2019年08月10日

盛田帝子『天皇・親王の歌』

 笠間書院の人気シリーズ、コレクション日本歌人選の第四期が完結したようである。
 家人の盛田帝子も、その1冊を担当した。『天皇・親王の歌』(笠間書院、2019年6月)である。
 天皇の歌に関しては、谷知子さんの『天皇たちの和歌』(角川選書)、鈴木健一さんの『天皇と和歌』(講談社選書メチエ)がある。
 いずれも、読みやすい好著である。今回の盛田の本は、これらの先行書と差別化するということもあり、かなり大胆に「江戸時代の天皇」を中心に置いた構成になっている。
 また、「天皇(親王)」が、自身が天皇(親王)であることを意識した歌を選んでいるという。したがって、これまでほとんど知られてもいない歌がたくさん出てくるのである。
 さらに、江戸時代以前の天皇の歌については、江戸時代の天皇が意識したであろう歌を選ぶという方針で臨んだようである。
 そういう意味で、類書にない構成・選歌になっているのである。
    おほけなくなれし雲居の花盛もてはやし見るはるも経にけり 後桜町天皇
    陸奥のしのぶもぢずり乱るるは誰ゆゑならず世を思ふから  孝明天皇
 副題に「和歌という形でつづる天皇のことば」とあるゆえんである。
 したがって、店頭で本書を手にとって、「?」となった方も少なからずいらっしゃるだろう。和歌で綴る江戸時代天皇史の趣なのである。なお、現上皇の歌を含め、近代以降の天皇の和歌も収めている。

 
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2019年08月02日

大谷雅夫先生集中講義

 今年度、日本文学の集中講義には大谷雅夫さんをお招きし、和漢比較文学の視点で、さまざまなトピックを縦横に講義していただいた。
 通うのはちょっと大変ということで、大学近くのホテルに宿をおとりになったのを幸い、食事も連夜おつきあいいただいたのであった。
 大谷さんは、研究会などでお会いすると、親しくお声がけしてくださるけれど、そもそも私は〈親しい〉間柄でもなく、〈友達〉というわけでもないのであるが、とにかく、その学問を敬愛するがゆえに、また学生に是非聞いてもらいたい一心で、思い切ってお願いしたところ、ご快諾をいただいたというわけである。しかし・・・、実は、大谷さんのお話によれば、私が九州大学助手のころに、大谷さんが九大を訪ねてこられ、京大の先輩である今西祐一郎先生が、一席もうけて、中野三敏先生も同席された会があり、そこに私もいたのだという。恐ろしいことに、そのことを全く憶えていないのである!普通、忘れていても話をきくと思いだすものだが、なぜか思いだせない。水炊き屋だったというから、たぶん芝なんだろうが・・・。
 それはともかく、伊勢物語と仁斎、仁斎学と宣長学がテーマの2コマだけはお願いして、聴講させていただいた。伊勢物語で昔男が、おばあちゃん?の望みをかなえてあげる段については、最近の注釈書でも結構評判が悪いことを紹介したあと、近世期の注釈では、昔男のふるまいを称賛している例を挙げて、仁斎の「恕」の思想と関係づける。非常に面白い。また宣長の「物のあはれを知る」説は仁斎の「思無邪」(これは論語の詩経解釈のことば)についての注釈、つまり「正に帰す」という朱子学的解釈ではなく、仁斎『論語古義』の「思無邪」は「直」、つまりストレートに述べたものだという解釈を受け継いでいることを、仁斎ー東涯ー景山ー宣長の流れで説明し、ともすれば近代的な文学観と評価されがちな宣長の「もののあはれ」の説も、倫理的な面があって、近世的といえるということ、非常に説得力があった。この話は鈴屋学会でお話しされたものだという。
 学生も大谷雅夫先生の講義が聴けるということで昂揚し、喜んでくれていたので、よかったよかった。4日間15コマみっちりやっていただいて、お疲れ様でした。本当にありがとうございます!
 
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2019年07月30日

星槎グループ監修『真山青果とは何者か』

 真山青果といえば、なんといっても『元禄忠臣蔵』の作者。忠臣蔵の物語は、この青果の作品で現代ドラマになったと言えるかもしれない。
しかし、青果は劇作家というだけではない。もともとは自然主義小説作家であり、またその収入の大半を西鶴研究をはじめとする近世文学研究に注ぎ込んだ研究者でもある。本書は、真山青果の旧蔵書の管理を引き受けられた星槎グループ(幼稚園から大学院まで、さまざまなユニークな学びを実践する教育グループ)の全面的支援を受け、国文学研究資料館の協力を得て、蔵書調査・学術シンポジウム・展示などの実績を踏まえて出版された、さまざまな顔をもつ真山青果の仕事の再評価の書、それが『真山青果とは何者か?』(文学通信、2019年7月)である。編者は真山蘭里氏・日置貴之氏と私で、執筆者・対談者は総勢25名。T交遊関係、U小説家・研究者、V劇作家、W青果作品小事典、Xビジュアルガイドの五部構成。特別座談会として、中村梅玉・神山彰・中村哲郎・織田紘二・日置貴之の「青果劇の上演をめぐって」。読み応えあります。詳細はこちらを御覧いただきたい。
 私は本書成立の経緯を後書きとして書いているだけなのだが、不思議な縁つながりで本書は出来上がっている。25名の執筆者の皆様と、星槎グループの皆様に心より御礼申し上げます。
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2019年07月28日

濱田啓介『国文学概論』の偉業

 厚さ6センチ。1200頁超のとてつもない日本文学概論書が2019年6月、京都大学学術出版会から刊行された。濱田啓介先生の『国文学概論』である。「後記」に、出版にいたる経緯が記されている。京都大学学術出版会の八木俊樹さん(故人)という編集者のお勧めがあったようだ。濱田先生みずからおっしゃるには、「私がある対象領域についての求心的な研究者ではなく、あちらこちらへと発散的な性格であることを(八木さんが=飯倉注)了解しておられたのと、先の著書の内容には、様式論・伝達論のような言い方が有ったので、その点で特徴ある研究者だと思われたからであったようだ」と。八木さんが亡くなられたあとも企画は生きていて、濱田先生は、20年これに取り組み、余人の追随を許さない超大作を完成させたのである。手書きだっという。原稿は2014年に書き終わられ、それからさらに編集者との意見交換を繰り返し、2018年に完工したという。
 序章として「伝達論の立場から」という文章がある。国文学の概論が、現時点では、「国文学」とは何かというそもそも論から始めなければならないのは重々承知の上で、それを正面から扱えば、いま一冊の本が必要である、だから、様々な観点から国文学の範疇に入ると大方の了解を得ているテキスト群を、その作品という「もの」に即して、歴史的に通観するという立場をまず表明する。
 次に、「伝達」というキーワードで、文学を捉える。作者という発信者が、同意同感を所期して受信者に向けて、何かを伝える。そのときに、文学的言語技術を必要とする。「文学的価値とは、端的には言語技術の価値という事になり、それ以外の唯一の美学的基準はない」。作者から読者への伝達という点に着目するこの考え方に、時枝誠記の言語過程説などが影響を与えているような気もするが、いかがであろう。さすがに近世の作品については細やかである。最近、私は高山大毅氏の提言を受け、「雅俗」概念について再考すべきことを痛感しているが、濱田先生はどうだろう、もしかすると概論の中で「雅俗」の語を用いていないのではないか、と「期待」しつつ読んでいったが、やはり使っておられた。『仁勢物語』のところで。パロディの価値は、「雅俗両界を統合する発信者の言語技術の成果であり、文学的価値が成立する」と。とはいえ、どちらかといえばあまり使っておられないなと思う。そこに少し注目している。
 「言語技術」というドライな用語は、文学の評価を、主観的・心情的にすべきではないという姿勢の表れかな、とも思う。
 この概論の考え方をベースに、以下時代順・ジャンル順に文学史的な記述が行われる。部分的にしかまだ読んでいないが、どこを読んでも弛緩がない。そしてあくまで客観的な叙述を心がけている。
 近世文学までを論じきって、近代の入口まで来たとき、濱田先生は、「立ち留る」。そして、その時点で、さらに先に進んでいく「近代文学の後ろ姿」を望見して終章とする。見事な締めくくりである。
 幸いに、私は濱田先生を中心とする京都近世小説研究会に(時々サボっているけれど)20年弱参加し、濱田先生から様々な教えを受けた。またかつては中村幸彦先生宅の蔵書調査に加えていただき、読本を調査される濱田先生のノートを見せていただいた思い出がある。もちろんそのノートには圧倒された。大高洋司さんのプロジェクトでも俯瞰図的なことを発言されることが多かったと記憶する。先生は造本や書型や版元の営為など、現在でこそ主流となっている切り口を若い頃からお持ちであり、その背後には、ものすごく大きな構想が常にあった。今回の国文学概論はだから、出るべくして出た本だともいえるのだが、やはり、余人には真似の出来ない大業である。90歳を前にしての偉業に心から敬服と祝意を表するものである。
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2019年07月22日

大橋正叔『近松浄瑠璃の成立』

 先日のある会の二次会で、井上泰至・福田安典・佐伯弘次のお三方と同席したが、同世代だという。学会にいると、時々そういう話題になる。ちなみに、鈴木俊幸・山本卓・冨田康之・ロバート=キャンベル・高橋則子各氏あたりと私は同世代だろうと思う。さて、私より一回り上、昭和17年・18年生まれの世代も、ひとかたまりで優れた研究者がたくさんいるのだ。お世話になった方や、親しくさせていただいている方のみ挙げても、井上敏幸・若木太一・故中山右尚・井口洋・西田耕三・上野洋三・・・・と錚々たるひとたち。そして大橋正叔先生だ。ちなみに、私が自然に「先生」と呼んでしまうのは、この世代までで、その少し下になる白石良夫・大高洋司・服部仁・廣瀬千紗子・渡辺憲司・故木越治・中嶋隆・・・・各氏に対しては「さん」づけになってしまう。
 で、九州の先生方は先輩でもあり、可愛がっていただいていたので、怖くはなかったが、関西在住の先生方は怖かった。大橋先生もとても怖かった。20年くらい前に天理大学で春雨物語の「血かたびら」の発表をやった時に、会場校責任者の大橋先生と電話で話すことがあって、「(君が春雨の発表するから)展示で富岡本出しておいたから・・・」と言われたときは、その言葉を深読みしすぎて、タラ〜っと来てしまったのである。
 しかし、2001年に大阪に来て、何年か奈良に非常勤で呼んでいただいたことがきっかけで、奈良女子大に集中講義で来られた先生を囲む会の際に、お声がけをしていただくようになり、その会にいらっしゃる石川真弘先生や大橋先生と定期的にお会いすることとなり、大橋先生がとても優しい気さくな先生だということがわかってきたのである。それからは、完全に私の甘えモードで、いろいろ相談などに乗っていただいたこともあるし、阪大の学会で講演をお願いしたこともある。そう、大阪大学のOBでもあるのだ。とにかく大橋先生のお顔をみると、かつては緊張していたのだが、今ではほっと安心するのである。いつも余裕の笑顔を浮かべておられることもその理由かもしれない。もちろん、天理大学では要職につかれ、あまりに仕事ができるために、なかなかやめさせてもらえなかったようだ(もちろんご本人がそういっているわけではない、はたからみての推測)。
 さて、前置きが長くなったが、大橋正叔『近松浄瑠璃の成立』(八木書店、2019年6月)である。
 重要な論文がいくつも収められているが、2つだけ触れておこう。まず「近松世話浄瑠璃における改作について」。これは阪大の國語國文学会でご講演していただいた内容。改作を通して見えてくる、近松の縦筋の堅牢さが、多くの改作を産んだこと。改作のポイントが「世話性」にあることなどを指摘する。講演の時は、それは近松に限らず・・・と、近世小説の世界まで縦横無尽に語られていたことを思いだす。
 では、近松作の作品の「世界」はどうなのか。「近松門左衛門と世界」という論文。「世界」という概念が狂言作者の意識に上るのは、近松よりあとのことであって、時代に即して考えるならば、近松作品を「世界」で分析するのは的外れだということになる。とはいえ、曽我物に関しては、近松以後の浄瑠璃史の展開から言っても、近松自身の曽我物の変遷をみても、一定の意味があると。しかし『太平記』物になると、「世界」というとらえ方ではとてもなかったように思われると。そういう警鐘を鳴らすものである。近松の自由さ、変幻自在な時代物の作り方は、論じる方もまた、「世界」に縛られては見えてこないというのである。「世界」と「趣向」は便利な分析概念であるが、心してかからねばならない。
 わずか2論文に触れたのみで、申し訳ないし、的外れなことを申しているかもしれませんが、お許しください。

 ちなみに一回り上ということで、日本文学ではないが、別格的存在は、ここまで何度もブログでも触れているが、フランス文学者の柏木隆雄先生である・・・。『上方文藝研究』でもなんでも、いつも刊行後すぐに読んでしまわれて、感想を投げてこられることがあって、私としては、映画を観る前にネタばらしをされている感があることもあるくらい、日本文学研究に関心が深い方である。
 
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2019年07月19日

鈴木俊幸『書籍文化史料論』

 また鈴木俊幸さんが本を出した。『書籍文化史料論』(勉誠出版、2019年5月)
 新書版を矢継ぎ早に出す人は少なくないが、これだけきちんとした論文集を立て続けに出すのは・・・・。もう敬服以外にない。
 なにせ、同じ年齢なので、自分の怠慢を突きつけられるような辛さもあるのだが、そこはとりあえず目をつぶって、本書を紹介する。
 本書は、さまざまなレベルの書籍文化関連史料を元に、江戸時代から明治にかけての出版・書籍文化を縦横に論じた本である。
 ほとんどの史料が、鈴木さんの発掘したもので、鈴木さんの手にかからなければ、その史的意義を十全には説明できないものではないか。
 冒頭の京都書林仲間記録『重板類板出入済帳』(安永二年〜安永六年)の新出史料からは、一八世紀後半の本屋・書籍の裏事情が様々に明らかになった。影印・翻刻もついていて貴重。
 書籍目録・識語・書簡などから照らし出される書籍の流通や価格。さまざまな書籍関係の商取引のありかたや人的交流を示す葉書の解析。長野県の行政文書から明らかになった臨川寺絵図の謎。請取(領収書)と通(かよい)帳から見えてくる書籍価格、石見の医師の読書記録から見える医師の読書マニアっぷり、その他、引き札、貸本広告、貸本印、貸本屋の営業文書から見える営業実態・・・・、と、使う史料が、普通は見過ごしてしまうような、ごく普通のお仕事の書類やメモであることに驚かされるが、それを捌いて書籍文化論を展開する巧みな行論。もう何度もつぶやいた「参った!」を、また呟いてしまったのである。ちなみに2段組となっている後半の「書籍文化史料片々」は『書物学』連載。
 

 
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2019年07月18日

岩田秀行『江戸芸文攷』

少し前に出た本を、これから少しずつ紹介していきたい。
まず岩田秀行さんの『江戸芸文攷−黄表紙・浮世絵・江戸俳諧−』(若草書房、2019年4月)。
岩田さんといえば、近世文学研究者・浮世絵研究者からリスペクトを受けている優れた研究者である。
この本には入っていないが、東洲斎写楽は「トウジュウサイシャラク」と江戸時代は読まれていたことを説得力ある用例帰納で実証した論文もある。東洲斎だけでなく、雨森芳洲や、五井蘭洲も、濁って読むべきであると。この説はまだまだ流通していないが、やがて辞書の項目もそうなるだろう。
黄表紙篇では、黄表紙『明矣七変目景清』についての徹底的な分析が、これぞ戯作研究!と賞賛したくなるほど、すばらしい。黄表紙作者の、というか天才京伝の脳内ツアーをしている感あり。
浮世絵篇ではやはり「「見立絵」に関する疑問」という名論文が、光る論文群の中でもとりわけ光っている。この論文ぬきに「見立絵」は語れない。
江戸俳諧篇は、「江戸座」についての研究が独擅場。
岩田さんの論文はこの本所収以外にも多く、西鶴諸国はなしの紫女の論も忘れがたい。同じ篇の論文を書いた井上敏幸先生が「脱帽だ」とおっしゃっていた。
ただ、本書にまとめていただいただけでも、本当にありがたい。

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2019年07月05日

初の国際学会英語発表

お久しぶりです。
怒濤のように、いろいろなことがあった6月が終わり、不義理を重ねることを気にしつつ、7月1日に関空からバンコクに飛びました。
AAS-in-Asiaに参加し、パネル発表するためです。
AASとは Association for Asian Studies というアジア研究の国際組織であり、本家はアメリカで、USAで毎年開かれています。2019年はデンバー、来年はボストンです。アジアでも開かれていて、それがAAS-in-Asiaです。今年はバンコク、来年は香港で開かれる予定です。
私が参加するのは初めて。全体テーマは「アジアの激動」みたいなことですが、我々のパネルは日本の江戸時代から明治時代にかけてのパフォーマンスがどのように出版物に転化するかということを追究するものでした。もともとパネリストは4人だったのですが、そのうちアメリカの大学に勤めている方が急病で来られなくなり、3人でやることになりました。
 オーガナイザーの勝又基{明星大学)さん。最近では「古典は本当に必要なのか」の企画をされ、私も司会として参加しました。ハーバード大学に1年間留学してからというもの、国際的な活躍がめざましい私の大学の後輩です。私も自分の英語力のことか顧みず、国際学会で発表をしてみたいと思っていたのですが、それが実現するとは思っていませんでした。その背中を押してくれたのが勝又さんでした。外国籍で、できれば女性、もちろん英語発表ができるというメンバーを一人私が捜すことになりましたが、阪大の博士課程の院生で該当する人がいました。それが金智慧さん。明治期の歌舞伎を研究している阪大の大学院生です。金さんは歌舞伎の内容を出版化した「正本写(しょうほんうつし)」の明治期のありように焦点をあてて発表することになり、この発表を柱に、勝又さんが旅行記の書籍化、私が奇談研究の立場から談義と咄の書籍化について発表することになりました。
 AAS-in-Asiaは、私の所属する日本近世文学会とは全く違う世界です。しかし、こういう世界は体験しておく必要があると私は思っていました。なぜか。いま私が教えている学生たちに、私が学んで来たこれまでの日本古典文学研究の方法を教えるだけでは、彼らは今後、激動する人文学研究の世界の中で到底生きてはいけない。学会自体もそうですが、学際化・国際化をしないところは、縮小・消滅していきます。とくに日本文学研究はその波をもろに受ける。大学院大学で教育をになっている者としては、彼らのこういう世界があるということを紹介し、そこに挑んでもらわなければならない、そのように私は考えています。これは私だけではなく、大学院で教える者がこれから、いや今すぐに考えなければならないことでしょう。
 私を知っている方は、私の英語力が中1なみであることをよく知っています。ですから、血迷ったのか?と笑う人もいるでしょう。また、まともな英語をしゃべれないくせに、国際学会で発表するとは無礼で、学会を侮っていると非難される方もいるでしょう。しかし、国際学会未経験の者が、「これからは国際学会で発表するようでないとダメだね。英語で教えられないと就職もむずかしい」と学生に言って説得力があるのか。「俺はしないですんだけどね」とか言って、学生をその気にさせることができるのか?下手でも恥でも、やはり自分が学会に出て行って、身体でそれを経験し、失敗の教訓を持ち帰ることが教育ではないか、とまあ思ったわけです。ただ思うだけで終わるところを、後ろから強引に背中を押してくれたのが勝又さんだったのです。
 もっとも、発表することが今年のはじめくらいに確定して、さあ英語の勉強をと思ったものの、一説には7000時間やらないと英語は物にならないといわれているのですから、そんな俄勉強で簡単に英語力がつくはずもなく、にわか勉強といえるほどの勉強もできないまま、時間はどんどん過ぎていったのでした。しかし、進化する翻訳ソフト、ネイティブなみの英語読み上げソフト、そして何より、私の周囲にいる、多くの英語スピーカーのみなさんの本当に献身的なご協力のおかげで、発表原稿がだんだんと形になってはきました。一時は何度も逃げたくなりましたが・・・。この場を借りて、厚く厚く御礼申しあげます。
 というわけで、6月も、法事やら公開講座の仕事やら臨時的公務やらいろいろあり、原稿未完成のまま飛行機に乗るというピンチ。しかし飛行機の中と、ホテル着後の時間で2日前に6,7時間がとれ、前日に読みの練習を3回ほどやって、本番に挑んだわけです。
 ところが発表当日、その国際会議では、私たちのセッションとまったく同じ時間にジャパンファンデーション主催のラウンドテーブルが開催されることになっていたのです。そちらは超満員の人気らしい。日本関心層はほとんどそっちに行く勢いです。開始2分前に1人だけ入ってきました。(あとでその方は高名な中国文学者だということが明らかになります)。事実上その方だけが聴衆でセッション開始。しかし開始後2人ほどまたはいってきて、パネリストの関係者をあわせ聴衆4人パネリスト3人の合計7人で、案外にも非常に充実した議論ができたのです。実はその場にいたひとが全員日本語もできるという奇跡もあって、少し日本語も混ぜながら、でしたが。かつて経験したことのない事前の緊張と、事後の解放感・達成感は言葉に言い表せません。66176309_2154325764694368_924827469532364800_o.jpg
もちろん、他のセッションも聞きにいきました。もう、全く我々とは違う問題意識、議論方法、まさに「こういう世界もあるのだ」と実感です。しかし、我々のやっている研究とリンクしないかといえば、決してそうではないという感触も得ました。そして思わぬ人物と知り合うこともでき、国内学会では絶対に得ることの出来ないものを得たと思います。しかし、これで終わっては、今回得たさまざまな教訓を生かすことはできないわけで。また何らかの形で、無謀な挑戦をしたいと思っています。
 
 
 

 

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2019年06月11日

シラネ・ハルオ先生の講演会を実施します。

ハルオ・シラネ先生(コロンビア大学教授)が第26回山片蟠桃賞を受賞されました。この機会に来阪される機会をとらえ、大阪大学文学研究科では先生の講演会を開催します。
6月18日(火)14:40〜16:10
大阪大学豊中キャンパス法経講義棟2番教室
場所はこちらをご参照ください。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/ja/access
「四季の創造 日本文化と自然観の系譜」。入場無料、事前申込不要。
お問い合わせは、bunsouhaku-syomu@office.osaka-u.ac.jp (大阪大学文学研究科庶務係)
講演は授業の一環として行われます。
同会場は10分前まで、別の授業がございますので、入場は約10分前からになります。よろしくお願い申し上げます。
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2019年06月09日

学会記(鶴見大学)

 恒例の学会記。本年度春季大会は、鶴見大学。前日は国文研の会議に出た後、横浜でちょっと私的なお祝いの会。土曜日午前中は、慶應大学三田キャンパス図書館に出向いて「本の虫・本の鬼」展を観た。いや、すばらしかったです。眼福とはこのことかな。田町からJRで鶴見駅に到着すると、多くの知り合いがいて、迷うことなく到着できました。鶴見大学はよく学会を開催することがあって、学生さんも馴れていて、そつがなく、おもてなすぶりがすごい。過剰なサービスがあるわけではないのだが、とにかくいこごちがいい。これは指導が徹底しているというよりも学生さんがすべてわかっていて、的確に行動できるということに他ならない。ちなみにここの学生さんはKuLAでよく勉強されているようで、しみまるCVの私も、ゆるきゃら並の歓迎を受けたのである(大げさ)。あまりの嬉しさに、しみまるの声でいろいろやってみせていると、N大のK員M江さんに、「やめなさい」と注意をされてしまいました。ちょっと軽すぎましたか。
 もちろん、神林尚子さんと加藤弓枝さんの開催校実行委員コンビも完璧で、テンパった様子もなく、まるで日常業務をこなすかのように、きちきちと進めていくのである。図書館で行われていた展示も、ただいいものを見せるというのではなく、非常に学術的に構成されているのに感心した。それのみならず、いろいろと配慮が!
 発表は9本、若手・中堅・ベテラン・大家が、バラエティーに富む発表をした。印象に残ったのは、「その調査は何のために?」「その調査結果からどういう見通しが」というような質問が多かったことであろうか。
 ところで、2日目の午前中に偵察すると、学生とともに演習の成果として刊行した『翻刻『三獣演談』』の売れ行き(無料なのですが)が芳しくなかったので、昼休み前にアナウンスさせていただくと、なんとあっというまになくなってしまったのは嬉しい驚きだった。
 ただし、そのアナウンスで言うのを忘れていたので、ここで申しあげるが、すでに翻刻に関して、翻刻ミスをはじめさまざまなご指摘をいただいていた。それを「正誤表」などの形で反映することが、私の怠慢でできないまま、学会で配布してしまったのである。そのことのお詫びと、また翻字ミスのご指摘をお願いするのを、忘れてしまったのである。この場でお願い申しあげる次第です。
 そういえば、初日の2次会マップで、「一推しです」と学生さんに勧められた、ドイツ料理のお店、美味しかったです。
 いつもに比べると、ちょっと軽めの学会記、どうもすみません。でも一応全部聴きましたので。
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2019年06月03日

〈奇〉と〈妙〉の江戸文学事典

長島弘明さんの東大ご退職記念となる『〈奇〉と〈妙〉の江戸文学事典』(文学通信、2019年5月)が上梓された。
まことにおめでたい。
この辞典の素晴らしさは、まず、企画である。これまでにないアイデアの「読む」事典ですね。もちろん、索引を使って、引く事典としても使えるし、ジャンル別の索引があるのも便利である。
そして、すべての執筆者が、直接間接に教え子だということ、それが約40人、というのは本当に驚くべきこと、みなさん第一線で活躍している方ばかりである。今、自分の教え子だけで、多ジャンルにわたる事典が作れるというのは、近世文学では長島さんしかいないだろうが、それにしてもこの人数は突出しています。
一般の方向けに、平易に書かれているとはいえ、専門家にもとても役立つ本になっている。信頼できる著者により、最新の研究を踏まえた文献案内が付されているので、安心である。
このようにジャンルを解体し、テーマで分類することで、江戸文学の新たな魅力が再発見される。
奇妙な本を集めているように見えて、スタンダードもほとんど網羅している(少しの例外はあるが・・・)ところも、本書が広く読まれ、また公共図書館や大学・高校の図書館に置かれるだろうなと想像できる理由である。
ソフトカバーにして、価格もリーズナブルな設定。卒論に近世文学を選ぶ学生に、まずこれを読んでみて、と勧められる1冊でもある。
今回は、〈奇〉と〈妙〉がテーマだった。テーマを変えてもいいから、古稀記念でも、1冊出して欲しい。江戸文学には、まだまだ、傑作・問題作・爆笑作はいくらでもあるのですから。あ、そのためにはこの本、売れて欲しいですね。
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2019年06月02日

和歌を読み解く 和歌を伝える

 海野圭介さんの、浩瀚な論文集『和歌を読み解く 和歌を伝える −堂上の古典学と古今伝授』(勉誠出版、2019年2月)は、「古典研究は本当に必要なのか」という問いに答えてくれる論文集だ、ということもできるだろう。
1月に行われた「古典は本当に必要なのか」というシンポジウムの問いは、「(現代において)古典(教育)は、(高等学校の必修科目として)本当に必要なのか」という論点で議論されたわけだが、本書は直接それに答えるものでは、もちろんない。
しかし、室町から江戸初期にかけての、とくに公家たちをはじめとする知識階級の、知的基盤・行動規範・倫理基準にもなりえたのが、平安期に成立した古典であって、その古典を研究し、継承することは、彼らの生きることとほぼ同義であったことを、この論文集は示しているだろう。
歴史的な古典研究を研究した古典研究書、ということになるわけだが、当然、それは現在の古典研究を照射することにもなる。
 先人たちが古典とどう向き合ってきたのか、ということを知らずして、現在における古典研究の意義を語ることはできないだろう。
 その意味で、本研究書は、和歌研究史・学問史などにおいて、重要な一書となったと同時に、現代的な意義も大いに有していることを、あらためて感じている。
 海野さんの強みは、膨大な資料収集と読解に基づく緻密な実証主義と、日本文学研究者に少ない英語力を駆使して海外研修や国際会議での活躍の経験に富むという国際性を兼ね備えた、希有の研究者であるということだ。したがって、一見、細かいことを研究しているようで、その先に大きな展望がある。グローバルな学問的課題に応えることのできる発想の基盤がある。
 ここ10年くらいの研究の動向を見ていると、海野氏のこの強みが、ますます今後必要とされてくるに違いない。
 大阪大学で何年か同僚として過ごした縁で、本書の中の一つの論文は、私が編集に関わった本に書いていただいたものであり、また資料編として収められたものは、私が大阪大学に来てしばらくして創刊した雑誌に寄稿していただいたものである。そのため、あとがきで律儀に私の名前も出していただいていて、ありがたい次第である。今後のご活躍を期待してやまない。
   
 

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2019年05月13日

宗因先生こんにちは

これ、『宗因千句』注釈の本の題名である。和泉書院から、2019年5月刊行。副題に「夫婦で『宗因千句』注釈」とあって、「そうなのか」、とわかる。
そう、これは夫婦で連歌俳諧研究者である深沢眞二・深沢了子夫妻の、対談形式による注釈である。今回はその上巻で、雑誌「近世文学研究」に連載のもの。
このブログではじめてとりあげたのが2011年の秋だった。あのころは私も少しはブログ記事に工夫をしていて、『雨月物語』「浅茅が宿」の登場人物である勝四郎・宮木夫婦の対談形式でのレビューだったのだ(レビューって、内容ほどんど触れていないのだが・・・)。読んでいない人もいるだろうからここで再掲しておこう。

勝四郎:ノリコとシンジがユニットだよ。
宮木:えーっ、酒井法子と原田真二?!
勝:古いなあ。深沢夫妻のことだよ。
宮:あーっ、なるほど。了子さんと真二さんね。あなた夫婦だからユニットあたりまえでしょ。
勝:でも、俺たちはそうじゃなかったな。ってその話じゃないよ。そうじゃなくて、「近世文学研究」第3号(2011年10月)に、宗因独吟「つぶりをも」百韻注釈を、対話形式でやっているって話。
宮:知っているわよ。「世の中に」に次ぐ第2弾ね。
勝:あの二人だから、中身はすごく充実しているし、勉強になるね。
宮:でも対話形式ってところが面白い趣向ね。
勝:そこだよ。むかし木越治さんが「対話形式による文化五年本春雨物語論の試み」だったっけな、そういう論文を対話式で書いていたし、新聞での五人女の連載もりえとひかるという女子大生を登場させてやってたし、西田耕三さんが、対話形式による書評というのをやっていたが、いずれも一人二役。でもこれは、正真正銘二人の対話形式。しかも夫婦だよ。
宮:拾い読みしたけど、面白いわね。夫婦ならではの会話というか、ちょっと脱線するじゃない。
勝:どちらかというとノリコさんの方が、面白いことをよくいうよね。
宮:私とちがって、ユーモアがあるわね。
勝:こういう注釈なら、すらすら読めるなあ。
宮:って、読んだの?
勝:いや、まだ。少しだけ。葛のうら葉のかえる秋にはきっと読むよ。
宮:もう秋なんだってば。

いや、なかなか草。(追記:これを書いている時に「草」というのはDisりだと思っていて、自分のギャグを自虐的にくさしていたつもりでしたが、どうも、草には「笑い」という意味しかないようなので、それだと自賛みたいになってしまいます。それで、「草」を「ださー」に改めておきます)

そのあとも何回か紹介しているが、「この注釈は、ご夫妻が本当に楽しそうに会話しているかのように作文されています。しかし実のところ、どういう風に作られているのだろう?と、どうでもいいことに興味が向かいます」と疑問を呈していたら、「それは企業秘密です」とこの本の後書きで答えられていた!とは嬉しいというべきか、恥ずかしいというべきか。だって他の方の名前もたくさん出ているけれど、みなさん、お二人の注釈の内容に具体的に関わるご指摘やご意見を述べた方ばかりですから。そういうことを述べて後書きに載るとは、なんとも恥ずかしいのう、やはり(←なんで急にじいさんになる)。

とくに、尾崎千佳さんが何度も登場する。尾崎さんが宗因研究の第一人者であることと、尾崎さんの誠実さ。真面目さによるもので、すごいなあと一々感心する。そう、この注釈は夫婦対談形式というのが異例なら、そこに寄せられたコメントを(多分、許可が得られた方のは全部)そのまま掲載しているということである。さらに、それへのご夫婦のコメントもまた載せているのである。まさに場の文芸に相応しい本づくりである。
 さて、またまた内容に関わらないことばかり申し上げているが、この注釈が連載されていた『近世文学研究』が終刊となってしまって、ユニークな夫婦注釈の掲載誌がなくなってしまった・・・。そこでわが『上方文藝研究』がご相談をうけた。「査読しますよ」というのを条件に、投稿していただいたのが、前号の注釈だった。合評会には尾崎さんもいらっしゃって、激論が戦わされたことは記憶に新しい。そういうことで、この本は深沢夫妻+そこに積極的にコメントした人々が作り上げた、注釈の巻なのであります。忘却散人はそれを紹介するだけなのであります。

こちらに詳しい情報があります。
 

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2019年05月05日

上田秋成と令和

は?何の関係が?とおっしゃるかもしれませんが、
西日本新聞本日朝刊に、標記の拙稿が掲載されました。「拙稿」をクリックしていただければ御覧いただけます。
令和の出典→万葉集巻五の「梅花歌三十二首」の序→秋成はどう言っている?→江戸時代の万葉集研究→秋成の大伴旅人への関心→梅を愛でる心→中国文化への親炙。という流れで書いています。お題をいただいたので、有り難く書かせていただきました。
いつまでWEB上にあるかわかりませんが。
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2019年04月29日

日本漢文学研究の新潮流

 さて、2019年1月に勉誠出版から刊行された、滝川幸司・中本大・福島理子・合山林太郎編『文化装置としての日本漢文学』は、今後の日本漢文学研究者必携の1冊であると断言できる。
 国文学研究資料館のNW事業(日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」)公募型共同研究である「日本漢文学プロジェクト」の共同研究成果報告書という位置づけになるだろうが、現在慶應大学の合山林太郎さんが大阪大学在籍時に代表者となって進めてきたプロジェクトであって、NW事業に少し関わってきた私としては、立ち上げの熱いシンポジウムから見てきているので、このような刺激的な一書が出来たことに感慨を禁じ得ない。
 まず、大阪大学のスタッフ・OBが執筆者の過半数を占め、表紙にも阪大ゆかりの懐徳堂学主中井竹山の有名な後ろ向きの肖像を使っていただいているということ。阪大漢文学の層の厚さを見た。教え子の康盛国さんが論考を寄せているのも嬉しい。
 そして、本書の切り口の新しさ。通史的な論集になっていることも大いに有益だが、日本漢文学研究の最近の潮流を反映して、東アジア漢文交流というテーマを立てていること(日本と朝鮮、日本と清)、幕末維新における和歌と漢詩の交錯の模様、さらには漢学教育への視点に加え、特筆すべきなのは、世界の漢文学研究の現状を紹介していることで、英語圏・韓国・台湾の三つのケースが紹介されている。少し前には考えられないことだが、現在漢文学研究に、国内外を問わず優秀な人材が集まり、英語・中国語・日本語の壁を易々と越えて議論できる人材が輩出してきたからである。
 また福島理子さんの「エクソフォニーとしての漢詩」という視点。多和田葉子の著作から知られるようになったキーワードを日本漢詩文に応用し、和臭というネガティブな評価を、ポジティブに考える視点を打ち出している。鷲原知良さんもその観点からの論。
 そして抜群に面白いのが、マシューさんの、英語圏における日本漢詩文研究の現状分析である。英語圏で議論されている、そもそも日本漢詩文とは何かに関する様々な最近の考え方は、非常に考えさせられるものであった。

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2019年04月28日

近松時代浄瑠璃の世界

 韓京子『近松時代浄瑠璃の世界』(ぺりかん社、2019年3月)。
 前のエントリーからの繋がりで、この本を取り上げる。
 長島弘明さん門下であり、しかも大屋多詠子さんと同じ青山学院大学に奉職された韓京子さんの論集。
 私は近松浄瑠璃の論文について、専門家として評する資格はまったくないので、全く個人的な感想であることをまずお断りしておきたい。
 近松といえば、どちらかといえば世話物が人気であろう。義理と人情の葛藤に悩む人間の真情、日常の中に突然やってくる陥穽のリアリティ・・・・、そういう近代的な個人の問題が、先取りされていることを評価されてきたように思う。
 しかし、江戸時代の浄瑠璃の本道はやはり時代物なのだろう。近松においてもしかりではないのだろうか。
 韓さんの論集は、時代物の考察の中でも、まず「趣向」を問題にしている。「趣向」とはすぐれて近世的な問題であろう。つまり、近松を近世的に読む、というのが韓さんの一貫した姿勢であり、それはやはり長島さんの指導の賜物ではないかと思うのである。

 
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2019年04月27日

馬琴と演劇

 日本近世文学研究のいまの30〜40代で活躍している人たちを思い浮かべると、前エントリーで書いた小林ふみ子さんもそうだが、長島弘明門下の人が多く、またそれらの人々がほとんど博士論文を中心にして、研究書を既に出版していることに改めて気づかされる。これも長島さんの指導の方針なのだろう。まもなく某社から、長島さんの東大退休記念の、ユニークな本が出るときいたが、そのラインナップを見ても、これだけの研究者を育てたのか!(まあ勝手の育つ面もあるが)、と驚かされるのである。
 その一人が大屋多詠子さんである。かつて大高洋司さんの読本の研究会でご一緒して以来は、学会以外でお会いすることはなかったが、今回、立派なご本を出された。
 これも新刊紹介としてはちょっと遅れていますが、花鳥社から出た『馬琴と演劇』という文字通りの大著である。およそ700頁。そのうち馬琴と演劇の関わりを正面から論じたものが10本ほどある。いつのまにこれだけ書きためていたのですね。
 附録として、歌舞伎台帳『園雪恋組題』翻刻、『加古川本蔵綱目』影印・翻刻・注釈。そして文化年間読本演劇化年表は労作である。
 一口に演劇との関係といっても、演劇から受けた影響、読本の演劇化、その背後にある演劇界・出版界の状況など、さまざまな問題がある。河合真澄さんの論集が屹立していた感があるが、それに続く論集の誕生である。
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2019年04月26日

へんちくりん江戸挿絵本

 小林ふみ子『へんちくりん江戸挿絵本』(集英社インターナショナル新書、2019年2月)。この本も2ヶ月前に紹介を予告していたものです。大変遅くなって申し訳ございません。
 小林さんも今や中堅。国際的・学際的に活躍している女性研究者。これからの江戸文化研究を引っ張っていくことになる一人である。
 私の偏見かもしれないが、戯作研究者は、戯作を真面目に扱い、論じる方が多い。あの方も、あの方も・・・。
 その中で、文章が軽やか〜な感じがするのは鈴木俊幸さんあたりだが、小林さんも明るい文体で、戯作の一般書を書くのにぴったりである。
 縦横無尽に江戸のパロディ絵本の面白さを説いてゆく。中野三敏先生のいう、真面目とふざけの弥次郎兵衛。つまり、真面目な本がびくともしないくらいの存在感をもってリスペクトされているがゆえに、パロディは安心してそれを茶化せるという構造が、この本を読むと、具体的によくわかる。
 神仏・思想・学問・文学・・・・と章立てされた中に並ぶのは、江戸時代に理屈無しに仰ぎ見られていたものたちとそのパロディである。ただ、「へんちくりん江戸挿絵本」というタイトルは、ちょっと惜しい感じが個人的にはする。この本はパロディ戯作から、パロディされる側の江戸時代の文化を照射する仕組みになっている。へんりくりんな本をただ紹介しているだけではないからである。
 『へんりくりん挿絵本から見る江戸』ってのはどうでしょう?は?ダサい?やっぱりそうですか。すみません。撤回します。
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2019年04月25日

コレクション日本歌人選 蕪村


揖斐高『コレクション歌人選65 蕪村』笠間書院、2019年1月刊。
蕪村を「仮名書きの詩人」と言ったのは上田秋成。これは上手いコピー。当時の「詩人」とは漢詩人のこと。
そして、句を読み解くのは、漢詩の専門家の揖斐高先生である。この人選絶妙。揖斐先生、50の句を、「故郷喪失の自画像」「重層する時空」「画家の眼」「文人精神」「想像力の源泉」「日常と非日常」の6つに配した。とりわけ、蕪村句の時間に注目している点、面白く読んだ。そして「想像力の源泉」に「月の宴秋津が声の高きかな」の句。「酔泣の癖」(泣き上戸)のあった古代の人物秋津を想像して創作した句だが、この秋津、『春雨物語』の「海賊」に出てくる。これを重視した日野龍夫先生の「海賊」論(上田秋成と復古)を、思い浮かべてだろう、「海賊」のことに触れつつ評釈している。これは私としても嬉しいのだ。日野先生も、タイガースと同じくらいに蕪村が好きだったと、蕪村を論ずる文章で書いておられたな。おふたりとも漢詩文研究の専門家だが、ロマンチスト(これは私の勝手なラベリングだが)で、蕪村好き。いろんな意味で、じんわりとくる本である。
ということで、少し前に出た本を、ぼちぼちとまた紹介してゆきます。
【追記】ご指摘を受けて、文章を一部削除しました。実は歌人コレクションに名を連ねた俳人は蕪村だけ、などと誤った情報を流していました。伊藤義隆さんの『芭蕉』が第2期にありました。伊藤さん、ごめんなさい。m(_ _)m
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2019年04月12日

『三獣演談』について

 いくつか前のエントリーで『三獣演談』の翻刻を刊行したという報告をしたが、それは是非欲しいという方も本日時点で現れなかったわけですが、少しずつ押し配りしている次第である。明日4月13日(土)は、京都近世小説研究会で、この象と牛と馬の鼎談というスタイルの本書について、報告する予定。題目は「『三獣演談』について」です。
 例によって「奇談」書のひとつで、文学史的位置は重要なんだが、ほとんど知られていない。
 研究会だが、今年度から、場所が京都府立大学になるということである。15:30分から、稲盛記念館2F会議室。
 報告内容は空っぽなので告知するのも気が引けるのですが、このブログが研究実績のメモがわりとなるので書いています。お許し下さい。
 なにか享保十四年の象の来日についてご存じの方は教えてくださいませ。もちろん研究会では、せめておみやげにってことで、翻刻『三獣演談』を配布します。
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