお送りしたときに、ご教示を葉書で頂戴したこと。某誌編集委員会で1年、ご一緒したことがあること。それくらいである。
  私が若いころ参加していた九州の研究会で、文人の書簡をみんなで読み、その翻刻を研究同人誌に発表していたが、必ず善信先生から、いろいろな誤読を指摘するご返事が来ていた(九州の錚々たるメンバーでも読めなかったところを読めているのである)。そういえば近世の書簡を読むための入門書も書いておられる。また学界でホットな話題になっている論点について、果敢に論争を挑まれることがよくあるということなどから、学界にとって非常に貴重な存在でいらっしゃると思っている。論争を挑む論文も実に面白い。

 本書でも学界の定説になっている部分に異を唱えたり、独自の見解を述べる部分があり、エキサイティングである。善信先生の芭蕉伝における独自の見解としては、芭蕉が深川に転居して隠逸的生活を送るようになるきっかけとして、芭蕉の「内縁の妻」寿貞と甥桃印の駆け落ちを想定しているということ。また芭蕉が旅を人生とするようになる切っ掛けは西行ではなく仏頂の影響が強いと考えていることなどがあげられる。また芭蕉句の評価として、「軽み」の句を評価されている。

 ただ、そればかりではなく、俳諧史の肝のようなものをさりげなく開陳してくれているところがありがたい。それが何かは、私のメモの中にある。人によっては常識に属することだろうから、ここには掲げない。
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2014年05月01日

和解の狂言本

阪口弘之氏「享保五年京都二の替り狂言本―自笑と其磧」(『芸能史研究』204号)。
享保五年、二の替り狂言を行った京都四座の狂言本が上本・並本の抱き合わせで、四座同時に、つまり八冊刊行された可能性を示唆される。ご所蔵の資料をはじめ僅かに残った資料の考証から、この異例も異例の事態がおこったことは、ありそうである。でも、なぜそんなことが。それは、自笑・其磧が長年の確執抗争に真の終止符を打つための記念出版だったという説。あー、そうなのか!
これは思いもしない結末で、大変驚いた。いま読んだばかりだが、とりあえずメモ。
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2014年04月13日

歴史的怪異学の方法

 拙ブログを見て懐徳忌に来てくださったのは、木場貴俊さんという日本史の研究者の方である。十七世紀の怪異認識を研究されていて、ご論文をいただいた。例によって、専門分野のカベってやつで、日本文学研究者では、怪談研究者以外、木場さんをあんまりフォローしていないかもしれない。しかし、非常に有益だと思うし、私自身刺激を受けたのでご紹介申し上げる。

 ひとつは文字通り「十七世紀の怪異認識」(『人文論究』62(2)、2012)という論文で、「怪(恠)異」という言葉を歴史的に検証し、その属性として、「希少であること」を引きだし、さらに儒学者がその怪異を合理化していく論理として、経験的怪異認識(つまり、その現象は希少ではないと導く)を以てしたことを説いてる。

 もうひとつは、「林羅山によるかみ(かみに傍点あり)の名物―『多識篇』をもとに―」(『日本研究』47、2013)で、羅山に即して、その怪異観を検証している。

 たしかに、近世文学研究においては、このような歴史的視点での研究が少ない。作品とかジャンルとかいうものに関心が深く、また「系譜」という形で、断片をつなげるのは得意なのだが、歴史的に検討するという方法のためのスキルが不足しているのは否めない。文書と著作と作品とをどのように史料(テキスト)批判して用いるかという問題もある。木場さんの手法は、近世文学研究者には大いに参考になるだろう。
 
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2014年04月07日

木越治さんのコメントに対して

木越治さんが、私の「西鶴研究会に参加して」に対してご自身のブログで反応されました。あえて、挑発的に書いたところなので、感謝いたします。そもそも、中野先生の西鶴戯作者説に対する鈍い反応に業を煮やして木越さんがやや挑発的に文章を書いてくださったことに関して、私は敬意を抱いております。私の挑発的な書き方は、それに応えたものです。失礼いたしました。

木越さんは、「忘却散人さんのブロクで、私の発言に関して批判がなされています。この件で論争をする気はありませんが、降りかかる火の粉を払うため、当方の真意を説明しておきます」(一部差しさわりのない範囲で改変・省略)と述べ、私が、「中野先生のいう「近代主義」は50年前のものだとか、今はだれも近代主義的な読みはしていない、というような私に言わせれば「揚げ足取り」のようなことを言って何になるのだろうか? そういうことが中野説の要諦なのではない。」と書いたことに対して、

「私は「揚げ足」を取るつもりで書いたのではありません。今回の中野論文は、私にはちっともおもしろくなかったし、参考になるとも思えなかったので、その原因はどこにあるのかと考えたとき、そういう古い研究モデルを仮想敵にして西鶴研究の現状をあげつらおうとしたところにあるのではないか、と思ったので書いたのです。 
 とおっしゃっています。
もちろんわかっています。揚げ足を取るおつもりはなかったと思います。ただ、私が読んだ時に、この批判は、論文の本質をつかんだ批評ではないと感じたのです。だから「私に言わせれば」と言い添えて「」をつけたうえで「揚げ足取り」と言っているのです。確かに中野先生はここ何十年かの文学理論について知悉しているわけではないでしょう(それは研究会の場でもお認めになっています。しかし常識的なレベルでのご理解があることは言うまでもありません)。しかし、「近代主義的な読み方はしていない」とおっしゃる方々が、中野先生からみれば、やっぱり近代主義を抜け切っていないのです。西鶴論がその典型で、「ぬけ」に権力批判を読み、西鶴が本当に言いたいことをカムフラージュしていたというのは、方法的には近代主義的な読み方ではないけれども、根本には近代主義が根強くわだかまっているということなのです。

 たとえば、木越さんは、中野先生に「作品」への視点が欠けているとおっしゃるのですが、「文学研究というのは作品論が重要だ」という見解自体が近代主義的だと、中野先生はおっしゃるのではないでしょうかね。江戸の文芸を研究するのに、「文学」という用語を用いること自体問題があるといわれているのですから。浜田啓介先生は、西鶴作品を読むにはまず「外濠を埋めてかかれ」とおっしゃいましたが、この外濠というのは、同時代コンテクストはもちろん、江戸文化の理解というところにいきつきます。江戸文芸研究は、いまはまだ外濠を埋める段階だというのが中野先生のお立場ではないかと推察しています。たぶん、作品を解説させたら、実に面白く深く西鶴作品を解説されるでしょう。中野先生の西鶴の演習を受けたものとしての実感ですが。それは「作品論の方法」とかいう次元ではありません(ただ私などはその境地にとても達しないので、いわゆる作品論をやってきましたが。)
 中野先生の批判する「近代主義」は、テクスト論によってとっくに乗り越えられたものではなく、いまでもくすぶっているものなのです。みなさんおっしゃいます。「そんな読み方はもう誰もしていない」と。しかし中野先生に言わせれば、「どこが違うの?」となるわけです。
 だからこそ、中野先生は何度も同じことを繰り返し説かなければならなかったのです。「戯作」の定義にしろ、今回初めてわかったという声がいくつかありました。しかし、実は前から同じことをずっと言われていたのです。私も学界時評や木越さんとの対談で、それをずっと前に申し上げています。中野先生の西鶴戯作者説を批判する人たちは、旧来の「戯作」の定義が西鶴に当てはまらないと批判しているが、中野先生の「戯作」の定義は違うのであると(たとえば『秋成文学の生成』20頁)。

 今回、中野先生が戯作の定義を箇条書き的に示すことで、ようやくわかっていただいたようです。議論はスタート地点についたのです。
 では、そういう中野先生の議論は、近世文学会向けにしか行われていないのでしょうか。
 これからが次のご批判と関わります。

「また、「文学」に投稿したから開かれている、という言い方もヘンです。開かれていないと感じたのは、今回の論文の内容に関してであり、媒体の問題ではありません。(同じ号の他の論文がコラムに取り上げられていた、というのは、あくまでもひとつの例にすぎません)
それから、我々が、開かれた論文を書いているかどうかは、とりあえず、別の問題です。」
 

 私は媒体は重要であると考えますし、中野先生も常々、新書などのような一般の方が読むような形で書きなさいと私どもにおっしゃっています(出来の悪い弟子で実現できてませんが)。中野先生のご推薦で、これまでだと新書を書きそうにもなかった方々が新書を書いていらっしゃいます。ただし、一般向けということでレベルを落とす必要はない、専門的に書いていいのだともおっしゃいます。今回の「文学」へのご投稿論文は、木越さんのおっしゃるように、その内容は一見近世文学会向けの議論であります。しかし、これまでの投稿媒体とは違って、一般の方も多く読まれます。私は一般の方が読んで、さっぱりワカラナイと思うかどうか、それは読んだ方に聞いてみなければわからないと思います。ただ、近世文学会以外の方が読んでいるということが、中野先生の頭になかったかといわれると、そういうことはないでしょう。中野先生の専門家向け論文は非専門の方にも読ませる力を持っているのです。もちろん、木越さんの感じ方もわからないわけではありません。ただ、専門的な議論をあえて一般的な媒体でやっている、それは一般読者にも関心を喚起できるからだという感触を中野先生がもっていてのことだと言いたいのです。

 木越さんが中野先生の論文に何の新しさも感じず、得るところもなかったとおっしゃるのは、ひとつの批評でありますから、結構だと思いますし、あの文章は書くべきであったと思います。ただ、あの中野論文の真意をご理解されないまま、そのようにおっしゃっているとしたら、それはちょっと悲しいことです。中野先生は、近代主義を乗り越えたというテクスト論にも、根強く近代主義は残存していることを指摘しているのでありますから、「作品」という視点がないというご批判は、まあすれ違いの議論です。そのご批判こそが近代主義的だということでしょう。
 細かくあげつらえば、中野先生の論文に突っ込みどころはまだまだあるでしょう。その指摘はきちんと受け止められるのが中野先生です。今回の木越さんのご指摘も貴重なご指摘であることにはかわりありません。深謝申し上げます。

 なお、私は中野先生のいう近世の散文俗文芸を「戯作」と呼ぶ説に可能性を認めていますが、この説を継承していくという立場ではいまのところありません。私自身の中で、この説ですべてを説明できる自信がなく、なお自分なりの検証を有すると思うからです。一生かかってもできないかもしれません。むしろ、中野先生が『江戸戯作史』というようなご本をお書きになることを心より願うものです。もちろん一般書として、です。

 なお西鶴研究会の掲示板で、染谷智幸さんの私への反論がありますが、これについては、おっしゃる通りだと思います。江戸の散文の俗文学を「小説」と呼んで国際性をになわせるというご主張はよく理解できるものです。そのことと「戯作」を国際的に通じる用語に、ということは相反することではないと思っています。染谷さんにも深謝いたします。

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2014年01月24日

江戸文学をやるのなら

『日本文学』で「日文協と私」というシリーズが始まっている。2013年12月号には高田先生が書かれている。
わざと、一見挑発的な部分を抜き出してみよう。

「江戸文学をやるのなら、江戸人になってしまえという議論がある。正気かと言いたい。江戸時代はもう帰ってこない時代なのだ。」

「江戸人になったふりをして、江戸文学を楽しむふりをするなどいやらしくてできない」

このくだりを読んで、これは中村幸彦先生以来の「江戸に即して江戸文芸を読む」という、いわば近世文学研究のオーソドックスな基本認識の転覆、あるいはもっと具体的には「江戸にこちらから出向いて、江戸の人の言うことを聞き書きする」というスタンスの中野三敏先生への批判と読んだ方もおられるかもしれない。

 だが、この文章をきちんと読むと、そういう読みが誤解であることは明瞭である。高田先生は、「江戸文学の多様な在りようのなかに、現・近代文学の言う「文学」はそこにあるはずはない。そんなものは誰もはじめから求めていない。江戸文学に夢中になり、自己と江戸文学の差異を冷静にみつめるのは、私が現代人だからこそ江戸が魅力的だからである」という。これは、中野先生のおっしゃることと全く同じである。
 
 「江戸文学をやるのなら、江戸人になってしまえ」と言っている人が本当にいるとしたら、それはかなりどうかしている。「江戸人になったふりをして、江戸文学を楽しむふりをする」のはいやらしい。全く同感である。大体江戸文学の大家と言われている方を思い浮かべればすぐわかるが、みんなモダンである。フランス文学が好きだったり、映画通だったり、洋服のファッションセンスが抜群だったり。つまり、バリバリの現代人である。ただ、中野先生のおっしゃることを勘違いして、「江戸人になりきる」ことができると思っている人や、中野先生が本気で江戸人になれると主張していると、勘違いしている人も多分いる。具体的に誰ということでなくとも、そんなバカなことを考えるのはやめるべし、と高田先生はおっしゃっているのである。

 高田先生も中野先生もそれぞれのお仕事をお互いにリスペクトしていることは、これまで何度も実際にうかがってきた。それは、現代人なのに、そこまで江戸に斬り込むことができるのかという驚きが基調になっていると私は思っている。

 もちろん思想的な立場は異なるだろう。しかし、現代人であるからこそ、江戸が魅力的なのだという研究感性は、高田衛も中野三敏も変わらない。そう私は確信している。

 
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2013年12月16日

奥の細道のテクストクリティーク

おとといは討ち入りの日。高橋圭一さんのご教示によれば、講談師はこの日蕎麦を食すそうであるが、京都近世小説研究会も、蕎麦屋の河道屋養老で研究会と忘年会を行った。河道屋は恒例、そして、ここ3年は井口洋先生の『奥の細道』本文論が定番となっている(来年は違うとかうかがったが)。他用と重なっていたため一昨年・昨年は聞き逃したが、今年は拝聴することができた。

タイトルは「芦角一声、あつめて早し―奥の細道のテクストクリティーク」である。奥の細道の不審本文を従来の諸説を細かく検討の上、あるべき(井口先生によれば芭蕉が書いたはずの)本文に正してゆくというのが、一連の本文論の方法である。

今回ご提案の校訂本文も、非常にすっきりしていて、なるほど本来の奥の細道の本文とはかくあるべきか、と聞いていて感心していたのだが、これが芭蕉自筆本云々の議論とリンクすると話はややこしくなる。

まず、井口先生の示された本文はあくまで井口先生によって想定された、あるべき本文であって、現実には存在しない本文である。したがって芭蕉がかいたものであるかどうかの判定は、「芭蕉がおかしな語彙を使わない、下手な文章は書かない」という前提に立つ必要がある。字の問題ではなく、文章の問題であるということなのであり、これは森銑三の「好色一代男のみが西鶴の書いた文章である」という時の論理と同じだと思う。
しかし、当然ながら、「理想的な本文=芭蕉作成本文」としていいのかという疑問が生じる。芭蕉自筆かとされた中尾本は、井口先生によれば、本来あるべき本文とくらべると拙劣であるがゆえに芭蕉自筆ではない、というわけである。

 もし、井口先生が、芭蕉自筆の議論と関わりなく、奥の細道のあるべき本文として、井口洋校訂本『奥の細道』を提示されるのであれば、私としては納得するし、そういう仕事は、江戸文学研究では異例であるが、「有り」ではないか。「『奥の細道』を世界に開き、後世に伝えるには、わかりやすく論理的な文章にすべきである」ということが議論されてもいいと思うからだ。そういう議論の提案として井口先生の校訂本文案が提示されるのであれば、私は非常に意義深いことであるのではないかと思う。今回井口先生が「校訂私案」ではなく「テクストクリティーク」という言葉を使われたのはそういう意味があったのではないかと、私は密かに思っているのだが(そのわりには、あからさまに質問してしまいましたが…)。
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2013年11月26日

トロンコワの和本コレクション

11月23日、大手前大学で開催された日仏文化交流シンポジウムは、パリ国立高等美術学校(と大手前大学の交流協定記念として開催されたものである。そこの主要な主題のひとつが、同美術学校に所蔵される、トロンコワ・コレクションであった。トロンコワとは、フランスにおける日本美術史研究の黎明期に活躍、明治27年から43年にかけて日本に滞在し、多くの業績を残したが、一般にはほとんど知られていない(クリストフ・マルケ氏の論考があるのみ)。

 しかし、今回のマルケ氏の発表「E.トロンコワの和本コレクション―19世紀フランスにおける江戸出版文化史を構築する試み―」は、非常にエキサイティングなものだった。まず、トロンコワは通算13年間の日本滞在時に、3400冊の和本を収集した(現在4図書館に分藏)。そのコレクションは19世紀の仏人収集としては最大の和古書コレクションであるが、特筆すべきなのは、それが、学術的観点から為された集書だということである。絵画だけではなかったのである。

 トロンコワは変体仮名が読めた、とマルケ氏は言う。残された諸資料がそれを物語るのだそうだ。彼の集書は、江戸文学史、あるいは江戸時代の出版文化史の全貌を明らかにする試みであったというマルケ氏の仮説は、十分な説得力を持っている(絵入り本が中心で、和歌や漢詩はなさそうだが、それはつい二〇数年前の一般的な近世文学史の姿であって、非難するには及ばない)。集書はまんべんなく、なかには京伝の『近世奇跡考』の草稿本、北斎の『富獄百景』の試し刷りなども含まれ、プロの目による集書であることが伺える。しかも当時は江戸文学を学問的にやろうという者は日本にもほとんどいなかった。

 つまりこれはフランス人による集書として、というよりも、日本近世文学研究全体としても、先駆的な仕事だったといえるのではないか。日本で近世文学研究の草分けと称される水谷不倒より3歳年上で、ほぼ同世代。マルケ氏にきくと、二人の接触は確認できないそうだが、不倒の研究とトロンコワの研究は重なってみえる。トロンコワの仕事はもっと見直されていいようだ。というわけで、この話、非常に面白かった。その他の発表も興味深いものが多く、議論も活発で、いい研究集会だったと思う。
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2013年11月03日

日本文学研究の国際化

宮内庁書陵部が11月1日の古典の日に、所蔵資料のWEB公開をはじめたことが話題になっている。「あのおかたい書陵部が」という感想も聞こえてくるが、規模からいって、かなり前から準備していたに違いない。これは、「便利になった」と喜んでいいことだが、忘れてならないのは、WEBは世界に開かれているということである。宮内庁だけではなく、早稲田大学の古典籍総合データベースや演博のデータベース公開をはじめとして、画像データベースのWEB公開は加速しているが、これらがどれだけ外国の日本文学研究者に福音をもたらしただろうか。

外国の日本文学研究は近年どんどんレベルアップしている。日本で学んだ留学生が母国に帰ってきちんとした教育を行っているからであろう。唯一不利だったのが、文献や原典へのアクセス環境だった。しかし、それも「原本を見る」ということを除けば、あまり変わらなくなってくる。いや日本の多忙な教員や、お金のない院生がなかなか調査に出かけられない状況では、原本へのアクセスも日本と大差ないかもしれない。

このようになって、日本文学研究の国際化が進んでくると、国際学会やシンポジウムなどの機会も増えてくる。そうした時に、使用言語が日本語である現在の状況も変わってくる可能性がある。浮世絵などを研究する人は多分一定の英語力は必須になっているだろうが、日本文学でも同様のことが起こってくるのではないか。
一方で、日本と海外とでは、研究方法がかなり違う。理論を重視する海外の研究者たちが、容易に文献にアクセスできるようになった時、それは日本の研究者たちにとっては脅威である。柔道と同じようなことが起こるってわけだ。

だが、よく考えると、これによって日本文学が世界に広く知られるようになることは歓迎すべきことだ。たぶん20年後の日本文学研究の風景は、相当変わっているだろう。私はもうリタイアしてるだろうが、今の若い人たちはその辺のこと、意識しておいた方がいいと思う。
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2013年10月07日

近世はなしの作り方読み方研究

研究書としてはかなり変わった書名である。
副題に「はなしの指南書」とあるのも「おや」と思わせる。
この本が「はなしの指南書」なのか、それとも「はなしの指南書」についての本なのか?

しかし、著者が島田大助さんとなると、これがなぜか納得されてしまう。
変わり者の多い近世文学研究者のなかでも、強烈なキャラが際だつ島田さんだが、いたって常識人であり、努力家であり、人情家である。そして、周囲をパッと明るくし、気を配り、礼をつくす。

おまえがなぜそんなことを言えるのか?そんなに親しいのか?と問われれば、いや、そういうわけではないのですが、と答えざるをえない。
ただ、島田さんとは、山口県のある場所で、何年か調査を共にしたことのある間柄である。それも二人だけでというのを、3年くらいやったか。公の機関であるその場所で、いつも昼寝している職員に対して、「なんですか、あの男は!」と、昼飯を食べながら意気投合(?)していたことが思い出される。そういうわけでお人柄については、大体わかっているつもりなのである。

その島田さんが、大著と呼ぶにふさわしい咄本研究書を出された。序章はエッセイのような論文のような咄のような書きぶりで、これも異色。ただ島田さんの口調がそのまま文章になったように感じる。だから私には面白い。地震を落ちに絡めたいくつかの咄(類話)を講演で紹介したら、被災地ではいつから笑い咄をしてもいいのかと質問されたという。島田さんの紹介された咄も前年の地震と関わりがありそうだ。つまり咄は、具体的な場所、時間がわかって、はじめて理解できるもの、それは文献だけではわからないという風にもってゆくのだが、この展開が、論文というより咄的なのである。これこそ「はなしの指南書」である。

驚くべきなのは、第五章の『西鶴諸国はなし』の各論である。『諸国はなし』を咄として読む。これが全て書き下ろしである。いずれも、人間に不思議を感じた咄として読んでいく。これが「読み方」指南である。こういう読み方はいいんじゃないかと思う。

この本が出てから2ヶ月になろうとしている。紹介が遅くなったが、必ず紹介したいと思い続けていた。川柳関係の本を出す新葉館出版から。これも珍しい。

 島田さんは、自分を笑いの種にすることの出来る人だ。あとがきを読んでそう思う。すごい大人だと思うのである。




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2013年02月10日

雨月物語に関する二つの講演録

研究室の近刊雑誌で『雨月物語』に関する二つの講演の活字化を見つけた。

ひとつは、『京都語文』19(2012年11月)に掲載される長島弘明氏「『雨月物語』の多義性について」である。仏教大学での講演のようである。取り上げるのは「浅茅が宿」。宮木の心情の多義性・二重性。「信頼と懐疑」を揺れ動く。それを二重性の表現で描く。この表現については高田先生の「幻語の構造―雨と月への私注」という名論文があるが、それを踏まえつつも、高田先生がストーリーの暗示的手法としたのに対し、むしろ宮木の心情の二重性に対応させているところが新しい。私に引きつければ、「菊花の約」もまた、登場人物尼子経久の、揺れ動く信頼と懐疑の物語である(拙著『上田秋成―絆としての文芸』)から、これは興味深かった。もうひとつは勝四郎が目を覚ます早朝の場面における風景の二重性。美しい叙景であるとともに無残な廃屋の描写でもあるという天才的な表現が解析される。

もうひとつは、山本秀樹氏「『雨月物語「菊花の約」解釈の諸問題」(『高知大国文』43、2012年)。80枚という力作で、従来の諸説をメッタ斬りしている。幸い私の論文は、書かれた時点で参照されなかったとみえて俎上には上らなかったが、付記に出てきてドキっとしたら、御自身の説に近いとあってフォローしてくださっていた。〈かくも実現困難な信義が実現された話〉として読むという結論のようで、確かに私と同じ読みである。緻密に展開される細かい読みについても、ほぼ同意するが、左門の行方については意見が違う。左門は帰郷してはいない。自刃したのである…と、いうのが私の説です。
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2012年05月03日

剪燈新話

日本文学協会近世部会の出す『近世部会誌』第6号(2012年3月)。
編集後記によれば「その入手方法は謎に包まれている」。
ありがたいことに今号もまた入手できました。どうもありがとうございます。
さて、今号は20頁。7本。基本的にここには研究余滴的な文章を書くようですが、なかなか看過できない佳品があるので要注意。
執筆者は近藤瑞木・水原信子・木越秀子・紅林健志・木越治・風間誠史・閻小妹だが、7名中、か行が5人もいますね。どうでもいいことですが。
 ところで驚いたのは、このうち木越秀子さんと閻小妹さんのお二人が拙論を引いてくださっていること。どうも古傷をつつかれているような気分。利用はしてくださっているが、批判(ともとれる指摘)もチクチク。とくに閻さんの「再論『剪燈新話』の対偶構成」は、私の談義本・初期読本の方法として挙げた、寓言の怪異作品への応用(「怪異と寓言」、『西鶴と浮世草子の研究』2、2007で5つほどあげました)が、すでに『剪燈新話』にあるから、それとの関係を考えねばならないと、注で指摘されている。
 おっしゃる通りで、中国文言小説・白話小説から学んだ部分を明らかにしていく必要がありますね。その上で奇談の方法として考えればよいかと思います。拙論を使っていただいたこととともにご教示どうもありがとうございます。
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2012年04月13日

「わかった」ことをことばで伝える

研究室の新2年生を歓迎する宴で、芥川を研究している比較文学の先生が挨拶に立ち、「僕は羅生門を誰よりもわかっている」と言われた。もちろん自らの研究の方法を語るという流れがあっての開口である。先生は、芥川作品を何度も筆記される。羅生門もそうである。そして、考え抜いた結果、「わかった」らしいのだ。しかし、こう私が書くと、浅薄に聞こえかねない。つまり「わかった」ことを人に伝えるのは至難なのである。私なりに『春雨物語』の序が「わかった」と思える時点があった。しかし、それをうまく書けたかといえば、「?}だ。だから「よくわかりました」と、言ってくださった方がいたときには嬉しかったものである。すくなくともこの人には通じたんだと。

 昨日の教員の新歓で、件の先生に質問をぶつけた。「「わかった」ことを、言葉でつたえることができますか?」。そもそもわかるって何か。以前、書いたことがあるが男女が「わかりあう」のは、結局は触れ合うことによってしかありえないとすれば、それは言葉を超えている。我々が人の書いたものを「わかる」というのは、結局は共感のようなもので、それを言葉に還元すると、なにか違ってくるのではないか。先生は、「羅生門」は可能であるという。しかし、「心」は難しかった。といい、「心」論執筆体験を話された。貴重な話を聞くことができた。
 
 それでも、我々は人とつながろうとするときに、どうしても言葉に頼る。本当は、目をはじめとして、自分の五感をフル稼働してそれをやらなければならないのであるが、言葉もまた、五感に連なるものでなくてはならない。
 
 そのような言葉こそが、「文明」の鍵である。ところが、文明が進化したはずのいまほど、言葉が通じない時代はないのではないか。そこで「ことばの力」を見つめなおそうというプロジェクトが、京大人文研の「文明と言語」だった。その共同研究報告書が横山俊夫編『ことばの力 あらたな文明を求めて』(2012年3月、京都大学学術出版会)である。ことばにこだわる京大の伝統を感じるとともに、私の現在の問題意識に共振するので嬉しい、私にとってはタイムリーな本である。参加しているのは人文系の研究者だけではない、自然学、歴史人類学、分子生物学、霊長類学と、超域である。これから読むのが楽しみである。近世文学からは廣瀬千紗子さんが参加。上記の視点から、くるわのことばについて論じる。遊里のことばの研究は、風俗的研究か国語学的研究にどうしても偏るが、人と人とをつなぐツールとして見ていくと、新たな相貌が立ち上がるのではないかと、期待が膨らむ。こちらはまた別の機会に。
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2012年02月28日

秋成と好古

一戸渉『上田秋成の時代 上方和学研究』(ぺりかん社、2012年1月)は、一戸さんの博士論文を基にしてなっている。後語にしめされているように、私は学外審査委員として、2回にわたる審査に参加した。総研大は博士論文審査が厳密で、予備審査と本審査(公開)があり、その両方に呼ばれる。だからこの本は既読であった。

しかし、博士論文の「上方和学研究」が副題となり、「上田秋成の時代」が書名となった。それだとちょっと物足りないかなと思ったが、中身を見て納得。第二部第四章の「秋成と好古」が新たに付加されたことによって、書名にふさわしいものになりえている。

ここでは、そのあらたに書き下ろされた章について述べる。

まず、新たな発見として、東丸神社所蔵の宣長『真暦考』の天明四年秋成写本がある。これはきわめて重要な発見である。秋成がこのころ宣長の著書を結構読んでいたことはわかっているが、実際の筆写本の出現ははじめて。このころの秋成筆跡をうかがうのにも好資料。しかもこの写本の書入れなどを検討すると、宣長批判の言はみられないという。この時点ではまだ敵対意識は芽生えていないのである。

また同年成立の秋成『漢委奴国王金印考』が、全面的に宣長の『馭戎慨言』に依拠していたことを明らかにしている。

次に注目すべきなのが、秋成の「文献的ニヒリズム」の成立についての考証である。「文献的ニヒリズム」とは、日野龍夫先生の用語で、一戸さんの整理によれば「古文献改変説」「古文献焼亡説」の二要素から成る。焼亡説の方が、秋成自身の罹災と天明の大火(秋成はこれに遭遇している)の影響だろうというのは、誰でも考え付く話だが、一戸さんはその言説を丁寧に時系列にそって分析し、まず天明大火影響説を固めたうえで、焼亡説が初発においては古今集仮名序、ひいては貫之に関わるものとして主張されていたという事実に注目する。なるほど、それはそうかもしれない。しかし、もう一歩突っ込まないと、その意味が明確にはならないと思う。一戸さん自身も「ある程度連動していたごとくである」と慎重だが、あえて「だから何?」と突っ込んでおきたい。

 さて、秋成の好古は、時代の潮流と関わりがある。私自身も天明大火・内裏再建と復古ブームのかかわりについては、「本居宣長と妙法院宮」などで見通しだけ述べているところであるが、一戸さんの論は、精度が相当高い。そして藤貞幹と橋本経亮との交渉に触れて、具体的なイメージとして描くのに一定成功している。

 圧巻なのは、秋成の茶書『清風瑣言』の大和法隆寺蔵風爐の図と、『法隆寺宝物図』の同絵が同一であることを示して、『清風瑣言』の茶器図は、『法隆寺宝物図』の画者田中訥言が書いたのではないかと推定しているところである。一戸さん自身が好古の文人となったかと思わせる。

 というわけで、なかなか中身の濃い論文となっている。ただどこか既視感のある文体だなあと思ったのだが、これは鈴木淳さんですね。考えてみれば先生なのだから当然だが、『江戸和学論考』の一編を読んでいるみたいなのだ。ともあれ、本格的な論著の生まれたことを喜びたいと思う。
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2012年02月06日

板木と和本に関する研究会

立命館大学アートリサーチセンターで行われた、板木をめぐる研究集会。2日目(5日)に参加。

中野三敏先生の「和本リテラシー」の講演。御趣旨は何度もうかがっているが、明治33年に、ひらがなが一音一字に統一されたことから、和本リテラシーの衰退がはじまったという話は初耳だった。

中野先生と並ぶ和本啓蒙者の橋口侯之介氏のお話も初めてうかがった。

アートリサーチセンターの版木研究者の金子さんの話もマニアックで面白く、高木元・鈴木俊幸・廣瀬千紗子各氏の発表も、和本の面白さを存分に伝える発表。

そして最後の赤間亮氏の立命館大学アートリサーチセンターの取り組みに関する発表には、驚いた。ここまで、「公開の思想」で考え抜かれたシステムが稼働しているとは…。すごいと思いまいた。

和本リテラシーの普及は楽観的にはなれない。しかし、アートリサーチセンターの取り組みについては、もっと発信していただきたいと思った次第。あまり知られていないと思うから。

それにしても、久しぶりに会った人が多かった。ブログコメント欄で知っている方とも初めて対面。

奈良大学の板木研究、きちんと受け継いでいけるようにと、願っている。
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2012年01月30日

蒿蹊、達意の歌

本日、某辞典の15項目ほどを書き上げて送る。催促が来て、1月中にはなんとか、と言っていたもの。それであらためて思ったのだが、伴蒿蹊という人は、和文の名手と謳われるが、和歌も平安四天王の一人だけあって上手い。しかし蒿蹊の和歌そのものの研究は現状では全くといっていいほどない(もっとも近世全体を通してそうだともいえるが)

それは多分、蒿蹊の歌がわかりやすいために、研究する気にならないからだろうと、ふと思った。文章もそうだが、和歌も達意なのだ。

もっとも達意だからといって、技術がないとは思わない。ここまで達意に作れるのは、相当のテクニックだと思う。蘆庵のただこと歌とも違う、自然な感じである。妙法院宮に寵愛されたのもまた宜なるかな。もちろん文章も達意。もっともっと評価されていいですよね。

(ここから、わかる人は数名?)
つうことで157番を手に入れた○○○ ○○○さん、今度見せてね。
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2012年01月26日

羽倉の風が吹いていた

 国学史上の重要人物荷田春満は、近年新編全集が完結し、再評価の機運が高まっているようであるが、その後の荷田学は、ほとんど取り上げられない。宣長視点の田中国学史でも春満は取り上げられているが、そこまで。もちろんそれでいいのだが、春滿の養子の在満、その子の御風(のりかぜ)、蒼生子(たみこ)らの学問もまた江戸の地では受け入れられていた。蒼生子はそれを「羽倉風」と呼んだ。春満にはじまる歌学の総称を「羽倉風」と呼んで、その実際を明らかにしてくれたのが、一戸渉「羽倉風のゆくえ」(『朱』55号、2011年12月)だ。「羽倉風」という言葉を拾って、タームにしようというのはなかなかセンスがいいのではないか。
この『朱』という雑誌は、伏見稲荷大社が出しているが、なかなかいい論文がよく載っているので、見逃せない雑誌だ(といいつつ、いつも見逃している)。
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