2010年05月20日

浄瑠璃本のベストセラー2

実践女子大学でおこなわれた日本近世文学会における、「浄瑠璃本のベストセラー」という発表について、先に感想を述べたところ、半魚さんのコメントを皮切りに、ほかにも反応してくださる方もいて、盛り上がったんですが、この件についての半魚さんが御自分のサイトで考察されています。こちらです。ご参照ください。

半魚さん、ありがとうございました。

【追記】最初のエントリーのところに、発表者がコメントをしてくださっています。
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2010年05月17日

浄瑠璃本のベストセラー

 日本近世文学会で、浄瑠璃本のベストセラーという発表があった。浄瑠璃本(通し本)つまり、浄瑠璃の一部ではなく全部が書かれた台本を、2万3千点以上調査した発表者が、膨大なデータから作品別に残存点数をランキングして、「浄瑠璃本の文学的特性は、18世紀第三四半期(宝暦明和期)の竹本座の「軍記」「時代物」に典型を認めるべきものとする。

 ちなみに1位が忠臣蔵、2位が手習鑑、3位がひらかな盛衰記である。まあこの3つがベストセラーの上位3位であったとしてもそうだろうなと思う。(もっともこの3つは、いずれも18世紀の第二四半期である。そのことを問題にした質問もあった。)

 まことにその調査への執念は驚嘆敬服に値するのだが、ひとつ疑問もあった。それで、二人ほど質問者が出たあとで、手を挙げたのだが、わが師が質問に立ったので、役者がちがうし、司会者もこれで終わりと言われたので、質問をしないままだった。そこでその質問を書きつけておこう。ご本人に伝わるかどうかわからないが。

 残存状況から受容の有り方、あるいは売上数を予測することが出来るのかということである。現在でも膨大な部数を発売している新聞や週刊誌、漫画などは、100年後どれだけ残っているだろうか。近世でいえば1万部売ったという合卷の田舎源氏の揃いなど、現在あったら稀覯本である。残存しているということは、保存し、子孫に伝えるという価値のあるから残存しているという面が多いと考えるべきではないか。売上点数がそのまま残存点数に反映しているとは限らないのではないか。

 そうすると、発表者の示した残存点数ランキングでは、時代物が世話物を圧倒しているわけであるが、子孫に残すとか、教訓になるとか、教養になるという観点からいえば、そうなるのは当然だろうと思うわけである。実際の売上点数では、世話物がもうすこしは上位に来てもいいのではないか、しかし、それらは子孫に残すようなものではなかったから、残存しなかったということはないのだろうか。

 もちろん読み物としては、近世においては、時代物が世話物に勝るものであったろうことは想像できる。しかし、残存点数から「ベストセラー」を云々するのは、もひとつ手続きが必要ではないのだろうか。まあ、こういうことは、誰でも思う疑問だと思うし、それを考慮もしているんだろうけれど、やはり説明は必要だと思う。

 とこういう質問をしたかったわけである。
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2010年04月05日

福岡伸一と「妙」

 土曜日のこと、家人が新聞に面白い記事が載っているというので、見たら福岡伸一氏を取材した記事であった。『生物と無生物の間』は私も面白く読んだし、「動的平衡」の考え方をサッカーの岡田監督が好み、対談していたことも新聞で読んだ。さて、どんなことが書かれているのかと見たら、結構面白いことが書かれている。

 たとえば「動的平衡」の考え方は、「方丈記」の「行く河の流れは絶えずして、しかも元の水に…」と同じ認識である。だが科学が進めば、同じ世界観・生命観を、より解像度の高い言葉で語れるようになる。「科学の目的の一つは新しい文体、スタイルで記述することだと思います」というのである。それは限りなく「文学」に近い。『生物と無生物の間』も香りのある文章で書かれていた。

そこで唐突に私は三月の末、有志で行った、西田耕三氏の新著『近世の僧と文学』(ぺりかん社)の書評の会を連想した。そこで話題になった「妙」である。福岡氏のいうのはこれではないか。

「妙は唯人に存す」とは、『近世の僧と文学』の副題であり、妙幢淨慧が頻用する言葉。言語・文字・文章はそれ自体意味を持つものではない、それを用いる人に「妙」があるからこそ、生き生きとした意味を持ってくる。これは西田氏が『人は万物の霊』(森話社)で展開した死活の説に通じるものである。

 たしかに世界を認識・解釈し、それを記述するという点において、科学と文学は共通している。いや、書画や音楽もそうかもしれない。その記述の仕方を「妙」と捉えて主題とした西田耕三氏の慧眼に思いを致す。妙幢淨慧は、若い時に文芸に親しみ、やがて詩のわかれを体験する。それでありながら、言語・文字・文章を用いる「妙」は、あらゆる世界を表現し、あらゆる世界をつくることができるという認識を持ち続けた。

 「妙」とは、「言い得て妙」の「妙」である。西鶴や秋成が、なにを描いたかを考えることも重要だが、文芸研究の本質はたぶん「妙」を指摘することにある。だがその指摘は、箇条書き的に挙げられるわけではない。また単語で答えられるわけでもない。「妙」を指摘するのももまた「妙」なのである。そういう意味で西田耕三は妙幢淨慧その人である。そのようにこの本は読める。

 そういえば妙幢淨慧は、厖大な読書量をもとに引用をしまくった「引用の人」、その引用の記録を読んでそれをまた引用した西田耕三氏もまた「引用の人」。だがその引用に「妙」がある。「妙」はあたり前のことを改めて突き付ける技術だとも言える。たしかに科学というのはそういう側面がある。
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2009年12月21日

雲烟過眼録のご指摘

拙ブログからリンクを張らせていただいている、雲烟過眼録の12月7日と12月19日のエントリーで、上田秋成全集の翻字(校訂・句読)についての「訂正」が載せられているのに気付いた。

前者は第9巻、後者は第12巻。いずれも研究の手薄な作品であり、漢詩文の専門家ならではのご指摘。

訂正することによって新たに見えてくることもあるようだが、多分この記事は次号の『江戸風雅』に掲載されるのではないかと見ている。

秋成の残した遺文は厖大であり、ほとんど検討されていない文章も多数ある。しかし多く晩年に書かれたそれらは、秋成伝の宝庫でもあり、当時の文藝意識を考えるのには看過できない。

そのことを改めて認識させていただいたという意味でも、このご指摘はありがたいことであった。


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2009年12月09日

読本研究

大高洋司さんを代表者として行われている国文学研究資料館のプロジェクト、「近世後期小説の様式的把握のための基礎研究」が、この12月に最後の研究会を終えた。

6年間に形にした業績として、『読本事典』(笠間書院)、『江戸文学』40号の「〈よみほん〉様式考」、国文研でのよみほん展、そしてまもなく刊行される『人情本事典』があり、実録書解題の報告書もある。まことに豊かな成果である。

 研究会のメンバーは固定しておらず、ときどきメンバー外からゲストを呼んで発表してもらったりした。常時15人から25人が参加し、12回(24日)の研究会が行われた。のべ50人くらいの人が発表し、その8割ほどが論文化されたのではないか。

 代表者の大高さんとともに皆勤だったのが濱田啓介先生だったという。大高さんの真摯さと、濱田先生の存在感がこの研究会に人を集めたといえるだろう。また、メンバーがバランス感覚のある方が多く、多様な意見が生きる会でもあった。みんなが自分の好きなことをやって発表しているのに、研究会としては、大きな流れのようなものが出来ていた。研究会を通じて、従来比較的手薄であった、上方読本への関心が高まったように思う。

 私自身はあまりお役にたてるようなことはしていないが、それでも研究会には7割方は参加し、上方読本に関する論文も1本書いた。
 
 読本にしろ、人情本にしろ、面白いのだが、実際にはなかなか読めない。つまり翻刻や注釈書が少なすぎる。古典という意識にとらわれず、今風に現代語訳してもかまわないから、読本叢書や人情本選集のようなものを企画してほしい。これはこれからの課題であろうが。
 
 このプロジェクトは終了するが、これを承ける形で若手中心の新しい研究会が発足するときいた。また一方では、高木元さんや服部仁さんの読本年表作成のプロジェクトが進んでいるらしい。よみほん研究の勢いはまだまだ続いているのである。
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2009年12月08日

歌と詩のあいだ

今年の角川源義賞の国文学部門は大谷雅夫さんの『歌と詩のあいだ』(岩波書店)。12月7日に授賞式が行われた。

万葉集から明治までの、さまざまなトピックについて、和漢比較文学の視点から、その受容、選択、和習などの問題に触れたもので、間口の広さと論の精緻さに圧倒される。しかしながら、共通教育での授業が元になっているだけあってわかりやすく書かれている。日本文学史上、著名なトピックを論じているし、日本文学の本質にも迫っている。

いま、こういう形でこれだけのレベルの本がかけるのは、大谷さんしかいないのではないだろうか。受賞は当然だろう。

ところで、この中に、雨月物語の青頭巾論があり、私が学界時評していたころに、初出論文をかなりのスペースをさいて、評をしたことがある。驚いたのは、単行本所収にあたって、拙評を、正面から受け止めてくださったばかりでなく、私の批判的な言辞にきちんと反論を書いてくださっていたことである。本には私の名前など出ていないのだが、私にはそれがよくわかった。大谷さんとも、その話をすることができた。

それにしても、K書店の社長があいさつで、書名を『愛と死のあいだ』と言い間違えたのだが、場はそれでちょっと和んだ。
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2009年11月15日

機は熟している

先週の日本近世文学会では、西鶴の読みをめぐって面白い質疑応答があった。西鶴の秘められた意図に迫っていく発表に対して、当時の読者はそれを理解しえたのかという趣旨の質問があり、議論になった。作者と読者の間のコード(っていうのもややなつかしい感じのタームになってしまったが)の問題である。

 近年の文学研究は、テクスト論の洗礼をへて、作者側から読者側の立場に移行していると言われている。近世文学研究では必ずしもそのようになっているとは思えない。示された作品(テクスト)の読みが、どちらの立場でなされているのかということに無自覚である場合が多いといえよう。

 しかし、たとえば源氏物語の本文論などでも、オリジナルの源氏物語に迫ることより、さまざまな読者の読みに基づく異文の魅力を洗い出す方が主流になってきているのではないのだろうか。少しまえにふれた大島本源氏物語の研究などを拾い読みしても、そんな感じがする。

 さっき私が書いた「作品(テクスト)」という書き方については、実は作者の立場と読者の立場の両方を意識して本文を論じているという意味で、一時期の私が使用していた書き方なのである。これに気付いてコメントしてくれた人はこれまでたったひとりだったのだが。まあ、そういうことは近世文学研究ではさほど問題にはなっていないということなのであろう。

 しかし、この問題が非常に鮮明に問われたのが、冒頭で述べた質疑応答であったのである。しかも、発表者が野間光辰氏の、質問者が暉峻康隆氏の、という戦後西鶴学の二巨頭の学統の流れをくむ現代の論客ふたりの対決だ!という見方も可能だったので(そんな見方をされても迷惑でしょうが)、私なりにスリリングに拝聴したのである。

 ところで、2日ほど前に、私より7歳ほど年下の近世文学研究者と、研究の現状について話をした。彼らの世代(40代半ば)は、文学史の再構築について考えている人が結構多いのだという。文学史の議論というのは、ここ20年くらいは、学会では非常に低調であると言わざるを得ないが、一方でさまざまな新知見が出ており、そろそろ文学史の書き換えが、学会全体の議論になってもいい時期に来ているのかもしれない。

 そうであるなら、ある程度研究を重ねてきたはいるが、旧来の文学史観に対して若干距離を持っている、40代なかばほどの諸氏に、学会員が多数参加できるような場で、意見を戦わしてほしいと思う。もちろん50代以上も参加していいとは思うのだが、40代でやれば確かに面白い気がする。これまで彼らは文学史的なことを表明する機会があまりなかったように思うからである。基調報告はやめて、いきなり議論をし、フロアが発言する時間もたっぷりとって中途半端にならないように、2時間くらいぶっとおしでやるというのはどうであろうか。シンポジウムというのは往々にして失敗するが、それは議論が大体見えているからだと思う。誰が何をいうかわからないシンポジウムを開いて、議論をたたかわすということを是非やってもらいたいものである。

 以上と一見まったく関係ない話だが、昨日は、主として本を「観る」ために、3箇所をハシゴして、存分に堪能することができた。質量ともに1日にこれだけの本を見るのは滅多にないというような日であった。それを見ながら、本文の議論はやはり「モノとしての本」のあり方とも関わらせなければならないということを改めて痛感した。おとといの年下の研究者との談論でも、その話が出た。それが近世文学特有の視点になるはずであろう。日本史や美術史でも新しい動きがあるように仄聞している。専門領域を超えて、文化史の方法について議論するというのもアリかもしれない。
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2009年11月06日

活字版の本文異同

『江戸文学』41号の柳沢昌紀氏の論文について、閑山子氏がブログで、

古活字版『信長記』には本文を一部異にする版が数種あるが、それは献上する相手に応じて、「オーダーメイドのような感覚で」作り替えていたという指摘(これは『軍記と語り物』44号、2008.3に詳論があるらしい、未見)は面白い。

と感想を述べているが、全く同感であった。近世木活の『草茅危言』(中井竹山)でも、本によって内容が違っているけれど(ちょっとだけ調べたことがありまして、そのあと放置)、そういうことがあったのかなあ、と思いつつ拝読した。
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2009年09月28日

秋成の師の墓石

上田秋成の国学の師は加藤宇万伎である。幕府の大番与力で、たびたび上方に来て、大坂城・二条城を警護した。秋成と知り合ったのは大坂に来ていた時だろうが、その年次は明和八年が有力である。その宇万伎は安永六年の六月に京都で客死する。その墓は現在無縁墓となっていると聞いていたが、きのう、ゼミ研修で京都に出た際、宇万伎が詰めた二条城で解散だったので、そのあとひとりで、そのちかくにあるはずの三宝寺をたずねた。こういうところは、なんとなく最初はひとりでたずねたいものなのである。

堀川通りを少し南に下がり、意外にも商店街入口から入ってしばらく商店街を歩く。三条大宮公園をすぎて、細い道を少し北へ上がった突き当りに三宝寺はあった。

幸いに御住職が門のところにいらっしゃったので、「ここに加藤宇万伎という人の墓があるとうかがって」というと、「墓石はあります」と。中に入れていただき、見せていただくと、たしかに無縁墓石群の中ではあるが、意外に目立つところに「藤原美樹」と刻された墓石があった。感銘を受ける。秋成が終生尊敬してやまなかった人の墓石がこうして今もあるということに。

無縁墓になっても、こうして残してくださっている三宝寺に感謝する。このあと、御住職と少し話をしていて、ちょっと驚くことがあった。それはしばらく胸にしまっておこう(写真もここでは公開はいたしません、あしからず)。またおうかがいすることにして辞した。京都は夏日で暑い一日だったが、墓石の文字をしっかり焼き付けた私の足取りは軽かったのである。
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2009年08月21日

白石良夫さんと和本リテラシー

中野三敏先生が、論文や本でさかんに「和本リテラシー」をあげるべきだという主張をしていらっしゃるのは、本ブログでも既報した。ロバート・キャンベル氏もテレビで師匠の説を広げようとしている。まあ、現代日本社会では、英語力は絶対必要のように言われているが、「和本リテラシー?何それ?」ってなもんである。「蟷螂の斧」とか「アナクロ」とかいう声も聞こえてこないでもない。しかし、その方がかえってやる気になるというのが、マイナー分野研究者の性というものだろう。

 「和本リテラシー」の根本は変体仮名読解力である。本家の中野先生もなにか企画をされていると仄聞しているのだが、中野門下もまた、師説の普及にいろいろ努力しているという話。
 佐賀大学の白石良夫さんは、オープン・キャンパスの模擬授業(といっても大学生相手の)で、高校生も飛び込み自由という、変体仮名読解のワークショップをやったらしい。集まった高校生10人は、とても真剣に取り組んでいたという。なるほど、模擬授業で行うというのは一案である。和本を見せるだけでなく、変体仮名を読ませるというのがいい。

「和本リテラシー」を今の時代に説くなんて、どういう時代感覚?といぶかる向きもあろうが、意外に若い学生は興味を示してくるもの。私なども授業で、和本を見せることがよくあるが、数百円から数千円程度で買った和本にも、学生たちは「本ものですか?」「すごい?」などと興味を示し、値段をきいて(その安さに)またびっくりする(もちろん、高い本は高いのですが)。ただ、ほとんどそれで終わってしまうのも事実である。和本が新刊屋に並んだり、「今月の和本」なんていう連載が新聞の読書欄ではじまるくらいでないとなかなか。

 和本リテラシーは回顧趣味ではない。活字化されずに眠っているフツーの本たち。ここにこそ、日本の文化史・思想史が詰まっている。これを発掘し、歴史や思想を再発見するという知的冒険のツールなのである。
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2009年08月05日

佐竹昭広集

『佐竹昭広集』の刊行がはじまり、第2巻が予告されている。岩波書店の『図書』8月号(現在中野三敏先生が連載中とあって、欠かさず入手できるようにしている)には、田中貴子氏の「浄土の猫は蓮に揉まるゝ」という佐竹学を語る文章が載っている。田中氏は、佐竹氏の「読む」ための学問について触れ、冒頭の文章の秀逸であることを紹介し、「はなし」の構造や、「抄物」の魅力への関心が、説話文学研究にとって重要な意味を持っていることを説いている。これに応えて編集後記も佐竹氏の「学問の精神」について熱く語っている。

とにかく佐竹先生(先生と呼びたくなる理由についてはかつて書いた)の文章は国文学者としては図抜けて洗練されている。それが巧すぎでイヤダという人もいるくらいである。その思考の深さもまた計り知れない。たしかに編集後記のいうとおり、国文学者の範疇を超えて、思想家といえる。

ただ、亡くなった時の新聞記事の扱いを見ると、俗人の私は、それがあまりにも小さかったのに、憤りを覚えた。もちろん先生はそんなこと、笑っていらっしゃるだろうが。今度の著述集の刊行で、佐竹学が広く知られるようになることはとても意義があると思う。というわけで、私も全巻購入することにしました。
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2009年06月29日

過目抄2

荒木浩さんの「『源氏物語』宇治八の宮再読」(「国語国文」2009年3月)。副題に「敦実親王准拠説とその意義」とあって、そのとおりの内容だが、説得力があるように思う。従来の準拠説では実際の「八の宮」ではないが、敦実親王は「八の宮」。なおかつ、音楽に優れている人であること、宇治にもゆかりのかることなど。関連論考に「詞林」45号の「世を倦じ山と人はいふ」。

入口敦志さんの「唐冠人物の来歴」(「日本文学研究ジャーナル」3、2009年3月)。有名な豊臣秀吉の肖像画は唐冠をかぶっているが、秀吉以前には神・異国人しかその例がない。では秀吉肖像画はなぜ唐冠をかぶっているのか?という謎を提示。その謎解きが『帝鑑図説』論につながるワクワク感いっぱいの論文。その『帝鑑図説』受容についての概説は、「『帝鑑図説』受容概観―絵空事が現実に―」(『東アジア海域交流史 現地調査研究〜地域・環境・心性〜』、2009年1月)これら一連の論考は早く本にしてください!。

田村隆さん「硯瓶の水」(『語文研究』107、2009年6月)谷崎源氏の新訳で消えた場面、それはなぜか。これまた推理小説的な叙法。器用な筆さばきなり。田舎源氏も出てくる。

しばらく前に読んだものが多いのですが、書きそびれていました。
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2009年06月09日

先入観は学問の母?

日曜日はものすごく久しぶりにQ大学会へ行く。入口敦志さんが、「吹き出しの夢」について博捜した資料に基づいて図像学的な興味深い発表をする。「お大の夢、家光の夢」という題の発表は、去年のハーバード大での荒木浩さんの同じ主題に関わる発表に触発された由。そういえば去年、このお二人が夢の吹き出しについて情報交換されている現場に立ち会ったことがある。活字化が楽しみでござる。

今年九大を転出しK文研の館長になった今西祐一郎先生が、伊勢物語後人注記をどう読むかという講演をされる。源氏物語がなぜ源氏と藤壺の密通を(皇統に関わる重大な問題を孕むことになるのに)描き得たのか、という疑問を、伊勢の後人注記と結びつけた、大胆にして驚愕の仮説。パワーポイントを駆使しながら、「先入観は学問の母でありまして…」と(わざと)危険な香りのする言説を述べていた。この先生にはこの手の名言が多い。

あとで中野三敏先生が「あれは中古だから言えることだよな」と、機嫌よく笑っておられた。もっとも井上敏幸先生は、「あれは、正しい。あれは、正しい」と得意の反復用法で深くうなずいておられた。反復といえば、京都から母校に帰った青木博史さんも、反復表現の話を発表していた。

ちなみに久しぶりだったので、懇親会で「スピーチをしろ」とT山倫明氏がいうので、退任を祝うスピーチでは学問の話をせよという、某先生の言葉を思い出し、まあ転任だけど、初期今西源氏論について一席。内容はここでは書かないが、『源氏物語覚書』未収の3論文について、ちと思い出とともにしゃべらせてもらった。司会のK島さんが「今西先生、ご反論はありませんか」とふったが、「いやいや」と大人の対応をされ、「追悼のごあいさつ、ありがとうございます」と一礼されました。

ところで、佐賀大学に移った白石良夫さんから聞いた話では、4月刊行の同氏訳注の講談社学術文庫の『うひ山ぶみ』が早くも増刷したそうだ。こういう希望のニュースもあるわけだからガンバロー。
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2009年06月05日

過目抄

 今日は必要があって論文を7本ほど読んだ。6月に出る予定の『上方文藝研究』の編集部チェックと、12月にあるところに出るはずの某先生のご論文。そして研究室新着雑誌や送っていただいた抜刷など。

 12月に出る予定の某先生のご論文については、久し振りに読む快楽を味わっって、爽快。いろいろ議論されている超有名作者の作品についての一種の仮説なのだが、じつにスッキリした。言うのは出るまでがまんがまん。

 近衛典子さんの「雪岡覚え書き―『筆のさが』周辺―」(駒澤国文 46号)。上田秋成の周辺にいる歌友の一人で、「筆のさが」論争に関係する重要人物。田中康二さんも『鈴屋学会報』で扱っていたので、急に光があたった感じがする。『六帖詠草』(蘆庵文庫本、これは刊本にくらべて数倍の情報量がある、自筆本系の写本)春11に載る記事を引く。

 妙法院宮(光格天皇の兄)が南禅寺真乗院の雪岡のところにいて、蘆庵を召すので、行ってみたら東東洋(画師)が、その場で絵を描く席画をやっていた。騎乗の人をかいていたら、筆を落としたが、それを蝶々にしたという、なんとも好もしい話である。妙法院宮、相変わらずやってくれるな。

 と、話がそれているようだが、とにかくこのころの京都文壇というのは、このエピソードに象徴されるように大胆な人的交流がある。その中から江戸に行く人が出てくれば、流れはさらに大きくなるというもので、そこを巧くとらえているのである。村田春海と上田秋成を繋ぐとか。

 一戸渉さんの「『土佐日記解』成立考―宇万伎・秋成の土佐日記注釈―」(『国語国文』2009年5月)は、2007年に大阪大学で開催した「秋成 テクストの生成と変容」のシンポジウムで発表していただいた内容の論文化だが、博捜と詳細な考証に感心したが、シンポジウムでも話題になっていた、秋成が何度も補訂することにこだわる意味や、土佐日記注釈史での位置など、展開すべき大きな問題を含有しているとはいえ、とりあえずは閉じたな、という印象があった。まあ掲載誌のカラーもあるし、わかるのだが…。

 有働裕さんの「「仁政」に対峙する西鶴―『本朝二十不孝』と『懐硯』の「諸国」」(国語国文学報 67、2009年3月)。これには言いたいことがいろいろあるのだが、西鶴にあるという「透徹した作家意識」とは具体的にはどんなのだろう。ここがよくわからないので、もう少し考えてみてから。

 『文献探究』47号(九州大学、2009年3月)も来た。会員なので2冊送ってくる。奥付が3月というのは、きょうびちょっと遅れすぎ。タイムラグは1か月以内が限度だと思う。
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2009年05月20日

典拠探しの極意

 日本近世文学会ではトリの渡辺守邦氏の『慶長見聞集』と『童観抄』の典拠関係から、仮名草子論という大きな問題に展開する発表が印象に残っている。そういう折に神谷勝広氏の「初期草双紙『浮世宿替女将門』と八文字屋本『今昔出世扇』」(『かがみ』39号、大東急記念文庫、2009年3月)を研究室新着雑誌でたまたま読んだ。

 題を一見すると典拠を指摘しただけの論文のようだが、ここでは典拠指摘に定評のある神谷氏の「典拠探しの極意」が語られていて面白い。

「典拠調査は三つのパターンに大別できる」とし、それは@同一の世界(曾我物とか太平記物とか)に注目。A類似した内容に注目(読書量と記憶力が必要)。B一見無関係だが実は関わるものに注目(準備が大変、当たれば面白い)。と私が乱暴にまとめればそうなる。その上でBの実践例として『浮世宿替女将門』の典拠探し行う。ターゲットは浮世草子である。「結論からいうと、挿絵を手がかりとする」。調査範囲は挿絵を載せる全集類を使う。全タイトルは400種くらい。

 そうすると意外な作品が網にかかった。挿絵が似ている。文章を検討すると間違いない。「趣向を凝らした部分を挿絵として示す傾向がある」。ここに目を付ければよいのだと。まさに「秘打挿絵較べ」という感じだ。

 神谷氏の即物的な文体がこの論文には似合っている。文章のアヤで論文を説得力あるものにする文章の達人がいたりするが、そういう要素(アヤ)は全くない。意図的に排除しているかのようで。不思議な読後感である。

 さてここから広がるのは、上方の〈小説〉と後期江戸小説の「意外な」関係というテーマである。神谷氏は注で、浮世草子と初期草双紙の典拠関係を指摘した従来の論文を列挙する(これは圧巻)。近年では木村八重子氏の都賀庭鐘と草双紙の典拠関係の指摘があることも附言。典拠の指摘を積み上げることで、「意外」は「意外」でなくなって、文学史を塗り替えることができるというわけである。

 これは絵入りの近世仮名読物を扱う演習の授業なんかで是非紹介したい論文である。中村幸彦先生のように歩くデータベースでない限り、神谷式典拠探索法を試してみない手はない。
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2009年05月11日

西鶴寓言論

『日本文学』4月号は、大会特集で「共同制作される世界―〈文学の混沌に向き合う〉」。パネリストの生方智子・篠原進・斎藤美奈子の三氏の、発表を元にした論文が載り、それを聞いた三名の方の「大会印象記」を併せて載せる。

〈従来の文学観が溶解していくような現代の状況の中で、それをしっかり認識した上で、私達はどう進むべきかを考えましょう〉的な趣旨の大会テーマのようで(私はこの学会に所属していないので間違っていたらすみません)。

ケータイ小説を読んだことのない(『電車男』は本屋で立ち読みしたことがあるけど)私としては、なにが混沌なのかもよくわからないのだが、どうしても、篠原さんの論文「村上春樹という逆説―浮世草子・寓言・レトリック―」には、ピピっと反応してしまう。そう、「寓言」に。

この論文は、三島事件に無関心な登場人物を造型して、一見非政治的で無害な小説っぽい村上春樹の小説が、政治に関わらないという点で実は政治的なんだという逆説を最初に提示して、江戸時代の八文字屋本という本屋と作者の安全「共同制作」商品に転じ、そういう「共同制作」という制約の中でしたたかに「屈折した思い」(「毒」)を織り込んだのが、西鶴だとし、その方法を「寓言」というキーワードで説明する。用例から、「寓言」とは自分の思いをストレートにではなく何らかのレトリックに託して表現する装置であるとし、それを現代文学も取り入れるべきだと主張しているように読めた。

篠原さんの表明している文学観は、驚くほど典型的な「全共闘世代」的、「団塊の世代」的なものであるが、これは多分戦略的に役割を演じている部分もあるのだろう(パネリストというのは時にそういう面がある)。

文学は反権力的で、反社会的で、文学者はアウトローで空気が読めない存在であることに徹するべきだというように、乱暴にまとめるとなるようである。いや、これは篠原さんが心からそう思っているというのではなく、あくまで戦略的役割的に表明しているのだと、私はとっている。

 その解釈の上でいうのだが、江戸時代の読み物、西鶴でも黄表紙でもいいのだが「反権力的」という考え方をあてはめるのは、また(反権力的な意味での)「毒」という言葉をあてはめるのは、かなり無理があると思う。

 息子が親父に逆らうように、絶対的な存在に対して「まさか本気で怒らないだろう」と、多少ちょっかいを出してみることはあるが、それは毒でも、反権力的でもない。黄表紙の場合、ちょっとやりすぎたら本気で怒られて、すぐにシュンとしているわけである。もちろんひそかに「諌める」という意味での言説はあるかもしれないが、それはむしろ所与の秩序を乱さないための忠の精神であろう。

「寓言」を、毒や針をオブラートに包むレトリックとして用いるというのは、理屈としては成り立つから、それを現代文学に要望するのは悪くはない。しかし貞享とか元禄のころに実際に寓言をそういう風に駆使した人がいるというのには、私は賛成できない。
 
 ただ、最近西鶴をそのように読む読み方が増えてきている感じがする。主題の復権というべき現象である。それは「ぬけ」とか「寓言」とか「カムフラージュ」とかいう「方法」で、隠匿されているらしいのだが、さてそうなのだろうか。確かに西鶴はわかりにくい。隠された典拠やモデルもこれまで次々に「明らかにされた」。

 だが、なぜ西鶴がお上にたてつき、反権力的であらねばならないのか。そこのところがわからない。「人はばけもの」とか「人ほど可愛いものはいない」とかいう以上、政治や社会に関わる事も扱いはするし、それが危ないことになることもあるとはおもうが、それとこれとは別だと思うし、「寓言」を「武器としての笑い」に用いるというのは、それも西鶴がというのは、かなり疑問に、今は思います。
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2009年05月05日

弁惑物

門脇大氏の「弁惑物の思想基盤の一端」(『国文学研究ノート』,2009年3月)。副題は「『太平弁惑金集談』の一篇を中心にして」であり、私のアンテナにピピっと来る。

近世中期の書籍目録で「奇談」に部類分けされる書物たちがあり、それらが文学史的に重要であると私は考えているので、それらについてこれまでいくつかの論文を書いてきた。それらは一部を除いてほとんど論ぜられることのなかったものだが、近年、研究者の間の問題意識が「奇談」研究ではなくても、たまたま「奇談」を扱うことになる論文に遭遇する。これは私にとっては漁夫の利である。「ありがたい。ありがたい」と、捧げ持ちながらこれらの論文を拝読する。

 『太平弁惑金集談』も「奇談」なので、当然ピピっと来るのである。門脇氏のテーマは「弁惑物」という点にある。これは「惑を弁ずる」つまり、怪異などの迷妄を打破し正しい説明をすることを主眼とする読み物といったらよろしいであろうか。「迷妄」というのはもちろん作者の立場であって、信じる側から言えば「なにを」ということになる(中井竹山・履軒の懐徳堂学主兄弟と上田秋成の立場の違いも同じことだ)。

 さて、本論だが、堤邦彦氏の「弁惑物読本の登場」などを踏まえながら、『金集談』をヒントに弁惑物の思想的基盤をひとつの言説に求めようとしたものである。結論から言えば、それは『性理字義』の「妖由人興」(妖は人に由りて興る」の言説である。『金集談』にはこの書名が明示され、その言説の広がりが仮名草子などに見られるというものである。

副題は「『金集談』を手がかりに」とかした方がいいのかなと思ったが、先行研究をうまく咀嚼した、なかなか手際のあざやかな論考と見た。欲をいえば、この言説の広がりをもう少し具体的に挙げていただきたいところである。談義本にもありそうだし、近世後期の読本類にまで探索を及ぼしてもらえばより厚みが出るでしょう。でも面白うございました。
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2009年05月04日

他を欺かんや

西田耕三氏の「他を欺かんや―『大学』から『こゝろ』まで―」(近畿大学文芸学研究科『渾沌』第6号)は、文藝における虚実論を、方法論としてではなく、倫理(倫理規範)から考究する100枚超の力作評論である。秋成の虚実論を発端に、独庵玄光、妙幢浄慧、林羅山、伊藤仁斎、貝原益軒、皆川淇園、李卓吾、F・ベーコン(これは援用だが)、山片蟠桃、篠崎小竹、太宰春台、海保青陵らの言説から儒仏における「欺く―欺かれる」の言説を探り、忠臣蔵の加古川本蔵心底明かしを論じて、演劇においても心底が倫理規範にさらされているとし、馬琴の『夢想兵衛胡蝶物語』の食言郷(嘘の国)を取り上げて、「く欺く―欺かれる」関係が小説の主題に転じたと読む。それは近代に如何に引き継がれたのか、という問題を『こゝろ』で解き明かす。この『こゝろ』論だけで1編の論文になりうるボリュームである(ちなみに、私が衝撃を受けた出原隆俊さんの「Kの代理としての私」も引用されていたのには驚いた)。

 徳川時代の倫理観で『こゝろ』を要約すれば、「上」は、意味あり気に「私」を惑わす先生の姿、「中」は、それに影響されてみずからを先生に似せる「私」、「下」は先生の心底明かしの場における「自欺」の告白の物語にすぎない。(中略)自欺や他欺が行き交う「心」という場が個を超えたところにあると考えた徳川時代の志向がようやく個を超えたところにあると考えた徳川時代の志向がようやく個の内部に納まり始めた過程として『こゝろ』を読めば、むしろ、『こゝろ』は深い伝統を負って存在している作品だということができる。

 「明治の精神」は江戸の倫理規範と読んでも構わないと西田氏は言う。ともあれ、読む方もかなりの覚悟を強いられる。西田文藝学の集大成ともいえる評論である。私はもちろん秋成を論じた部分(これがまた一つの論文を成してもよいほどの長さ)に反応せざるを得ない。私は、『文学』1・2月号の座談会で、春雨物語の虚実論を倫理意識から捉えたい旨を発言して、木越治さんから「方法論として考えた方がよいのではないか」と言われた。わたしは同調できず「いややっぱり倫理で」と言っていたわけだが、それはあくまで晩年の意識であって、浮世草子や雨月物語の場合は、むしろ方法的だとそこでもしゃべっている。

 西田氏は、浮世草子から倫理意識で考えている。これは論の展開からして当然そのようになる。個人の中での虚実・虚偽の問題意識が変容するという面倒なことを言っていたら江戸から明治への「欺く―欺かれる」という大きな枠組みを論じられない。しかしそればかりではなく、西田氏のように倫理で浮世草子を読んでもたしかに問題はないように見える。しかし、一種の話型として詐欺譚を使う浮世草子と、馬琴とはまた別の仕方で、「偽り」を意識的に主題とする物語である『春雨物語』の「欺く―欺かれる」意識は同じではないと今は思う。いずれ書かねばならない。

 
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2009年03月29日

ウチの院生が・・・・

手前味噌の話題。『国文学』4月号臨時増刊号の「学界時評 国語」に、我が大阪大学国語国文学会の「語文」91号(2008年12月)の特集が大きく取り上げられている。ここでも少し触れました。この特集は2008年の学会における公開ワークショップを活字化したもので、テーマは「会話文」である。語学・文学、前近代・近代を問わず、同じテーマで大学院生が取り組んだ成果である。

実は私はここに辛口の傍聴記を書いたのだが、小野正弘氏は大変ほめてくださっている。

 ある一つの統一テーマをめぐって院生が一斉に研究を展開する、というのは、やれそうでいて、なかなかやれないことであろう。

そして語学の側では、所与の注釈書というテキストに示された括弧のなかを、無条件に「会話文」として受け容れているとし、その反省を示唆されたとしている。「なるほど、ウチの院生はほめられてるじゃないの」と、自分は辛口批評していながら、嬉しくなる。自分はなんにもやってないのにね。

このワークショップのテーマのヒントをくださった濱田啓介氏、『語文』を送られて大変喜んでおられました。院生諸君に伝えていなかったので、この場を借りてご報告。
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2009年02月22日

天保の孝子顕彰

こちらのコメント欄で盛り上がった天保の孝子顕彰の冊子、昨日行われた京都近世小説研究会に、服部さんがお持ち下さり、実見できました。旅行パック15000円分をキャンセルして、わざわざ、それを見に来られた勝又さんも「来てよかったっす」と満足。

服部さんのいわれる通り書肆出雲寺が短期間に連続して出したと思われる2〜3丁のパンフレットを合綴したもので、様式は同じ。絵も入っている刷り物。たいへん面白いものです。ふと思い出すのは、忍頂寺務さんが大量にあつめた薄物の歌謡本(現在大阪大学附属図書館所蔵)。片や親孝行、片や俗謡なれど、なにか通い合うものがあるような気がします。

研究会は豪華2本立。有意義な発表で、面白かったのですが、終了後トイレから帰って来ると、私の隣にすわっていた濱田啓介先生が、2本のマフラーを両手に持って、「どっちだ?」と首をかしげていらっしゃいます。

なんと、濱田先生と私とがまったく同じ茶色のマフラー。私のが下に落ちて、見わけがつかなくなったということ。私はそのしわの入り方から、すぐに自分のがわかりましので、「こちらが私のです」と。「ほんとか?」とおっしゃりながらも納得されました。濱田先生とマフラー兄弟になれるとは、ラッキーでした。
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