2009年02月06日

「奇談」の議論

 先に触れた「文学」の秋成特集号。ぼちぼち反応も出てきています(閑田子さんのブログや私信などで)。稲田篤信・木越治・長島弘明3氏と私の座談会は、それぞれの秋成へのスタンスが図らずも浮き彫りになったようです。秋成から時代思潮(あるいは時代の空気)を探る稲田氏、あくまで「文学」にこだわる木越氏、伝記研究と作品研究の融合をめざす長島氏、そして文芸史・言説史的に秋成をとらえたい私であります(私のはあまり明瞭ではないか?)。これを評して、さる大家よりたまわりし歌五首のうち二首をご披露します。

 懲りずまにおきなに迫るこゝろざし人それぞれに思はくありて
 携へて魂に迫ればいと易く躱(かは)し逃るるわたなしおきな
 【注】 わたなしおきな…秋成の号のひとつは「無腸」つまり「わたなし」。

 さすが、いい得て妙ではないでしょうか。

 閑田子さんのブログでも取り上げられているように、『雨月物語』を「奇談」の流れでとらえ、「奇談」の一特色である「寓言」的方法として改めて読んでみたいという私の発言に対し、長島さんから強い批判がなされています。「奇談」は私が近世中期の仮名読物史を構築する際に提唱しているジャンル的カテゴリー概念であり、ある方からもおっしゃっていただいたのですが、本誌巻頭論文の高田衛先生も、「奇談」を既に認められたジャンル概念であるかのように使われています(これは、私にとって非常にありがたいことでした)。また篠原進さんも本誌所収のご論で「奇談」について触れられていますし、浮世草子系怪談や談義本、前期読本あたりの研究者にも、最近ぼちぼち引用される概念になってきました。

 ただ、こういう概念は、きちんと批判を受けて、ほんとうにそれが有効な概念であるかどうかを絶えず検証していくことが必要です。座談会の席とはいえ、そういう批判を出していただいたことについて、私は長島さんに感謝しています。これまでさまざまな方から好意的に触れてきていただきましたが、公的な批判は初めてだと思います。ある新説・仮説に対して、批判が公的に出るということは、この世界では非常に少ないことであり、これはほんとうにありがたい。

 そして「奇談」というのはあくまで仮設的なジャンル的カテゴリー、あるいは様式、比喩的には器であり(「ジャンル」と言い切るのはまずいと思っています。これまで使ったことがありますが、これはきちんと反省)、これを仮設することで、見通しをよくするという試みだということをもう一度再検討の上、言うべきだと思いました。長島さんの批判は、本屋の分類を過大評価するなというところにありますが、それはまったくそのとおりでありまして私も同意見です。私は本屋の分類を実体的なジャンルとして提唱しようというのではなく、その分類に使われた「奇談」という概念を借用して、この時期の仮名読物を整理することを企図しているのです。このあたりすこしすれ違っていると思いました。ただここは反論を書く場ではないので、ここまでといたします。

 ことしは秋成200年祭ですので、このブログでは秋成研究について、このように、いろいろ語りたいと思っています。「文学」所収論文については、続考したいと思います。

posted by 忘却散人 | Comment(2) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月14日

和文とは?

下記エントリー(1/13)、カツヲさんのコメントに「和文」を広く考えましょうというご提案がありました。コメント大変ありがたく読ませていただきました。

風間誠史さんの『近世和文の世界』は、和文を書くことが、小西甚一『日本文藝史』の記述にある「日本の純正な文語を確立しようとする志向」に支えられていたという点を重視しています。ちなみに小西著では「擬古文」といい、和文とはいいません。

和文というのは、漢文と対応する概念であり、かつ俳文や俗文ではない雅文であるというのが、私の基本的な認識で、すべてを、ひらがなでかくことを前提として書かれている(たとえ漢語がはいったとしても)ものと、比喩的には言えるのではないかと思います。

急いで書きましたので意を尽くしませんが、拙著『秋成考』所収の「和文の思想」をご参照くだされば幸いです。

藤川さんの翻刻をここにあげて議論する方がいいのかもしれませんが、割愛させていただきます。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月12日

完結しない推敲

話が前後しますが、1月10日に大阪大学国語国文学会で、藤田真一さんの「〈書家〉蕪村」というご講演がありました。画家でも俳人でもなく書家としての蕪村に焦点を宛てた話で、秋成作品の書の側面に興味を最近もっている私にとっては有益でした。

その話の中で芭蕉が自分の作品を何度も推敲するのに、清書は他人に任せるのはなぜか、それは、自分で清書すると、また直したくなっていつまでたっても清書が完成しないからだ、という(やや乱雑な要約ですみませんが)お話があり、これが興味深かったです。藤田さん自身、自分が原稿を書く時も、締切がなければ、いつまでも書き直し続けるとおっしゃっており、そういう経験の中からのひらめきなのかもしれません。

この話、ふたつ前のエントリーで触れた、入不二基義さんの『相対主義の極北』におけるクオリアの論議の中で、「完結せず繰り返される不在」と表現される議論とパラレルに見えたのです。こういうところと、自分勝手の文脈ながら繋がっていくというのが、面白いですね。でも、入不二さんの議論はそういう単純なものではないので、私の勝手な誤読であることをお断りします。

posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月13日

論文の凝縮度

 すぐれた論文には、さまざまな問題提起が含まれ、重大な事実がこともなげにいくつも指摘されています。

 数百という論文を発表された故中村幸彦氏の論文は、その1本1本に、10本以上の内容が凝縮されていることが少なくありません。おそらく、氏の論文にこめられた問題意識・情報は、数千本分の内容に匹敵するでしょう。いや、今なら、それで1本の論文にしてしまうような、典拠の指摘が、たった一行でなされていることがあり、そのことが気付かれていないケースさえあるようです。

 濱田啓介氏の論文にもそれが言えます。濱田氏の業績の一部は、『近世小説・営為と様式に関する私見』(京都大学学術出版会、1993年)にまとめられていますが、そこに収められなかった重要な論文が数多くあり、その中には、驚くべき先見の明が示されていたり、貴重な指摘が散りばめられているのです。

 読本様式論である「造本とよみもの」(国語国文、昭和32年5月)。氏が27歳の時の論文ですが、そのレベルの高さ、凝縮度、現在でも十分鮮度のある情報の豊かさに舌を巻いてしまいますね。

 「教訓読本」「画本読本」という時の「読本」ということば。この「読本」に「近世文藝の基礎の岩盤の露出」=「よみものとしての基盤」を見、さらにそのよみものの下に、「もっと宏い大きな「本」という基底」があると説きます。そして、「近世の「本」を作る人々が、原稿を書くというよりも「本作り」をやったという感を抱く」。その「最も甚だしい例は本屋作者の場合である」と述べているところ。つまりは、最初から開板を予定された本の作ろうとする造本意識に基づく行為であり、学者一般の著業とは異なるというのです。

 いまでは、これらの考えはある程度常識になっているかもしれませんが、ここに到る濱田氏の論は、伝達行為史的な構想、書林仲間記録の精査、本屋作者論、書肆の仕入れ帳の紹介、書籍目録の検討、「絵本」と「読本」の問題、後期上方読本史、秋里籬島論、「本作り」論など、今でもホットなテーマを自在に往還しているのです。

 こういう論文を読むときの至福。それにしてもこれが27歳とは。それにくらべて自分は・・・・、などと反省するのはやめて、しばらく味読。味読。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月08日

夜明けの詐術

四方田犬彦さんが『日本の書物への感謝』(岩波書店)という本を出されましたが、本屋で5分ほど立ち読みしました。

上田秋成のことを書いているので、そこを読んでみました。『雨月物語』「吉備津の釜」のことを称賛しています。

とくにそのクライマックスの場面について。亡霊磯良の襲来を防ぐために正太郎は、呪文を体中に書いて42日の間耐えます。その最後の一晩をやりすごして、「今は一夜にみたしぬれば、殊に慎みて、やや五更の天もしらじらと明わたりぬ」。この文章です。

正太郎はすっかり安心して隣の彦六を呼ぶ。彦六も安心して外に出てみると……。

この場面、「夜明けの詐術」とも言われていて、正太郎も、彦六も、そして読者までも騙されてしまうのです。この読者までもあざむく、叙述トリックともよぶべき語りについて、四方田氏は、「すごい」と激賞(立ち読みゆえ具体的な表現は忘れました)。私もかつて、同じように感じました。しかし………

このあとは、いずれ紙の媒体で、述べてみたいなと思っています。いつになるかわかりませんが。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月16日

続「字姿」

二つまえのエントリーの続き。

「字姿」を様式のひとつとして考えることは十分可能です。浄瑠璃などの正本、黄表紙のひらがなの多い小さな字、篤胤本の楷書に近いやや丸っこい字…。これは書道や書(芸術)というよりも、「字姿」史の問題でしょうか。

 文学としての書というのは何か。書が文学的営為と関わる要素は、色紙・短冊などへの揮ごうの場合はもちろん、単に紙に書く場合も、墨の濃淡、字詰め、くずし方、連綿、散らし書き、改行、仮名字母などいろいろとあります。

 その場合は、様式ではなく、個人の××です。この××のところに、どういう言葉を入れればよいのか?難しいところです。「癖」「性格」「工夫」「意図」・・・・。

 それらのテクスト上での意味については、わずかに近世小説の仮名字母とか、古活字版の連綿の問題などが論じられたことがありますが、文学的営為としての位置づけとまではいかないような印象です。

 しかし、現代のわれわれでさえ、手書で手紙でも書こうというときには、少し緊張し、どこで改行するか、余白はどうするかとかで、あれこれ考えているわけですから、江戸時代の著述の主体(作者)が筆をとる時は、さまざまに神経を使っていたことでしょう。そうなってきますと、「字姿」は意味を持ってしまうことになります。

 書が問題になるのは基本的には写本ですが、写本の模倣である意識のある版本でもそれは同様、むしろ版本ならではの「字姿」にこだわるところもあったでしょう。印刷史との接点です。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月14日

書道史的視座による江戸文学

 江戸時代の本は外見である程度その内容が推せるというのは、長沢規矩也の言としてわが師中野三敏『江戸の板本』にも引かれるところ、これらは、まがりなりにも江戸時代の本を扱って三十年ほどになる私などにも、少しは感覚がわかるようになってきました。

 もちろん、そのように何度も教えられてきたからだともいえるのですが、それなりに(ほんとにそれなりですが)本を見る量が累積しての当然の結果でもありましょう。

 また、江戸時代の文芸の研究者であれば、誰もがそのように思っているはずであるわけですが、とはいっても、あるテキストの書誌的なデータを、その内容と結びつけて論じるというものは、あまり多くはみられないようなのです。

 むしろ、そのようなスキルを十分もっているにもかかわらず、いざ作品を論じる段になると、たちまちテクスト論っぽくなったり、思想論っぽくなる人が結構いますね。近世的視点と現代的視点が同居し、葛藤しているのです。

 とはいえ、こういう研究者のあり方を簡単に「それはだめだ」と切り捨ててはいけないような気がします。その分裂、葛藤に、大きなヒントが隠されているのではないでしょうか。

 現代的視点のみの研究は、寒々しいのですが、近世的視点のみの研究というのもまた、そこで明らかにしたことの現代的意義づけを、他者に投げてしまう可能性があるという意味では、寒々しい。

 いや、学者のやることはそこまでだといわれるかもしれません。ではなぜ、それを「面白く」書くことが要求され、歓迎されるのでしょうか。「それは何の意味があるの」と問う時、その「意味」とは何でしょうか。

 さて、そのような相克の中で、近年、書(芸術)としてのテクストというようなことを私も考えるようになってきたのですが、「江戸文学」39号所載、岩坪充雄「「書の視座」による江戸史料の再考」は、まさにその問題を取り上げています。つまり「江戸文学研究を書道史的視座によって扱う」ことの提案です。書道史的立場から、岩坪氏は「字姿」の問題を取り上げています。

 もちろん、私達も「字姿」というものについては漠然と、それが内容に関わるという前提に立っているのですが、「字姿」そのものをテクストの分析に用いることはなかなかありません。ある意味、それは常識的なこととして、わざわざ触れなかったのかもしれない。

 しかし、これからはもっと声をあげて言うべきなのかもしれないと思います。隣接領域の人から、江戸時代の文学研究が、「字姿」のようなものを問題にしてこなかった、と見られているとしたらです。
 
 もちろん、秋成についていえば、たとえば晩年に「アダンの筆」で書いたモノがあること、あるいは晩年になるほど字母の数が多くなることなどが問題にされてきました。しかし、たしかに、それが大きく作品論の議論の中心になるということはなかったように思います。

 私達は、それらの外見的要素を補助線にして、相変わらず、活字に一元化されたテクストを読むことで、中身の議論ばかりをしてきたのではなかったでしょうか。

 しかし、補助線ではなく、もっと正面から論じるべきなのではないでしょうか。もちろん装丁論とか書籍文化論ということではなく、まさにテキストを論じるという意味でです。字姿もテキストだということなのです。

 またそれは、コミュニケーション・ツールとしての「文芸」の問題ともかかわると思います。嗚呼、もうすこし明瞭に語る能力を持ちたい・・・。いつもの妄言的所懐です。

  
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月07日

史料としての文芸

『江戸文学』39号(2008年11月)は、「史料からみる文芸、史料としての文芸」という特集。

監修は鈴木俊幸氏。信越地域をフィールドに、旧家に残る書籍調査に長年携わる鈴木俊幸氏は、かねてより、書籍を史料として時代に位置づけることで、当代の時代の文化や人間の営為が再現されるとし、精力的に調査研究をされ、それを公にしてこられました。今回の特集は、その鈴木氏の方法意識に即した特集です。

大名文芸については大名の蔵書・文芸資料の悉皆調査によって、一種の文化圏研究がおこなわれることが盛んになってきています。しかし鈴木氏の場合は、たとえば小千谷の普通の家の蔵書を丹念に調べ上げて、一地方の普通の人の文芸・書籍享受の実態を推し量るということを少しずつ積み重ね、書籍享受論・文芸営為論へと組み立てていくのです。これはなかなか真似のできない、忍耐強い仕事です。いや、ご本人は楽しくて仕方ないに違いないのですが。鈴木氏の編者のことばから少し引用。

 芭蕉でも南畝でもない彼らが、生活の仲で残した句や歌や詩そのものを、彼らの生活から切り離して評価しても、豊かな成果はえられないであろう。それらの「史料」としての有効性を最大限に生かし、彼らの生活の中に正確に位置づけてはじめて、彼らの文芸の意味するところ、時代の文芸の果たした役割が見えてくるはずである。 

 これまでの文学史とは根本的に違った発想ですね。歴史学的な発想と言えるかもしれません。この特集については、改めてまた書くことといたします。

posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月16日

Interdisciplinary

先日(13日)、文学部創立60周年記念講演会で、山崎正和氏が、文学部最大の危機は、専門分化が進んでおり、文学部の中でも、隣の先生が何をやっているのかを知らない、わからないということだと話されていました。「文学部は専門店のあつまり」といわれますからね。

しかし、医学や工学やたぶん経済学においてでさえ、どんなに専門分化が進んでも、他分野の人の発表を聞いてわからないということはないということでした。

ほんとうにそうなのかはともかく、たしかに日本文学を例にとると、専門分化というのはおそろしく進んでいて、日本文学の中の近世文学、その中の浮世草子、その中の西鶴、その中の好色物、その中のとりわけ五人女の研究をやっています、という感じになれば、よくわかる人は数名ってことになりかねません。

和歌だとか漢詩文だとか、前期だとか後期だとか、江戸だとか上方だとか、とにかくどんどん分けられていきます。

先日、近世文学会をリードしていくような立場の方が、「今度の学会発表は、○○さんを除けば、どれも興味が持てないから行かない」とおっしゃったのを聞いてすこしショックを受けました。

もちろんこれは専門分野が違うからということではなく、内容の問題もあるでしょう。しかし、そういえば、午前中は俳諧だからきくのはやめようとか、午後は演劇だから休憩室で話をしようとか、そういうことを聞くことがあります。

これでは、「近世文学会」の意味はありません。たしかに専門はどんどん深まるが、孤立化も進むばかりです。

しかし不思議なことに、それではいけないという雰囲気があまりないような気がする。徹底的に専門的なのがカッコよくて、いろいろなことをやる方が「広いですね」といわれつつ実は軽蔑されているような雰囲気があるような(誤解かなあ)。

一方で、専門性を深める中で、たとえば絵本研究のような、専門を超えた新たな研究も生まれています。

『徒然草』の享受というテーマで、日本史学の立場からは、古文書から読書記録を捜すという発想があるようで、大変面白いのですが、日本文学ではやはり本でみていくのが普通です。

日本史の方では本などというのは、一次資料としては重んじないようで、日常的に接する研究対象の違いにもよるのかもしれませんが、しかし連携という点からみると、そこで連携していく可能性が開かれるのではないでしょうか。

 しかし、われわれの活動は、狭い学会や研究会であればあるほど過ごしやすいので、そこに安住してしまい、他分野との共同研究というのをメンドクサ、と思う傾向があります(広域という共同研究を担当した私じしんの反省でもあり)。

 隣の先生の研究の話を聞く機会を増やすシステム(山崎氏のいう「社交」)が必要ですが、一方で専門家がよみやすい啓蒙的な本を書いていくことも(それを軽視する風潮があるけれど)必要なのだろうと思います。

posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月07日

国文研イン立川

立川の国文学研究資料館。いくのは今回で3回目。
ほとんどの利用者にとっては「遠くなった」という不満があるわけですが、よくなったところもあります(でないと、意味がない)。

それは閲覧室がほぼ2倍の広さになり、かなりの本が開架になり、なかでも紙焼本がほとんど手にとってみられるようになったということ。

閲覧机にほとんどコンセントが設置されたということ。

それと土曜閲覧の実施。

ということで、土曜の研究打ち合わせのあと、閲覧室で調べものをしましたが、この利点を利用せざるべからずと、紙焼をある目的で縦覧。それをパッパと入力。よしよし。

いままでの5点請求方式だと、やる気のしない網羅的確認が、短時間でできますね。私にとっては実にありがたい紙焼(原則)全冊開架でありました。

立川から最寄の高松までモノレールにのるのですが、100円。これは安い。





posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月30日

雑感

秋成没後200年ということで、企画もいろいろ進行中です。

 それがらみで、複数の、私より研究歴の長い秋成研究者と、やや長時間にわたって語り合う機会がありました。

 そこで思ったのは、それぞれが異なる方法で秋成に近づき、それぞれの秋成像を持っていて、かなりゆるぎない形で確立しているということです。

 私などは、秋成を突出した存在と考えはするものの、やはり時代の中で考えようとするのですが、ある方は、自分と秋成との切り結びであるというお考えのようです。自分の中に抱える切実な問題意識で、秋成に立ち向かうというスタンス。

 この語り合いの時から、しばらくたって、その方の純粋な思いにあらためて感銘を受けました。妙に時間を置いているので、実感が強いのです。

 この語り合いの中で、私の文学史観や、秋成観も披歴したのですが、なかなか厳しい批判を受けました。予想の範囲内で、不意を突かれたことはなく、私なりに拙い反論を試みたのですが、そういう批判をうけることで、あらためて私なりに考えをまとめていく機会を得たことはとてもありがたいと思います。

 この語り合い、私の中での宝物になると思います。

posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月25日

二世の縁

懐徳堂記念会古典講座の夏期集中コース最終回は23日(土)に開かれました。扱ったのは『春雨物語』の「二世の縁」。

もう十数年前に論文を書いたことのある短編ですが、今回少し丁寧に再読すると、その時に見逃していたことがあったことに気付きました。

掘り出された男の聖性が剥奪され、「入定の定助」などといわれて里人たちの嘲笑を買うと、

法師は怒りて、「いつはり事なり」と言ひあさみて、説法すれど、聞く人やうやう少なくなりぬ。

この場面なのですが、「いつはり事なり」って、何を指して言っているのでしょうか。私はここは注目すべきところだと思います。なぜかということは、ここでは申しません。どこかでいずれ詳しく。

それにしても、この最終回、相当勝手にしゃべらせてもらってわかりにくかったと思うのですが、なかなか皆さん食らいついてきてくださいます。

最後は受講者の方と、しばらくお話をして、元気をいただきました!
短い間でしたが、ありがとうございます。


posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

『上方文藝研究』の合評会

研究同人誌『上方文藝研究』第5号の合評会が行われました。

 日頃は、他人の論文の「批評」や学生の論文の「添削」なぞをしている一方で、自分の抜刷などを送った礼状としていただく好意的な感想に、「これでいいのだ」などと自分を甘やかしている私にとっては、4年ぶりにこの雑誌に書いて、いくつもの厳しい、的確なご指摘を受け、本当に勉強になり、ありがたかったです。

 この年(この立場)になりますと、論文を書いても、投稿前にチェックしてくださる人も、活字になった後で厳しい批判をしてくださる人もなかなか得難いわけで、そういうことからも、この合評会の存在は実に貴重であると改めて認識し、せっかく自分たちで作ったこの雑誌に、もっと論文を載せていかねばなあと実感した次第です。

 この合評会では、学生の質問・発言が少ないのが通例でしたが、今回は、学生からもいろいろと質問が出ていたのは、非常によかったと思います。ささやかな会ですが、とても大切にしたい会です。

 ご多忙の中を、遠方からもご参加くださった皆さんに心から感謝いたします。

 


posted by 忘却散人 | Comment(2) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月07日

本居宣長と五井蘭洲

 ちょっと前の論文ですが、西田正宏氏「『古今集遠鏡』と『古今余材抄』」(『文学史研究』48、2008年3月)は、私にとって刺激的です。

 懐徳堂教授の五井蘭洲の和学に触れるところがあって、見過ごせない論文なのです。

 『古今集遠鏡』については、今西祐一郎先生の校訂によって平凡社の東洋文庫からよみやすい活字が出ています(なぜ今西「先生」なのかというと、私がQ大の助手をしていた時に若き今西先生が着任されたからで、直接教えを受けることはなかったがやはり私にとっては「先生」がしっくりきます)。田中康二さん鈴木健一さんも『遠鏡』について最近書いていました。ちょっとしたブームですね。

 橋本治の桃尻語訳に影響を与えたのが、この宣長の、当時の京都語に「現代語訳」した『遠鏡』だったのでしたっけ(うろおぼえなり)。
 まちがいだったらどなたか正してください。

 西田氏は宣長が契沖の注釈に異論を唱える時のあり方を、解釈の誤り、説明のくどくどしさ、深読みの3点から分析し、これらを、和歌を自立した文学作品としてみなす宣長の文学観の反映とし、さらに補助線として五井蘭洲の『古今通』をあげ、蘭洲にも宣長的認識が見えることを指摘、これを時代思潮の達成とみようとしています。まあ、私はそう読みました。

 ここで思ったことは、蘭州という儒学者における『古今集』の意味と、契沖・宣長のような歌学の伝統(当然古今伝受と関わります)を背負う和学(国学)者における『古今集』の意味とは根本的に違うかもしれないということです。

 むしろ宣長の中に、歌学史を相対化しやすい心性があり、それは実は儒学者の和学研究からもたらされたという観点の方が私には魅力的に思えるのです。そしてこれはまた、「漢意」を内包すると宣長から決めつけられた「和学者」秋成の「古今集」観にも関わってきます。横道にそれて、完全に自分文脈です。ブログのいいところ。

 秋成の和学の最初の師は、多分蘭洲ですから。

 それにしても蘭洲は面白い人で、中村幸彦先生が注目しただけのことはありますね。

 いったい儒学者で古今集の注釈をした人といえば、蘭洲以前に誰がいますか?調べればわかるんでしょうけど。
posted by 忘却散人 | Comment(3) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月01日

大名はなぜ和歌を詠むのか

 ひとつ前のエントリーで紹介した科研報告書の論文は興味深いものが少なくないと言いました。

 大谷俊太氏「真田幸弘と和歌」は、大名が和歌を詠むことの意味について論じています。これは近世和歌史研究の重大な問題です。

 キーワードを並べてみると、「文化的上昇志向」(私流にいえば「雅」への志向)、「(人の)道」、「政教性」、「祝言性」などがあります。和歌を詠むことが、精神的修養であったということをかねてより説いている大谷さんらしい切り口です。

 国学者の和歌観などと、どう切り結ぶのか。真田幸弘は最初真淵に添削を受けていたのがのちに日野資枝に入門、それは和歌の歴史における権威に繋がること以上の意味があったのでしょうか。あったというのが大谷さんの立場のようです。

 為政者たるものは、人の詠む和歌(によまれた心)によって、人(家臣)の「さかしおろか」を知るのだという古今集仮名序に基づく論理は分かりますが、多分他にもそういう論理を、詠歌だけでなくいろんな営為の規範から探すことができるのだとしたら、やはり、なぜ今になって公家の真似をしてまで詠歌という営為を、近世の大名は選ぶのかということが素朴な疑問です。なぜ和歌でなければならないのか、ということです。権威につながる以外のことがあるのか。

 一方では俳諧に興じる大名のことが本報告書でも紹介されていますが、これまた俳諧がステータスを挙げたということでいいのか。大名がやっているからステータスがあがったのか。

 誤読か混乱か、収拾がつきませんので、このへんで。誰か「教えてー、くだあさいー」。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月23日

秩序への回帰2

いや、だんだんと効いてきました。浜田先生のパンチがこの散人にも。

浜田先生が『本朝水滸伝』は叛乱・蜂起の物語だとばかりいうのはおかしいのであって、これも秩序への回帰の物語だと強調されたことは前のエントリーで報告しました。

先生が斬った”『本朝水滸伝』=叛乱・蜂起の物語”という抜き難いイメージのままに、なんと散人自身が、最近刊行されたばかりの『読本事典』で、そのような説明をしていたのでした!

大幅な史実の改竄と虚構化をもって、スケールの大きい、反逆・蜂起の物語として構想された。

ははは。いやこわいな。のんきだな。散人、ご講演の時、そのことをのんきに忘れていたのは、まさしく「知らぬが仏」状態で、それを覚えていたらその場で卒倒していたことでしょうな。物忘れの徳というのか。いや擬古文で書く余裕もございません。完敗でございます。脱帽です。

浜田先生のパンチがだんだん効いてきたというのはそればかりではありません。先生の秩序への回帰論は、単に読本の様式のひとつを述べたものではなく、つまり大高洋司氏の〈読本的枠組〉と同列の枠組を示しただけではなく、もっと大きな、根源的な問題を提示するのです。「秩序への回帰」という団円が、一見「物語ならあたりまえだろう」ということで済まされて、見逃してしまう危険がありますが、そうではないですね。

なぜ「秩序への回帰」で終わるのか。そのことを「秩序への回帰」で終わらないもの、たとえば近松の心中物やらと比べて考えた時に、おそろしく根源的な問題が浮上するような気がします。これは散人が、いやわたしが、いまぼんやりと考えていることに、重要な示唆を与えてくれそうなのです。

たいへんな宿題をいただきました。あらためて感謝申し上げます。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月22日

秩序への回帰

京都近世小説研究会では10周年記念として、京都安楽寺において浜田啓介先生の御講演が行われました。非常な盛会で、中野三敏先生はじめ、遠方からも多くの方が駆けつけました。

先生の講演題目は「秩序への回帰―近世小説様式試論」というものです。読本の様式のひとつとして「秩序への回帰」という団円を持つというものがある。その型として、許婚譚、若殿放蕩譚、讒言讒構譚など多くの読本の実例に基づき、詳細で緻密な解説が行われました。

そして「讒言譚の本場」として金平浄瑠璃に言及され、主題は読本の話型学から近世文藝様式史論へと展開、そのスケールの大きさに、あらためて浜田先生の間口の広さを感じました。

浜田先生によれば、今回の主張したいことのひとつに『本朝水滸伝』は叛乱・蜂起の物語というだけではなく、「秩序回帰」というこの様式に則るものなのだということがあったようです。『本朝水滸伝』論としても斬新な切り口ということになるでしょう。

研究会のあとの先斗町、祇園も実に楽しかったです。


posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月31日

多義性

柳風子さんが最近のブログで「多義性」について発言しておられます(2008/05/31)。
(以下引用)
多義性を論じることは、
現在の研究に於いては、慎重でなければならないと思います。
方法としての多義性を試みる時代は終わった、ようにも思うので。

綿密に磨き上げたダイヤだからこそ、
深く神秘的な光を放つように、
まずは対象の考察を、職人的に徹底して試みる必要があります。

(別エントリ)
一つ前の「多義性」というエントリで述べたことは、
お前がいうな、と言われそうですが、
私にとって、文学研究なるものが果たされるとしたら、
それはこう読める、ああも読める、という可能性の提示ではなく、
その基盤を提示する楽しみです。
あとは読者がそれぞれ考えるのがよい、という場の提示というか。

この御発言は、もしかすると、私の柳風子さんの論文へのコメント(2008年5月27日)で「多義性」に触れた部分と少し関わるような気がしました(思いすごしも恋のうち)。柳風子さんのブログへのコメント欄で記せばよいかもしれませんが、いろいろ広がりを考えて、ここで発言します。触発されての愚考であり、反論ではないことを申し添えておきます。

研究者はこうも読める、ああも読めるという可能性の提示を行うのではなく、その基盤の提示を行うものであるというお考えについてですが、これはごもっともと思いますし、「可能性」ということばで、あいまいさを隠蔽したり、逃げ道を用意するということが実際に行われていることは確かだと思います。(私も拙著で使っているのですが)

ただ、多義的な読みの提示の仕方や状況にもいろいろあることも確かで、それは、従来、AかBかという読みの対立のある研究史を踏まえた時に、「AでもありBでもあり(Cでもある)」という読みの可能性を提示することは、無意味ではないでしょう。そこから議論をもう一度考え直す契機とすること、これは研究者のなすべきことのひとつではないでしょうか。

私は作品と同時代における多様な読みのひとつを掘り起こして提示するということを試みています。たとえば「近世的な読み」と金科玉条的にいいますが、近世だって多様な読みがあるはずで、「近世的な読み」というひとつの読みに収斂するのではなく、こういう読者はこう読んだのではないかという、可能性を提示するのは、これは研究者でなければ多分できないことでしょう。「正しい読み」とは全く違うレベルの話ですが。

ただし、作者がどう考えたかというレベルで、たとえば「準拠」自体が多義的であるということは、考えにくいと思います。多義性は読者が付与していくもののように思います。そういう意味では柳風子さんのご意見には賛成します。

しかし、注釈史・研究史が、いったい何のために読みを提示してきているのか、やはりそれぞれの宗教的立場、方法的立場があるわけなので、読みの基盤という意味では、その立場自体において根本的に基盤が違うということもありうるのではないかと思ったりします。


posted by 忘却散人 | Comment(2) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月29日

黄表紙の歴史と表現

鈴木俊幸さんの標記の題の講演会が昨日大阪大学中之島センターで行われました。

黄表紙とはなにか、その特徴と、変遷をわかりやすく、面白く説いていただきました。

どうもありがとうございました。

草双紙はそもそも絵を主体にした絵解きであって、絵を読むべきものだというお言葉、わかっていたはずですが、やはり文字を先に読んだりしていたことにフカクハンセイ。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月24日

森翁の西鶴論

小出昌洋編『森銑三西鶴論集1』(個人社、2006年)は雑誌「新文明」に連載された森翁の西鶴についてのエッセイ集ですが、ほぼ全編が『好色一代男』へのオマージュだと言ってよいものです。

森翁が西鶴自作は『好色一代男』のみとの説を持っていることは有名であり、またそれはほとんど学界で支持されてもいないのですが、そういうことを超えて、このエッセイは読み甲斐があります。
それは鑑賞者としての読みという立場を徹底し、そこから『一代男』が突出的に優れていることを説いているからです。

森氏のさまざまな指摘は学者の分析方法では気づかれないものが多いように思われます。やはり本当に好きな作品に向かうべきなのかな、深く。私自身、そういうことを反省しています。自分がいいとおもう作品は、なかなか学問的には論じにくい。敬遠する。しかし森翁はいうでしょう、「お前は作品を利用しようとしているだろう。謙虚ではないな」と。

 また、『一代男』だけが西鶴自作で他は西鶴作を騙るニセモノだという森翁は、実は西鶴以外の文献を広く見たという点ではどんな西鶴学者も及ばない豊富な知見を持っています。それを森翁は、自分の主張はその知見の上に立つ主張であって、近世の本の世界ではありうる話であり、自分の説は主観的な思いこみではないという意味のことを述べています。

そのように言われて、「いや私はあなたと同じくらい本を見ている」と反論できる西鶴学者は、多分いないでしょう。論というのは膨大な知見の前には時に空虚であるということを痛切に自覚しながら、私たちは論文を書いていかねばならないのでしょうね。
posted by 忘却散人 | Comment(0) | 研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする