2023年12月17日

なにわ町人学者伝(シリーズ大阪本3)

 シリーズ大阪本第3弾は、谷沢永一編『なにわ町人学者伝』(潮出版社、1983年)である。
 大阪という町は、江戸時代からマルチタレントを輩出している。専門的な学者ではなく、遊芸的に学問を楽しむ町人たちが文化壇を作っていた(中村幸彦「宝暦明和の大阪騒壇」『中村幸彦著述集』6)。その伝統は昭和まで続く。
 この本は読売新聞本社が企画、谷沢永一が相談を受け、人選を肥田晧三に一任して、読売新聞の筒井之隆が取材調査し連載したものの単行本化である。取り上げられた人物は、富永仲基・入江昌喜・木村蒹葭堂・草間直方・山片蟠桃・橋本宗吉・間長涯・平瀬露香・南木芳太郎・佐古慶三である。
 各人について、まず谷沢永一がその学問の意義を、紙礫的文体で見開き2頁に記し、次いで参考文献付記としてその人物についての研究史を掲げ、それに筒井の評伝が続く。最後の佐古慶三だけはこの当時存命であり、長い聞書が特別に付されている。さらには連載時のコラムだった肥田晧三先生の「大阪の名著発掘」があり、この部分は大阪学の基礎文献解題でもある。お役立ち度が高い。
 すべての章が面白いが、白眉は最後を飾る佐古慶三である。佐古は「道頓堀を開削したと言われてきた安井道頓という人物は実在しない。開削したのは成安道頓だ」と明らかにしたが、これは安井の子孫が大阪府と大阪市を相手取って起こした「道頓堀訴訟」の際に佐古が意見書を提出したことで大きな話題となった。さすがに国史大辞典には開削者を「成安道頓」としているが、Wikipediaには相変わらず「安井道頓」となっていて、今でもそう思っている人は多いのではないか。
 船場の商人の子どもであった佐古は「政治と権力をカサに着る奴が大嫌い」であり、相手がどんなに偉い学者であっても敢然とかみついた。大阪高商を卒業し、東京高商専攻部(現一橋大)に進み、古文書研究をやるため京都帝国大学に入学した。佐古は京大教授の書いた経済史の本を「経済史と社会史を寄せ集め年代別に編んだに過ぎない」と弾劾した。いったん講師を務めていた大阪高商を辞したあと、大阪樟蔭女子大教授になるまで27年間空白があったのは、京大閥で押さえられていた関西各大学から門を閉ざされたからだというのだ。大阪高商をやめたのも校長と教育方針で一悶着起こしたからだった。
 さて、特別に付いている「《聞き書き》佐古慶三伝」は無類に面白いので、一、二紹介。
 国文学者西鶴注釈が批判されていて、たとえば「織留」に「毎日一文づつ貯金して、百日ごとに一割の利息を加えて、六十歳になったら銀六十貫になりぬ」という文章がある。計算すると十五貫にしかならない。それを六十貫にあわせようと国文学者はやっているが、西鶴は語呂合わせで書いているのにすぎない(これは昭和53年に歴史読本に書いたらしい)。
 佐古が見付けた史料で「多分付」という町年寄の選挙方法が面白い。投票用紙に「多分」と書けば、無効にも棄権にもならなくて、一番票数の多い人に付けたという。なかなかユニークな選挙法で、ハーバード大の教授が史料を見に来たという。
 佐古と雑誌『上方』を刊行し続けた南木芳太郎は、佐古とともに、一と六のつく日にたつ平野町の夜店で真っ先に和本を物色しに行った。この二人がよるのを待って、当時の和本屋の雄である鹿田松雲堂が「もうよろしいか」と言って抜きはじめる。なんとも壮絶な風景である。
 谷沢永一が信頼を置く肥田晧三先生も、典型的な「なにわ町人学者」だろう。先生とは少しだけだが、謦咳に接することができたのは幸運だった。府立中之島図書館で嘱託として働いていたところを、谷沢永一が関大に招へいし、やがて教授になった話は有名である。肥田先生の本が読みたくなってきた。
 
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2023年12月13日

江戸川乱歩とリチャード・レイン

 非常に興味深い目録がある。丹羽みさとさん編の「江戸川乱歩「和本カード」目録」(「大衆文化」29号、2023年9月)である。古典籍を中心とした自筆の蔵書書誌カード集。である。丹羽さんは、真山青果プロジェクトでお世話になった方。また私が「奇談」書研究の一環で立教大学図書館の乱歩文庫の閲覧を申し入れた際にも、大変お世話になった。その時のことがあって、お送りくださったのであろう。
 乱歩が手に入れた時期や入手経路、価格なども記されている。江戸川乱歩の旧蔵書の大半は立教大学に収められているが、「和本カード」は立教に入る時点で散佚していた資料のデータも含まれている。カード総数は1184枚で、西鶴、仮名草子以前、仮名草子、浮世草子、八文字屋、読本滑稽本洒落本噺本赤本黒本黄表紙、怪談、地誌、絵本絵巻物、和印、雑誌、唐本、詩歌俳、非小説、裁判物、小噺、評判記、手妻謎、合巻と分類されている。「怪談」「和印」「裁判物」などの分類が乱歩らしい。
 合巻も328点あり、合巻コレクションとしては、有数なものだったはずである。ただ、これh現在乱歩文庫にはないようだ。
 そして私が最も注目したのは、リチャード・レインとの書物交流である。レインの旧蔵書は現在ほとんどがホノルル美術館に収められていて、私もその目録作成チームの一員として何度も訪れている。
 乱歩の旧蔵書の中には、レインから寄贈されたり、レインと交換したりしたものが少なからずある。その一覧をここでメモしておこう。ここはブログに過ぎないので、きちんと何度も見直しているわけではない。遺漏があればお許しいただきたい。リスト番号、書名、レインとの関係の順で抜き出していく。

西鶴3 花鳥風月・好色堪忍記。好色堪忍記2−4三冊はレイン、パリにて求めたるもの、日本になし。この三冊を吉原伊セ物語と竹斎下と交換せり。
西鶴11 西鶴跡追(当流たか身の上) 31/1レイン交換。
仮名前4 秋の夜の長物語 32/12 リチャード・レイン交換本
仮名前 大仏物語 31/3 レイン交換本
仮名12 杉楊子 31/3、レイン交換本
浮世11 金玉ねちふくさ 31/3、レイン交換本
浮世19 五ヶ乃津余情男 28/1/10 四巻レーン君より寄贈
浮世33 新武道伝来記〔端本〕 題簽殆ど摩損。後日レインより六巻入手。
浮世37 千尋日本織 レイン交換本、五巻31、3月 追加寄贈さる。
浮世40 31/3 長者機嫌袋
浮世46 男色子鑑 31/2 レイン君取換本。
朝倉12 好色はつゆめ 28/1/10(朝倉とは朝倉『日本小説年表』にないもの=飯倉注)
朝倉24 諸国勇力染 31/3レイン交換本
朝倉28 世間孝子形気 31/3レイン交換本  
朝倉48 和国小性形気 32/12 リチャード・レインより巻一入手、揃本となる
読滑酒等23 男色狐敵討 31/3 レインと交換
地誌9 江戸雀 レインに課す。31,3,8代り本入手せばそれと交換の約
絵本7 絵本隅田川両岸一覧 32/12 リチャード・レイン交換本
絵本35 東都勝景一覧 32/12、リチャード・レイン交換本

昭和31年、32年あたりには定期的に蔵書情報を共有して、交換したりしていたことが如実にわかる。面白い。何と交換したのかは好色堪忍記しかわからないが・・・。

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2023年12月02日

武士の町 大坂(シリーズ大阪本2)

 藪田貫『武士の町 大坂』。初出は2010年10月の中公新書。その後、講談社学術文庫。〈町人の町〉というイメージが強固な江戸時代の大坂だが、藪田氏に言わせると、そんなことはない、大坂だって「武士の町」と言えるのだという。
私が関心のある大坂の武士といえば、上田秋成の国学の師、加藤宇万伎。幕臣で大番与力。大阪城や二条城に勤番した人物である。そしてこの本にも出てくる増山雪斎。伊勢長島藩藩主で大坂城加番。木村蒹葭堂と仲が良く、書画の技倆がすごい大名。そして、約1年ではあるが大坂銅座詰であった蜀山人大田南畝。
秋成を中心に上方文壇の人的交流が私の研究テーマのひとつであるが、宇万伎や雪斎や南畝という人物を考える時には、「武士の町 大坂」という視点は絶対に必要である。改めて、この本の有益さを実感したので、自身のメモとして書き留めておく。
 つかみは、司馬遼太郎の「大坂の武士は二百人」への反証。武鑑をはじめとする武士名鑑を用いて計算すれば、低めに見積もっても八千人は確実という。司馬遼太郎だけではなく著名な歴史研究者の「千人から千五百人」という説も斬ったことになる。
 それでも武士の割合は2%くらい。数から言えば圧倒的に「町人の町」であることは動かない。だが藪田氏は量だけではなく質を考えるべきだという。
 大坂の武士の情報である『大坂袖鑑』さらに両面一枚刷の画期的な『浪華御役録』。これらが大坂の町人にどれだけ貴重な情報を提供していたか、よく引用される「お奉行の名さへ覚えず年くれぬ」は、実は町人の実態を示した川柳ではなく、「自らを俗事にかかわらぬ市隠に擬した」(飯田正一)の解が正しいという。実際は、この武士情報は実に重宝されていた。摂津河内和泉播磨まで枠を拡げた『大坂便用録』というものもあり、それぞれ利用目的の違う3種の武鑑を、武士相手に取引をする町人は必要に応じて使っていたらしいのである。とくに人事情報を得るために。本書の大きなヤマは、この武鑑の詳細な分析である。
 西町奉行新見正路の日記と西町奉行所図から彼らの生活が浮き彫りにされる。注目すべきは、懐徳堂預の中井七郎(碩果)を招いて夜講をした。月三回『貞観政要』や『論語』の講義が行われたということだ。懐徳堂といえば「町人が作った学校」というイメージだが、すぐに官許化されるわけだし、中井竹山は家康の一代記である『逸史』を著して幕府に献上しているから、幕府との関係をもっと追究すべきなのだろう。ちなみに新見は和歌では冷泉家に入門しているというのも面白い。和歌研究者には大坂武士の冷泉派って盲点ではないか(すでに押さえておられたらゴメンナサイ)。また懐徳堂最後の教授並河寒泉も代官竹垣直道に招かれて講義をしている。寒泉の日記によれば、九人の幕臣に出張講義をしているらしい。
 加番の増山雪斎が蒹葭堂を何度も訪れていることにも触れている。蒹葭堂もまた増山を何度も訪問している。こうしてみると大坂の幕臣は文事が大好きなわけで、大坂といえば町人文化圏ばかりを追っかけてきた感なしとしない文壇研究もよく考えないといけないですね(自身へ言い聞かせています)。
ところで大坂の祭りを描いた絵図に侍が描かれておらず、それが「大坂に侍は少ない」のイメージを増幅していたのだが、それは城内の武士は「札留」され禁足令が出ていたからだという謎解きも鮮やかである。
 他にも面白い話が満載なのだが、これくらいにしておいて、最後に中村幸彦の「天下の町人考」を挙げ、「天下の町人」を「大阪だけが封建支配の真空地帯」と解した宮本又次に対して、中村はこれを「幕府直轄地の町人」と解し、大阪町人はそれを誇ったと解していた。中村の説に信頼をおくなら、大阪=町人の都という言説は、近代に入って造られたのではないかと締めている。
 この件に関して、私は思いつきではあるが、それを補う一案を持っている。大坂のイメージを造った本のひとつとして『摂津名所図会』があると思うが、『摂津名所図会』には幕府=武士の面影が除去されているように思う。大阪城も掲載されていないし、含翠堂は掲載されているのに懐徳堂はない。官許化されているからではないか。まあ名所図会は全体として朝廷中心につくられてはるのだが、こと『摂津名所図会』それも大坂之部について言えば、その挿絵を通覧すると「町人の都」とだなあと誰もがイメージを刷り込まれるのではないだろうか?
 このことも考えてはみたいのだが、その前にやることがたくさんあるので、できるかどうかは怪しい。
 
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2023年11月10日

源氏物語を読むための25章

 来年の大河ドラマに合わせて、出版界は源氏ブームである。ただでさえ古典研究界隈は、源氏のひとり勝ちという状況であるので、もはや古典研究の半分は源氏研究なのでは?と妄想してしまうくらいの状況。いやいや、うらやんでいないで、私たちも頑張りましょう。
 もちろん、江戸文学研究も『源氏物語』を無視してできるはずがない。つい最近、私も怪異語りの論文を源氏で締めたくらいで。だから『源氏物語』研究動向にも、無関心ではいられない。とはいえ、學燈社の『國文学』や至文堂の『国文学解釈と鑑賞』が廃刊されて久しい今、源氏物語の研究動向を、わかりやすく編んだ本に出会う機会が少なくなった。
 そんな時に出た河添房江・松本大編の『源氏物語を読むための25章』(武蔵野書院)。その渇を癒やすのにピッタリの本である。河添さんも「はじめに」で、そのことに触れている。
 私なりに見たところ、本書は源氏物語「研究」入門書であり、研究最前線の紹介書である。私にとってはとてもありがたい本である。源氏物語研究にはさまざまな切り口がある。その切り口を、それぞれに実績のある論者が具体的に特定の巻に即して解説してゆく。特定の巻に即してというところに本書の特徴があり、各論は源氏物語の巻順にしたがって配列されているのである。これはなかなか思いつかない構成である。
 まず各論の切り口(研究テーマ)を通覧すると、私が学生のころにはなかったものがいくつもある。たとえば書誌学・唐物・ジェンダーなど。一方で、成立論・作中人物論・主題論などは立項されていない。源氏物語の「原本」や成立過程を復元するよりも、遺された「本文」そのものへ関心が移っているということであろう。
 書誌学的アプローチの佐々木孝浩さんの「書物が教えてくれること」は、これまで本そのものを見てこなかった源氏の本文研究を批判、池田亀鑑の呪縛に研究者たちがいかにとらわれていたかを厳しく問うている。河添房江さんの「唐物から国風文化論へ」は、源氏物語の中の唐物の働きについて梅枝巻を例に、鮮やかに解読。「唐物派の女君」と「非唐物派の女君」との対比など魅力的な視点を提起するばかりか、「国風文化」の実像の再検討へと論を進める。もうひとりの編者松本大さんは、『河海抄』が、両論併記して、読者の好みに任せるという注釈態度をとっていることを指摘する。「よオーこそ、注釈の世界へ」というのは、注釈書の世界へということだったのね。と、とりあえず目についたものについてコメントした。
 付録の、参考文献・データベース・サイト一覧は有益。でも源氏物語となると、とくにサイトについてはかなりの頻度で更新が必要なので、版元のホームページと連携して、ここの部分だけは最新版が見られるようにしたら、読者はもっと嬉しいだろう。
 
 
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2023年11月06日

大阪ことば学(シリーズ大阪本1)

 何年大阪に住んでも、九州から来た私には大阪はアウェーである。すっかり大阪人になっているように見える九州人も知ってはいるが、私はいつまでも、どうみても大阪人っぽく見えないに違いない。
 実際、「大阪」を冠する大学(もう退職したけど)で「江戸時代の文学」とくに大坂出身の上田秋成なんぞを研究しているのだから、「大阪のスペシャリスト」と世間が誤解するのも仕方ないのだが、やっぱり40過ぎて住み始めたのでは、大阪人になるのは無理である。
 とはいえ、ちょっと私なりに思うところがあって、少しずつ大阪に関わる本を(今さらながら)読むことにした。メモがわりにブログに書き散らして行くが、お許しを。とりあえず月に一冊か二冊をメドにしたいと思う。それでトップバッターがこの本、尾上圭介『大阪ことば学』。1999年に単行本が刊行され、2004年に講談社文庫に、さらには岩波現代文庫に収められている。私が持っているのは、ブックオフでずいぶん前に100円で買った講談社文庫。
 いや、これは名著である。大阪生まれの日本語学者が書いた痛快な大阪ことば論だが、もはや大阪人論であり、大阪文化論である。そして、この本を読むと、大阪人のあまりに高度な言語文化に心底感心し、大阪人を尊敬したくなるのである。
 ここでは、例を二つだけあげておこう。まずは、九州人には絶対にできない、絶妙な応答をするお店の人の話。

「黒のカーフの札入れで、マチがなくて、カードが二枚ほどはいってキラキラした金具がなんもついてないやつで、ごく薄くてやわらかあい、手ざわりのええのん、無いやろか」
「惜しいなあ、きのうまであってん」

 いやもうさすがとしかいいようのない応接の流儀である。「あってん」。これ以外に表現しようのない言葉である。これを拾ってくる著者もすごいが、もしかすると、作り話なのかもしれない。だとすれば、もっとすごいかも。

 もうひとつの例は、近鉄あべの駅の切符の自動販売機で、一人の女子学生が三百円を投入して二百何十円かのボタンを押したところ、切符とともに釣り銭が三百数十円出てきた。彼女が首をかしげて立ちすくんでいたところ、すかさず隣りの券売機にならんでいた中年のおじさんが一歩近づいて、ひとこと
 「まあ、姉ちゃん、安う乗んなはれ」

 これにも唸った。この洗練された声のかけ方。この女子学生がどうしたかは書いていないけど、素晴らしい距離感ではないか。

 と、この二つの例を挙げただけで、この本の素晴らしさは言い切ったと私は思う(どこが)。こういう事例を引くこと自体が、この本のすごさなのである。大阪出身の日本語学者は面白いなあ。文化功労者の金水敏さんにも、この言葉感覚が間違いなくあって、いつも感心させられているのだが。

 ところで、シリーズ大阪本などと大上段に出たが、私が三日坊主ということは、このブログの読者はよくご存じであろう。どうなることやら。
 
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2023年10月30日

学会記(東北学院大学)

東北での学会は、30年くらい前の秋田以来、仙台となると私の記憶にはないので、40年以上前だろう。会場は東北学院大学。仙台駅からひと駅、5分歩いて到着というロケーションの良さだ。
飛行機でいくつもりが、ドジをして新幹線往復となった。しかし、そんなに遠い感じはしない。
恒例の学会記。今回はハイフレックスでの開催。もっとも参加者名簿がないため、どういう方が参加しているのかはわからない。会場には70から80名くらいだったろうか。
発表者は6名、それに講演と、並列して行うワークショップ3件。これが初日である。伊達騒動と文学を扱った講演は面白かった。
今回の目玉は若手の企画したワークショップ。「文学史」「教育」「デジタル化・国際化・学際化」がテーマ。私は、3番目のに参加。30名弱の参加だっただろうか。どういう形になるのか、とくに事前にアナウンスがなかったのだが、参加者全員がまず一言ずつ自己紹介とこのテーマに関わる所見を述べ、あとは雑談的な展開であった。デジタル化・国際化・学際化はつながっているので、議論は案外スムースに進んだ。留学生が何人か参加していて、彼らの率直な感想をきけたのがよかった。
デジタル文学地図の授業に参加していたハイデルベルク大学の学生さんが発表。発表後、たくさんの人からアドバイスをもらっていた。和歌題詩に関わる発表と、『玉箒子』という怪談系読物についての発表(ともに若い方)で、拙論が引かれたり、名前が出てたりした。前者の発表は特に私の研究と非常に重なるものだったので、質問。和歌と漢詩の交錯はつまり、歌人と詩人の交流が基になっている、もしかすると画人も絡んでいるというのが私の想像なのだが、それを窺ってみた次第。「性霊派の詩」とは何か?という議論も出たり、活発な質疑応答だった。
土曜日の懇親会。私より年上の方はもはや数えるほどしかおらず、世代交代を痛感した学会ではあった。とはいえ、若い人たちともいろいろ話せたので満足である。70周年記念誌の『和本図譜』もまた、若手の編集だが見本が出来ていた。じっくり見るのが楽しみである。と、年よりっぽくあまり面白くない総括で申し訳ないですのう。
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2023年10月20日

古俳諧研究

 すでに、いくつかのレビューもあるが、河村瑛子さんの『古俳諧研究』(和泉書院、2023年5月)について。私は俳書については、とくに近世前期の俳書については、さっぱりなのだが、この本のことは、私なりに所感を記しておきたいと思っていて、しかしあまりにその内容が充実しているので、なかなか書き出せないでいた。
 しかし、このごろ芭蕉以後といえる享保の俳壇についての研究を少し読み返す機会があり、あらためて芭蕉以前のことに思いを致すことにもなり、本書に少し向き合う時間が降りてきた。
 河村さんは名古屋大学の塩村耕さんの教え子であるが、京都大学で教鞭をとっておられる。河村さんの論文のスタイルのひとつに、俳諧で使われる「ことば」にこだわり、徹底的な用例の検討から、そのことばの一般的なイメージを覆すというものがあって、これは言うまでもないことながら、京都大学の国文学の学風である。京大は、学風にふさわしい研究者をよく外から迎え入れたなと思う。すばらしい英断であったと思う。
 河村さんは『俳諧類船集』を、ツールとしてではなく、正面から研究対象にすえて、古俳諧のことばの世界に切り込んでゆく。そこが新しかったのだと傍目の私には映っている。「ものいふ」「おらんだ」「やさし」を分析した諸論はいずれも、実証と論がバランス良い卓論とお見受けする。芭蕉は、その古俳諧から入ってそれを革新したは俳人だが、第二部での河村流は、古俳諧のことば分析から芭蕉句を照らし出す。
 そして第三部では、具体的な俳書に即した研究を、第四部では、積年の手控えを元に、現在望みうる最高レベルの古俳書年表を提供する。この第四部は圧巻で、今後の古俳諧研究の基本資料となること、疑いない。この年表、書誌的事項に留まらず、かなり突っ込んだ内容解説を備えており、個人の調査としては、大変な労力をかけている。願わくば、実見したものについては、寸法を記していただくとさらに有益だったかと思う。もちろん、実見していないものもあるので、不統一になってしまい。賛否両論あると思うが、「巻子」や「横本」などは特にそれがあればイメージできるので。
 とはいえ、このボリュームは本当に圧倒的で、それを惜しげもなく公開されることに頭の下がる思いである。
 ところで「古俳諧」の定義はいろいろあるようだが、河村さんは大方の使用法にならって、「貞門・談林の俳諧をいう」と冒頭で定義する。考えてみると、我々近世文学研究を学んでいる者にとって、古〇〇、といって思い浮かぶのは、「古浄瑠璃」、そして「古活字」といった言葉である。「古活字」はジャンルを指していないので、そうなると古浄瑠璃と古俳諧がジャンル用語となる。前者は近松の曾根崎心中以前であり、後者は芭蕉あるいは蕉風または蕉門以前ということになるのだろうか?しかし、考えてみると、「古」というのは、あくまで相対的な見方であり、言いかえれば恣意的であるとも言える。俳諧の中で古い方、浄瑠璃の中で古い方ということだ。これは「古」という言い方ではないが、『好色一代男』以前を仮名草子と呼ぶのにも通じている。要するに、近世前期の三人の天才、芭蕉・西鶴・近松を文学史の転換点と位置づけているということになる。別にそこに異論があるわけではない(というより私にはわからないのだが)が、前期読本(初期読本)とか、前期戯作とかいう呼び方とは違うわけで(もっとも俳諧の場合は初期俳諧という言い方はある)、そこはもうすこし、詰めてみる必要もあるのではないかという気がする。
 とまれ、本書の俳諧研究史上の意義はとてつもなく大きいに違いない。拍手である。
 
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暇と退屈という問いを問う

 というわけで、めずらしく、哲学の本2冊を取り上げる。ちょっと読後メモを書きたいので。1冊は9月に出た入不二基義さんの『問いを問う』(ちくま新書)、もう1冊はロングセラーと言ってよい國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)である。
 まず、『問いを問う』に関しては、X(twitter)にくり返しポストしたが、その際は、読みながらエキサイトする気分そのままを書き付けた体(てい)であった。入不二さんは、山口大学時代の同僚であり、それ以来の友人である。彼の哲学は、数学を時に用い、(本質的な意味で)文学的な表現を駆使しながら、いやというほど徹底的に考え抜くスタイルである。本書は大学の教室での哲学入門講義を基にしていて、「どのようにして私たちは何かを知るのか」に始まる4つの問いについて徹底的に深められる認識論・存在論である。本書は入不二さんの著書がいつもそうであるように要約するのが難しい(要約は可能だが、要約すると何かが抜けてしまう感じがある)。哲学というのはなべてそういうものではあろうが、おそらく、彼の思考の過程そのものが読みの愉悦をもたらすのであり、もっと重要なのは読者(である私)が、それに巻き込まれるのである。その巻き込まれる度合いがとても深かったのが今回の『問いを問う』である。なにせ、「問い」そのものを問うのであるから、その問題意識(?)は、きわめて汎用的である。たとえば私は、いま怪異認識のことを考えているが、その問題を考える際にも、この本は実にヒントに満ちているのである。いつの間にか自分の問いを問うているのである。
 『問いを問う』を読んだ後、たまたま目に入った『暇と退屈の倫理学』を読み始めた。これはまた、全く入不二さんの本とは対照的に、読みやすく、解りやすい(気にさせる)本である。スゴいスピードで読めてしまうのである。こちらは倫理学だから、「人は如何に生きるべきか」を考えるための思考となる。この本は、「暇と退屈」を感じるのが、今の(というのは超大昔のヒトはそうではないということだか)人間のあり方の本質とみて、それを考察した過去の哲学者(ルソーからハイデガーまで)の考え方を巧みに、かつ批判的に紹介しつつ、「なるほどなるほど」と頷いている間に読み終わってしまうという本だ。片付けられないタイプの私にとっては、人間が「定住」を知る前は、どんどん移動するのだから、片付ける必要がなかったというくだりが一番受けた。「受けた」と今言ったが、この本は、「受ける」ことを狙った、巧みな叙述の哲学である。読者は著者の叙述芸を楽しんでいる。楽しみながら、多くの哲学者の考え方を知ることができる。ただ、私は暇と退屈には悩まされていないせいか、倫理学として本書を読んだという気はしなかった。暇と退屈という問いを問う切実さが、私にはなかったからである。この本も講義を元にしているらしいが、その講義はとてつもなく面白いだろう。
 
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2023年10月14日

読本研究の現在

『国語と国文学』2023年11月号は、「読本研究の現在」を特集。10本の論考を載せる。発行が明治書院から筑摩書房に移っている。
私も「怪異語り序説ー前期読本への一視点ー」を書いた。前期読本を扱ったものが少なかったこともあって、巻頭になってしまったが、タイトルからわかるように、アイデアレベルの話である。一応「近世怪異文学史」「近世怪談文学史」を構想するとしたら、という前提でのアイデアなのだが、そこには当然「読本」が関わってくるという話。「怪談」という語は、実は近世以前の文献にも漢語にも見出し難い。これは「奇談」も同じ。どちらも談話性に着目すべきであり、史的展望をする場合は、怪異の語られ方の歴史を構想すべきであろう。
 他の9本もすべて注目すべき論考で、「読本研究の現在」を示すのにふさわしい。ベテラン5人、中堅5人という執筆者構成だが、ほとんどの著者が具体的なトピックを扱いながら、大きな問題に及ぶ点で共通している。
 私自身のアンテナにひっかかってきたのは、天野聡一「読本序文における羅貫中・紫式部応報譚」。私も気になっていた問題だった。神戸大学での序文をめぐるシンポジウムでご一緒した時の発表でもあり、興味深く読んだ。山本卓・菊池庸介両氏は、奇しくも速水春暁斎の絵本読本と種本としての実録の関係を論じる。同じく絵本読本を論じる板坂則子氏は江戸と上方で同時期に刊行された妖狐譚とその後の影響を論じて、上方読本を図像重視の立場から再評価しようとする、大きなパースペクティヴを持つ論である。神田正行・三宅宏幸氏の馬琴作品論は中堅の競作と見立てられる。木越俊介氏は氏のテーマのひとつ写本小説の紹介。そして馬琴の『近世物之本江戸作者部類』を精読しつつジャンルとしての読本を掘り下げたのが佐藤悟氏、スタンフォード大学に所蔵される江戸読本の挿絵抄録本から、絵入本の「国際化」に筆を及ぼす高木元氏。ベテランの味である。
 前期読本論が少なかったのは残念だが、やはり近世小説史研究の王道たることを再認識させられる各論考だった。高木氏ではないが、「読本の国際化」はもちろんのこと、「読本研究の国際化」、あるいは「日本文学研究国際化のなかの読本研究」というのが今後の課題となってゆくのかなと思う。
 
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2023年10月03日

古活字版の校正

 現代なら、校正は電子データの上で簡単にできるのだが、江戸時代のように板木に文字を彫って印刷する「整版」の場合、間違った文字を削り取ってその跡に正しい文字を彫った板を埋め込むという作業になるので、大変である。しかし、まだ板木が存在するから、手間はかかるものの手作業での校正は可能である。だが、古活字版はそうはいかない。なにせ一丁ごとに活字を組んで、印刷が終われば、その活字をばらしてしまうのである。印刷したあと気づいたら「後の祭り」諦めるしかない・・・・と思いますよね?
 しかし、古活字版でも校正の跡がちゃんと追跡できるのである。古活字版悉皆調査をしている高木浩明さんなら、そういう事例をいくつも見付けることができる。『日本古書通信』2023年9月号に載る、「古活字探偵事件帖」の第9回は、「古活字版の校正」である。
 『平家物語』古活字版(下村版)では、巻首の章段名を落としてしまったため、巻首の一丁だけ、活字を組み替えた訂正版が作成されたという。稀な例だが、古活字探偵だから、その事例を発見できるのだ。章段名を入れると1行分ちぢめないといけないが、仮名を漢字に改めるなどの字数調整をするのだそうだ。
 しかし、通常は胡粉を塗って上から活字を捺印するか、墨書して訂正するか、誤植箇所を切り抜いて裏から活字紙片を貼り付けるか、いやはや、1部だけではなく、印刷した本全部にやるのだから、大変である。とはいえ、私も印刷されて手元に届いた論文の誤植に気づいて、抜き刷りのひとつひとつに赤ペンで訂正を入れるという経験が若い頃はある。今は横着になって、「誤植があるようですけど、すみません」などと投げやりな謝罪を付言すればまだよういほうで、見て見ぬ振りをしてしまったりするのである。
 さて、下村本というのは、古活字本の中でもずばぬけて伝本の多い本らしいのだが、訂正箇所が千箇所を超えるらしいが、それを数える高木さんもスゴい。誤植の訂正ではなく、他本を見て「校訂」したと思われる例も示している。他本の有力な候補が延慶本で、それは角倉素庵の工房で・・・、と探偵の推理は続くのである。
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2023年09月09日

京都古典文学めぐり

 荒木浩さん著『京都古典文学めぐり 都人の四季と暮らし』(岩波書店、2023年6月)。
これも、ご紹介がものすごく遅れてしまったが、もともと京都新聞に連載された研究エッセイを元に、三十二のトピックについて、原文を引きつつ、訳しつつ、それをただ解説するだけではなく、別のテキストとの関係や、当代の人の考え方・感じ方や、政治の中に置いたとき文学の意味や、表現の機微について、自在に語り尽くした快著である。
 ハンディな造本だし、一般読者向けに書かれているとはいえ、しっかり研究史を踏まえ、該博な知識と、連想力で、他の追随を許さない魅力的な古典エッセイになっている。
 荒木さんの本来の専門は、今昔物語集や宇治拾遺物語をはじめとする中世説話といっていいのか、多分そうなのだろうが、源氏物語や徒然草についても単著を持ち、どれも深く、広く、大胆かつ細心な議論を展開するもので、そこに感じるのは、本物の「筆力」である。多筆の人は、時々いるが、荒木さんのような、間口の広さと質の高さと視点の独自さを併せ持つ筆力の持ち主にはそうそうお目にかからない。
 おまけに、職場が国際日本文化研究センターだけあって、海外の研究者人脈も、古典文学研究者として指折りであり、その交流の豊かさが、やはり文章の広がりとなって現れているように思うのである。
 それにしても、本書は中古・中世の古典が中心となっているが、「夢」の話が多いなという印象を受けた。「夢」はかつて荒木さんが取り組んでいた共同研究のテーマなのだが、京都という、中心の場を舞台にしているからこそ、「夢」の登場がおおくなるとすれば、これは面白い。
 また、古典文学は、一面では京都(という地方)文学である。とくに中世以前はほぼ京都で書かれたものが文学史を構成しているのだから仕方ない。秋成は、京都は人柄も文化も貧しいけれど、自然はいいという意味のことを述べているが、私たちの四季意識というのは、やはり京都のそれを反映しているのだろう。都であることと、自然が豊かであることは全く相反しないのが、中世以前の古典の世界である。
 しかし、江戸時代になると、京都の文学というのはちょっと論じにくくなるように思う。一方に新興の「江戸」文学がある。本書には、江戸時代の作品はほとんど出てこないが、もし続篇があるのなら、荒木さんに是非論じてほしいと願っている。
 
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2023年09月08日

片假名版と平假名版

 今西祐一郎先生の「片假名版と平假名版ー江戸時代出版の一風景」(『東方學』146輯、2023年7月)は、江戸版本で、片仮名版と平仮名版の両方がある本についての知見を述べられ、多くの図版を掲げる。その図版はほとんど先生の蔵書によると見られ、多くに先生の蔵書印が見える。
 板本書誌学を中野三敏先生の授業で叩き込まれた私たちにとって、漢字ー片仮名ー平仮名の階層性は自明のことであるが、考えてみると、今西先生が指摘するように、国書総目録やそれを引き継いで今にいたる「国書データベース」には、その記載がない。もちろん、1点1点を調査した上で作成されたわけではなく、目録やリストを元に作られた国書総目録に、それを望むのは無理な話なのだが、しかし、それにしても、その階層性を、研究者がこれまでどれだけ意識していたかは、心許ないかもしれない。モノとしての本の重要性や書誌学・書物学の発展によって、今では古典研究者であれば、ほぼそれを意識していることは間違いないにしても、教育的配慮と称して、片仮名表記をいとも簡単に平仮名表記に直していることは、私自身がやってきたことである。
 今西先生の論文で、あらためて思う。先生が図版で示しておられるように、江戸の書籍目録ではそのことをはっきりと意識していることが示されている。そして、通俗物や軍記・仏書など、片仮名表記という形式をもつ本たちを一度あらためて確認してみる必要があるかもしれない。また挿絵は平仮名表記との方が親和性を持っているというのも、言われてみればその通りである。
 個人的には「仮名読物」というタームをここ15年ばかり使っていて、その場合の仮名は、平仮名も片仮名も含むのだが、「仮名読物」という言葉の使用も、ちょっと考える必要がありそうだと、反省した。
 
 
 
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2023年08月31日

日本近世文学史

 長い間更新していなかったが、ひと月なにも投稿しないというのは、なんとしても避けたいという思いで、8月末日にいたって、投稿する。
 紹介する本は、鈴木健一さんの『日本近世文学史』(三弥井書店、2023年5月)で、3ヶ月以上前に出版されたものである。
 個人で近世文学史となると、本当に何十年ぶりとなるだろう。(浜田啓介先生の『国文学概論』は、壮大な日本文学全史だがこれは別格として)。
それを誰がやれるかとなると、やはり鈴木さんだろう。鈴木さんには『近世文学史論』という本が既にある。「古典知」の継承と展開という切り口での文学史論である。これは「古典学」を基盤とする鈴木さんの学問方法から必然的に導かれたものだった。
 今回の文学史も、やはり鈴木さんの近世文学観が反映した、独特の構成となっている。全体を五部にわけ、「詩歌史」「注釈史」「小説史」「文章史」「演劇史」に分ける。これで全ジャンルを見渡した形になるが、第一部に詩歌史をたて、それが本全体の半分近くを占めていること、詩歌史の中でも、和歌・狂歌・漢詩・俳諧・川柳の順になっていることがまず第1の特徴である。また第二部に注釈史を置き、第四部に文章史を置いていることも独自である。注釈史は、その内容よりも形式に注目していると言える。文章史は、詩歌史に対応する形で、和文・漢文・俳文・狂文を立てる。演劇史の紙幅は少ないが、具体的な作品を挙げての叙述は、ここにも貫徹している。
 この文学史は、鈴木さんの色がかなり出たもので、複数の著者による既出の文学史とはかなり違った味わいとなっている。鈴木文学史観に共感する人でないと、概説的な教科書としては使いにくいだろう(これは決して否定的な意見ではない)。
 ちなみに「小説史」では、6行ではあるが、「奇談」の系譜というのを立てていただいて、私の説を挙げていただいている。私なりに文学史を考えた説であるから、総合的な文学史にたぶん初めて載せていただいたのはありがたく、感謝申し上げる。
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2023年07月28日

雅俗22号

 ついこの間、21号をうけとったような気がするのにもう22号ですか。『雅俗』は相変わらず堅調に号を重ねている。前身の『雅俗』よりも、構成員が広くなった。その分、九大OBの方の執筆が少なくなっているように見えるのはちょっと寂しい気がする。来号には多数ランナップされることを期待。
 さて、今号は、私の教え子が二人も執筆しているのに驚いた。論考編の巻頭にのる浜田泰彦氏の「元禄の『古今著聞集』版本登場前夜」は、かなりの長編論考である。元禄版本出現以前の、近世における『古今著聞集』受容史を『昔物語治聞集』を中心にみており、近世説話史の模索という問題に繋げている。労作ではあるが、タイトルがややわかりにくいのと、もうすこし論点を整理する必要があるだろう。「近世説話史」構想は30年位前にいろいろな人が言っていたが、今は下火になっている印象であり、文学史の構築は難題である。本人が末尾で言っているように共同研究プロジェクトを組織し、説話文学DB構築を射程に入れて進めてもらえばすばらしい。如何。いまひとりの有澤知世さんは「名著巡礼」で鈴木重三『絵本と浮世絵』を手堅く語る。
 位田絵美さんの「民撰書「長崎旧記類」の実態と編纂意図」は、非常に魅力的な研究対象を論じるが、これも一人の手だと相当膨大な調査研究になりそう。西田耕三先生(「儒学への道」)の相変わらずの筆力には脱帽せざるを得ない。
 木場貴俊さんの「絵入年代記考」。鈴木俊幸さん的なアプローチを思わせる、まさに書物学であり、読書学である。
 連載エッセイ菱岡憲司さんの「小津久足とガーデニング」。連載3回目だが、名人芸に達しているではないの! 前半は後水尾天皇が、3年ごとに一つの専門を徹底的に勉強したという上野先生講義ばなしをうけて、ご自身も柱になる読書とは別に3年ごとに何かやろうと、中国語、自転車、ドラム、フルマラソン、合気道、ベランダ・ガーデニングと次々に学び、大西巨人の『神聖喜劇』の「浅学」論をはさみつつ、江戸の朝顔栽培そして小津桂窓のガーデニングに至る。この自在な筆致はもう熟練のエッセイストと言っていい。これには驚いた。蘊蓄というのでもなく、軽妙というのとも違う、菱岡流としか呼びようのない巧みさである。こりゃ、この連載のあとを受けて書く人は大変だ。気の毒だw(内輪向け)
 少し時間が合ったので、到着後摘読できたのだが、やはり本(雑誌)の感想は、到着後すぐ読んでが理想ですな。とはいえ、未紹介の重要な本がたくさんございますので、順次紹介して参ります。たとえ1年以上経った本であっても。

 
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2023年07月20日

高田衛先生

 昨日、高田衛先生の訃報が入ってきた。93歳。この半世紀、秋成研究を文字通り牽引してきた方だった。研究者というよりも文学者のオーラをまとっていた。先生のご逝去で、まちがいなく秋成研究のひとつの時代が終わった。
 院生のころは、雲の上の存在で、見かけただけで「高田衛だ!」となった。すでに伝説的な存在だった。しかし、この世代の先生方はほぼみなそうであるが、後進に対して実に懇切丁寧である。私の最初の論文にも丁寧なお葉書を頂戴し、感激したことを覚えている。そして、高田門下のひとたちとも知り合っていくと、高田先生は研究者を育てる力も一流であると気づかされた。私より少し上に稲田篤信さん、西田耕三さんら。私と同世代では佐藤深雪さん、高木元さん、風間誠史さん、鈴木よね子さんら。少し下には高橋明彦さんらがいる。他にも個性的な研究者がたくさんいらっしゃる。一筋縄ではいかない方ばかり。とくに高木元さんは、「おたがい師匠の学風をストレートには継いでいない。むしろ逆ね」という点で妙に意気投合していた。もちろん、私はともかく、高木さんには高田衛の血が流れているのを私は知っている。
 よく考えると、私の研究の3つの柱である、秋成・奇談・上方文壇は全部高田先生がらみなのだ。
 秋成はいうまでもないだろう。学部時代、当時古書価格が高価でとても手の出なかった『上田秋成研究序説』と『上田秋成年譜考説』(後者は10万円近くした)を中野先生にお借りしてコピーし、座右に置いた。
 私が院生か助手のころ、叢書江戸文庫を高田先生は企画された。その1冊『佚齋樗山集』を中野三敏先生に頼んでこられた。「秋成ばかり読んでいては、秋成はわからない」と日頃おっしゃていた中野先生は、ちょうど飯倉にさせるといいと思われたか、その仕事を私に振ってくださった。そこから私の「奇談」書研究は始まっている。もっとも樗山のことを始めたときには全国の樗山の版本を見て歩くだけで、その先を何も考えていなかった。しかし板本書誌学の授業を受けた以上、とりあえず見られる板本は全部みないといけないという倫理観が私にはあった。この時の書誌調査で、なにか書誌学的なことへの自信のなさが少し解消したかと思う。これも高田先生のおかげだったわけである。
 さらに、私が研究に行き詰まりを感じていたころ、高田先生から「妙法院宮サロン」と「大坂での太田南畝」について書くようにご下命を受けた。『共同研究秋成とその時代』の企画だった。前者は宗政先生の代打だった。今思えば、このご依頼が、私を「上方文壇の人的交流」研究へと誘ったものである。中野三敏先生の演習で学んだ文壇研究の方法が役に立った(大学院で頼春水の『在津紀事』などを読んでいたので)。ひとつの論集に文壇研究的な論文を2本も書かせていただいたことが、その後の私の研究を少し拡げることになった。
 高田先生のおかげで、今の研究者としての自分がある。私はいまそう確言できる。
 高田先生は、秋成歿後200年記念展示を京都国立博物館で、「若冲」や「蕭白」と同じような規模でやりたいとおっしゃっていた。さすがにそこまでのことはできなかったが、京博で秋成展をやることができた。稲田篤信さん、木越治さん、長島弘明さんと私とで、何度も打ち合わせをし、京博に通い、資料撮影をした。この時の経験で、私の秋成観はかなり変わった。私は『上田秋成 絆としての文芸』で、その秋成観を書いた。つまりこれも高田先生のおかげである。
 私は『日本文学』で、先生の2冊の本の書評をした。依頼された時は感激した。ひとつが『春雨物語論』、もうひとつが『秋成 小説史の研究』である。私なりに一生懸命読んだ。そして、今思えば書評というより高田衛論を書いていた。我々が一歩一歩頂上をめざしてのぼっていく難路を横目に、先生は飛翔する蝶のように、春雨物語を山の上から見ていたと。先生はそれを「批判」と受け取られたが、書評自体には感謝をされた。そして秋成研究最後の論文集である、『秋成 小説史の研究』については、なぜ秋成を論じているのに「小説史の研究」かについて考えた。私は中村幸彦先生の『近世小説史の研究』を意識されていると思った。この書評について、高田先生から、信じられないようなお言葉をいただいた。その言葉は私の大切な宝である。
 高田先生の追悼文なのに、私自身のことばかりを語ってしまったが、私の研究は、高田衛先生とともにあることを、書きながら改めて確信したのである。
 ご冥福をお祈りします。本当にありがとうございました。
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2023年07月19日

上方文藝研究20号(正木ゆみさん追悼)

 『上方文藝研究』20号(2023年6月)が刊行された。今号は、若くして亡くなった正木ゆみさんの追悼特集号であった。正木さんが研究者として日本近世文学(演劇)研究に多大な貢献をされたことは言うまでもない。『上方文藝研究』は、19年前に創刊された。当時、大阪大学文学研究科の日本文学研究室には、古代中世文学研究の雑誌『詞林』があったが、近世文学研究の雑誌はなかった。阪大の院生らが研究成果を発表できる雑誌を作ろうとしたが、これは私と院生だけでできるわけがなく、阪大のOBの方数名にまずはご相談し、ご協力を仰いだのである。
 そのなかの一人が、正木ゆみさんで、本当に「献身的」ということばがぴったりのお働きで、私を助けてくださったのだ。御恩返しもできないままで、忸怩たる思いがあった。20号を正木さんの追悼号にすることに迷いはなかった。幸いに多くの賛意を得て、たくさんの原稿が集まった。正木さんのご人徳である。今号は140ページ超で、合併号なみのボリュームである。
 私も特集にエッセイというか論文もどきを寄稿した。俳諧紀行文に虚構のキャラクターを登場させることで、一種の文学論を展開する。これは和文紀行の『秋山記』でも取った方法。読本などの読み物ではなく、自分自身の紀行にそういうのを登場させるというのは実に秋成っぽいと私は思う。
 さて、先週の土曜日、20名弱が集まって、いつものように合評会が行われた。合評会を厳しくも温かい研究交流の場にしたのも、正木さんの功績。とにかく事前の予習が半端なかった。会場は神戸大学。私の退隠とともに、事務局も神戸大学に移り、有澤知世さんが代表をつとめている。懇親会も当然いつもと違って三宮のおしゃれなレストランだった。そして正木さんに献杯。
 そして、これからも上方文藝研究をよろしく。
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2023年06月27日

日本文学研究ジャーナル・書誌学

 『日本文学研究ジャーナル』26号(2023年6月)は、佐々木孝浩・高木元両氏により特集「書誌学」を組んでいる。このジャーナルは毎号特集をたてそれぞれ2人編集体制でずっときているが、編者による巻頭対談というのはこれまであっただろうか?全号読んでいないので確言できないが、はじめての試みではないか?(間違っていたら乞ご訂正)。
 これがおもしろい。どうやらオンライン対談のようであるが。2008年に阪大の助成で秋成の本を出した時に、故木越治さんと二人で編み、やはり冒頭に巻頭対談を置いたが、このときはメールでやった。オンラインが普及する前は、旅費やテープ起こし代を節約するのにこれしか思いつかなかったわけで。
 さて、対談タイトルは「いまなぜ書誌学か」と真っ向勝負である。「いま」というのは、やはりデジタル時代の「いま」ということである。国際化時代ということもあるだろうか。よくいわれる原本を見て触らないと和本は本当にはわからない、原本を見るための書誌学的知識が必要という議論はもちろんなされているが、それ以外にも、画像をデジタル公開する場合にメタデータが必要でそのために書誌学知識が必要だということも強調されている。
 巻頭エッセイは「江戸時代の写本の可能性」と題して、ピーター・コーニツキー氏。八編の論文は、若い方中心である。舟見一哉氏「字高の効用」、宮川真弥氏「電子画像を用いた匡郭間距離測定技術の書誌学的活用」は、いずれも重要な提案。アレッサンドロ・ビアンキ、李裕利、真島望、有澤知世、神林尚子、松永瑠成各氏の論考は、興味深い具体例に即した考察。勉強になります。
 編集後記まで対談になっているのは、ちょっとした遊びでしょうか。
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2023年06月09日

蝶夢思想の浄土的側面

 田坂英俊さん。広島府中市の慶照寺のご住職。親戚関係にあたるおなじく府中の明浄寺出身の昇道研究の第一人者である。昇道は、秋成の歌文集『藤簍冊子』の編集を担当し、版下も書いた。晩年の秋成を語るのになくてはならない存在である。田坂さんとは面識はないが、研究上、さまざまな便宜をお図りいただき、著書もたくさんいただいている。研究書は20冊以上に及ぶが、資料の博捜ぶりは並みの研究者では及ばない。
 田坂さんは、蝶夢の研究者でもあり、蝶夢全集の編集にも携わっている。今回、出版された『蝶夢思想の浄土的側面』(慶照寺、2023年6月)は、蝶夢の仏教者としての側面を緻密に描きだした画期的な研究書である。もとより浄土真宗のお寺のご住職であるから、仏教思想はまさに専門であり、田坂さんでなくてはこのような本は書けない。本書の意義については、田坂さんと30有余年の付き合いをされてきたという田中道雄先生が「奇特なお坊様の蝶夢論」と題された序文につくされている。
 江戸中期の捨世派の僧侶たちが与えた蝶夢への影響を裏付けた点。蝶夢の思想の根底に懺悔心があるという指摘。近江石山寺に石灯籠を建立した意図や、蝶夢の書簡に頻出する全国各地の作柄や米価についての記事から、庶民の貧窮を憂慮する蝶夢の心の読み取り。
 田中道雄先生は、「私は俳人・文人次元の蝶夢は理解したかも知れぬが、仏者としての蝶夢の理解にまでは、とても至っていなかった。しかし、その蝶夢の仏教思想の探究こそ、蝶夢研究の根底に置くべき課題であり、それゆえに不可欠であろう。(中略)私は、蝶夢をそれなりに理解していると思い込んでいた。皮相な理解を。何と浅はかで、傲慢であったことか。田坂さんこそが、現在もっとも深く蝶夢を理解しておられるお方である」と言い切っている。蝶夢研究を領導する田中先生のこの謙虚な、しかし正直に発せられる言葉は、私の胸を打つ。田中先生のすごさをここに感じる。そして、田中先生の言う通り、本書は蝶夢研究の必読書となるに違いない。
 まことに残念ながら、田坂さんは、そのほとんどの著書を自費出版されており、本書も非売品の少部数印刷ということである。蝶夢全集の別巻として出版されればいいなあと心から願望する。
 
 
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2023年06月07日

ヴァーチャル日本語 役割語の謎

 金水敏さんの『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波現代文庫、2023年5月)が、文庫本になった。最初に出たのはもう20年前なのか!
私は2001年に大阪大学に奉職。1年前に金水さんが着任されていた。(日常的には金水先生と呼ぶのだが、ブログでは同世代アラウンドは「さん」付けであるのでここでも「さん」で行きます)日本文学・国語学研究室の尊敬する同僚であった。なんと年齢も同じである。数ヶ月お兄さんだけど。もっとも私が長崎西高校→九州大学→山口大学と、西の方でうろうろしていたのに対して、金水さんは、大阪の名門北野高校から東大、神戸大学、大阪女子大学などを歴任していて、文化度・洗練度が全然違う。学会的には学会会長、学術会議会員そして学士院入り、キャリア的にも研究科長、今は放送大学大阪センターの長という輝かしい履歴である。それでも、なんという気さくさ、なんという庶民感覚、なんというユーモアセンスとお茶目っぷり・・・。誰からも愛されるスゴい人とは、金水さんのことを言うのだろう。文学部長としての、卒業式での贈る言葉はSNSでものすごい拡散をしたことも記憶に新しい。
 その金水さんの名著が文庫本になった。私が着任したころに、多分この本を執筆されていたのだろう。そのころ、私は国語学の歴史的研究において、狂言・浄瑠璃・洒落本などのテキストが「口語資料」として扱われていることが多いことに、違和感をもっていた。本当にそれは、当時の口語を反映しているのか?狂言・浄瑠璃は演劇であり、あくまで役者のことばである。いまの演劇だって、日常の口語をそのまま反映しているとは思えない。当時だってそうだろう。狂言には狂言の言葉使い、浄瑠璃には語りとしての韻律、洒落本には「息子」や「半可通」などのキャラクター特有の話し方があるじゃないの。院生発表会などで、そういう質問をすると、金水さんが援護射撃してくださることがあった。今考えれば、役割語だよ。そして、程なく、金水さんが「役割語」という概念をひっさげて、私の疑問を氷解してくださったのである。ということで、大阪大学着任当時の思い出と金水さんの役割語研究は、私の中で重なっているのである。
 それから20年。何人もの学生が「役割語」を研究し、博士論文を書く人も出てきた。大阪大学だけではなく、いろんな国語学者が「役割語」の概念を使って研究を進めているのである。
 田中ゆかり氏の解説は名解説であるが、その冒頭文を引用したい。「世の中には、確実に存在しているのに、名前がないために看過されているものがたぶんかなりある。しかし、いったん定義とともに名前が与えられると、数学の図形問題に適切な補助線が引かれたように世界の見え方は一変する」まさしく、「役割語」とはそういうものなのだ。つまり「役割語」は概念の発見である。すごいなあ、すごい!
 私も近世文学研究でちょこっと真似しているのだが、ちょこっとしか流通してないもんね。というわけで、きわめてきわめて私的な紹介を終わります。
 
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2023年06月06日

大田南畝の世界

「大田南畝の世界」展については、5日付の投稿「学会記」(日本女子大学)で触れた。この展示の会期は4月29日から6月29日で、展示期間が前期@・前期A・後期と、3期に分かれている。私たちが見たのは後期であったが、実は前期のみの展示も数多くあったということが出品目録からわかった。関東地区に住んでいれば2回は行っただろうにと残念だが、それを補うのが、図録『大田南畝の世界』である。なんとか写真で渇を癒やせるのだ。こちらもまた素晴らしい出来である。そして特筆すべきは所収論考がどれも非常に面白いことである。いくつか短評。巻頭の揖斐高「大田南畝の自由と「行楽」」はさすがの手練れ。小林ふみ子「「著作」の範囲―大田南畝の知の広がり」は、南畝全集に収められていない南畝の「自著」について触れる。それは既存の文献からの抜き書き、また他人の著書への書き入れ、編纂された叢書など。近世文人の「著作」活動にはこのようなものがきわめて多い。たしかにそれはオリジナルの作品ではないが、まぎれもない文事である。まだ院生のころだったか、中村幸彦先生に近世的な随筆の定義を教わった記憶が甦る。抜き書きを記録に留めることもまた随筆なのだと。牧野悟資「狂歌指導者大田南畝を考えるー方法としての狂歌判者」は展示で『狂歌角力草』稿本における南畝の添削を見た直後に読んだのでよくわかった。池澤一郎「漢詩と狂歌との接点―日野龍夫先生の洞察された大田南畝の文藝の特質―」は、日野先生の、性霊派漢詩論を南畝の狂歌が摂取していたという卒論の話題(もともとは本多朱里さんの文章に書かれていたことらしい)から始まる。その先見性に敬服しつつ、「漢詩が狂歌を支えていた」例として源氏物語に取材した狂歌を取り上げて論じる。そこでは南畝の源氏物語の読みも炙り出すという名人芸。これには唸った。宮崎修多「大田南畝の「日本」」。南畝の「日本」意識を論じるものだが、なんとも江戸文学に習熟していると舌を巻く文章である。どこか既視感があると思ったら、宮崎さんの師(私の師でもある)中野三敏先生の文章の呼吸にそっくりだった。短評は無理なんで、味わい深かったとだけ言っておこう。
 
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