2020年01月18日

中根東里という人

 去年の10月に行われた、佐野市立郷土博物館の「中根東里展」。なんと台風19号で、佐野市全体が被害を受けたため、展覧会は会期途中で中断されたという。関係者の無念さはいかばかりであったろうか。
 中根東里。私もその名は知っているが、何をした人なのかといえば、はて、漢学者でしょう?、ぐらいしか頭に浮かばない。この展覧会の図録『中根東里展−「芳子」と門人たち−』を去年の11月に送っていただいていた。ご紹介が遅れて申し訳ない。
 この図録の第一章「中根東里の生涯」に塩村耕さんが、西尾市岩瀬文庫悉皆調査の過程で、『東里先生遺稿』『東里外集』に出会い、二度驚いたことを記している。「新瓦」という文章に、幼い姪芳子が成長後に読むようにと直接的に明言していること(そういう例は稀少)、そしてその文章で西鶴の記述と似た状況が語られていたことに。東里は、「隠逸孤高の文人」だが、希有な思索者・表現者であることが塩村氏によって発見されたわけである。
 特定の人に向けて書かれた文章であるからこそ、誰が読んでも胸を打つということがある。前近代の文章はそのような性格を備えていると私は思っているが、このケースはまさに「我が意を得たり」である。
 さて、東里は、一生独身で学問に専念していた。しかし、突然幼い姪「芳子」を育てることになり悪戦苦闘する。姪が成人するまで自分の寿命があるか心配で、「新瓦」を書き残した(「あとがき」参照)。塩村さんは、この「新瓦」を「日本人必読の書」だと評する。原文は漢文だが、訓読文を施し、さらに丁寧にも現代語訳をつけている。かなりの思い入れだが、確かに、この文章は、古典と呼ぶに相応しい。現代的意義に満ちている。「忖度」という言葉の本当の意味も教えてくれる。そして「名を好む心は学問の大魔なり」と警告してくれる。興味深いのは、芳子は女性だが、「真の読書」をする女性になってほしいという。その時に何を読むか、何を読まずにおくかを木に例えて教えるのだ。
 『詩経』と『書経』は根、『論語』と『孝経』は幹、『左伝』『国語』『史記』『漢書』はその枝葉花実だと、それ以外は読んでも読まなくてもいいと。読書で徳を成すものは、上の部類、読書で恥を知るものはそれに次ぎ、読書を楽しみとするものはそれに次ぐと。我々にとっても、貴重な教えだ。
 さて、この図録、佐野の地に学問を根付かせた中野東里の功績を称えた展示で、きめ細かい。なかでも彼を慕った須藤柳圃宛書簡が多いが、翻字だけではく現代語訳まで付けてくれている。書簡文が読めなくても東里の思想の真骨頂を見ることができる配慮だ。なんだか、東里の教えを、この図録が受け継いでいるかのようだ。
 塩村さんと末武さとみさんの労作の図録だが、もはや東里研究の現時点における決定版といえるだろう。
 ところで、コラムのひとつに「東を歓迎した佐野の人々」(末武さん執筆)があり、そこにやはり佐野を拠点に俳諧および教化活動をした常盤潭北の話出てくる。かつて私が調べた、「教育する俳人」で、拙稿を引いていただいているのがありがたい。この縁で図録を送っていただいたようである。
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2020年01月12日

文学研究と歴史研究(滝川幸司さんの講演について)

 2020年初投稿。今年もよろしくお願いします。
 ブログで紹介したい本や図録など数点を年越ししてしまった。これからのスケジュールを考えると一気に挽回というわけにもいかないようだ。
 短い記事でも少しずつ書いてゆきます。
 さて、昨日は、大阪大学国語国文学会の総会(研究発表+総会)があり、昨年10月に着任された滝川幸司教授の講演が行われた。
 題して「渡唐の心情は詠まれたのか−寛平の遣唐使と漢詩文−」。
 中公新書の『菅原道真』164頁以降に触れられていることだが、道真が寛平6年に遣唐使可否再検討の状を出したのは、自身の渡唐に不安があったからだという説があるが、それはありえないということを話された。渡唐不安説は、状を出した5日前の重陽宴で道真が詠んだ漢詩を根拠にしている。しかし、天皇が催す詩宴で、詩題にそって詠まれた漢詩は、題意をふまえて詠むものであり、私情を詠むことはあり得ないこと、また詩に使われている「賓鴻」「向前」の典拠・用例を踏まえて解釈すれば、渡唐の心情を詠んだという解釈は成り立たないことを明快に述べた。
 もともと権威ある漢詩文研究者の説を、歴史研究者が鵜呑みにして、何十年も疑われなかったという状況があったということだ。
 そして、このようなことが起きないようにするには、やはり文学研究者が、注釈という文献解釈の方法をきちんと一般に説明し、啓蒙する必要があるのだということを主張された。学生にとっても非常に重要なメッセージとなったし、すごく意義のある講演だったと思う。
 歴史学者は史料を厳密に読むが、こと詩とか和歌についてはどうだろう。そのへんの注釈書を鵜呑みにしていないか?どの注釈書を使うかということも重要なスキルである。詩や和歌ばかりではない。最近もある歴史学者の論文で、文学テクストを扱ったものを見たが、そもそも、注釈や現代語訳さえ備わるテキストなのに、大昔のテキストを用いていて驚いた。ちょっと文学研究者に聞けばわかることなのだが・・・。
 しかし、同様のことを文学研究者もしているかもしれない。自戒しなければならない。そして、これはやはり人文学の蛸壺化が招いてきた弊害であろう。学際化・国際化が叫ばれているが、実際どうやってそれをやるのか?まずは、人的交流だろう。学生も、専門以外の授業を受けてみるといいと思う。一つ学問の境界を越えると、同じことを別の用語で称することもあることがわかる。
 そういうことをいろいろ考えさせられる講演だった。
 
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2019年12月31日

2019年

 中野三敏先生がお亡くなりになって1ヶ月が経ったが、研究をはじめて40年近く、先生がいらっしゃることが当たり前で、先生に読んでいただくことを目標に、考えたことをまとめて来たものだから、その喪失感は言いようがなく私の中では大きいのである。先生の教え子は例外なくそう感じているだろう。google検索で出てくるような知識ではなく、感銘を受けるとしかいいようのない学藝についての様々な知見を惜しげもなく示して下さった。たぶん我々の世代以下の日本近世文学研究者で、先生になにがしかの影響を受けていない人はまずいないだろう。
 私は、学部生のころ、先生の凄さが全くわかっていなかった。中野先生に学ぶことを選んだと言うよりも、やや消去法的に近世文学研究に志した。だから先生に学ぶことができたのは、おそろしくラッキーだった。
 先生は常に新しいことを考えておられた。おそらく誰よりも多く江戸時代の本を御覧になり、お買いになり、それらを手のひらに載せて、江戸にタイムスリップしては、現代人の考え方を相対化するような、失われた思考法や価値観を持って帰った。過去に学ぶというのは、そこから教訓を得るというような小さなことではなく、新しいことを知ることに等しいことを、先生は教えてくれた。
 先生は、文学を特権化するような考え方はなかった。「文学はすばらしい」というような言説は先生には見いだせない。むしろ、先生は、文学臭さと訣別して、江戸時代文化研究の方法を確立したと思う。モノに即して考えること、有名な作品ひとつを論じるよりも、おなじような雑本を百集めて江戸人の思考法を考えること、江戸時代のことは調べれば必ずわかること、何かを知るにはそれについて最も造詣の深い人について学ぶこと。いわば、現在の自分の思考を空しくして、江戸のことは江戸に聞くことである。「文学」という近代的概念で江戸を理解することはできないということである。
 2019年を総括する文章を書こうとして、結局は師のことを書いてしまった。古典文学研究者は「世間知らず」だろうと思われているかもしれないが、先生は実に現代社会・政治についても通じていらっしゃった。先生にとっては過去の文物も、現在の情報も等価だったように見える。過去の文献や人物を研究することが、現在を考える大きなヒントになることを私は先生に教えられた。自分もそこに少しでも近づきたいと思っている。しかし、それがとても難しいことだと痛感したのが2019年という年であった。
 みなさん、よいお年を。
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2019年12月22日

国語国文学的思考

 投稿タイトルは、白石良夫さんの新刊『注釈・考証・読解の方法』(文学通信、2019年11月)の副題である。ストレートど真ん中に来た感じ。
 国文学(私らの教室では日本文学)、とくに前近代文学の研究の基本は、注釈・考証・読解である。いわゆる「演習」科目では、ここを鍛える。それは、この本の帯にあるように、研究対象である「古典」テキストを、昔の人がどう読んでいたかを追体験するために行うものである。注釈・考証・読解では、現代の我々の思考や感性をいったん置いて、同時代の読者になりきることが求められる。作者になりきるのは難しくとも、読者にはなれるかもしれないのである。
 これにより、我々の持たない江戸時代人的な知識・江戸時代人的な思考に到達することができる。現代から見れば荒唐無稽な知識であり、現代からみれば首をひねる思考であっても、とりあえずそれを明らかにし、踏まえることからすべてを開始しなければならない。一知半解に、性急に、正誤や価値を判断してはならないのである。その作業を続けることによって、江戸時代的な、つまり我々にとっては未知の世界が開けてくるのである。これは、外国文化を学ぶことや、宇宙の謎を解明することと、なんら変わりのないあり方である。
 しかし、これを意識的に方法として身につけるのには時間がかかる。また、もしかすると人によっては同じことを目指していてもやり方が違うかも知れない。ここに書かれているのは、白石流の注釈・考証・読解の方法である。
 源氏物語や徒然草に出てくることばの注釈が実践例のひとつである。従来の本文校訂および本文解釈を否定して、周到な手続きによる別解を提示する。小川剛生さんの『徒然草』(角川ソフィア文庫)で、採用されたという。
 そのような実践を論文として発表し、それらを集成したのが今回の本である。学ぶところが多いし、国文学を学ぶ学生そして研究者にも是非読んでいただきたい。
 注釈・考証はともかく、「読解」となると、江戸時代人の読書の再現というのは難しくなる。江戸時代の読者の「読み」が一元的とは限らないからである。いろんなキャラクターが出てきて、役者を評する評判記のあり方を思い浮かべるまでもなく、江戸時代の読者の「読み」もまた、多様であろう。かつて「菊花の約」をめぐって、故木越治さんと論争になったこともあるが、木越さんは「近世的な読み」というものを認めていなかった(と私は受け取った)。「読み」はすぐれて近代的なものだというのである。そのあたり、白石さんはどうお考えであるのか?たとえば、西鶴の武家物について。一度おうかがいしたいところである。
 実はこの本は白石さんから献呈していただいたが、その添え状に「返礼はいらないが、ネットでの厳しい批判は歓迎」という意味のことが書かれてあった。ネットでレビューを公けにしている人って、私と川平敏文さん以外には、あまりいないので、私に対する挑発?ではないかなどと、意識過剰となってしまったが、まあそんなこともないだろう。初出は大体読んでいるつもりだが、今回きちんと再読しないまま、この文を書いたこと、申し訳ありません・・・
  
 
 
 
 
 
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2019年12月21日

『在外絵入り本研究と目録』

 山下(高橋)則子さん編『在外絵入り本 研究と目録』(三弥井書店、2019年10月)。山下さんのこのところのお仕事は、国文研の在外絵入本調査の成果を、おまとめになったものが立て続けにB5判で出ているが、今回のものは、イタリアの諸機関で調査されたものの目録と、ホノルル美術館リチャード・レインコレクションの稀覯書紹介を中心とした共同研究の成果を合体したものである。前半の研究編巻頭には浅野秀剛先生のレインコレクション「絵入折手本」の紹介ほか6編。伊藤善隆さん、二又淳さん、山下さんが執筆。後半の在イタリア日本古典籍の目録と紹介は、サレジオ大学マリオ・マレガ文庫など数カ所の文庫の目録と解説である。イタリアに何度も足を運ばれての調査は大変だっただろう。在外での目録作りは、コストがかかる。科研ほか何度もいろいろな外部資金をとるために苦労されたと推察される。
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2019年12月20日

都賀庭鐘の読書筆記

劉菲菲さんの「都賀庭鐘の読書筆記『過目抄』とその読本創作」(『國語國文』2019年11月号)は、相変わらずの精力的な調査に基づく論文。都賀庭鐘の読書筆記『過目抄』は早くからその存在は知られていて、必ずや、彼の読み本創作と関わるだろうということは予想されていたが、実際にそれをきちんと調査した報告はなかった。やはり劉さんが、やりました。これも都賀庭鐘読本研究の必須文献となるだろう。劉さんは、中国の大学に就職しているみたいで、よかったです。
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2019年12月17日

アナホリッシュ國文學8号

『アナホリッシュ國文學』第8号が、5年ぶりに再出発。しばらく出なかったのは、この雑誌のために献身的につくしてこられた編集者のご病気によるものだったというが、ここに、8号が刊行されたことは、大変喜ばしい。特集は「太平記」で、兵藤裕己氏と呉座勇一氏の巻頭対談が面白い。歴史研究者が、平家物語と太平記とでは、向きあいかたが違い、それは一次史料の残存によるものだいう(なるほど!)話から始まって、呉座氏の『応仁の乱』についての自著解説、太平記の政治性・思想性、「楠木」か「楠」かなどの話題が続くが、はっとしたのは、歴史学者は『太平記』を史料として見ているため、オリジナルにこだわるということである。日本文学研究者も、しばらく前までは古態・オリジナルにこだわっていたが、今では、どちらかといえば、「原本が複数ある」ことに違和感を感じない研究者が多くなっていると思う。オリジナルにこだわる一方で、歴史学者が論文を書くときに、流布本を使うことが多いという指摘も。
 歴史研究者・日本文学研究者のほかにも、川田順造氏・島田裕巳氏などが執筆していて、バラエティに富む特集になっている。
 『観応の擾乱』で知られる亀田俊和氏が、『英草紙』第九話について書かれていたのは、嬉しいことだったが、有朋堂文庫の『雅文小説集』で読まれていたようである。ここはやはり、注釈・現代語訳付きの小学館の新編日本古典文学全集を使っていただき、またその解説も踏まえていただきたいところであった。
 また、すごいのは学界時評で、各担当者は5年分の時評をしている。もはや「時評」ではないと突っ込みたくなるが、これ、担当された方は大変だっただろう。しかし、それぞれのスタイルで面白く書かれている。とくに木村洋氏の「近代」時評は、研究方法という視点からわかりやすく整理されていて勉強になった。
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2019年12月16日

文理融合

 じんもんこん2日目は午前中のセッションのみ参加。「文字認識」のテーマでの発表4本。うち2本は英語(発表者は理系)。じんもんこんを主催している情報処理学会というのは、相当歴史が古く、会員も1万数千人と、我々の学会の比ではない。そのうちの人文科学との融合的テーマでの研究会が「じんもんこん」ということになる。
 最初の発表が一番聴きたかったもので、今年行われた、機械学習によるくずし字認識を競うコンペについての報告である。11月のハイデルベルクでのワークショップでご一緒した人文学オープンデータ共同利用センターの北本先生によるプレゼン。
 このコンペはKaggleというデータサイエンティストのコミュニティ(会員330万人!)でのコンペのひとつとして行われた。Kaggleのコンペとは、共通のデータセットを用いて、機械学習の性能を競うもので、賞金も出る。このコンペに参加して、優秀な成績を収めるとポイントが与えられて、いくつものコンペでいい成績をおさめ、ポイントをためると、その世界の有名人となるようで、ケンブリッジの学部1年生が有名なのだという話があった。ゲーム的要素を取り入れて、科学を進展させるという方法である。コンペの仕様をきちんと作っておけば、機械学習の優秀さを競うだけに、指標がきちんとしているから、客観的な評価もできるわけだ。まあ日本文学の論文なんかでのコンペは無理である(笑)。
 国文学研究資料館は、オープンアクセス可能な、いわゆるくずし字で書かれた文献をかなりの数、データセットとして提供している。このデータを使って、どれだけ機械が正確に翻刻できるかというのを競うのが今回のコンペである。コンペを公正に行うために、かなり苦労されたということがわかった。データの提供においても、画像のクリーニング、新字旧字問題、字母か漢字かなど、さまざまな問題がある。コンペは3ヶ月行われて、293チーム、338コンペティション、2,652エントリーだったという。優勝者の文字認識正答率は95%以上である。コンペ参加者の中にはくずし字が読めない人も多くいたようである。世界規模でやっているので当然のことだ。そして、上位5名の賞金は3000ドルである!
 日本古典文学研究側からいえば、くずし字認識の機械学習の性能があがることは、非常にありがたいことであるが、コンペをやると、これだけの知恵がこれだけ速く集められるのだと知ったのは、衝撃的だった。
 コンペは賞金があるので、モチベーションは十分だが、普通の研究で理工学部の人たちが、たとえば落款を読むためのツールを開発することになる経緯には、かならず人的繋がりがあるはずで、そこにはいろいろなドラマが秘められてるのだろうなと、自分を顧みても思う。私の場合、くずし字学習支援アプリKuLAの開発を橋本雄太さんにやっていただいたが、これも古地震研究会が江戸以前の文献を読む必要性から、「和本のすすめ」の著者の中野三敏先生を講演に呼ぼうとして、結果的には私が代理で行くことになったというところから始まっている。
 文理融合は、文系の側から言えば、研究対象を「物」あるいは「データ」として捉えることによって、その解析に理系の方の力を借りるというところから発する場合は多いが、江戸時代以前についていえば、古典を単にテキストのみならず、紙質・書型・墨・綴じ方などの物としての解析が今や必須となっている。またテキスト解析も、ビッグデータを用いる科学的方法が取り入れられることになるのは必至である。
 一方で、理系の側から、文系の力を必要とすることがあるのだろうか。「医療における倫理」「古地震研究など100年以上前のデータ解析のための古文献読解」などが思い浮かぶ。わざわざ文理融合を考えなくても、文理融合をせざるをえない局面が多くやってきそうである。情報処理学は、現時点では分断されているように見える文理を繋ぐ役割をますます強めるだろう。
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2019年12月14日

「じんもんこん」に出かける

「人文科学とコンピュータシンポジウム」、愛称?「じんもんこん」が、自宅の近く、立命館大学大阪いばらきキャンパスにやってきた。これは、ちょっと覗いてみようと、会費前払いをしていたので、午後から出かけた。自宅から30分あまりで到着。はじめてきたキャンパスだが、ものすごく立派で驚いた。そして情報系というか、我々の業界の学会のスタイルとは違っていて新鮮だった。
 このシンポジウムは2日間行われるが、今日の午後は、まず国立歴史民俗博物館企画のセッションで「若手研究者によるCH」。CHというのが何なのか、いまいちわからないのだが、{コンピュータとヒューマニティーズ?)8人の若手研究者のプレゼンが行われた。国文学専攻の院生もいて、近代短歌テキストのデータベース化について発表したが、さすがにこれはわかりやすかった。
 企画セッションということだが、若手をほめあげて、育てる雰囲気が横溢していて、ほんわかした雰囲気である。これなら若手も安心して発表できる。若い学問だから、それでいいのではないかなと、まあ思いましたが。若いというより、文理を繋ぐ学問というべきだろうか。人文系の研究者がデータベースを作ろうとする場合と、情報系研究者が人文系が必要とするデータを用いてシステムをつくる場合とがあり、多くはその協同である。
 休憩をはさんで、ポスター・デモの紹介が22件! なんと、プレゼン時間は一人わずか1分である。日本文学系の学会では見たことのないスタイル。「あとはデモで、あとはポスター発表で詳しく」という感じで皆さん終わる。毎回、同じテーマで発表している「常連」もいるようである。
 このデモ発表の中には、「くずし字」関係が2つあった。豊田高専のシステムは、加藤弓枝さんから教えていただいていたから知っていたが、大阪工業大学の「文字あわせマッチング」は知らなかった。情報科学の授業で学生が開発したらしいが、くずし字と通常標記の平仮名を、トランプの神経衰弱のようにマッチングさせるゲームによって、くずし字を覚えるという学習支援アプリである。KuLAのテスト機能に比べても遜色のない効果が得られたことを教えていただいた。指導した教員の横山さんは日本文学が専門で、実はむかし私の非常勤先での学生(TAをしてくれた)だったのだが、世界って狭いですね。このアプリは、大学内でしか使えないらしいのが残念であった。
 KuLA開発以来、デジタルヒューマニティー関係の人たちと知り合いが増えてきていたので、ここに来ても、顔見知りが多い。いろいろ頼み事や言づてなど、やるべきこともやれた。今日は、一足先に失礼したが、明日もまた午前中の文字認識のセッションを聞きに出かけるつもりである。(続きを書くかも・・・です)
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2019年12月09日

『日本の文化をデジタル世界に伝える』

永崎研宣(きよのり)さんの『日本の文化をデジタル世界に伝える』(樹村房、2019年9月)。
デジタル世界の発展は著しく速いのに、ここに書くのが遅くなりました。
日本文学をはじめ、日本文化の研究や伝達・普及に関わるものにとって、デジタル世界を無視して仕事はできなくなっている。
しかし、コンテンツをデジタルに載せたり、利用するリテラシーは、人によって大きな差がある。
たとえば、外部資金を申請するときに、資料や研究成果を「WEBで公開する」としたとしても、具体的にどうやってやるのか、そしてそれをどうやって維持するのかというところまで、きちんと見通している研究者がどれだけいるだろうか。
本書は、そういう日本文化系研究者にとって、実にありがたい本である。
とくに、コンテンツをデジタルに載せる時の、さまざまな留意点を懇切に教えてくれている点は、実にありがたく、そういう意味で、しばらくは座右に置いておきたいと思わせる。
著者がデジタル・ヒューマニティーズの分野では、世界的に著名で、常時世界を文字通り飛び回っている方であることは、よく知られている。私は個人的にとても助けていただいているが、とても細やかで、親切なので、つい甘えてしまうこともあるが、とにかく、この方の存在は、ここ数年のデジタル・ヒューマニティーズの「快進撃」に大きく寄与していることは間違いないのである。
VF、TEI、もちろん基本から解説あります。「デジタルで発信」と考えているかた、お勧めです。
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2019年12月06日

中野三敏先生を追慕する

中野三敏先生が逝去された。三鷹の禅林寺で、通夜と葬儀は行われた。森鷗外と太宰治の墓のあるお寺である。通夜のあとの席で、可愛いお孫さんが促されてスピーチをされた。「おじいちゃんは、ぼくをよくくすぐるんだけど、くすぐっているおじいちゃんの方がいつも笑ってた」。目に浮かぶ光景、先生のお孫さんへの愛情がこれ以上ないほどよく表現されていた。
 何人かの教え子が弔辞を読んだ。ロバート・キャンベルさんは、中野先生の声が、最近弱々しく、発声が辛そうだったことから語り、朗々と通るお声を聞けなくなることが悲しいと結んだ。川平敏文さんは、先生の後継者としての責任の重さを受け止め、ご家族の介護にも謝辞を述べた。そして宮崎修多さんは、門下生にも促し、「仰げば尊し」を、切々と歌った。
 多くの門下生を育てられた中野三敏先生。教え子一人一人の性格やセンスを観察し、適切にアドバイスを送り、叱り、放任すべき時は放任された。振り返ると、それはあまりにもお見事であった。私はそのことへの感謝をお別れの言葉とした。
 みんなよく叱られてたよね、と野辺送りの場でも、盛り上がった。中野先生は柔和で優しいイメージがあるが、ここぞという時にきちんと叱って下さる先生だった。なかなか真似できない。
 教え子だけではない。中野先生を慕い、教えを乞う研究者はとても多い。先生は、惜しげもなく、ご蔵書を貸し与え、知見を伝えられ、ご自宅に招かれて本をお見せになることもあった。とくに若い研究者には、懇切であられた。
 先生は、「人好き」で、どんな人にも面白いところを見つけて、その人の居場所を作ってくれるようなところがある。社会常識的にはちょっとどうかなあというような言動をする人に対しても、寛容で、面白がり、排除しないのである。先生の真骨頂である「畸人」の伝記も先生の「人好き」が原点だ。
 先生を囲む食事会はいつも楽しかった。なぜだろう。誰かの話をしているのだが、ほとんどの場合、その人の面白いところを愉快そうに、愛情をこめて話されるのである。だから、その場は温かくなる。研究会が終わっての夕食会に、「今日は僕もいこう」とおっしゃると、みんな大喜びだったのだ。
 もう一度、そういう日が来ないかなあ、と思っていた。でも来なかった。誰かが「重しがなくなる」と言った。
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2019年11月11日

学会記(県立広島大学)

この土日、県立広島大学で行われた日本近世文学会。最近では珍しく発表者が多く、盛況だった。印象に残った発表をいくつか。
浅田徹さんの「近世歌風史論序説−十八世紀から十九世紀へ」。スケールは大きいが、決して大風呂敷ではなく、論の手続きもきちんと踏まえた説得力のある発表であった。富士谷成章と伴林光平という同時代の時代分類と模作をヒントに、近世中期から後期にいたる歌風の流れを整理した。近世和歌研究の側からの反論はいろいろありうるが、浅田さんは日本の和歌史全体の構想の一部を話されたわけで、発表も随所に近世以前の和歌についての知見に基づく見解が鏤められていた。今後の近世中後期の和歌を論ずるときの指標になるだろうと予感させるものであり、発表を聞けたことを嬉しく思った。
赤間亮さんの「AIくずし字解読支援機能付翻刻システムによるくずし字指導の実践と活用提案」も話題をさらった。凸版との共同開発ということで話は聞いていたが、実際のデモを見せていただいて、実によく考えられたシステムだと感心した。わからないときに、AIが「この字ではないか」という可能性を示すというやり方で、AIに翻刻をまかせるのではなく、解読を支援させるという発想がいい。しかし、実は私が感心したのは、「これだけをテキストを横に置いておけばかなり読める」という、厳選くずし字一覧表(これは赤間さんの経験値でつくったアナログの表)である。おもわず手を挙げて、「ください」と言ってしまった。copyrightをつければOKということで、早速、近世文学会のHPあたりでの公開を懇親会では交渉して、快諾を得たことを事務局にも報告した次第。
 吉田宰さんの平賀源内『根南志具佐』のカッパ図。なかなか楽しい、しかし手続きのしっかりした発表。師匠の川平さんを彷彿とさせるケレン味のない手堅い発表。弱点もしっかりわかっている。
 山本秀樹さんの「町に触れられなかった寛政二年五月出版規制法」。そんなことがあるのか、という意外な事実を、周到な実証的方法で提示。質疑応答がなかったのが残念だったが、是非はやめの活字化をお願いしたい。
 竹内洪介さのの「太閤記物実録の展開を辿る」。真書太閤記と太閤真顕記は同一の本なのか、どうなのか?『絵本太閤記』を今授業で読んでいるが、この辺が曖昧で困っていたところ、非常に明快に、その関係を提示してくれた。高橋圭一さんが質問されたように、なぜ大きな相違が十編だけなのか、なぜタイトルの混淆が生じたのかなど、疑問は残るが、真書太閤記から太閤真顕記へということを明言する資料を2点出したところがハイライトであった。
 私のゼミからも岡部祐佳さんが発表。瀬川采女説話の受容と展開。発表はまずまずわかりやすくできたのではないか。そして非常に有意義な質問・コメントをいただいたのは収穫だった。これを踏まえてさらにテーマを拡げ、深めていただきたい。
 今回大学のサテライトということで、非常に便利なロケーション。飲み処、食べ処が近くにたくさんあって、昼食や2次会、そして打ち上げでも美味しさを堪能できた。ョ山陽記念館での展示も楽しく拝見。2ヶ月ちょっと前の研究室旅行では臨時休館していたので、リベンジを果たしました。県立広島大学の高松亮太さんをはじめとするスタッフの皆様には感謝、感謝である。すみません、名札なくしました。
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2019年11月03日

佐竹本三十六歌仙絵展

 というわけで、京都国立博物館へ。かなり(妙法院展で)お腹いっぱいなので、ここはさらっと、と思って入館した。だが、ここの展示もフルコースディナーだった。満腹を通り越して、朦朧とするくらいだ。
 佐竹本三十六歌仙絵だけでなく、人麻呂像特集など、和歌関係の展示で充実していた。しかし、やはり佐竹本三十六歌仙絵というのは、すごかった。もともと秋田佐竹藩所蔵のお宝の二巻の巻物だったのが大正年間に売り出されたものの、今のお金で約40億ほどの値がついて誰も買えない。そこで、当時の財界の中心にいた、三井物産初代社長で数奇者の茶人である益田鈍翁が、これを歌仙一人ずつに切断し、お仲間の富裕な茶人たちで分けて買うという大胆なことを考え、実行したのである。それも、どれを買うかは籤引きなのである。とんでもない話だが、これが、1つ1つ趣向を凝らした掛け軸となって蘇り、あらたな美術品となった。つまりどういう表装を施したかというところも大きな見どころとなる。いやはや、昔の実業界の人というのは、江戸時代の富裕町人と同様に粋人である。茶会が彼らの社交の場である。今とは文化観が違う(「文化度」と書いたら怒られるので、「文化観」とした。今なら富裕層や政治家は大抵、社交(外交も)はゴルフなんだろう。首相でもそうだし)。茶会のためには茶のことはもちろん、華道や、古美術にも通じていなければならない。くずし字だって当然読めないとね。
 三十七の絵のうち、今回三十一を集めた。どれだけの苦労があったことか想像するにあまりある。一堂に会すとはこのことであり、これらをひとつひとつ見ていくことで、所蔵者たちの美への執念を比べながら見ていくことができるのである。みながら「古雅」という言葉が強く実感される。巻物のままだったら一体何メートルになるのか知らないが、全部を展げてみることは、博物館であっても不可能である。掛け軸になっているからこそ、全部(三十一点だが)が見られるのである。ホントすごかったです。
 
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妙法院特別展「皇室と妙法院」

 秋は展覧会の季節でもある。京都ではいまあちこちの有名寺社等で特別展観・特別公開が行われている。いわゆる開帳である。
 東山の妙法院では、「皇室と妙法院−御物の世界−」の展示が行われている。10日までである。
 私にとっては絶対に見逃せない展示。なぜならば、「真仁法親王日記」が出ているからだ。現在天明七年の分しか存在が確認されていないのだと思うが、まさにそれが見られるのである。なんて、大きな字。五センチ四方もありそうな。いろいろ考える。これは内容はもちろん日記だが、書の手習いなのではないか。それかあらぬか、展示部分は大師流師範の岡本保考への入門の記事である。この入門を機に、別の冊子に書いていた日記を、ちょっとさかのぼってこの大きな字で「清書」したのではあるまいか?(解説では入門以前から既に大師流の書を嗜んでいたとする。もちろんそう考えても全く問題はない) 初公開のものがいくつかある光格天皇の真仁宛書簡も多数展示されていた。書体といい、内容といい興味津々である。光格天皇もまた、大師流を学んでいた。そして光格天皇と真仁(光格の異腹の兄にあたる)の関係の微妙さが、この書簡から伝わって来る。とりわけ「頓首」を何度も繰り返したり「死罪死罪」と書き付ける異様な文面をもつ1通に瞠目した。光格天皇は確か、後桜町天皇にも、何度も同じ言葉を繰り返す書簡を出していて、このあたりの心性は注目される。
 他に面白かったのは、後水尾天皇が、徳川家康三十三回忌のために作られた「蜘蛛手」といわれる遊戯性の高い工夫をした十六首の和歌など。蘆庵の蜘蛛手を思い出させる。後光明天皇手沢の四書集注は、小本(その規格よりさらに小さい?)で、意外でであった。
 ともあれ、私にとっては超興奮の展示。その勢いで、すぐ近くの京博で行われている佐竹本三十六歌仙絵展に向かったことはいうまでもない。これば別エントリーで。
 
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2019年10月23日

井田太郎『酒井抱一』

 井田太郎さんの『酒井抱一−俳諧と絵画の織りなす抒情』(岩波新書、2019年9月)を拝読した。
フランス文学から日本文学に転身した井田さんは、学界でも独自の風貌である。オシャレなのである。そのオシャレぶりは、自信に満ちあふれているときほどとんがっている。とても余人に真似はできないが、密かに、その、誰もが簡単に真似できないところを私は尊敬している。
 研究スタイルも異色。今でこそトレンドとなったが、文学研究の対象として絵画を俎上に載せて論じてきた。日本近世文学会で、もしかして初めて発表全体をパワポでやった方かもしれない。繊細なのにマイペースなので、つかみどころがないように見えるかもしれない。いや、別に親しくさせていただいているわけではないが、一緒に仕事をしたことがあって(忍頂寺文庫の研究)、全く知らない人でもないのである。で、一言でいうと現代の畸人である。
 さて、『酒井抱一』である。言わずとしれた琳派の絵師。そのファンは多いのではないか。しかし美術史研究者でなく、井田さんに評伝の依頼が来たのは、おそらく、抱一を文人として全体的に押し出すため、つまりその文芸的な面を重視した人選だろう。井田さんは俳諧研究者なのだ。
 18世紀後半から19世紀前半にかけて、江戸の文化は成熟し、雅俗が融和して、非常に高度な遊び心に満ちた作品が、文学・美術を問わず輩出した。身分的な面から見れば、公家・武家・町人がそれぞれの階層を往来し、重層的で豊潤な文化を作り上げている。
 抱一はその文化を作った一人である。大名家に生まれは血筋のよさに加えて、抜群のアートのセンス。そしてその背後に、俳諧で培われた古典教養。レイヤーをまたがる人脈。この時代にこういう人は多いが、やはり抱一はその育ちのよさから、根っからの「雅」が備わっている。だから、抱一の作る俳諧は俗に見えない。たぶんこのころから、抱一周辺の俳諧は、和歌より格下ということではなくなったのだろう。雅俗が融和して、と言ったが、もはや雅俗の区別がないように見える。そういう時代の空気を、井田さんは抱一の伝記を辿りながら描いている。じっくり読めば、この時代の表現文化の機微が会得されるかもしれない。それは重層的あるいは多義的、輻輳的ということである。
 この本の白眉はやはり第4章にある。琳派の絵が古典教養抜きには語れない、いやむしろ古典教養に基づけばこれほど豊かに読めるのかということを見事に証明した章である。それは「夏秋草図屏風」の、本来的な鑑賞である。この絵をただ見て「いいねえ」と言っているだけではもったいなさすぎる。そもそもこの絵は、光琳の「風神雷神図屏風」の裏屏風として制作されたものである。そのことの意味について、これでもか、これでもかと井田さんは考察を深めていく。
 抱一は光琳の屏風を「脇起(わきおこし)」(俳諧の付合の一法で追善すべき故人の句を発句とし、それに脇句を付けることで故人を顕彰する)における立句とみなし、主題と構図において脇起を行ったのだという。そのように見た時に、非常に多層的に意味が発生する。まず「風(神)」と「草」。『論語』に、君子の徳は風なり、小人の徳は草なり」。上に立つものの徳は風で下にいる草は風によって善にも悪にもなびく。この風と草との取り合わせ自体が、古典の常套。そして雨と草。国を豊かにする雨の恵みを受けて草は生い立つ・・・・ここからはじまって、もういくつもの抱一の意図が解き明かされる。ネタバレになるのでこれくらいにしておくが、圧倒的な迫力である。そして井田さんは、抱一の夏秋草図屏風に「もののあはれ」を見い出すのである。
 副題の抒情という言い方は前近代の表現芸術用語ではないのだが、あえて抱一に「抒情」の語を用いるのが井田さんの勝負手だろう。たぶん第4章の「もののあはれ」をそう呼ぼうとしているのかもしれない。そういえば柏木如亭の詩をそう呼んだ人もいたか。
 ひとつの琳派の絵はこれだけ深い。それをいやというほど知らされる快著である。琳派ファンにお勧めである。

 
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2019年10月08日

滝川幸司『菅原道真』

滝川幸司さんの『菅原道真』(中公新書、2019年9月)を拝読。
もし、書評か紹介を書くことになったら、「文学部出身の実務官僚」とタイトルをつけたい。
つまり、道真とは今で言えばそういう人らしい。
氏育ちがものをいう平安時代において、異例の出世をした人物。漢詩人というよりも官僚としての姿を描き出す。当時の政治社会の中で、どういう存在だったのかを解き明かそうとする立場だ。
儒家とは儒学を基礎とした実務官僚であると明快に説明され、あらためて納得。そして当時の社会で漢詩を詠むとはどのような行為かという問いが、全編にわたって貫かれている。
普通なら劇的に描きたくなるだろう太宰府左遷についても、なぜそうなったのかを冷静に、淡々と述べていく。それが逆に迫力を持つ。しかし所々に、やはり滝川さんの研究成果が鏤められているのがわかる。なにやら小さい活字で羅列される参考文献の多さにも圧倒される。まさに滝川さんは、学者として誠実なのである。
漢詩に訳をつけているのだが、原文を残して、「可憐(ああすばらしいことだ)」とルビを施すのは、最近の漢詩文研究では普通なのだろうか。これがとても斬新で巧みだと感心した。
その滝川さんを、10月から、わが日本文学研究室の新しいスタッフとしてお迎えした。頼もしいこと、この上ない。

余言だが、文学部出身の実務官僚をどんどん出してゆくような教育をこれからはしていかなければならないな、と改めて思う。ドイツで会った文学部出身の外務省職員、すばらしい方だった。こういう人に官僚になってほしいと思ったものだった。
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2019年09月23日

「蕪村の手紙」展

 東京では芭蕉展が評判のようだが、伊丹の柿衞文庫では、特別展「蕪村の手紙」展が開催中である。昨年の「芭蕉の手紙」展に続く「手紙」シリーズ。担当は辻村尚子さん。手紙だけではなく、関連資料も多数展示されている。図録も充実している。
 22日には、田中道雄先生の関連講演が行われた。題して「蕪村の句は近代的か?」である。田中先生は同窓の大先輩であり、八十代半ばでいらっしゃるが、声は朗々として熱量がしっかり伝わるご講演。子規に見いだされて以後、「近代的」と言われることがいまだに多い蕪村句を、趣向でまずは解釈すべきであると提言され、具体的に示された。尾形仂先生や先生ご自身が、蕪村句の評価を転換させたはずなのに、蕪村はいまだきちんと読まれていない。「趣向」で読むことを徹底してやった人がいまだにいないと。
 また、嘯山・蝶夢・蕪村という先生の研究対象が、俳諧史において、どのような役割を果たしていたかを、分かりやすく語られた。田中先生の論文はほぼ拝読しているし、演習で『芭蕉翁絵詞伝』を取りあげたこともあり、先生の見取り図は大体理解していたつもりであったが、肉声で説明していただくと、不思議にぐっと深く理解されるように思う。ともあれ、研究の原点に帰ったような、爽快感の残るご講演であった。
 「古典詩歌の正統を継いで最後に輝く光」と見立てられたその蕪村観に到達するには、蕪村の手紙が欠かせなかったのだという。なるほど。すこし勉強した上で、もう一度学生たちと見に来よう。
 
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2019年09月20日

雅俗18号 その2 光るエッセイたち

『雅俗』の面白さは商業誌ではないのに、企画物が盛りだくさんということである。日本文学系商業誌が次々と撤退した今だからこそ、という川平さんの思いがある。川平さんは見かけによらず(失礼)、企画・人選が上手い。
 今回また新たな企画「この三冊」が登場した。寄稿者にお願いするのは、これぞという不朽の研究書・自分ともっとも縁の深い古典・院生に勧める一冊の3点である。佐藤至子さんが登場。『絵本と浮世絵』、『御存知商売物』、『落語の世界1 落語の愉しみ』を挙げている。
 白石良夫さんの連載エッセイ。これも相変わらずの手練れで読ませる。研究資料の提供とな何なのか、研究成果の発信とは何なのか、を具体的な例話で説いている。前半の「香炉峰の雪はいかならん」を紫式部のエピソードとする近世の読み物を、間違いと斥ける前に、なぜそういう説が流通したのかと考えるところに「江戸に出かけて江戸人に聞け」の注釈精神があると。これは私もQ大で鍛えられ、学生にも伝えているつもりである。後半の、翻刻に句読点や濁点をつけて提供するのはリスキーだが、やらねばならない、というところに学問の良心をみる話。これも全く賛成である。
 板坂耀子さんの「カルチャーセンターの周辺」。学ぶ意欲満々のカルチャーセンターの方々を、学問に「活用」できないかという提言。これも「我が意を得たり!」である。思い出したのは「みんなで翻刻」である。多くの一般の方が参加され、学問的に貢献されている。私の妄想では、「みんなで現代語訳」「みんなで翻訳」「みんなで二次創作」と、これはいくらでも広がってゆく可能性。学問とまなぶ意欲満々の方々をどうつなぐか、難しいと考えずにいろいろやってみる。リタイアしたら試してみたいこともいろいろあるな、などと更なる妄想を拡げた次第。
 渡辺憲司先生の「秋十年却って馬関指す故郷」。あの有名なメッセージ「時に海を見よ」の渡辺先生も、かつてはQ大の研究会で同席した方。そのあたりの頃をふくめて思い出を書かれている。これまた文章が巧すぎて引き込まれた。そしていつだったか渡辺先生のご自宅を訪れた時に、靴箱に蓄積された仮名草子用例のカードを拝見した日のことを思い出した。
 
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雅俗18号 その1 青山英正氏の春雨物語流通論

 いろいろ遅れて紹介しているのがあるけれど、雅俗の会の『雅俗』18号(2019年7月)は、リニューアル『雅俗』史上、私にとって最もエキサイティングだった。
やはり、その第一は青山英正さんの「伊勢の文化的ネットワークと『春雨物語』の流通」である。写本というのは、この世に唯一であり、その書写者・所蔵者(それが代わっていく場合も)のドラマがそこには秘められている。それは「手紙」に近いものである。拙著『上田秋成 絆としての文芸』以来、授業や講座で繰り返し述べてきたことである。秋成の『春雨物語』こそ、その典型的な事例である。『春雨物語』には富岡本と呼ばれる系統と、文化五年本と呼ばれる系統がある。前者は京都の羽倉信美への謝礼、後者は伊勢の商人(長谷川家)の依頼によって書かれたものであり、両者の本文の違いは渡す相手を反映したものではないかというのが、私が拙著でも書いた仮説だった。しかし、私もそうであるが、秋成研究者は、この問題を、秋成中心で考えてきた。ところが、近年、石水博物館の川喜田家の資料が調査され、秋成周辺の伊勢の文化ネットワークが劇的に明らかになりつつある。青山さんが春雨物語の貸借の状況などを明らかにし、今回の論文でも伊勢の人的ネットワークを背景にして春雨物語の流通を考えることを提言している。文化五年本の中でも桜山本の筆者とされる正住弘美に焦点をあて、彼がなぜ春雨物語を筆写したのかについて、諸資料を博捜して明らかにした。最後に青山氏の卓抜な比喩を引用しよう。
  川喜田遠里や小津桂窓のような江戸店持ち商人たちは、こうした伊勢の局所的ネットワークに接続する一方、江戸や上方とも文化的、商業的関係を持つことで三都をハブとする広域ネットワークとも接続していた。つまり、彼らは、伊勢の局所的ネットワークと、三都を含めた広域ネットワークとを中継する、いわばルーターのような役割を果たしていたのである。

 
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2019年09月16日

シンポ「古典は本当に必要なのか」が、本になりました。

 今年の成人の日に行われ、大きな話題となった、明星大学人文学部主催のシンポジウム「古典は本当に必要なのか」。ついに書籍化され、文学通信から刊行された。書名は『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』。すでに店頭に並んでいるところもある。仕掛け人の勝又基氏の編。表紙には当日のパネリスト、否定派猿倉信彦氏、前田賢一氏、肯定派渡部泰明氏、福田安典氏、司会飯倉洋一の名前が記される。シンポジウムは活字化に伴い、読みやすいように若干の編集があるが、ほぼ完全に当日の模様を再現している。さらに当日シンポ後にとったアンケート・意見、さらに公開されたYoutube動画へのコメント欄に寄せられた意見も掲載、登壇者の「あとがき」、そして勝又氏の原稿用紙80枚におよぶ「総括」が加えられ、読み応えのあるものになっている。この総括がつまり、書名の由来である。勝又氏の本気度が伝わる内容である。

 人文学の危機が叫ばれはじめて久しい。人文学、あるいは文学部の危機を訴え、その存在価値を再確認して共有するシンポジウムが、諸処で開かれた。大阪大学金水敏先生(当時文学研究科長)の「文学部の意味」をあらためて問いかける卒業式のスピーチが大きな話題となったことも記憶に新しい。それらを通して、「あなたのやっていること何の役に立つの?」と問われ続けてきた文学部出身者・在籍者は、〈すぐには役に立たないけれども、人生に大きな意味を持つ文学部の学問の意義〉を共有し、「そうだそうだ」と溜飲を下げたのである。しかし勝又氏は、それは「身内の怪気炎」にすぎなかったという。本当の文学不要、古典不要の考えの人たちと議論してこなかったのではないかと。

 勝又氏が企画した「古典は本当に必要なのか?」は、少し毛色が違った。これまでの登壇者とちがって、古典に愛情も、存在価値もほぼ認めない、徹底的な否定論者を、パネリストとして招いたのである。SNSでこの企画が告知されると、大きな注目を浴びることになった。その理由は、ひとえにシンポジウムタイトルの過激さと、下手をすれば人文学が手痛い傷を負うかもしれないという容赦なさにあっただろう。チラシは「仁義なき戦い」の映画ポスターを完全にパクったデザイン(実はこれこそが古典の手法なのだが)、否定派論客対肯定派論客のデスマッチという触れ込みで前評判も上々。会場には百人を軽く越える人々が集まった。ネット上で読書家論客として知られるブロガー、歴史研究者でベストセラーを書いた著者の姿、大手出版社の文庫担当編集者の姿も見えた。
 議論は、高等学校の必修科目に古典は必要か、という論点に絞って行われた。企画者側(私も一枚噛んでいる)は、否定派の議論の土俵にあえて立とうとしたのである。否定派は、国際競争が激化している現代における優先度という観点から、GDPに貢献しない古典は必修ではなく選択(それも美術・音楽と同様芸術科目で)であるべきだとし、古い道徳的価値観を刷り込む古典はポリコレ的にも問題があり、これを墨守しようとするのは既得権益にこだわるポジショントークだと断じた。文学研究擁護派は、こんな厳しい批判にさらされたことがなかったのである。一方の肯定派は、同じ土俵の上に立つのを回避し、古典の面白さや古典を読むことの幸福感などを主張した。議論はかみ合わなかったのである。会場で意見分布をアンケートしたところ、議論後に、否定派に傾いた者数名。その逆はない。数字としてはわずかではあるが、ディベートとしては、否定派の勝利と言わざるを得なかった。現在進行形で、シンポジウムが中継されていたこともあり、twitterでは、ハッシュタグ「#古典は本当に必要なのか」が、一時ツイートのトレンドに上がる勢いを見せた。その後、シンポジウム傍聴記がいくつもネット上に上がり、私自身も私なりの総括をブログで行った
 今回、これまで沈黙していた主催者勝又氏が、総括として長編論考を付載した。当日は出ていない論点がいくつかあり、賛成派として、否定派にしっかり向き合う議論になっていると思う。これをふくめて、今後行われるであろう、さまざまなレベルでの議論のたたき台としていただければ、関係者として非常にありがたい。私自身の考えの一端は、「あとがき」に述べている。
 
 
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