2012年01月26日

羽倉の風が吹いていた

 国学史上の重要人物荷田春満は、近年新編全集が完結し、再評価の機運が高まっているようであるが、その後の荷田学は、ほとんど取り上げられない。宣長視点の田中国学史でも春満は取り上げられているが、そこまで。もちろんそれでいいのだが、春滿の養子の在満、その子の御風(のりかぜ)、蒼生子(たみこ)らの学問もまた江戸の地では受け入れられていた。蒼生子はそれを「羽倉風」と呼んだ。春満にはじまる歌学の総称を「羽倉風」と呼んで、その実際を明らかにしてくれたのが、一戸渉「羽倉風のゆくえ」(『朱』55号、2011年12月)だ。「羽倉風」という言葉を拾って、タームにしようというのはなかなかセンスがいいのではないか。
この『朱』という雑誌は、伏見稲荷大社が出しているが、なかなかいい論文がよく載っているので、見逃せない雑誌だ(といいつつ、いつも見逃している)。
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2012年01月18日

教訓和讃から新体詩へ

いろんなことでお尻に火がついてきた。こういう時に限って面白い論文に目が行ってしまう。これからしばらく、文章短くなると思います。

青山英正氏の「近世韻文としての新体詩―『新体詩抄』と『新体詩歌』をめぐって―(「日本文学」2011年10月号)は、新体詩の形式・内容を、近世の教訓和讃や詠史歌の系譜に位置づける瞠目の論考。新体詩は長歌との関係ばかりではないということを見事に実証しているといえよう。目配りが効いていて説得力がある。青山氏の思想史へのまなざしがこの論文の奥行きをもたらした。
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2012年01月15日

擬古主義の流行

宮崎修多「江戸中期における擬古主義の流行に関する臆見」(『一八世紀日本の文化状況と国際環境』所収、2011年8月)は、意欲的に擬古主義の流行の所以を探る論考。少し前の論考であるが、このたび拝読。
 
 聖人に近づくために、それと同時代の言語を習得し、古人に同化するために擬古するというのが、擬古主義の一般的なイメージ。そうではなく、古語を自在に使いこなし、自分を表現するために擬古する。服部南郭にそれが見られるという。一方、梁田蛻厳は詩では擬古を貫き、俳諧などの他ジャンルで俗表現を楽しんだ。それは南畝と同じだという。しかしどちらにも、洒落風俳諧の比喩表現が絡む。南郭は詩の擬古的表現のヒントをそこに得たのではないかといい、蛻厳は俳諧に身をひたして雅の作詩とのバランスをとった。

 なかなか大胆な見取り図だが、これは詩論や俳論から文学史を構築するすオーソドックスな方法に対して、作者の表現意識によりそって、文学現象を解析しようとする新しい方法の提示でもあるのだ。これは作者の復権という文学研究の近年の流れに掉さすものかもしれない。

 私もこれに共感するところ大である。自分にはなかなかできないことではあるが。
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2011年12月01日

祇園南海とその時代

標記は和歌山市立博物館での展示。私は見たかったが果たせなかった。残念ながら、すでに終了している。見に行った学生から、図録を買ってきて貰った。大変立派な図録だが、破格の値段であるそうな。

祇園南海の新しい資料なども収められていて、極めて充実している。南海に興味のある人は必読必見である。
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2011年09月25日

韓国の古典小説

韓国ソウル高麗大学校で開催される日本近世文学会が近づいてきている。

韓国の方に日本近世文学とその研究状況を知っていただくのに、とてもいい機会であると同時に、我々が、韓国の文化・文学を知る良い機会でもあるはずだ。

日本から行く研究者のうち、おそらく半数以上が韓国初体験であろう。また2回目、3回目、それ以上であっても、これだけの数の、日本に関心のある韓国の方が集まっている場所に行くことに大きな意味がある。おそらく学生・スタッフを含め数十名の韓国の方(そのほとんどは日本語が自在に操れるレベル)が学会にはいらっしゃるであろう。

その逆を想像すると非常に考えにくいのではないか。つまり、我々は韓国の文化・文学のことを余りに知らないのではないか。

という反省から、2008年にぺりかん社から刊行された『韓国の古典小説』をひもとく。冒頭のメール座談会で、その特徴・面白さが上手く語られている。私にとってはたとえば「野談」が興味ぶかい。日本の「奇談」のジャンルと比べるとどうなのか?

 また「熱狂のリアリズム」という染谷智幸氏の論文は、日韓の文化の違いが、江戸時代―朝鮮時代の文学の違いに極端にあらわれていると説き、韓国文学の特徴として知と礼節、その背後にある熱情を指摘する。たとえば日本では、規格外れの主人公がもてはやされるが、韓国では知的で礼節をわきまえた才子が主人公であるケースがほとんどであるなど、最近の韓流ドラマまで視野に入れた説得力ある展開である。

 もっとも、知と礼節をわきまえた主人公が江戸時代文学に存在しなかったわけではないだろう。はたしてそれらの主人公は、江戸時代においても傍流だったのか。そういう議論は可能なはずである。

ただ韓国古典小説から照射した時に、江戸時代文学の再発見があるにちがいないという気にさせられるし、何より、韓国古典小説そのものが読みたくなる。

そういう気持ちになった時に、では何を、どの本で読めばいいかという入門書になっているところがこの本のいいところである。学会から帰った人たちが買いたくなるのではないだろうか。いやいや、学会に店を出すべきだったですかね。シンポジウムのトップバッターの延広先生の要旨にも、最適の朝鮮文学入門書として紹介されている。
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2011年09月03日

二つのタイプ

来週、秋成をテーマに、集中講義を某大学でやるのだが、その準備をしていていまさらながら思ったことがある。

研究者のタイプは大まかにいって二つある。つまりテクストに興味があるタイプと、作者に興味があるタイプだ。2010年に京都国立博物館で行われた秋成展は、秋成の実像を浮き彫りにするという目的があった。秋成の肖像、筆跡、交友などに焦点を当てたものである。それに関わったこともあるだろうが、作者あっての作品(テクスト)という思いがつよくなったし、テクストだけを読んで文学史を構想するのは無理かなと思うようになった。もともと近世文学研究は、作者について調べればかなりのところまで明らかに出来るのので、テクストだけで(あるいはテクストにより重点をおいて)読んでいく立場の人は多くない(だが、少ないだけに、作品論となると、それらの人々の論はきらびやかな光を放つ)。

だが、秋成研究の場合、作品主義の先頭に立っているはずの高田衛氏が不朽の秋成年譜を出しているし、作者研究の第一人者の長島弘明氏には魅力的な雨月物語論・春雨物語論がある。お二人に限らず、どちらか一方という人がいない感じだ。つまり、これは、秋成の作品がめっぽう面白い一方で、秋成の人物・交友が実に興味深いからだということなのだろう。

では、秋成における、作品世界と人物・交友が融合する形の研究というのは、どうだろう。部分的にはもちろんこれまでもいろいろあるのだが、たとえば秋成の体験や性格や思想が『雨月物語』に反映などというと、えてして胡散臭いトンデモ論文になってしまっているケースが少なくない。

今回の集中講義で、15回のシラバスを書かされたのだが、シラバスを書いている時点では意識していなかったが、ここに作品か人物かという問題が、未整理のまま出てしまっている(とほほ)。これはピンチなのだが、「ピンチはチャンス」という言葉を思い出して、集中講義をしながらこの融合ということを考えることにした。少し前に書いた「交誼と報謝」という論文の主旨を展開したいということである。
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2011年08月29日

先を見る

ぎょうせいが「国語と国文学」を手放すという。もともと、なにかの義理で、至文堂から引き継いだのだろうから、これは仕方がない。ただ「国語と国文学」は東大の国語国文学会の学会誌的な機能も果たしているかと思うので(よく知らないが)、雑誌そのものが消えることはないのだろう。

それにしても、ここ10年の自分の論文リストを眺めて見ると、江戸文学・国文学・解釈と鑑賞・国語と国文学に投稿したものが8本だった。書評をいれると、あと3つ4つ増える。依頼を受けて絞り出したものゆえ、出来の方は「?」だが、依頼されることで生産本数があがることは事実である。ここから考えても国文学全体の論文数が今後大きく減少することは間違いないだろう。

もっとも学界全体としては、比較的冷静にこの事態を受け止めているといえよう。まだ茫洋とした状態ではあるが、ネットでの研究的発信は逆に確実に増えているわけだし、国文学だけではない学術商業誌の相次ぐ休刊は、衰退ではなく、メディア的過渡期だとも捉えられるからだ。「いや、それはあまりに楽観」としかられるかもしれないが、必要なのは歎くことではなく、評論家然と上から目線で論じることでもなく、先を見ることでしょう。自動車学校で、車の運転をする時には遠くを見ろ、と指導された。溝があるので溝に落ちないようにと溝ばかり見ていたら溝に落ちるのだ。
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2011年07月18日

付合と句意

『近世文芸研究と評論』80号には佐藤勝明・小林孔両氏による「『続猿蓑』「八九間」歌仙分析」が載る。佐藤さんの一連の付合読解方法論に基づくもので、今回は小林孔氏との共同作業である。付合の分析を@付句作者が前句に対してどのような発展的理解を示したか、Aそれをもとにいかなる場面・情景・人物像などを付けようと考えたか、Bそのことを句にするために題材や詞をどう選んだか、という3段階で考えるという方法である。

 実を言えば歌仙の注釈にはほとんど注意してこなかった。しかし、今年歌仙を演習で取り上げたことで、俄然その注釈・分析方法が気になる。たとえば「句意」という項目があるのだが、中嶋さんは、前句と合わせた意味を句意としているが、佐藤・小林稿では、当句のみで意味をとっている。これは西鶴と芭蕉の違いですか。たしかに独吟千句の場合、一句の意味はとりにくそうではあるが。いろいろ参考になる。新しい歌仙の注釈にはいったら佐藤方式を取り入れて見ようかとも思っているところです。
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2011年06月20日

雅俗二元論への疑義

高山大毅「「人情」理解と「断章取義」―徂徠学の文芸論―」(「国語国文」2009年8月)を読む。かつて閑山子氏により「新しい風」と称された論文である。久々にスケールの大きい、しかし大雑把ではない、問題提起性の高い若手の論文に出会った。中野三敏先生が「近世に於ける李卓吾受容のあらまし」で、その冒頭に「江戸文化全体の特徴の一つを雅(伝統)・俗(新興)の二元論に求めることは、既に公論と談じてもよかろう」と述べられ、「そうそう、その通り」とうなずいていたところに、ガツンと、いやコツンくらいかもしれないが、一撃をくらったという感じである。

 漢詩文や和歌は「雅」、俳諧や戯作は「俗」という文芸領域との対応認識は、漢詩文や和歌研究が軽視されていた時代に、それらの重要性を強調するのには便利であったが、分析概念としての「雅俗」が史料用語としての「雅俗」と直接結びつけられやすく概念上の混乱を招いた代償が大きかったと指摘する。
 
 「人情」についてもそうで、分析上の概念と史料用語としての「人情」が混乱していると述べ、さらに、従来の論者の中には「詩は「人情」を述べたものである」という主張を「自己心情を吐露すべきものである」と区別していない者があることを指摘している。たとえば徂徠は、詩は古代の人の人情をよく表していると考えるが、個人の心情表現が重要だとは述べていないと注意を喚起する。つまり〈徂徠は「個性」を尊重し、自我を肯定した〉という理解に対して異を唱えているのである。さらに朱子の「勧善懲悪」説にも正しい理解を促す。さて、高山氏は徂徠の『論語徴』を読み込み、徂徠の文芸論を整理してゆく。徂徠の好む「断章取義」(古典・故事の引用と転用)に注目し、徂徠の解釈によれば『論語』(孔子)の言葉は「断章取義」に基づく「戯言」であるとし、戯言は聖人の高雅なふるまいであって、「雅」であるとする。 

 つまり、中野先生のいうような、「雅文芸」=品格、「俗文芸」=人情味と滑稽という図式に、徂徠学派の文芸はおさまらないのだとする(引用して明言)。雅俗論を定着させた中野先生の言説に異説を唱える勇気と戦略に私は敬意を表する。雅俗論に違和感を持つ人は少なくなかっただろうが、それを論文で明言することはまた大きな意味がある。「私もそう思っていた」と後出しでいうのは簡単だ。さすがに閑山子氏はこの論文の重要性を見抜いていたわけだが、遅ればせながら、私もこの論文は、今後言及されることが多くなると予測する。もっとも雅俗二元論を支持する立場からの反論ももちろん可能だろう。議論が起こることが期待される。

 すこし本論からそれるが、近世漢詩文というのはたしかに浪漫的に語られやすい。石川淳や中村眞一郎らの作家のみならず、野口武彦氏の祇園南海論から、日野龍夫氏の服部南郭論、揖斐高氏の江戸詩歌論など、いずれも近代文学っぽい香りがする。そしてそれらの人の書くのがまた面白いのだ。これらの諸先学は一様に南畝と蕪村を愛しておられる(中野先生は多分蕪村はそんなに好きではないように思う)。蕪村を射程にいれてしまうと、どうしても浪漫的にならざるを得ないのかな。南畝と蕪村はずいぶん感性が違うように思うのだが、両方が好きだというのには、どこか視点設定が必要なのではないか。

 話を戻す。あえて苦言を呈すれば、高山氏は雅俗論、人情論に異説を唱えたわけだが、それでどうなる?という見通しがわかりにくいということである。羊頭狗肉といえば失礼になるが、論の展開が、展開というよりも巻き納めになっているのではないか?この私の苦言はしかし、後からコツンとやられた者の負け惜しみに聞えないこともない。ふふふ。
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2011年05月23日

妙法院宮

「近世における蔵書形成と文芸享受」という国文研の基幹研究プロジェクトの平成23年度第1回共同研究会で、「妙法院宮グループと蘆庵文庫」という題目で報告をすることになっている(5月27日 於国文研)。

新日吉神宮所蔵蘆庵文庫の蔵書形成の前提のような話だが、蔵書形成というところまではもっていけそうにない。我々蘆庵文庫チーム(『蘆庵文庫目録と資料』を刊行した蘆庵文庫研究会と同メンバー)からは、私と加藤弓枝氏が報告するのであるが、加藤氏の報告は、まさしく蔵書形成に関わる、「書籍講」の話である。

 ともかく17年ぶりに妙法院宮真仁法親王とその周辺について調べ直している。とてもきちんとしたものはできないが、その勉強は面白い。この17年の間に、研究史の上では大きな出来事があった。一つは『妙法院日次記』が、寛政四年あたりまで刊行されたことである。妙法院宮を知る根本資料だけに、今後は外せないものである。もうひとつは、京都国立博物館で「妙法院」をテーマにした展示が行われことである。これはもちろん見に行ったが、呉春描いた真仁法親王の肖像を見ることが出来、感銘を受けた。憂いを湛え、どこか危険な香りのする親王像で、一度見たら忘れられない。これでイメージが鮮明になった。

 秋成も妙法院宮とは関係がある。とにかく積極的に地下と交わった変わった親王である。

 私自身の研究はこの間進んでいるとは言えないが、『江戸文学』に『絵本太閤記』のことを書き、浜田啓介氏によって指摘されている、序文を妙法院関係者が書いていることの意味を少し考えてみた。今回の発表ではこのことは扱わないが、豊臣との結びつきが強いことは政治的な意味でもちょっと面白いと思っている。
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2011年01月09日

改作と「世界」と「趣向」

昨日大阪大学国語国文学会の研究発表会・総会が行われた。

大橋正叔先生が、「改作と「世界」と「趣向」」と題して、非常にわかりやすく、スケールの大きな内容のご講演をしてくださった。

私は講義でよく世界と趣向の説明をするが、今日のお話で、なるほど改作という観点から説明すると大変わかりやすいと勉強になった。もっとも大橋先生のように近松浄瑠璃とその改作状況を熟知していなければ、ご講演のような、説得力は出てこないだろう。

改作によって世界が少しずつ広がる様子、改作のたびに趣向が加わるからであるが、その趣向のポイントは当世性にあるというお話。これもなるほどと思う。

そこに注目すれば世界と趣向は、仮名草子や浮世草子にも及ぼせるとして、仁勢物語・好色一代男・西沢一風の浮世草子・また洒落本や黄表紙など縦横に論じられた。

古典から近代、韻文・散文・演劇、どの時代でもどのジャンルでもヒントになったはずで、学生にもとても有益なご講演であったと思う。
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2010年11月26日

菊の着せ綿

上田秋成展で展示した「菊の着綿(きせわた)」は、菊に綿をかぶせておいて重陽の日にそれで身体をぬぐうと、老いを去り、寿命が延びるとされたものである。秋成が神医谷川氏に贈ったもの。図録『上田秋成』にも掲載されている。

昨日、能の研究者のAF先生から、「小忌衣と着せ綿の写真はありがたかった。能にも出てくるんでね」と言われて、そうか、そういうことで役立つこともあるのかとなんだかいい気分になっているところへ、きょうまたありがたいお便りがあった。

秋成の図録と同じようなものが、カラー写真で『淡交』2010年9月号に載っているという。I.Oさんに教えていただいた。コピーまでお送りいただいた。ここには黄色の着せ綿がある。秋成展のは白と赤だけだが。これまたありがたい写真ではないか。

じつは『淡交』は、西鶴で卒論を書いた私の教え子(Yさん)が編集の仕事をしているのである。西鶴研究者のI.Oさんから情報がもたらされたということで、なんだか奇縁を感じました。もちろんI.Oさんといえば茶道ですから、『淡交』は購読していらっしゃるのでしょうね。

ともあれ、貴重な情報、感謝いたします。Yさん、今度9月号みせて!
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2010年10月22日

初めにストーリーありき

検察の「初めにストーリーありき」がいろいろ取り沙汰されているが、研究に似ている。
最初に、仮説というストーリーをたてて、それを文献的な事実で埋めててゆく。
埋まらないところは、「蓋然性が高い」という魔法の呪文でぴょーんと飛ぶ。
そういう危ない橋を渡った「調書」が、論文である。(あ、僕だけ?)

といえば、なんだか論文は捏造みたいだが、都合の悪い文献の記述を書きかえることはできない。
また「調書」は自分の実証能力を示すだけのことで、他人を指弾して無実の罪を着せるものではない。

だからどんどんストーリーを作ってみることが必要である。
ストーリーを作る能力は、構想力と呼ばれ、それがないと面白くないのである。
(以上、かなりひとりごとっぽい。ちょっと秋成の真似をしているのだ)。

今日の授業で、学生に『春雨物語』とは、って定義してもらったのだが、「ブログのようなもの」という回答があって唸った。秋成が現代に生きていたらブログをやっていそうだよ、確かに。
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2010年10月19日

小澤蘆庵歌論の新検討

必要あって、中村幸彦先生の「小沢蘆庵歌論の新検討」という論文を久しぶりに読み返して、その明晰さに驚いた。すこし歴史主義的なところがあるのが、時代を感じさせるが、それを差し引いても、蘆庵歌論を論じたもので、一等すぐれたものではないだろうか。

先日、淡路島で十三回忌の集まりがあり、先生を偲ぶ宴で、そこにいた全員が先生の思い出を語ったのだが、いろいろと秘話があるものですな。先生の書簡を集めたらどうだろうという話もN先生から出た。面白そうだ。

さて蘆庵の歌論についての論文は著述集で読んだが、補注として田中道雄先生のお名前があった。蘆庵が芭蕉俳論に影響を受けたという中村説を踏まえて、田中先生は、蝶夢の影響を指摘しているということであった。

「想像(オモヒヤ)ル」という文学論の系譜。これもまたすごい発見であるよな。秋は文学論の季節って感じがする。
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2010年09月23日

えいやっと

秋成は若い頃には俗文学、中年で国学を熱心にやり、晩年は和歌和文など雅文学で名声を得る。というのが、秋成文学のおおまかな展開なのだが、それにしては最晩年の『春雨物語』や『胆大小心録』には、演劇的な描写、あるいは演劇ネタが散見する。これをどう考えたらいいのだろう。

私には手に負えない問題だと、考えないことにしていたのだが、演劇関係の某研究所の役員を引き受けてしまった結果、演劇に関わる論文を書かなければならない羽目になり、そういわれても、ほかに何も書けるわけもないので、考えないことにしていた問題を無理やり考えることにした。

この役員は、ずっと断わり続けていたのだが、あまりに繰り返し熱心に(?)、頼まれるのでつい引き受けてしまったのだ(ああ、情に流されるのはもうやめよう!っていつも思うのだが)。「専門以外の人がいた方がいい」という理由なのだが。この理由で頼まれたことって、他にもあったなあ。

で、話題を戻すと、その晩年の秋成と演劇の関係である。もちろん簡単に書けるはずもない。これほど引き受けたのは失敗だったと思った依頼はございません。だが、〈上の方〉から直々お電話がありましたゆえ、火事場の××力と申しますか、えいやっと書いてしまったのでございます。ただ、提出したらこれはヒドイと判定され、陽の目を見ないかもしれません。その時は、また考えます。

だけど、無知な領域で無理やり論文を書こうとしますと、勉強になります。その点は感謝します……。
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2010年09月18日

ブログの引用

 学術誌に掲載された書評に、ブログでの書評が引用されていたのを見て、「えっ」と思った(あ、これは私のブログから引用されたということではない)。読み流しただけなので、出典をどう書いていたか忘れたのだが、「○○氏のブログに」という書き方だったように思う。まあ「書評」をテーマにして、引用も想定しているような本格的なブログなのでしたら、いいんでしょうが。それにこの場合はもしかしたらご本人に許可を得て引用されているのかもしれない。だからあくまで一般論としてこれを書いているということでよろしく。

 署名されたブログ記事には公的な意味が伴ってくる。しかし、ブログはあとで書きかえることも可能であるし、また消滅することもありうる。だから気楽に書ける。その反面、追試が保証されていない。

 エッセイや一般誌でブログ書評を引用するのは、まあ構わないかなと思うが、学術誌に堂々と引用するのはどうなんだろう。

 私なども、あとで気づいて記事を書きなおしたり、削除することがあるので、そういうのだが、一方で、実名でそれを書いているのは、誰かのブログなんかで引用されても、書いた以上は責任はもちますという覚悟がもちろん一応あってのことである。

 でも、学術誌に引用されるとしたら、困惑する。抗議まではしませんが、困惑はします。
 紙媒体では書くまでに時間のかかる内容の書評を、たとえば読んだその日にアップできるのがネットの強み。公的な意味では、そこにしか意味はなかろう。あとは私的な雑文にすぎない。だから20年前の本の書評で、速報性ゼロのものでも逆に私的な雑文だから載せていい。だから気楽にかける。

 ブログ記事を取り上げて新聞記事にしたりとかするのも、ちょっと首をかしげるのだが(というのも速報性ではすでにそのブログに負けているわけで、記者のプライドを疑う)、ニュースソースがそれしかない?海外じゃあるまいし、それだったら、もうブログに負けているのだから、記事書かなくてもいいんじゃないかしら。

 とにかく、学術誌の論文やら書評で、ブログを引用するのは違和感を感じる。といいたい。

 
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2010年07月11日

合評会

昨日、『上方文藝研究』第7号の合評会が行われた。

学術同人誌の合評会というのは、非常に勉強になる。
書く方も、いろんな人の批評が受けられるので、力が入る。

研究の方法を惜しみなく披露する人もいるし、論文の書き方についてのいろいろな考え方を知る事もできる。まことに若い人にとっては、ありがたい会だといえる。

18名が参加し、ほとんどの方が発言するという、活気に満ちた会であった。

今回は若い人の執筆が多く、先輩から適切な指摘や意見が相次ぎ、大いに勉強になったと思う。
東京から来てくれた新会員もいたし、近世文学専攻ではない若い院生も参加してくれた。企業に就職した元院生も来てくれた。

長時間の議論のあと、めずらしく記念写真をとり、さらに懇親会で、学問談義は続いていったのである…。
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2010年05月30日

17世紀の文学

 『文学』5・6月号は「17世紀の文学」。巻頭座談会は熊倉功夫・市古夏生・廣木一人・鈴木健一(司会)。熊倉氏の寛永論は鮮やか。「綺麗」というキーワードで、新しい表現の時代を捉える。

 廣木氏の、芭蕉を連歌史に位置付けていくという文学史観の提唱。百韻や歌仙をLinked verseと名付け、その末尾に芭蕉を位置づける。芭蕉は俳諧だからといって滑稽に解そうとするには無理がある、それよりも連歌史に位置付けた方がすっきりすると。俳諧研究者との議論が期待される。

 同じ号の川平敏文「和学史上の林羅山―『野槌』論―」は、近世文芸思潮史の捉え方に一石を投じる。羅山における「情」の肯定の言説に注目、いわゆる仁斎の「文学は人情を道ふの説」に先行する言説として評価すべきであるとする。また古今伝授の否定の言説をとりあげ、契沖への道を開いたものとする。
 
 スケールの大きな説であり、文芸思潮史の常識に挑戦しようとする志が伺える。あえて大胆な見取り図を提示したものと受け止める。

 川平氏は、羅山の情の肯定には朱子学的な限界があるにせよ、「中世という国境を超えて踏み出されたこの一歩の意義は、決して過小評価されるべきではない」。仮名草子の好色物の執筆に理論的な裏付けをもたらし、歌や源氏・伊勢の注釈の前提となったのではという(これについては別稿が用意されているらしい)。

 川平氏の論はしかし、見方を変えれば、中世の仏教(現世否定)的世界観から近世の儒教(現世肯定)的世界観という、古典的な図式の枠組みに収まってしまう論だともいえなくもない。

 もっとも川平氏は、『野槌』の中に、その転換のドラマを読みとれるとしているわけであり、それはそれで結構なのであるが、後半の伝授主義の否定・契沖への道、と筆を急がずに、このドラマにみられる葛藤をもう少し丁寧に追うという叙法もあったのではないだろうか。和学史論にいく前に、『野槌』論を粘り強くと。たぶん、それもまた別に論じられることを期待している。

【追記】散人のこの感想に対して、閑山子氏がコメントを寄せてくださり、さらに、氏のブログに補記を書かれているのでご参照ください。
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2010年05月24日

都の錦と神道講釈

山本卓「都の錦と神道講釈」(『西鶴と浮世草子研究』3、2010年5月)。を読む。

同誌創刊号で、同氏所蔵の「内侍所」という資料を元に、都の錦はこの赤穂義士伝を携帯して、全国を舌耕行脚していたという、講釈者都の錦を浮かび上がらせたが、その続考にあたる。

今回の論は、都の錦の著述に神道講釈や神代に関わる表現が頻出することを指摘し、『風流神代記』の背後に都の錦の実際の講釈を想定する。

ここで私が面白いと思うのは、残口や志道軒という、談義本と都の錦の類似性を山本さんが指摘していることだ。中野先生が報告された岩瀬文庫所蔵の志道軒著「ふうりう神代卷」という偽書(実は都の錦の風流神代卷)についても、類似しているからこその偽書だという。

 私の関心からいえば、浮世草子から談義本へという流れにおいて、都の錦は注目すべき存在である。私は寓言という観点から、この流れをつかもうとしたときに、都の錦にひっかかったが(同誌2号「怪異と寓言」)、浮世草子から読本へという時に、講釈という視点は非常に重要であろう。これは今後山本さんの仕事の全貌が明らかになればかなりはっきりしてくると思う。
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2010年05月20日

浄瑠璃本のベストセラー2

実践女子大学でおこなわれた日本近世文学会における、「浄瑠璃本のベストセラー」という発表について、先に感想を述べたところ、半魚さんのコメントを皮切りに、ほかにも反応してくださる方もいて、盛り上がったんですが、この件についての半魚さんが御自分のサイトで考察されています。こちらです。ご参照ください。

半魚さん、ありがとうございました。

【追記】最初のエントリーのところに、発表者がコメントをしてくださっています。
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