2016年12月28日

忘れ物・失せ物

 2008年にスタートしたこのブログで、はじめのころは忘れ物・失せ物の話題をしていた。カテゴリーにも立てているくらいで。しかし、それから9年たって、忘れ物、失せ物はほとんどなくなった―、なんて嘘っぱちで、ますます増えている。今日も小さな忘れ物をしたし。ハイデルベルクでは、宿舎の鍵、研究室の鍵をなくさないように、首から吊るしていたおかげで、鍵を探したことはない。しかし日本で鍵を探す事はしょっちゅうだった。帰国して首から吊るすというのをまたやっている。ハイデルベルク大学の先生が、10月に阪大にお見えになったときに、首から下げるストラップ(ハイデルベルク大学のグッズのひとつ)をお土産に持ってきてくださったので。その効果があって、鍵だけは探さなくなった。感謝である。財布・携帯・手帳・メガネなどは相変わらずである。探し物の時間でどれだけ人生を浪費しているのだろう。
 久しぶりにこのカテゴリーで記事を書くのは、来年こその思いがあるからだが、思いだけではどうにもならない。なにかいい方法はないものだろうか?忘れ物・失せ物癖を克服した人の話があれば教えてほしいものだ。
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2016年09月21日

ドイツの大学における教育と研究について考えたこと(補訂版)

 以下は、9月5日〜7日に行われた研究室旅行のパンフレットに寄稿した文章をアップする。一部補訂している。ドイツ滞在中は非常にいい気分で仕事ができたので、いいイメージを持っているが、ドイツにはドイツの抱えている問題がもちろんある。それを忘れてはならない。

□わずか四ヶ月余りではあるが、ドイツのハイデルベルク大学で、二つの授業科目を一セメスター(十五回)担当し、何度か研究集会に参加し、一度は発表もさせていただいた。そこで、教育と研究のことについて、私が知り得たこと、考えたことを、もとより狭い経験に基づくものではあるが書いてみたい。何かの参考になれば幸いである。
□ドイツの大学進学率は四十パーセント程度であり、余り高くはない。次に述べるように入学金・学費が無料であるにも関わらず、である。このことについて、ドイツの人に理由を聞いてみると、ドイツが学歴を重視する社会ではないからであるという。ドイツは伝統的に職人を重んじる国である。大学を出たからと言って高収入は保証されない。
□一方で、学びたい人にとって、境遇は恵まれている。なにせ教育費は公的負担により、タダである。学びたい人は何年でも在学して学ぶことができるようで、私の授業には、学部十一年目の学生が出席していた。日本の大学ならそういう学生は、ほとんど大学にも出てこない、成績のよくない学生が多いが、彼は熱心だし、不出来ではないし、教員の信頼も厚く、学内のイベントでは常に中心におり、明るく、人柄がよく、彼女もいて、学生生活を謳歌している好青年である。
□ちなみに、ハイデルベルク大学のような著名な大学だが、哲学部(文学部)の場合、入学試験はない。医学部や法学部はあるようだが、ない方が普通なのである。大学院についても入試はない。入学資格はあるが、試験はない。教員は入試業務がないわけで、その時間を授業準備や研究に割けるわけである。もちろん授業についていけない者は脱落していく。このシステムがいいかわるいかは一概に言えないが、学歴重視社会ではないゆえに可能であるとは言えるかもしれない。
□では授業はどんな感じであろうか。他の先生方も異口同音にいうのは、学生がアクティブで、疑問があれば、教師の説明中であっても、質問を投げかけてくるということである。
また、授業中の居眠りは、教師に対してきわめて失礼とされるため、ほとんどない。もっとも遅刻は結構あったことは付け加えておこう。授業のひとつは上田秋成の文学がテーマで、私にはテキストを丁寧に解釈していく「日本式」?の授業をすることが求められていたのかもしれないが、結局議論中心の授業を行った。古典文学専攻の学生が誰もいないということも理由の一つだったが、古文の理解度にかなりの個人差があり、解釈中心の授業が成立しそうになかったからである。『雨月物語』と『春雨物語』はドイツ語訳があるため、少なくともドイツ語訳を事前に読んでおくこととし、テキストとしては日本古典文学全集を用いながらも、実際にそれを細かく読んでいくことはしなかった。彼らは、女性が徹底的にネガティブに描かれる話や、喜んで死を受け入れる話に素直に違和感を表明する反面、それを面白いと受け止めることもあり、一様ではない。
□もう一コマは、くずし字学習を含む、江戸の教養についての授業であるが、結局くずし字学習中心の授業になった。参加者は八名。ここにも古典文学を専攻する学生は1名しかいなかったが、くずし字への関心は非常に高く、最初の週に紹介したくずし字アプリのテストを、次の週には、ほとんど全問正解してくる強者もいた。前週に配布した宿題のくずし字テキストを、授業では順番に読みあげて行き、文字や語彙の説明を加えるが、さらに、同席されているハイデルベルク大の先生が、ドイツ語訳させるという授業である。学生がその場で試みるドイツ語訳や、それに対する先生のコメントは全くわからないが、比較的訳しやすい教訓書をテキストとして用いていたから、学生たちもなんとか訳していたようである。しかし日本学科で学んでいるだけあって、孝悌忠信などの徳目については、さほど説明しなくても理解できているようではある。
□授業は、たとえば一限が九時から十一時までの一二〇分であるが、実際九時十五分に始まり、十時四十五分に終了する九十分授業である。休憩時間が三十分、昼休みは九十分あり、ゆったりした感じとなる。
□次に研究会へ参加した感想を述べよう。七月二十四日現在までに私が参加した研究会は、使用言語がドイツ語か英語であった。といっても参加者のほとんどは日本語もわかるので、私が日本語で質問することについては問題なかった。
□ワークショップでの発表には日本のようにハンドアウトがない。大抵の場合はスライドを使用するが、その作り方は十人十色。非常に丁寧に作ってくる人もいれば、スライド数枚の人もいる。もちろんハンドアウトを作るのが悪いことだというわけではない。持ち帰ってじっくり検討できることは喜ばれる。しかし、いくつかの発表を聴いて思ったのは、事実を明らかにするという発表よりも、こういう考え方があるという発表の方が多いので、ハンドアウトがあったとしてもその発表が終われば用済みで、学会発表や論文執筆にむけブラッシュアップする。保存することを求められないからハンドアウトは要らない、そういう論理のような気がする。
□一時間であれば、発表時間が三十分、質疑応答が三十分である。この三十分を持て余すということはまずない。日本の研究会でありがちな、発表者の不勉強な点を突いて、質問者が知識を披歴し、発表者の「その点につきましては不勉強で調査が及んでおりませんので、今後の検討課題とさせていただきます」という答えを引き出すような、一方通行のやりとりがないのである。第一、そういう質問があったとしても、発表者は「それはわかりません」とあっさり言うだけだ。
□枠組みを共有し、各々のテーマに、さまざまな観点からの見解をぶつけることで、新たな地平を拓く。皆そこを目指している。重要なのは個々の発表ではなく、枠組みの方である。したがって、ワークショップを開催する時は、ワークショップのテーマ、枠組みの作り方が重要である。ハイデルベルク大学には「クラスター」という研究組織がある。阪大の文学研究科に存在するクラスターとは似て非なるものである。全学的な予算がきちんと措置され、それ用の建物もある。ハイデルベルク大学には日本学クラスターがあり、頻繁に、講演会・研究会・シンポジウムを催している。
□私が参加した研究会のひとつは、「京都―古都のイメージ形成」というテーマのワークショップで、高木博志京大教授が基調講演された他、全部で六人が登壇した。文学・美術・歴史・前近代・近代という枠を取り払った議論が行われた。イギリス・フランス・ドイツ・スイス・オーストラリア・日本などの国々から五十名ほどが参加した。使用言語は英語だが、日本語の質問も許されたので、私も都名所図会についての発表や、古都のイメージ形成の基調講演には、質問で参加できた。タイモン・スクリーチ氏やジョルジュ・モストウ氏というビッグネームの発表も聞けた。このワークショップが大成功したのは、ひとえにコーディネーターの枠組み設定がよかったからだと思う。日本でも、インターディシプリナリティがますます重要になるだろうと実感した。
□とはいえ、彼らは、日本の実証的な研究や注釈書を利用して研究をしていることもまた事実であり、それらは非常に重宝されている。一方で、その実証の正しさや、注釈の精度について正しい評価が出来ているかどうかは問題が残る。私達は、日本文学への国際的なアプローチの仕方を知るとともに、実証的方法や、地道な注釈を捨ててもいいと言うことは決してないのである。ダブルスタンダードが求められている。
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2011年11月26日

失せ物、見つかる。

ここ3週間ほど行方不明だった眼鏡(遠近両用)が、なぜこんなところに?というところから見つかった。それは、押し入れの中の雑多な物の入っている箱の中です。まあ、中近両用眼鏡も持っているので、なんとか凌げていたのだが。

実は、ここ数日行方不明だったアダプターもほぼ同時に見つかった。これも、目の前にあるのに、そんなところにあるはずがないという思いこみから、それとちがうものだと決めつけていたのだった。

見つかるときはこんなものですが、失せ物が見つかると、俄然、チャージされた感じがするなあ。明日からは絶対おきっぱなしにしないようにしよう(と何度決意しただろう)。
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2010年09月25日

断捨離

ほう、片づけ、整理の極意か。
どれどれ。

…本屋で立ち読み。買ったら「断」じゃないものね。

「断」入ってくる、いらない物を断つ。
「捨」ガラクタを捨てる。
「離」物への執着心から離れる。

「今」、「自分が」必要としている物以外は捨てるそうです。

「断」送ってくる古書目録、図書目録を断つ→断てないです。
「捨」雑本を捨てる→雑本も同じジャンルを100冊集めれば学問になるって教えられた。
「離」古い本や雑誌に執着する→執着が薄いと言われるんですが。

と、ちょっと反抗してみたが、実は、断捨離しないとヤバイ。ごーっと。
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2009年12月04日

忘却しそうな事ども

数件のプロジェクトに関わっていて、それらがみな佳境にはいってきている。一方で、予期せぬ出来事が次々に発生している。対応するのに、電話をかけたり、かかってきたり。メールは1日何十通もゆきかっている。

その一方で、締め切り迫る原稿、某打ち合わせの準備、某委員会での報告準備、200枚のレポート採点、某連続講義(2日間8コマ)、某論文のチェック、某書類群の審査、某研究会、某パーティ、某会議、某委員会、某出張、某祭事、某もとい忘年会・・・・、これらを12月中にこなしつつ、数百点残っている書誌調査もやんないとね。あ、シラバスもかんがえないと。

心を澄まして、これらに向かいましょう(なにか抜けそうだけど)。

あ、年賀状。


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2009年10月03日

うはがき

前のエントリーのgatayanさんのコメントで、認識が深まりました。ありがとうございます。

それで、失せ物の原因なのだが、「物のまぎれ」というのがある。いつのまにか、なにか他の物にまぎれてしまう、典型的失せ物現象であろう。この場合、なぜそうなるかを内省してみると、意識の「うはがき」が行われていることが多いような気がする。

たとえば、朝爪切りをしていると、電話がかかってくる。その電話が「○○さんの連絡先教えて」的なものだとヤバイ。それを調べているうちに、意識の「うはがき」が行われて、電話が終わった時には、すっかり爪切りをしていたことを忘れている。しばらくすると「アレ、爪切りがない!」ということになる。もちろん、普段片付いていれば、こういうことは起りにくいのだ。

書類も同じで、重要な書類を処理しようとしている時に、人が訪ねてきて、「○○についての本お持ちでないですが」などと言われる。書類をどこかにおいて、えーっと、えーっと、と探しているうちに書類のことを忘れてしまい、しばらくすると「あれ、あの書類はどこに?」ってことになるのである。「うはがき」がなければ、起こりにくかったはずである。

もちろん本当に無くなってはいないわけで、まぎれているだけである。だから、長いこと探していたら、出てくるのだし、あきらめていたら出てきたりするのである。しかし「必要な時に、ない」。

忘れものものも同じかもしれない。店に傘を忘れることはよくあるが、店を出る直前まで「あー、かさ、かさ」と意識している。ところが店を出る時に、「あれ、靴がない、靴はどこだ、あー、あったあった、よかった」と思った瞬間に傘のことが意識から消えている。これも「うはがき」現象なのだ。

ではこの「うはがき」に対応するにはどうしたらいいのか?何かいい智恵はありませんでしょうか?
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2009年10月01日

小片付け

どうして失せ物がたえないのか。

片付け・整理ができないからである。片付けていたら失せ物が出てきたという経験があるでしょう?逆に言えばいつも片付けていたら、失せ物はなくなるはず。

そう思っていたら、「片付けられないあなたへ」みたいな特集を某雑誌でやっていたので、「これだ!」と、立ち読みをした。ところが、ちゃんと片付けられる人が記事を書いているようなので、「それができたら苦労しませんよ、プンプン」と逆ギレして、当然買わなかったのだが、その中で、「小片付け」という言葉が記憶に残る。

つまり、何かしたら、すぐにその場で片づけたり、一拭きしたりするという方法だ。フフフ。これなら最近わたいも実践しているのだ。メールがたまらないうちにさっさと分類するってのを。これを全生活に応用するわけですな。

もっとも、すでに片付けていることを忘れていて、「どこにいったんだ」と探すということがやはりあって、1日1度以上は捜し物をしている(自慢することではないが)。でも、もうすこし実践(しようと)してみよう、小片付け。
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2009年08月05日

教え子からの便り

山口大学時代のむかしの教え子からお便りをいただいた。この場でお礼申し上げる。私が唯一大学院で指導した人だが、修士1年を終えたところで、私は転任することになった。その後、私の後任となった方のご指導で、よい論文を書いてくれて、嬉しかった。

よく夏に近況報告をしてくれるが、今回のお便りでは、私のブログを読んでくれているということ、失せ物ネタで「そういえば、山口大学でも、先生が机の上を探し回しても見つからず、『まあいいでしょう』とあきらめておしまいになったことを思い出し」たということが書かれていた。そんなこと、私じしんは忘却しているのだが・・・・。

しかし最近なぜかリバイバルヒットしている『思考の整理学』の著者は、忘却して頭に隙間をつくってそこで考えるってなことを言っているから(新聞にも出てましたね)、忘却でもいいのさ、と嘯くことにしている。
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2009年07月20日

土用丑の日

忘却散人つれなる人とともに近くの商店街に買ひ物にゆけば、矢鱈と人多し。巷にては夏休みに入りしといふ。「何が夏休みならん、けふの夕食は何にせん」と言ひあひながら、よろよろと食品コーナーを歩みゆけば、良き香りせり。「土用の丑の日」とか書かれし旗幾本も立ちてにぎやかなり。散人、にはかに勢ひづきて「うなぎにせん、うなぎにせん。それ選べ、それ選べ」と大声にていふ。つれなる人もふるさと産の美味ならむを選びて、よろこびによろこぶ。日くれて、散人かうべを垂れていはく。「けふは食欲なし、うなぎは明日にせん」。連れなるひとも「われもなり。しかせん」。ふたりともに夏バテ気味なりしを忘れてゐたり。
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2009年04月18日

消し忘れ

散人、忘却すること常にて、あへてこのブログに書くほどのこともなし。されどけふの物忘れには我ながら呆れたり。

車にて出かけんとし、リモコンにてドアロックを外さんとせしに音なし。不思議に思ふも、手にて鍵を回し、乗り込みてエンジンをかけしが、反応なし。

ライトの点け放しによる放電なり。「や」と思ひてJAFをよばんとせしに、ケータイなし。ケータイを捜しに家に戻り、自宅電話よりケータイにかけしも音なし。不思議なり(自宅電話からJAFにかけるに思ひ至らぬも間抜けなり)。

「レーセーに、レーセーに」と言ひきかせ、JAFカードを探ししのち、車に置きしカバンの中にケータイのありしを思ひ出せり。

50分のちにJAF来たりて、すぐに処置をはれり。それにしても、ライトの消し忘れを防がんがため警告音の発せられしも聞き落とせしか。散人このごろ、忘れ物ネタなきに、「忘れ物・失せ物」のカテゴリイ廃止せんと思ひし折も折の出来事なり。
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2008年11月06日

我ながら

下記エントリの国会図書館関西館のOさん(学生時代は近世文学を専攻)からメールが来ました。

貴重書展の説明員をやらねばならないということで、かなりあわてておられるようです。なにせ学問から離れて、×年です。そこでOさんいわく。

  先生に、
  「学問的営為に無駄はいっさいない。途中でやめたとしても、
  少なくとも人生の無駄になることはない」と言っていただいたことがあります。
  その時には、そういうものか、というほどの気持でおりましたが
  まさかこう早く実感することがあろうとは思いませんでした。

ううむ。我ながらいいことを言っているではないか!、と(忘れていたので)感心いたしました。

 ある方からいただいた丹波の黒豆を茹でて食したら、ものすごく美味い! と舌鼓を打っております。ああ、なんだか希望が出てきた。できるかもしれない。Yes We Can!
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2008年10月05日

コードを忘れている

大切な来客のあった日、なぜかむしょうにギターを弾きたくなる。
出来ないのに、酔いにまかせて。

10年以上弾いていないのに、1981年発行の「ヒットソング」を持ちだして、弾こうとする。あれ、調弦ができない。スリーフィンガーが出来ない(これはかなりショック)。あれ、Gmってどうだったけ。

だんだんと思いだしたものの、指はいたくなるし、まともにはひけないし・・・・・。

みな温かく見守ってくれる。ありがたいことだが、だんだんはずかしくなる。

たまにはいいかもと思いながらも。そういうひとときでした。

忘れていたということで、ブログネタです。

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2008年10月03日

忘却論文

忘却散人、ある作品を読みて、この作品につきて論ぜしものなきやと思ひ、国文学研究資料館が論文データベースにアクセスす。

「まことにインターネットは至便なり」と独言しつつ、その作品名を入力しければ、論文、数少なけれど画面に出づ。

「やはり少なし、誰か論ぜし」と著者の名見るや、「あなや」と叫びて倒る。わが名そこにあり。

論文の中に、忘れしと忘れざりしとあり。忘れしは、自らの評価も低し。かの論文いまだ引用されたることなし。




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2008年07月31日

忘れえぬ「手前荘」

3週間ほど後、研究室旅行に出かけます。そのときのパンフに毎年文章を求められます。以下はその書き出し。「忘れえぬ手前荘」というタイトルで一応カテゴリは逆説的に「忘れ物・失せ物」。

この「手前荘」(仮名)の話は幾度かしたことがあるが、書いたことはない。あれから三十年以上も経つことだし、そろそろ備忘に書いておいてもいいだろう。大学に入って一年目の年は、記憶が鮮明である。手前荘に住んでいたからだと言い切ってもいいだろう。
 高校三年の三月。同じ大学に入学することになった同級生三人(私以外)が下宿さがしに出かけた。戻ってきたときには、私の部屋が勝手に決められていた。下宿は大学から徒歩十五分ほどのところにある、相当古い感じの、まかない付き下宿。私の部屋は四畳、日曜日を除く朝夕食と隔日の風呂付で一万八千円。下宿の相場は三万から三万五千円というところだったから激安である。下宿人は約二十人ほど。そのほとんどの人の名前と顔と、部屋の配置を思い出すことができる。以下固有名詞はすべて仮名である。

(続きはパンフの読者のために省略…)
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2008年07月15日

溜まる、溢れる、忘れる(失せる)

前期の授業、10回をすぐる6月ころより、研究室にても自宅にても、書類机上に積み重なり、溢れて、床にまた積み重なり、訳わからぬこととなり、探す時間のみいたづらにすぐること毎年のことといへども、改まらず。

失せ物多く、一月探し続けて未だ見つからざるものあり。

書類のみにあらず、メールの溜まり、溢るることも同じ。

まして忘却散人の狭き頭の中は、すべきこと溜まり、混雑すれば、溢れて忘るること、日々に多し。手帳に時間記せども何の会合か分からずして困惑することも少なからず。

手帳の今週のメモに7つの会議・会合あり。やうやくにして全て思ひ出せば、安堵す。情報管理術の本巷に多く、我もまたこれを求めて読みしかど、その本いづこに行きしか、見当たらず。内容も今頭に無いやうなり。
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2008年06月09日

忘れ物の記

散人、出張にて昨夜遅く帰宅せり。今日やや特別なる授業(1年入門用)のあるも、予習に全く手をつけてをらずアセル。NHKのサラリーマンNEO放映せざることに安堵せしも、睡魔にえ勝たずして倒る。目覚めて時計を見れば既に朝にして絶望す。されど必死に資料を作る。プリンタ不機嫌にて絵を描かず。別のプリンタを用いて印刷すればやうやくにして資料完成す。急ぐほどに大学に着きにけり。見れば資料1枚足らず。自宅に置き忘れたることに気づく。やむをえず携帯ハードディスクを探すに見あたらず。これも忘れたり。慌てて作り直せば刻限せまりて昼食抜かざるをえず。教室に入りてやうやく講義始む。乗りまくりて話しゐる中途にて、チャイムのキンコンカンコンと成りにけり。終わりの刻限を勘違ひしてゐたり。出張の次の日の授業には心用うべし。準備怠るべからず。
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2008年05月22日

散人絶句

忘却散人、弥生望の日に確定申告せんとすれども、G票見当たらずして、申告することかなはず。しばらく探せどもなし。やむをえずしてG票の再発行を各機関に求む。G票そろへども雑事にまぎれて打ちすぎ、皐月になりて漸く申告す。今日「期限後申告により納付すべき加算税」の通知来る。見るに「うううっ」と叫びて倒る。失せ物せざるは徳なり。失せ物多きは徳(得)を損ずるなり。
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2008年04月28日

3連発

忘れものは日々ですが、時々備忘に(!)書いておきましょう。
 このところ大きな忘れ物はなかったのですが、久しぶりにやってしまいました。3連発です。非常勤先の出勤簿に必要な印鑑を忘れる。またその授業で持っていくはずの資料を忘れる。大学に戻って気づいたのが、図書館に返さねばならない他館貸し出しの本。今日まで。仕方なく自宅に取りに帰ります。やれやれ。なお失せ物は出てきたとき、あきらめた時に、気が向いたら記すことにします。最近とんでもない失し物をしましたが、これはちょっと書かないことにします。忘れもの、失せ物防止策も日々考えてはいるのですが、その防止策を忘れてしまうのです。
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