2017年06月25日

日韓怪異論

清泉女子大学「日本文学と怪異」研究会編の『日韓怪異論ー死と救済の物語を読む』(笠間書院、2017年5月)も、前の投稿と同じく、佐伯孝弘さんが関わっている。
清泉女子大学と高麗大学の研究交流で、彼方と此方で催されたシンポジウムを元に作った本だという。怪異文学を対象とし、テーマは「死と救済」である。それぞれの考察を通して、日韓の比較文化論の試みになっている。日韓それぞれ5編の論考が並ぶ。韓国側の論考は、日本語訳という手間もかかっているようで、その意味でも労作。韓国語版も刊行されたのだろうか?
シンポジウムではどういう議論があったのか、というのが気になる。シンポジウムでの議論というのは、活字化が難しいということは、十分承知しているが、どこかでそれが読めればありがたいことである。
ちなみに佐伯さんの論は、『万の文反古』の巻3の3の、佐伯さんのいわゆる「死なせぬ復讐譚」を取り上げている。



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2017年06月23日

古典文学の常識を疑う

自宅のPCをマックにした。日本文学関係のソフトはmacに対応していないものもあるからWindowsの方がいいという都市伝説を漠然と信じてン十年。しかし、昨年の、Windows7の機種使用者は、早くWindows10に乗り換えよ、という執拗でお節介な告知でさすがに切れた。ソフトや辞書類も、webに移行しつつある今、ストレスとともにWindowsに付き合う必要はないだろう。肝心な時に限って「ただいまプログラムの更新中です」とかなんとか言って仕事ができないとか、ずっとがまんしてきたけれど、もうダメ。私の残された仕事人生も短いのだしね。きっかけはアンドロイドのスマホの不具合で、iphoneに変えたこと。アンドロイドに比べると非常に快適でストレスがない。そんじゃPCも。ちょうどノートPCも、色々と不具合が出てきて、だましだまし使っていたところなので。
今のところ、マックなかなかいいと思います。PCに向かって罵声を浴びせるということがなくなった。
 さて、本題は、勉誠出版(ちなみにこの出版社名も辞書に入っていた)から出た、『古典文学の常識を疑う』で、奥付は今年の5月末。あちこちの学会で売れているというが、さもありなんだ。この本の緒言にも書かれているが、かつて、学燈社や至文堂から出ていた、国文学の月刊雑誌。その別冊などで企画されていた『古典文学の謎』とか、『古典文学のキーワード』とか、現在の研究の最前線を教えてくれるトピックについて、第一線の研究者が、4ページくらいの解説を書いてくれるやつ。それが久しぶりに出たという感じなのである。
 編者(4名)は上代・古代・中世・近世をそれぞれ担当しているようであるが、選ばれたトピックが、かなりよく考えられていて、現在の古典研究の状況がよくわかる1冊になっている。
 『万葉集』が「天皇から庶民まで」の歌集というのは本当か、とか中世が無常の時代というのは本当か、など、文字どおり常識を疑うところを正面からテーマとしてものもあるが、全体としては、それぞれの専門における現在の論点をトピックとしていて、「ここが知りたかったんだよね」というところをよくカバーしていると思う。
 私の専門でない時代で言えば、平安時代は一夫一妻制であるという工藤重矩先生の説のあと、この問題はどう展開しているのかということを知りたかったのだが、それもちゃんとある。『源氏』の人物論て今はどうよ、とか、
 もちろん、近世は私の興味もあってどれもこれもテーマが面白くてたまらない。執筆者もまた、定説に挑戦し、新しい研究世界を拓いてきた人ばかりであるので。佐伯孝弘さんのテーマ設定と人選がいいのだ。少なくとも古典研究者は、研究の今を知るのに必読でしょう。


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2017年06月20日

八犬伝錦絵大全

服部仁氏の監修・著による『八犬伝錦絵大全―国芳 三代豊国 芳年描く江戸のヒーロー』(芸艸堂、2017年6月)が刊行された。
文字通り錦絵でたどる八犬伝であるが、非常に構成がよく練られていて、八犬伝入門・錦絵入門にもなっている。
まずは、『錦絵 八犬伝へのいざない』という最初の文章で、読本の『八犬伝』絵師と、錦絵での「八犬伝」絵師は重ならないということを紹介する。なぜなのかを教えていただきたいところである。
ついで、読本八犬伝のあらすじが、錦絵とともに紹介される。次に、八犬伝人物相関図が、これまた錦絵「八犬伝犬の草紙」の絵を使って一覧できる。次に版本八犬伝の紹介。そして二次作品というべき錦絵・合巻・暖簾・双六・カルタなどの存在を明らかにし、その中のひとつである『雪梅芳譚 犬の草紙』の紹介。馬琴の生涯。国芳と国周の描く八犬士の肖像。そして絵師別名場面集。八犬伝の錦絵の中ではやはり芳流閣の決闘の場面を描くものが圧倒的に多いと言うことだ。さもありなんだが、600枚もの八犬伝錦絵を所蔵する服部氏が言うと重みが違う。絵師別に見較べるのは愉しい。さらに芝居絵八犬伝、刺青下絵師の描く八犬伝、3枚続きを中心に見ていく錦絵八犬伝ストーリー、パロディ八犬伝、双六八犬伝、見立八犬伝と、まさしく絢爛豪華な展開。本当に楽しく学べること請け合いである。
 ところで著者から伝言がある。ご本人は関わっていないということであるが、「岡崎市美術館で、〜7/17、「家康の肖像と東照宮信仰」展を開催しております。いけどもいけども家康ですが(終わりの方に、秀忠、家光etc.もありますが)、江戸時代の研究者は見ておくべきかと存じます」との事である。残念ながら行けそうにないが。
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2017年06月14日

御伽百物語

怪談好きは百も承知の「百物語」。江戸時代にはこの語を書名に含む本が数多く出た。太刀川清氏の正続の『百物語怪談集成』(国書刊行会、叢書江戸文庫)は、その代表的なものを通覧できる至便の書だが、注釈などはまだまだ進んでいない。青木鷺水の『御伽百物語』の、わかりやすい校訂本文、注、各話の丁寧なあらすじ、さらに典拠のあらすじを載せた本が刊行された。三弥井古典文庫の1冊で藤川雅恵編著『御伽百物語』(2017年5月)である。百物語研究を志している留学生がいて、私にとってもタイムリーな本である。それにしても、この本を廉価なソフトカバーで出すとは、素晴らしい企画。長年の研究を形にしてくださった藤川さんをはじめ、出版に尽力された関係者に深謝。
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2017年06月07日

中世和歌史の研究

小川剛生さんの『中世和歌史の研究―撰歌と歌人社会』(塙書房、2017年5月)が刊行された。
すでにネット上ではちらほらレビューも見られる。
予想に違わず、ずっしりとした重みと、鋭い切れ味を兼ね備えた、魅力的な研究書である。

小川さんの学風はみずから「歴史的・実証的」というように、和歌と政治の絡みを意識した史的展望に基づく厳密な実証なのだが、読んでいて、興奮を禁じ得ない。「膝を打つ」「目から鱗」の叙述が次々に展開する。
やはり、それは、問題の所在の指摘の鮮やかさである。

中世和歌史の研究は、傍目から見ても、いわゆる院政期から新古今時代が盛んに見える。しかし小川さんは、鎌倉後期から室町中期に切り込む。「形骸化したはずの和歌と官職によって辛うじて統一性が保たれていたとさえ思える」この時代の「撰集」という営為に着目し、骨太の和歌史構想を打ち出してくる。

誰も問題視しなかったことを論点とし、そこを起点に、最も適切な資料を材料に、緻密に、しかしスリリングに、知られざる事実を明らかにし、「撰歌」の持つ重大な政治性をも考察する。研究史への目配りは勿論、関連資料の博捜に基づく立論であることで、説得力が半端ではない。

 たとえば、撰集の中での四季部とそれ以外の意味など、事実の提示によって重要な指摘が裏付けられていく。それらから立ち上がる、小川さんならではの和歌史の新鮮さ。研究書として、あまりにレベルが高くて、絶句してしまうほど。

 本当に素晴らしいの一言。まだまだ筆に尽くせないが、とりあえずここまで。

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2017年06月01日

『近世文学史研究 二 十八世紀の文学』刊行

 私が監修した『近世文学史研究 2 十八世紀の文学―学び・戯れ・繋がり―』(ぺりかん社、2017年6月)が刊行される(奥付は6月10日)。見本刷が出来、私の手元に一足はやく届いた。原稿をお願いした皆さまには、私の我儘なコンセプトをよく理解してくださり、非常に興味深く、問題意識に満ち、しかもわかりやすいご論考をお寄せいただいた。この場を借りて、深く感謝申し上げる。
 十八世紀(近世中期)といえば、わが師中野三敏先生の所謂「雅俗融和」の時代である。そのことは、既に十分行き渡っていると思い、私は違う角度、つまり文芸に携わる人々の営為、文芸への関わり方としての営為という観点から、この時代を捉えてみたいと考えた。「学び・戯れ・繋がり」という副題は、その具体的な営みの在り方である。
 もちろん、鈴木健一さんが監修した「十七世紀の文学」においても強調された領域横断的な問題設定を継承していることは目次を見て頂ければ瞭然である。「文学史研究」を謳っているが、歴史・思想史・美術史らに関心のある方々にも読んでいただきたいと思っている。ラインナップは以下の通り。拙論はともかく、ほかの執筆陣の論考はいずれもエキサイティングである。木越治さんの連載を含めて9本150頁。読み応えは十分である。
 
【序】
十八世紀の文学――学び・戯れ・繫がり:飯倉 洋一
【提言】
漢詩文サロンと儒学読書会:前田 勉
日用教養書と文運東漸:鍛治 宏介
十八世紀の美術――都市と地方のあやしい関係:安永 拓世
芸能史と十八世紀の文学:廣瀬 千紗子
【論文】
十八世紀地下歌学の前提――出版の時代:浅田 徹
社会と対峙する「我」から世法を生きる「心」、そして私生活を楽しむ「自己」へ――俳諧と社会:中森 康之
前期読本における和歌・物語談義――十八世紀の仮名読物の一面:飯倉 洋一
書籍業界における近世中期の終わり方:鈴木 俊幸
【近世文学研究史攷二】
近世小説のジャンル――近世文学の発見(二):木越 治

以上である。書店・学会会場などで、どうぞ手にとってご覧いただきたい。
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2017年05月20日

『柏木如亭詩集1』

 揖斐高先生訳注の『柏木如亭詩集1』が平凡社の東洋文庫の1冊として刊行された。奥付は2017年5月。
すでに岩波文庫から『詩本草』と『訳注連珠詩格』がやはり先生の校注で出ており、ますます如亭の詩が読みやすい形で提供されたことになるのは、ありがたい。収められるのは、『木工集』『吉原詞』『如亭山人藁初集』(以上1)、『如亭山人遺稿』(以上2)である。
 如亭に懐かしさを感じるのは、私が大学院に入ったばかりの中野三敏先生の演習が、『五山堂詩話』だったということである。それまで日本の漢詩文にほとんど触れていなかったが、五山をはじめ如亭・詩仏ら江湖詩社の詩人たちのことを、調べたり、作品を読んだりしていくなかで、近世日本の漢詩文というものに入ったということがあるからである。今関天彭翁の論文も古い雑誌を探索したり、師匠に貸していただいて読んだ(これも、今は揖斐先生が編んで東洋文庫に入れておられるが)。揖斐先生の論文も当然読んだ。
 如亭は、中でも、近代人の感性にフィットする。詩魔に魅入られて、実生活をないがしろにする。詩を切り売りして全国を放浪し、年老いても恋愛体質。『木工集』『吉原詞』をはじめとする如亭の詩は、そういう如亭の実像と虚像のイメージ、そして喩としての詩の魅力を存分に堪能できるものである。
 如亭研究の第一人者である揖斐先生の校訳で読めるのは、まことにありがたい。続編では年譜も掲載されるということである。
 
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2017年05月04日

様式と営為

 『近世部会誌』11号。日本文学協会近世部会。2017年3月。この研究会は京伝の読本を読み続けている。「主題」を仮設して読む作品論に違和感があることを、編集後記で風間誠史さんが述べている。主題というよりは趣向、構想というよりは趣味的な発想であると。「読本こそ、最もとりすました遊戯であった」との山口剛の言を引き、「一番ぴったりくるのである。とはいえこれは江戸戯作を現実逃避の産物とする「近代」的な言説で、それを乗り越えようと研究者は苦心してきたのである。しかし、今や老若男女がこぞってポケモン探しに街なかを徘徊しており、「遊戯」は「現実」そのものになっている。「遊戯」をそれとして論じることが現実逃避とは別の意味を持つのではないか?」と。
 「現実」(真面目)と「遊戯」を二項対立で捉えるのが近代で、江戸時代はそうでなかった、しかし今や近代も変わって、「遊戯」が「現実」そのものになってきたのだと。
 一方、同氏は高木元氏の文学研究観に違和感を表明する文章を書かれている。高木氏は一貫して、「文学的価値」を云々する文学研究観を斬ってきた方で、「様式」を重視し、これを歴史的に位置付けることを目指しておられると私は見ている。これに対して「営為」を重視するのが風間氏か。
 浜田啓介先生のご本に「様式と営為」を謳う名著があることを思い出す。少し話がずれてくるが、近世の写本の意味は、様式だけでは絶対に解けない。風間さんの引用する高木さんの文章では、近世文学の対象は刊本のみであるような把握をされているかに見えるが、写本史を考えたら、当然のことだが、近世が圧倒的に資料が残されているわけだから、これを無視することはできない。もっとも一般的には近世は「出版の時代」で、写本研究は主流ではない。しかし、私見によれば、写本研究は非常に重要である(2010年の秋成展をきっかけに、秋成の文学を考える時にも写本の意味が重要だと考え、その一端を『上田秋成―絆としての文芸』大阪大学出版会、2012に書いた)。そして、写本はどの写本であれ、たった1部。写本をつくる書写者の営みを考えずして、写本論は成立しない。そして、実は版本にも、それが当然あるのである。版本が版本としてのアイデンティティを持つのが、「様式」の確立だとすれば、それ以外の部分には「営み」があるのは当然だと思う。
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2017年05月01日

『心の中の松阪』

大阪大学名誉教授の柏木隆雄先生から、『心の中の松阪』(夕刊三重新聞社)をいただきました。
夕刊三重新聞に連載されたものの単行本化で、柏木先生の幼少のころから高校生の頃までの思い出が、豊富な写真とともに綴られています。先生のお人柄や、周りの方々の親切さ、松阪という町の暖かさがよく描かれているエッセイです。
柏木先生に御礼を申し上げたところ、次のように伝言を賜りました。

読んでみようと思われる方があれば、夕刊三重新聞社の 富永朋子さん宛て tominaga@yukanmie.comにメールで、著者(柏木)の紹介と書いていただければ、定価1800円(+税)を、2割引の1500円(税込み)で購入でき、そちらから送って貰えます(送料はスパーレターで180円)。

と。 
なかなか店頭に並ぶことのない本のようですので、ご利用ください。
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2017年04月18日

最近刊行された研究書

このごろの新しい研究成果についての情報をいくつか。

近代日本漢学資料叢書1『澤井常四郎 経学者平賀晋民先生』(解題 稲田篤信)研文出版。二松学舎大学私立大学戦略的研究基盤形成支援事業「近代日本の「知」の形成と漢学」の研究成果の一環。

神道資料叢刊14『小津久足紀行集三』(高倉一紀・菱岡憲司・龍泉寺由佳編)。皇學館大学研究開発推進センター神道研究所刊。急逝された高倉さんによる解題は、絶筆となった。

出口逸平『研辰(とぎたつ)の系譜 道化と悪党の間』(作品社)。魅力的なテーマ。

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2017年04月07日

『日本文学研究ジャーナル』創刊

 『日本文学研究ジャーナル』が3月に創刊された。日本文学関係の雑誌が次々に休刊に追い込まれている中で、明るいニュースである。青簡舎の大貫祥子さんが編集に参加され、山口守義さんの古典ライブラリーから刊行された。古典ライブラリーは、『国歌大観』をはじめとする日本文学研究の必須ツールを、WEBで提供している。この学術誌も、WEBジャーナルとしても展開してゆくところに新しさがある。
 日本文学に関する良質な学術論文を集めるオーソドックスな学術誌として、大いに期待したい(などと他人事のように言っている場合ではない。来年9月刊行予定の第7号の編集を担当させていただくのだが・・・)。
 第1号は、渡辺泰明・佐々木孝浩の両氏による編集で、「中古・中世の和歌」が特集される。久保田淳先生の巻頭エッセイ、小川剛生氏の特別寄稿を首尾に置き、久保木哲夫・舟見一哉・田口暢之・佐々木孝浩・米田有里・山本啓介・高柳祐子の七氏の論文を掲載する充実ぶりで、創刊号に相応しい顔ぶれであると言えよう。本誌は、いきのいい若手の論文を積極的に掲載し、学界に新風を吹き込むことが大きな狙いのひとつである。また、WEBジャーナルということで、海外の日本文学研究者にとっても興味を引く論考が掲載されることを望みたい。
 ところで久保田淳先生の文章の最後に、世界の激動期に、八百年前の歌人達の歌や生にこだわり、それを追う営みについて思われることを書かれている。激動する世界の中で、古典研究をすることとは何か。久保田先生でさえ、真摯に迷われているのだ、ということにいたく感銘を受けた。どうふるまうかということは、個人でいろいろだろうが、「春秋に富む研究者たちはこの現実の下でどのように自身の研究テーマと向き合っているのだろうか」という問いには(私自身春秋に富むわけではないが)、自覚的でなければならないと思う。
 小川さんの「兼好法師の伊勢参宮」は、「吉田」ではない兼好の真の出自に迫る論文である。「吉田」が捏造であることを立証した論文も衝撃であったが、いよいよその正体が明かされようとしている。
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2017年04月06日

説経

 神戸女子大学古典芸能センター編『説経 人は神仏に何を託そうとするのか』(和泉書院)が刊行された。
阪口弘之先生の序論「語り物としての説経―栄華循環の神仏利生譚」は、「一家没落のあと、子による栄華復活という循環境涯の哀話を、神仏縁を讃嘆して、利生譚の成神成仏で結ぶ」のが説経だという。浄瑠璃との違いは教義主張の有無だとも。
 個人的には、Jesse先生のお名前が懐かしい。ドイツフランクフルト市立工芸美術館で、そのコレクションについて、昨年のドイツ滞在中に講演を聴いた(英語ではあったが)。そのあと、少し何人かで先生を囲んでお話をしたことが思い出される。先生は、そのフォーレッチコレクションの奈良絵本群についてお書きになっている。
 一線の研究者の論考を他にも多く集めた、近ごろ珍しい説経論集である。説経研究の必読文献になることは間違いないだろう。
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2017年04月04日

岡崎久司先生の島津先生追悼文

大東急記念文庫の『かがみ』47号(2017年3月)は、島津先生の追悼特集となっている。
その中で、岡崎久司先生の「小雪の舞う日」に引き込まれる。
『大東急記念文庫書目第二』『貴重書解題 第三巻 国書之部』の編纂で、中村幸彦先生、長谷川強先生、島津先生の「軍団」が来庫。年4回、7〜10日ほどの編纂作業(合宿)をした模様を活写している。もちろん、最高に面白いのは、夕食時、そして旅館での放談の模様。そして島津先生の旺盛な好奇心のこと。宝塚ファンというのは私も知っていたが、鉄っちゃんでもあったのですね。
そういえば、30年以上も前の話だが、近世学会でも、十数人が「旅館」に泊まり、その日の発表についていろいろと放談するというのが、そのころの一部の先生方のやり方だった。私も院生の時に一度経験したことがあるが、今思えば貴重な体験であった。

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2017年04月02日

新年度

新年度である。めずらしく、私の教え子たちにまとまった動きがあった。
康盛国(カンソンクック)さんが、ソウルの神学大学校に就職が決まった。康さんは、2008年4月に研究生として来日。当初は『雨月物語』を研究テーマにしたいと言っていたが、話し合った結果、雨森芳洲の研究をすることになった。やがて学問研究を通して日本と韓国を繋ぐことを志すようになった。2009年に大学院に進学し、5年で博士論文を仕上た。その後は、特任研究員や特任助教・招へい研究員を歴任。彼は他の院生の模範になるくらいな、真摯な研究態度、誠実な人柄で、人望も厚かった。十分な業績はあったが、公募への応募を重ねてもなかなか結果は出なかった。しかし、この3月も下旬になって、急遽、就職が決まり、すぐに引っ越して明日からはもう授業をしなければならない。彼の努力と並大抵でない苦労とを知っているので、本当によくここまでがんばったと、心から讃えたい。今、彼は研究の幅を拡げ、朝鮮通信使との文芸交流を、韓国の資料を使って論じるという、彼ならではの方法も得て、研究者として大きく成長していっる。今後とも、日韓の学芸交流に力を尽くしてほしいと思う。
仲沙織さんは、博士論文を提出し、大阪大学の招聘研究員となる。今後は『上方文藝研究』の編集の仕事などもやっていただく予定である。西鶴研究はなかなか大変だが、がんばってもらいたい。
有澤知世さんも博士論文を提出し、学振特別研究員PDとして国文学研究資料館に所属する。資料が身近にあるので、3年間で、いい論文をたくさん書いてもらいたい。

ちなみに、教え子ではないが、大学の後輩の菱岡憲司さんは山口県立大学に転任とのこと。これもよかった。
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2017年03月22日

俳句のルール

 俳句の入門書、井上泰至さん編『俳句のルール』(笠間書院、2017年3月)が刊行された。
井上さんは、近世軍書研究の第一人者であるが、上田秋成や人情本研究でも重要な仕事をされているし、最近では西鶴論も書かれている。さらには子規・虚子をはじめとする近代俳句の著書もあり、実作者でもある。日本文学研究者の中でも屈指の書き手といえるだろう。
 『俳句のルール』は、これに先立って刊行され、1万部を超える売り上げを誇る渡部泰明さん編『和歌のルール』の姉妹編として、刊行されたようだ。もっとも『和歌のルール』が、「和歌を読む」ための入門書であるのに対して、『俳句のルール』は、「俳句を読む/詠む」の両方のための入門書である。そのため、前者の執筆者が和歌研究者で固められたのに対して、後者の執筆者は、研究者と俳人(実作者)が半々といったところである。編者が研究者でもあり実作者でもあるわけだから、これもうなずける。
本来であれば「和歌」に対応するのは「俳諧」であるが、「俳諧のルール」を教える本だと、式目や付合のようなことになり、俳句を読みたい人には実際的な知識ではない。俳句を作りたい人をターゲットにするのなら「俳句のルール」とするのは正解だろう。とはいえ「俳諧のルール」も最低限押さえているのは抜け目ない。
 10のルールの説明で、やはり研究者と実作者の視点の違いというものを感じられるのが興味深い。それぞれがかなり自由に書いていると見られるが、初心者向けというのを若干意識しすぎかなと思われるところも、まま見られる。その中で、編者の井上さんの「季語」、深沢眞二さんの「滑稽・ユーモア」は手練れだ。単なる案内文ではなく、切り口の妙がある。
 入門者向けという枠組みを飛び出している感があるのが、青木亮人さんの「無季・自由律」。テーマはいわば「ルール破り」の俳句であり、ルールを破ってもなぜ俳句なのかを論じて行くのだが、そのキーワードは「俳句的な何か」である。ルール破りから逆に本質に迫ろうというわけだ。そして、あまりにも有名な「万緑の中や吾子の歯生えそむる」について、従来とは異なる読みを展開していくあたりは、入門書の域を超えている。読ませる。なるほど、ルール破りを論じているから、入門者向けというルールを破ってもいいわけか、と妙に納得。
 挙っている用例が、教科書に載るような有名な句ばかりで親しみやすく、かつ同じ句が何度も登場するため、稿者によってさまざまな読みが示されるのも、案外楽しめる。
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2017年03月20日

パブリックコメントを

トロントで開かれているAAS(アメリカアジア学会でよろしいのかしら)に多くの日本研究者が集ったようですね。トロントからメールが来ました。
政府の「文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会中間まとめ」に関する意見募集の実施について、アメリカのライブラリアンの野口契子さんやマルラ俊江さんから、国会図書館の図書館向けデジタル化資料送信サービスを海外に開放するようにパブリックコメントを出してほしい(3月29日〆切)との要請があり、協力してほしいということだということを、国文学研究資料館の山本和明さんから伝えられました。
このことは、海外の日本研究者にとっては切実な問題です。そして多くの方に出してもらうことが必要なのだということです。
「中間まとめ」については、こちらから、
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000892&Mode=0
ダウンロードできるようです。123頁あたりに、国会図書館の送信サービスについての記述があります。
パブリックコメントは、上記の画面から入ることができるようです。
海外の研究者との連携に関心のある方は是非御協力をお願いいたします。
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2017年03月07日

親孝行の江戸文化

私の後輩の一人である勝又基さんの「主著」というべき本が出た。
『親孝行の江戸文化』(笠間書院、2017年2月刊)。

この本を論じる際のポイントは3つあると見通してみた。
(残念ながら論じる時間がない。明日から海外出張だし、しかしここは速報性を重視ね)

1 書名
こうきたか、という書名。これは卓抜だ。「親孝行」も「江戸文化」もなじみのあることば。しかしそれを組み合わせたのが秀逸。そして、なにかぐっと新しいイメージがあるのが不思議。

2 ステレオタイプへの異論
「親孝行=封建制度の強化策」。これに異を唱える。

3 ゆきとどいた構成と意匠
装丁、組み版、英文要旨と、親孝行研究らしからぬ、センスのいい意匠。
そして、考え抜かれた構成。面白そう、惹きつけられる。
これで、本書は、一般書になった。

もちろん、一本一本の論文は創見に満ちた内容であるし、第4章、『本朝孝子伝』の作者藤井懶斎の伝記は圧巻である。
このごろは、海外調査などにおいて、私にとってありがたいアドバイザーでもある勝又さんの論文集出版を心から祝す。





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2017年03月04日

役者評判記の世界

大阪大学ではゴールデンウィークにいるや否や「いちょう祭」という春の祭があって、文学研究科ではちょっとした展示を図書館で行う。日本文学研究室もこれに毎年参加し、私も赴任以来ほとんど関わっているが、このごろはテーマを選ぶだけで、ゼミの院生に、選書や解説を任せている。任せたところ、結構凝って、展示解説がどんどん詳しくなり、コラムなどまで執筆している。展示ケースは2〜3くらいで、20点程度をいつも展示する。2年前は八犬伝、去年は黄表紙だったが、今年は役者評判記を展示する。少しばかり、阪大が所蔵しているので。近松研での役者評判記の展示図録を参考にさせていただきながら、院生たちは、いま解説を書いているところである。
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高松亮太『秋成論攷』

この時期は、学術書の出版が多い。研究助成図書ラッシュなのである。
 高松亮太氏の『秋成論攷―学問・文芸・交流』(笠間書院、2017年2月)も、学術振興会の研究成果公開促進費の交付を受けたものということである。この副題に関しては、私も非常に親しみを感じざるを得ない。
なにせ修士論文のタイトルに「学問」、本の副題に「文芸」、科研の課題に「交流」という言葉を使ったことがあるので。
 研究への入り方はちょっと違うが、現在のスタンスは、高松さんと私とでは結構近いのではないかと思う。つまり、秋成の本領である和歌・和文・学問を解明し、人的交流の中にその文業を位置付けようとするところである。したがって、高松さんの論文は大体は読んでいると思う。
 秋成研究の近年の傾向として、『雨月』『春雨』の作品論を論じる傾向から、高松さんのように、秋成の文業全体に目配りし、人的交流や、文芸の生成する場に着目する傾向へと、移りつつあるのを実感する。この傾向は、作品論のあり方も変えていくだろう。本書に収められる「目ひとつの神」論もそういう作品論のかたちだろう。
 私も馬齢を重ね、秋成研究を30年以上もやっている。その牛歩以下の歩みののろさに我ながら呆れはてるが、私が秋成論をいくつか書いたころに生まれた研究者が、こうやって堂々たる論文集を刊行するとは、まことに感慨深いものがある。勢いのある若手の活躍に大いに期待しつつも、私もくらいついてくっついていくつもりですので、なにとぞよろしく。
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2017年03月02日

湯浅佳子『近世小説の研究』

 湯浅佳子さんの、文字通りの大著『近世小説の研究―啓蒙的文芸の展開』(汲古書院、2017年2月)が刊行された。30本を超える論文集で、索引をふくめ650頁超。なるほど、湯浅さんの仕事は「啓蒙的文芸」で一本筋を通していたのですね。
 例によって、著者のことを語ってしまうが、私の印象は、ずっと前から「真面目な」「堅実な」「熱心な」というものであり、たぶん大きな仕事をする人はかならずそうであるところの、ルーティーンを確立している方だと見ていた。個人的にお話したことはあまりなく、読本関係の研究会でご一緒したことがある程度であるのだが、真面目というのは衆目の一致するところではないだろうか。
 実録研究の菊池さんと一緒になった時にはかなり驚いた。菊池さんもまた、湯浅さんと同じタイプの印象なので、このカップルは世界一真面目なカップルではないかと思えるほどである。しかし、韓国での学会の時であったか、お二人が買い物をしているところに出くわしたのだが、かなり普通の夫婦っぽかったので、安心したような記憶がある。
 無駄話ついでにいうと、品川に国文研があったころ、私がたまに上京して国文研で閲覧していると、ほぼ必ず出会うのが、湯浅さんと井上泰至さんであった。国文研が立川に移転してからも、湯浅さんとは頻繁に会うのである。湯浅さんといえば国文研、である。つまり暇が有れば勉強されているということなのである。
 着々を業績を積み重ねて、まとめられたのが今回の著書である。「『南総里見八犬伝』と聖徳太子伝」などの不朽の名論文も含まれる。
 なお、『近世小説の研究』という時の「近世小説」については、中村幸彦先生の『近世小説史の研究』での定義を継承されているのかもしれないが、今日この語を用いる時には、やはり説明が必要だろう。もちろん、説明はされているのだが、これだけ浩瀚な本なので、もう少し議論が必要かと思う。また「啓蒙的文芸の展開」とあるが、その史的展望についても、もっとうかがいたいところである。なぜなら、仮名草子から軍記・談義本・馬琴まで扱える人はそんなにいないからである。江戸時代を通して文学史的な見通しを語れる数少ない研究者のひとりだからである。是非、今後は「文学史」を意識されて、一層インパクトのある論文を量産していただきたいと願うものである。
 
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