吹田市立博物館(大阪府)に2021年に入った、上田秋成自筆長歌一幅について、同館の館報に調査報告を掲載させていただきました。「吹田市立博物館所蔵上田秋成自筆長歌一幅について」(『吹田市立博物館館報』23号、2023年1月)。昨日、落手したものですから、ここでのポストが少し遅くなりました。秋成が妻と共に元日に垂水神社に出かけ、小松引きをして遊んだということが詠まれています。垂水神社は今も吹田に鎮座しており、吹田市立博物館が本長歌を入手した所以もそこにあります。さて、この長歌自体は、秋成の家集に収められたものですが、成立時の筆写ではないけれども秋成の自筆であること、題が秋成の家集所収のものと異なること、書写年月(つまり秋成再写の年月)と年齢が記されていることから、秋成伝に新しい事項を立てられることにもなり、貴重な資料であると言える。
実際に秋成が元日に垂水神社に出かけたのは、寛政三年だろうと推定した。さて、ではなぜその時小松引きをしたのか?これを論文をお送り
したS先生に問われて、はて?なんでだろう、と思い至らず、S先生に逆にお考えを聞いたところ、その問いを投げかけた理由を教えていただき、「なるほど「なるほど!」と膝を打った次第。これは次の課題として受け止めさせていただいた。
吹田の学芸員のIさんが、私の研究室を訪ねてこられ、私に自筆かどうかの見立てと調査を依頼してくださった。ちょうど垂水神社の近くにある関西大学に出講していたこともあり、縁を感じた。なおご興味おありの方はPDFで報告文をお送りします。コメント欄にメールアドレス(他の方には見えません)をお書きください。
2023年03月29日
2023年03月27日
未来を切り拓く古典教材
第3回古典教材開発研究センター・第6回コテキリの会が3月26日、同志社大学烏丸キャンパス志高館で行われた。対面・オンライン併用。
当日対面参加した方には、本会のこれまでの活動の総括ともいえる『未来を切り拓く古典教材─和本・くずし字でこんな授業ができる』(文学通信、2023年3月)に加えて、現古絵合わせカルタが配布された。すごいサービスである。ちなみに、同書はなんと全文PDFで無料ダウンロード可であり、SNSでは、驚きと歓喜の声が拡がっている。とはいえ、物としての本書はひとつの世界を作っていて、素晴らしい出来である。まずは店頭で手にとってみていただきたい。和本やくずし字を用いた授業の実践例を多く掲げている。
さてコテキリの会は2部構成で、第T部がこれまでコテキリの会で基調講演をした経験のある仲島ひとみさん、佐々木孝浩さん、飯倉と、コメンテーターを務めたことのある平野多恵さんと、このプロジェクトのリーダー司会の山田和人さんの5人による座談会。それぞれの教育実践に基づいて、和本・くずし字教育についての提言を行った。山田さんは意図的に「むちゃぶり」をして、登壇者の素を引きだそうとしたとおっしゃっていたが、登壇者はそれに戸惑いながらも、きちんと打ち返していたのは流石である(私は打ち損ないのファールボール?)。山田さんもおっしゃていたが、「コミュニケーションツールとしての和本・くずし字」、「テキストと組み合わされる絵の魅力」、「社会とどう関わるか、何の役に立つのか」というところの意見交換が面白かった。なかでも私が感心したのは平野多恵さんがゼミでやっている「和歌占い」。実際に学園祭やネットで、一般の人からも相談を受け、和歌で占ってあげて、「救われた!」と言った方もいるという話である。むかしから、和歌には人の心を動かす力があると言われているが、和歌占いの方法をマスターすれば、現代の人を救うこともできる、その実例があるということに、ものすごい衝撃を受けた。
第2部意見交流会では、10グループに分かれて、今回和本バンク(有志者からコテキリに寄贈された和本群。私も5点ほど持参して一緒に並べてもらった)から選ばれて、その場に並べられた100冊ほどの本から、自分の気に入った1点を選んで、それについて意見交換するというものだが、この意見交換会が異常な盛り上がりを見せた。またグループ分けが絶妙で、中高の現役教員、学部生大学院生、大学教員、なかには一般の方もいたが、どのグループでも、それぞれ入り交じっての意見交換。切実で、真摯な、しかし未来を見据えた手応えのあるやりとりが、私の所属したグループでも行われた。実際、私たちからみたら、ありふれた和本でも、それを選んだ人は、その本の面白さを滔々と語って、私たちにも「なるほどね」と、新しい発見を共有させていただけた。
各グループ代表が、3分の持ち時間で自分の推し和本について、その面白さや、どう教育に活用できるかなどをプレゼン。みなさん実に素晴らしいプレゼンをした。
対面の素晴らしさは、個人的にもたっぷりお話することができたり、次へ向けての繋がりを持てたり、やはり対面のポテンシャルはすごいです。山田さんは、芸能研究者だけあって、このイベントをひとつの劇(祭?)に見立て、最後は三本締め。場内湧き上がりましたが、だれもここで自足はしていません。みなさん、今日の成果をどう教育に活かすか、会が終わってからも、会場のあちこちで話し込む姿が見られました。
さて、配られた本、これは文句なしに素晴らしい出来です。和本とくずし字の教材としての必要性、魅力、実際の教育実践、自由に使える教材、とてもよく出来ています。無料ダウンロードもできるという信じられない大サービスです。https://bungaku-report.com/kotekiri.html
是非ご活用を。そして書籍版も手に取ってみて下さい。
当日対面参加した方には、本会のこれまでの活動の総括ともいえる『未来を切り拓く古典教材─和本・くずし字でこんな授業ができる』(文学通信、2023年3月)に加えて、現古絵合わせカルタが配布された。すごいサービスである。ちなみに、同書はなんと全文PDFで無料ダウンロード可であり、SNSでは、驚きと歓喜の声が拡がっている。とはいえ、物としての本書はひとつの世界を作っていて、素晴らしい出来である。まずは店頭で手にとってみていただきたい。和本やくずし字を用いた授業の実践例を多く掲げている。
さてコテキリの会は2部構成で、第T部がこれまでコテキリの会で基調講演をした経験のある仲島ひとみさん、佐々木孝浩さん、飯倉と、コメンテーターを務めたことのある平野多恵さんと、このプロジェクトのリーダー司会の山田和人さんの5人による座談会。それぞれの教育実践に基づいて、和本・くずし字教育についての提言を行った。山田さんは意図的に「むちゃぶり」をして、登壇者の素を引きだそうとしたとおっしゃっていたが、登壇者はそれに戸惑いながらも、きちんと打ち返していたのは流石である(私は打ち損ないのファールボール?)。山田さんもおっしゃていたが、「コミュニケーションツールとしての和本・くずし字」、「テキストと組み合わされる絵の魅力」、「社会とどう関わるか、何の役に立つのか」というところの意見交換が面白かった。なかでも私が感心したのは平野多恵さんがゼミでやっている「和歌占い」。実際に学園祭やネットで、一般の人からも相談を受け、和歌で占ってあげて、「救われた!」と言った方もいるという話である。むかしから、和歌には人の心を動かす力があると言われているが、和歌占いの方法をマスターすれば、現代の人を救うこともできる、その実例があるということに、ものすごい衝撃を受けた。
第2部意見交流会では、10グループに分かれて、今回和本バンク(有志者からコテキリに寄贈された和本群。私も5点ほど持参して一緒に並べてもらった)から選ばれて、その場に並べられた100冊ほどの本から、自分の気に入った1点を選んで、それについて意見交換するというものだが、この意見交換会が異常な盛り上がりを見せた。またグループ分けが絶妙で、中高の現役教員、学部生大学院生、大学教員、なかには一般の方もいたが、どのグループでも、それぞれ入り交じっての意見交換。切実で、真摯な、しかし未来を見据えた手応えのあるやりとりが、私の所属したグループでも行われた。実際、私たちからみたら、ありふれた和本でも、それを選んだ人は、その本の面白さを滔々と語って、私たちにも「なるほどね」と、新しい発見を共有させていただけた。
各グループ代表が、3分の持ち時間で自分の推し和本について、その面白さや、どう教育に活用できるかなどをプレゼン。みなさん実に素晴らしいプレゼンをした。
対面の素晴らしさは、個人的にもたっぷりお話することができたり、次へ向けての繋がりを持てたり、やはり対面のポテンシャルはすごいです。山田さんは、芸能研究者だけあって、このイベントをひとつの劇(祭?)に見立て、最後は三本締め。場内湧き上がりましたが、だれもここで自足はしていません。みなさん、今日の成果をどう教育に活かすか、会が終わってからも、会場のあちこちで話し込む姿が見られました。
さて、配られた本、これは文句なしに素晴らしい出来です。和本とくずし字の教材としての必要性、魅力、実際の教育実践、自由に使える教材、とてもよく出来ています。無料ダウンロードもできるという信じられない大サービスです。https://bungaku-report.com/kotekiri.html
是非ご活用を。そして書籍版も手に取ってみて下さい。
2023年02月13日
国際シンポジウム「古典の再生」報告
2月11日、12日、京都産業大学むすびわざ館で、国際シンポジウム「古典の再生」。前日の打ち合わせ・リハーサルから本日(2月13日)の意見交換会まで、4日間にわたる全日程を終了しました。シンポジウムは何度も企画しましたが、これほどの論客を集め、広く、深い議論をし、反響の大きかった会は、経験がありません。初日のエドアルド・ジェルリーニさんの基調講演、持説の「テキスト遺産」を古典×再生とし、以前うかがった講演をさらにパワーアップした内容で、キー・ノートに相応しい内容でした。それを受けての盛田帝子、ロバート・ヒューイ、アンダソヴァ・マラル各氏の発表は、江戸における王朝文化復興、琉球における日本古典の受容、古事記・日本書紀・風土記の各国訳とその違いなど、異なる視点から古典の再生の事例報告となりました。ディスカサントの荒木さんのコメントと質問は、荒木さんらしい博学と豊富な国際会議経験に基づく示唆深く、鋭いものでした。続く永崎研宣グループによるTEI入門講座+TEIでこんなことができるのプレゼンは、非常な反響をよんでいます。DH系の集会ではなく、古典文学系の研究集会で、これをやったことに大きな意義がありました。さっそく、その日のうちに、今お持ちのテキストデータから索引作成をしたいという研究者が、永崎さんに質問をされていました。特別プレゼンという場を作ってよかったと心から思いました。2日目の3つのセッション、ひとつめの「イメージとパフォーマンス」は、亡くなった楊暁捷先生が作成されていたプレゼンビデオから始まりました。楊先生のご遺族もZoomで御覧になり、喜んでいただけました。佐々木孝浩さんには人麿像について、さすがの蘊蓄・資料を提示、個人的には「ぬば玉の巻」の紹介が嬉しかったです。ジョナサン・ズウィッカーさんは『安積沼』の小平次が近代以降もさまざまなメディアに現れたことを紹介、「生きている小平次」と出征兵とのダブルイメージから小野田寛郎さんのことを思い浮かべた視聴者もいたようです。佐藤悟さんが今傾注されている女房装束の復元事業の紹介にも関心が集まりました。討論者の山田和人さんの相変わらずのスマートな問題整理、安定の仕切りでした。予想通り盛り上がったのが第2セッション「源氏物語再生史」。田渕句美子さんの「阿仏の文」から源氏物語を読み返すと、夕顔のふるまいがこんなに違って見えるのかという驚き、松本大さんの物語色紙を大量に読み込んでの考察、兵藤裕己先生の、もう一つの近代文学(史)を幻視するパースペクティヴをもった樋口一葉論と、まことに多彩でどれもこれも面白い発表、そして「再生史」の「史」にこだわった中嶋さんの怒濤のコメント。しかし周到な中嶋さんはふとフロアの中森康之さんに振る。中森さんのコメントも素晴らしい。いずれにせよ兵藤論は今回のシンポの議論の大きな磁場でした。そして第3セッションは、オンライン参加の山本嘉孝氏の柴野栗山の朝廷文物への関心についての具体報告、アロカイさんの紀行文における古典(レトリック)と古典ばなれの話題、飯倉の、上田秋成の万葉集注釈における逸脱する語りの考察、オンライン参加の討論者合山さんが、次々に簡単には答えられない質問をぶつけてきましたが、質問で討論時間が終わってしまい、議論にいたらなかったのは残念でした。しかし合山さんが、最後に基調講演に戻って、本シンポジウムの意義そのものを問うような問題提起をされたのは重要でした。そして今日13日も、登壇者があつまり、シンポの議論をさらに深める丁々発止のやりとりが行われました。近い未来に向けての作戦会議も。1年前から準備をはじめた大規模シンポ、とりあえず、大きな山を超えました。登壇者のみなさま、対面参加者、オンライン参加者のみなさま、運営スタッフのみなさま、すべてのみなさまに感謝です。
2023年01月31日
近世文学会シンポ傍聴記、読後独言
『近世文藝』117号(2023年1月)が手元に届いた。昨年春の学会での70周年記念シンポジウム「独自進化する?日本近世文学会の研究ー回顧と展望ー」の報告と傍聴記が掲載されている。このシンポ、私もディスカッサントとして参加した。同じディスカッサントであった廣瀬千紗子さんと、最初のパネリストである中嶋隆さんとあわせて65歳を超える三人が、藤原英城さんいわく「爆弾三勇士」よろしく暴れていた印象があるが、この報告と傍聴記で、日本近世文学会における実証主義の堅持、理論的研究の是非、学会というムラの外へのアピールといういくつかの論点が焦点化されている。
パネルがどのように受け止められたかが気になっていたので、「傍聴記」の掲載はありがたい。執筆者は「爆弾三勇士」と同じくロートル組の篠原進さんと、超若手の岡部祐佳さんである。傍聴記もパネルと同じで、ここでもベテランが暴れ、若手はオーソドックスで堅調な書きぶりである。
篠原さんが、いつもの「劇画チック」な、あるいは語弊を恐れずに言えば「プロレス中継的」=古舘伊知郎的文体で、傍聴記を書き上げている。ちょっと暴れすぎの観なきにしもあらずというくらい。篠原さんによれば、私飯倉が、一瞬の空白の後に「剛球」を投じたとあるが、おっしゃる通り、ちょっと煽ってしまったのは事実である。もちろん篠原さんの傍聴記は、篠原さんの思いを交えつつ書かれているので、「いやそこまでは私も考えてはいませんが」というところはあるのだが、「学際化・国際化・社会性を謳うなら、外に向けた思いを言って!」という趣旨であったことは間違いない。
ここからは、私の呟きだが。外の状況、古典や古典研究に「敵対的」とさえ思える発言が公然と出てきている今の状況は、「無視されているよりマシ」だという思いが実はある。「こてほん」がそれを引き出してしまったという批判もあるが、「敵対的」であるということは、関心があるということであり、この「敵対的」な層と議論することが、無関心層の関心を引く努力をするよりも効果的なのである(オセロゲームのように敵対者は支持勢力に回ったら強力な味方である)。「敵対的」な発言をする層は、古典の価値が自明であるという主張が通じないことを教えてくれた。ではどうするか。ここにこそ、理論が必要であろう。たぶん実証的データだけで、古典を学ぶことは必要かつ有価値だと証明するのは難しい。理論と実証の問題は、実はここにリンクするのである。
学会を守ることが、古典研究を守ることとは限らない。さまざまなレベルでの、またさまざまなコミュニティとの議論を企図し、考えぬくこと。それを発信すること。ロートルには限界がある。50代以下、とくに40代・30代の方に、議論の機会をつくることと、外への発信を心からお願いする。
パネルがどのように受け止められたかが気になっていたので、「傍聴記」の掲載はありがたい。執筆者は「爆弾三勇士」と同じくロートル組の篠原進さんと、超若手の岡部祐佳さんである。傍聴記もパネルと同じで、ここでもベテランが暴れ、若手はオーソドックスで堅調な書きぶりである。
篠原さんが、いつもの「劇画チック」な、あるいは語弊を恐れずに言えば「プロレス中継的」=古舘伊知郎的文体で、傍聴記を書き上げている。ちょっと暴れすぎの観なきにしもあらずというくらい。篠原さんによれば、私飯倉が、一瞬の空白の後に「剛球」を投じたとあるが、おっしゃる通り、ちょっと煽ってしまったのは事実である。もちろん篠原さんの傍聴記は、篠原さんの思いを交えつつ書かれているので、「いやそこまでは私も考えてはいませんが」というところはあるのだが、「学際化・国際化・社会性を謳うなら、外に向けた思いを言って!」という趣旨であったことは間違いない。
ここからは、私の呟きだが。外の状況、古典や古典研究に「敵対的」とさえ思える発言が公然と出てきている今の状況は、「無視されているよりマシ」だという思いが実はある。「こてほん」がそれを引き出してしまったという批判もあるが、「敵対的」であるということは、関心があるということであり、この「敵対的」な層と議論することが、無関心層の関心を引く努力をするよりも効果的なのである(オセロゲームのように敵対者は支持勢力に回ったら強力な味方である)。「敵対的」な発言をする層は、古典の価値が自明であるという主張が通じないことを教えてくれた。ではどうするか。ここにこそ、理論が必要であろう。たぶん実証的データだけで、古典を学ぶことは必要かつ有価値だと証明するのは難しい。理論と実証の問題は、実はここにリンクするのである。
学会を守ることが、古典研究を守ることとは限らない。さまざまなレベルでの、またさまざまなコミュニティとの議論を企図し、考えぬくこと。それを発信すること。ロートルには限界がある。50代以下、とくに40代・30代の方に、議論の機会をつくることと、外への発信を心からお願いする。
2021年10月10日
「テクスト遺産」という概念
Edoardo Gerliniさんと河野貴美子さんの編による『古典は遺産か−日本におけるテクスト遺産の利用と再創造』(勉誠出版、2021年10月)が刊行された(もしかするとまだ書店には並んでないかもしれません)。
ジェルリーニさんが提唱する、「テクスト遺産」という新しい研究視角。これは遺産研究(Heritage Studies)の考え方を参照にしつつも、従来「文化遺産」とは見做されていない文学作品をはじめとするテクストを文化遺産と位置づけることで、古典研究を学際的な研究対象とするとともに、「古典の危機」への打開策のヒントにする意味もありそうである。私は、この概念は有効であると今のところ思っていて、なぜくずし字教育が必要かを話す講演でも、使わせていただいた。しかし、今では定着している「間テクスト性」とか「カノン」のような概念も、当初「それって何?」「〜とどう違うの?」という反応があったように、「テクスト遺産」という概念も、既存の文学研究者たちに受け入れられるかどうかは、あと10年くらいたたないとわからないだろう。
現に、ジェルリーニさんの趣旨に理解を示したと考えられるこの本の執筆者たちの「テクスト遺産」概念が、実はまちまちであることが本書巻末の「テクスト遺産とは何か」で示されている。そこには編者たちの依頼によって、各執筆者の考える「テクスト遺産」の定義が語られているのである。
この事態は、「テクスト遺産」の理解の困難を示すとともに、「テクスト遺産」が議論すべき、可能性に満ちた概念であることを示すのではないか。本書の執筆者たちは、一筋縄ではいかない、研究の最前線を走る研究者たちであり、与えられた「テクスト遺産」という概念から、様々な問題系を引き出してきているのである。
とはいえ、「テクスト遺産」概念はただの「おのころじま」のようなものではない。議論の叩き台としては、やはり冒頭のジェルリーニさんの緒論「なぜ「テクスト遺産」か」を挙げるべきであろう。あえていえば、古典研究者必読である。ここでは「テクスト遺産」という発想にいたる経緯として「遺産研究」の解説がまずなされ、「テクスト遺産」の概念の妥当性が主張される。そして「テクスト遺産」の好例として「古今伝授」が取り上げられている。「テクスト遺産」とは、単なるモノとしての資料や典籍ではなく、そこへの関わり、営みのプロセスそのものをいう。この切り口によって、「古今伝授」学が急に生き生きと動き出したと感じるのは私だけだろうか。テクスト遺産への関わりは、今だけではなく、過去においてもなされ続けていたから「テクスト遺産史」という構想も生まれるのである。
さて、もはや各論に触れる余裕はないが、昨年7月に行われたオンラインワークショップの発表者に強力なゲストを加えた豪華な執筆陣は、さすがにこの新しい概念を縦横に活かして論述している。「所有性」「作者性」「真正性」の3本柱に、「テクスト遺産の広がり」を加えている。私もこの新しい概念で、江戸時代中期の読物に「作者」が明記されるようになることをからめて考えてみた(「近世中期における「テクスト遺産」と「作者」」)。
最後になってしまいましたが、編者以外の執筆者は、佐々木孝浩、海野圭介、盛田帝子、兵藤裕己、高松寿夫、陣野英則、前田雅之、山本嘉孝、阿部龍一、Wdward KAMENS、荒木浩、Roberta STRIPPOLI、佐野真由子、林原行雄、稲賀繁美の各氏。https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=101251
ジェルリーニさんが提唱する、「テクスト遺産」という新しい研究視角。これは遺産研究(Heritage Studies)の考え方を参照にしつつも、従来「文化遺産」とは見做されていない文学作品をはじめとするテクストを文化遺産と位置づけることで、古典研究を学際的な研究対象とするとともに、「古典の危機」への打開策のヒントにする意味もありそうである。私は、この概念は有効であると今のところ思っていて、なぜくずし字教育が必要かを話す講演でも、使わせていただいた。しかし、今では定着している「間テクスト性」とか「カノン」のような概念も、当初「それって何?」「〜とどう違うの?」という反応があったように、「テクスト遺産」という概念も、既存の文学研究者たちに受け入れられるかどうかは、あと10年くらいたたないとわからないだろう。
現に、ジェルリーニさんの趣旨に理解を示したと考えられるこの本の執筆者たちの「テクスト遺産」概念が、実はまちまちであることが本書巻末の「テクスト遺産とは何か」で示されている。そこには編者たちの依頼によって、各執筆者の考える「テクスト遺産」の定義が語られているのである。
この事態は、「テクスト遺産」の理解の困難を示すとともに、「テクスト遺産」が議論すべき、可能性に満ちた概念であることを示すのではないか。本書の執筆者たちは、一筋縄ではいかない、研究の最前線を走る研究者たちであり、与えられた「テクスト遺産」という概念から、様々な問題系を引き出してきているのである。
とはいえ、「テクスト遺産」概念はただの「おのころじま」のようなものではない。議論の叩き台としては、やはり冒頭のジェルリーニさんの緒論「なぜ「テクスト遺産」か」を挙げるべきであろう。あえていえば、古典研究者必読である。ここでは「テクスト遺産」という発想にいたる経緯として「遺産研究」の解説がまずなされ、「テクスト遺産」の概念の妥当性が主張される。そして「テクスト遺産」の好例として「古今伝授」が取り上げられている。「テクスト遺産」とは、単なるモノとしての資料や典籍ではなく、そこへの関わり、営みのプロセスそのものをいう。この切り口によって、「古今伝授」学が急に生き生きと動き出したと感じるのは私だけだろうか。テクスト遺産への関わりは、今だけではなく、過去においてもなされ続けていたから「テクスト遺産史」という構想も生まれるのである。
さて、もはや各論に触れる余裕はないが、昨年7月に行われたオンラインワークショップの発表者に強力なゲストを加えた豪華な執筆陣は、さすがにこの新しい概念を縦横に活かして論述している。「所有性」「作者性」「真正性」の3本柱に、「テクスト遺産の広がり」を加えている。私もこの新しい概念で、江戸時代中期の読物に「作者」が明記されるようになることをからめて考えてみた(「近世中期における「テクスト遺産」と「作者」」)。
最後になってしまいましたが、編者以外の執筆者は、佐々木孝浩、海野圭介、盛田帝子、兵藤裕己、高松寿夫、陣野英則、前田雅之、山本嘉孝、阿部龍一、Wdward KAMENS、荒木浩、Roberta STRIPPOLI、佐野真由子、林原行雄、稲賀繁美の各氏。https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=101251
2021年07月20日
羽倉本『春雨物語』の影印本レビュー
ここでも何度か書きましたが、新出秋成自筆『春雨物語』、天理図書館藏の羽倉本『春雨物語』が、天理冊子本・西荘本を併せて、影印が公刊されましたが、その本のレビューを書かせていただきました。ALL REVIEWSという書評サイトで、本日、WEBで配信されました。Yahoo!ニュースでも配信されました。
●ALL REVIEWS
https://allreviews.jp/review/5567
●Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/24435141ca8069d391ae6b520c2af43eef9aec39
●ALL REVIEWS
https://allreviews.jp/review/5567
●Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/24435141ca8069d391ae6b520c2af43eef9aec39
2018年10月22日
古典籍を開くために
国文学研究資料館の広報誌『国文研ニューズ』53号(2018年10月)に、「古典籍を開くために」というエッセイを載せていただきました。
いずれ、WEBにも載せられるはずですが、現在はまだのようです。紙媒体をどこかで見かけられたらご笑覧ください。
著作権は国文研に渡しておりますので、再掲はできませんが、ないじぇる芸術共創ラボとクラウド・ソーシング翻刻の可能性について述べました。
「みんなで翻刻」をヒントにして、古典籍をみんなで翻刻・現代語訳・翻訳しようという夢想について書きました。
「勝手なことをまた」とおっしゃる向きもございますし、その方のお気持ちも実によくわかっておりますが、そこは夢想ということでお許しを。
ところで、ないじぇる芸術共創ラボというのは、一体なにをやっているのだろうと思いますよね。
学会で当事者(古典インタプリタ)に聞いたところ、いまは仕込みの段階で、徐々にアウトプットをしてゆくということです。
古典を素材に、演劇をつくったりしているようですが、確かに、そんなに簡単に公開!ってわけにはゆきませんよね。期待しましょう。
いずれ、WEBにも載せられるはずですが、現在はまだのようです。紙媒体をどこかで見かけられたらご笑覧ください。
著作権は国文研に渡しておりますので、再掲はできませんが、ないじぇる芸術共創ラボとクラウド・ソーシング翻刻の可能性について述べました。
「みんなで翻刻」をヒントにして、古典籍をみんなで翻刻・現代語訳・翻訳しようという夢想について書きました。
「勝手なことをまた」とおっしゃる向きもございますし、その方のお気持ちも実によくわかっておりますが、そこは夢想ということでお許しを。
ところで、ないじぇる芸術共創ラボというのは、一体なにをやっているのだろうと思いますよね。
学会で当事者(古典インタプリタ)に聞いたところ、いまは仕込みの段階で、徐々にアウトプットをしてゆくということです。
古典を素材に、演劇をつくったりしているようですが、確かに、そんなに簡単に公開!ってわけにはゆきませんよね。期待しましょう。
2018年07月15日
千石篩と同行二人
意味不明のタイトルで申し訳ない。
7月14日、猛暑の京都、花園大学で行われた京都近世小説研究会。
発表者は、私と井口洋先生。
私が「『作者評判千石篩』考−仮名読物史のために−」、井口先生が、「室の八嶋の二人ーー奥の細道・点と線」。
私のは、近世仮名読物における「作者」とは何かということを考えるヒントになるのではと、戯作評判の開山である「作者評判千石篩(せんごくとおし)」で、読者の側からみる「作者」という視点から、ぐるぐる考察したもの。貴重なご助言を受けたので、ありがたかった。どこかでまた論文にします。
井口先生のも、いずれ論文になるのでネタバレはいかんと思いますので詳しくは書きまへん。「同行曽良」への疑問。本当に同行?そしてアリバイ崩し。なかなか見事な推理。そう、だから点と線。東京駅ホーム4分の空白というあの有名な清張の小説。日本推理小説ベスト10にたぶん入るやつです。とりあえずこのあたりで。
7月14日、猛暑の京都、花園大学で行われた京都近世小説研究会。
発表者は、私と井口洋先生。
私が「『作者評判千石篩』考−仮名読物史のために−」、井口先生が、「室の八嶋の二人ーー奥の細道・点と線」。
私のは、近世仮名読物における「作者」とは何かということを考えるヒントになるのではと、戯作評判の開山である「作者評判千石篩(せんごくとおし)」で、読者の側からみる「作者」という視点から、ぐるぐる考察したもの。貴重なご助言を受けたので、ありがたかった。どこかでまた論文にします。
井口先生のも、いずれ論文になるのでネタバレはいかんと思いますので詳しくは書きまへん。「同行曽良」への疑問。本当に同行?そしてアリバイ崩し。なかなか見事な推理。そう、だから点と線。東京駅ホーム4分の空白というあの有名な清張の小説。日本推理小説ベスト10にたぶん入るやつです。とりあえずこのあたりで。
2018年02月22日
翻刻プロジェクトについての懇談会で話します。
一昨日は、国立国会図書館関西館で特別講義。世界各地から来られた熱心な研修生と一般の方を相手に、くずし字学習支援アプリのお話をいたしました。そして明日、次のような会でお話をします。ただ、定員に達しているようですね。
デジタールアーカイブ学会技術部会・人文情報学研究所主催
[懇談会] Europeana の翻刻プロジェクトと日本の翻刻プロジェクト
日時・会場
2018/2/23 (金) 15:00-17:00
東京大学情報学環本館 6F会議室
話題提供
飯倉 洋一(大阪大学大学院文学研究科)
「クラウドソーシング翻刻のための基盤形成:日本古典籍の場合」(逐次通訳付き)
Frank Drauschke 氏
共通の歴史を市民の手で – Europeana 1914-1918 と翻刻 (逐次通訳付き)
こちらに案内があります。
http://digitalarchivejapan.org/bukai/gijutsu
デジタールアーカイブ学会技術部会・人文情報学研究所主催
[懇談会] Europeana の翻刻プロジェクトと日本の翻刻プロジェクト
日時・会場
2018/2/23 (金) 15:00-17:00
東京大学情報学環本館 6F会議室
話題提供
飯倉 洋一(大阪大学大学院文学研究科)
「クラウドソーシング翻刻のための基盤形成:日本古典籍の場合」(逐次通訳付き)
Frank Drauschke 氏
共通の歴史を市民の手で – Europeana 1914-1918 と翻刻 (逐次通訳付き)
こちらに案内があります。
http://digitalarchivejapan.org/bukai/gijutsu
2017年11月26日
変体仮名シンポジウム
,国立国語研究所、初見参。なんて立派な建物でしょうか!さんさんと光は入るし、4階からは富士山も見えるんだって。近くの共同研究利用機関と比べても・・・(いやいやこれはやめておきましょう)。というわけで、シンポジウム「変体仮名のこれまでとこれから」に参加、くずし字学習支援アプリのことを発表しました。
午前中は、変体仮名の歴史をめぐる、学術的な発表が3本。つまり「変体仮名のこれまで」。
午後からは3つセッションがあって、最初は変体仮名の文字コード国際標準化をめぐる3つの発表。平たく言えば、変体仮名を外字ではなくワープロ入力できるようになるまでの物語である。職人的フォント作りの話から、政治的駆け引きにも匹敵する戦略の話まで。今まで全くもって存じ上げなかったが、国語研・IPA・モリサワ(フォントを作った業者)の方々のご努力がKuLAを支えていたのだと、感謝の気持ちがこみ上げました。
次が変体仮名の学習をテーマとするセッションで、私がKuLA開発の経緯を、橋本雄太さんがKuLAのデモとシステムのことなどを、専修大学の斎藤建哉氏が変体仮名教育の実践の話を行った。とくに斎藤氏の創意あふれる授業方法には蒙を啓かれた。Webでもそれを公開しておられる。
最後のセッションは国文研の字形データセットと凸版印刷のOCR技術、そしてまとめ的な締めがあった。それぞれ聞き応えがあった。
ちなみに自分の発表は散々だったですが(なにしろ、驚いたのは、私だけハンドアウトがなかったことで。みなさん真面目ね。あと、パワーポイントでハイパーリンク張って説明しようと思ったのだが、発表者ツールモードではうまくいかないのね。折角事前に岡田一祐さん(国文研)にレクチャー受けていたのに馬鹿なことを。時間配分も大失敗だったのよ〜)、まあ終わったからいいとしよう。
しかし、ふと思ったのは、折角これだけデジタルヒューマニティーズが展開しているのに、国文学研究者、学生をふくめ、どれだけフォローできているのだろうかということ。不安になった。これはなんとかしなければと、そっちの方でもいろいろ相談をした次第でありました。
立川の宿からなんと富士山が見えたが、朝のモノレールからもばっちり拝めた。こんなに大きく見えるのかと改めて認識しました。
午前中は、変体仮名の歴史をめぐる、学術的な発表が3本。つまり「変体仮名のこれまで」。
午後からは3つセッションがあって、最初は変体仮名の文字コード国際標準化をめぐる3つの発表。平たく言えば、変体仮名を外字ではなくワープロ入力できるようになるまでの物語である。職人的フォント作りの話から、政治的駆け引きにも匹敵する戦略の話まで。今まで全くもって存じ上げなかったが、国語研・IPA・モリサワ(フォントを作った業者)の方々のご努力がKuLAを支えていたのだと、感謝の気持ちがこみ上げました。
次が変体仮名の学習をテーマとするセッションで、私がKuLA開発の経緯を、橋本雄太さんがKuLAのデモとシステムのことなどを、専修大学の斎藤建哉氏が変体仮名教育の実践の話を行った。とくに斎藤氏の創意あふれる授業方法には蒙を啓かれた。Webでもそれを公開しておられる。
最後のセッションは国文研の字形データセットと凸版印刷のOCR技術、そしてまとめ的な締めがあった。それぞれ聞き応えがあった。
ちなみに自分の発表は散々だったですが(なにしろ、驚いたのは、私だけハンドアウトがなかったことで。みなさん真面目ね。あと、パワーポイントでハイパーリンク張って説明しようと思ったのだが、発表者ツールモードではうまくいかないのね。折角事前に岡田一祐さん(国文研)にレクチャー受けていたのに馬鹿なことを。時間配分も大失敗だったのよ〜)、まあ終わったからいいとしよう。
しかし、ふと思ったのは、折角これだけデジタルヒューマニティーズが展開しているのに、国文学研究者、学生をふくめ、どれだけフォローできているのだろうかということ。不安になった。これはなんとかしなければと、そっちの方でもいろいろ相談をした次第でありました。
立川の宿からなんと富士山が見えたが、朝のモノレールからもばっちり拝めた。こんなに大きく見えるのかと改めて認識しました。
2017年07月23日
前期読本怪談集
江戸怪談文芸名作選2『前期読本怪談集』(2017年7月)が国書刊行会から刊行された。
本シリーズは、木越治さんの監修で、第1巻は木越さんが校訂代表として『新編浮世草子怪談集』として編集・すでに1年以上前に刊行されている。
第2巻は、私が編集担当(校訂代表)で、いわゆる「前期読本」に分類されているもののなかで、従来翻刻のないもの、また翻刻があってもかなり古いものであったり、一般の方が容易に見にくいものであったりするもの、もちろん、読んで面白い、「名作」の名に値するものを選んで、一般の方に読みやすいように校訂し、解題を施したものである。
以下の4編であるが、このうちBははじめての翻刻となる。
@『垣根草』、A『新斎夜語』、B『続新斎夜語』、C『唐土の吉野』
校訂は私の教え子たちに分担してもらった。
@の『垣根草』は、近年都賀庭鐘作者説が再浮上しているもので、江戸の草双紙との関係で論文を書いた有澤知世さんが担当。
Aの『新斎夜語』は、私にいう〈学説寓言〉の形式を多くとるもの。かつて科研報告書で、翻刻の作業をしていただいた、浜田泰彦さんが担当。
Bの『続新斎夜語』は、浜田さんとともに、『新斎夜語』を調査していただいたが、熱心な書誌調査に基づき、諸本を調べ上げたことのある篗田(わくだ)さんが担当。
なお解題はABともに、篗田さんにお願いした。ABについては、阪大で不定期に行われている「上方読本を読む会」で、ずっと読み続けているものである。
Cの『唐土の吉野』は、この中ではもっとも怪談にふさわしい本かと思うが、従来、井上啓治氏のご研究があるくらいだった。今回本叢書にこれを収めるにあたり、大学院の演習で、1年間これを読んだ。私が校訂と解題を担当しているが、これはその時の成果であると言ってよい。演習に参加し、翻刻や注釈を担当した諸君に深謝したい。
本シリーズは、木越治さんの監修で、第1巻は木越さんが校訂代表として『新編浮世草子怪談集』として編集・すでに1年以上前に刊行されている。
第2巻は、私が編集担当(校訂代表)で、いわゆる「前期読本」に分類されているもののなかで、従来翻刻のないもの、また翻刻があってもかなり古いものであったり、一般の方が容易に見にくいものであったりするもの、もちろん、読んで面白い、「名作」の名に値するものを選んで、一般の方に読みやすいように校訂し、解題を施したものである。
以下の4編であるが、このうちBははじめての翻刻となる。
@『垣根草』、A『新斎夜語』、B『続新斎夜語』、C『唐土の吉野』
校訂は私の教え子たちに分担してもらった。
@の『垣根草』は、近年都賀庭鐘作者説が再浮上しているもので、江戸の草双紙との関係で論文を書いた有澤知世さんが担当。
Aの『新斎夜語』は、私にいう〈学説寓言〉の形式を多くとるもの。かつて科研報告書で、翻刻の作業をしていただいた、浜田泰彦さんが担当。
Bの『続新斎夜語』は、浜田さんとともに、『新斎夜語』を調査していただいたが、熱心な書誌調査に基づき、諸本を調べ上げたことのある篗田(わくだ)さんが担当。
なお解題はABともに、篗田さんにお願いした。ABについては、阪大で不定期に行われている「上方読本を読む会」で、ずっと読み続けているものである。
Cの『唐土の吉野』は、この中ではもっとも怪談にふさわしい本かと思うが、従来、井上啓治氏のご研究があるくらいだった。今回本叢書にこれを収めるにあたり、大学院の演習で、1年間これを読んだ。私が校訂と解題を担当しているが、これはその時の成果であると言ってよい。演習に参加し、翻刻や注釈を担当した諸君に深謝したい。
2017年05月01日
ニコニコ超会議に参加しました。
4月30日。ニコニコ超会議「超みんなで翻刻してみた」に参加しました。私は「しみまる」の生みの親、笠間書院の西内さんと、くずし字の初歩と、くずし字学習アプリの紹介をしました。生放送がされていて、1万人ほどが視聴されたようです(これは1日でってことですが)。他にも、先生方の講義がいろいろありました。
初めての幕張メッセ。初めてのニコ超。いたるところにコスプレイヤー、ゲーマーがいて、私達のブースの後ろを、なま宮崎駿が通る!など、自分が被り物をしていても、全く恥ずかしくないこの雰囲気。ただ想像以上に騒然としていて、自然に声を張り上げていたのか、ノドがガラガラになりました。しかし、何かもう一度来たいような気持ちもかなりありますね。大体様子もわかったので、準備の仕方ってのこうすりゃいいのかなってわかったしね。我々のブースは、ほとんど唯一の(となりに「日本うんこ学会」がいましたが)学術的なもので、ノリもゆるいものでしたので、逆に異彩を放っていたかもしれません。ともあれ任務終了。
初めての幕張メッセ。初めてのニコ超。いたるところにコスプレイヤー、ゲーマーがいて、私達のブースの後ろを、なま宮崎駿が通る!など、自分が被り物をしていても、全く恥ずかしくないこの雰囲気。ただ想像以上に騒然としていて、自然に声を張り上げていたのか、ノドがガラガラになりました。しかし、何かもう一度来たいような気持ちもかなりありますね。大体様子もわかったので、準備の仕方ってのこうすりゃいいのかなってわかったしね。我々のブースは、ほとんど唯一の(となりに「日本うんこ学会」がいましたが)学術的なもので、ノリもゆるいものでしたので、逆に異彩を放っていたかもしれません。ともあれ任務終了。
2017年04月28日
ニコニコ超会議に出演します。
ニコニコ動画の大規模オフ企画、ニコニコ超会議が、4月29日(土)・30日(日)の2日に亘って行われます。同動画で月1の番組を持っていて、1万数千人の視聴者をもつ、京都大学古地震研究会の「みんなで翻刻」プロジェクトが、このニコニコ超会議に参加します。題して「超みんなで翻刻してみた」。
30日の13:00ころから、しみまるキャラクターボイスを務める私めが、ゲスト出演する予定です。出演時間は1時間ほど・初心者向けにくずし字のレクチャーをします。笠間書院の西内さんと一緒です。しみまるキャップを被る可能性大。短いレクチャーを何度か繰り返します。生放送が予定されています。http://live.nicovideo.jp/watch/lv295707090?ref=sharetw
そして、現場にくれば、しみまると、しばのすけのステッカーがもらえるらしい!
30日の13:00ころから、しみまるキャラクターボイスを務める私めが、ゲスト出演する予定です。出演時間は1時間ほど・初心者向けにくずし字のレクチャーをします。笠間書院の西内さんと一緒です。しみまるキャップを被る可能性大。短いレクチャーを何度か繰り返します。生放送が予定されています。http://live.nicovideo.jp/watch/lv295707090?ref=sharetw
そして、現場にくれば、しみまると、しばのすけのステッカーがもらえるらしい!
2017年03月19日
『アプリで学ぶくずし字』電子版
『アプリで学ぶくずし字』の電子書籍版が出ました。いますぐ読みたい方、海外の方、ご利用ください。
2017年03月14日
『小津久足の文事』書評を書きました。
『中央公論』4月号(3月10日発売)の「書苑周遊 新刊この一冊」で、菱岡憲司『小津久足の文事』(ぺりかん社)を取り上げました。本屋や図書館で見かけましたら、ちらっと見ていただければ幸いです。
2017年02月28日
蘆庵自筆本六帖詠藻の翻字出版
和泉書院から、『研究叢書486 小沢蘆庵自筆 六帖詠藻 本文と研究』(蘆庵文庫研究会編 2017年02月)が刊行された。B5判、788頁のずっしりと重い、学振研究成果出版助成図書。蘆庵文庫研究会メンバーは、大谷俊太・加藤弓枝・神作研一・盛田帝子・山本和明と私の6名。たいへんな事業だった。数年前蘆庵文庫本(現在京都女子大学所蔵)の翻字を科研報告書(またはCD)として出版したが、今回は、人名索引・初句索引と解説を完備し、底本も静嘉堂文庫の蘆庵自筆本に拠った決定版である。
帯には次のように記されている。
「蘆庵の神髄、いよいよ
その和歌、およそ17000首。歌論家として知られる小沢蘆庵(1723‐1801)の、和歌の全貌を初めて翻印公刊。歌論的言説も、連作の妙味も、妙法院宮真仁法親王や上田秋成との雅交も、あるいは双六歌や沓冠歌などの〈遊び〉も、蘆庵の日々の和歌の営みが、すべてここに明らかに――。
蘆庵自筆の静嘉堂文庫蔵本(50巻47冊)を底本とし、他本と校訂をして翻字。加藤弓枝「自筆本『六帖詠藻』と板本『六帖詠草』」ほか3本の論考を併載し、「人名索引」「和歌連歌/漢詩初句索引」を添える。収載された700名を超える人名はまさに蘆庵の交遊圏そのもの。蘆庵の和歌的生活がつぶさに知られて貴重である。
こたびの公刊は、かつてこの難事に挑み、蘆庵文庫本(現京都女子大学図書館蔵)を底本として全巻の翻字と他本との校合を終えながらも公刊を果たし得なかった医者にして蘆庵研究の先達、中野稽雪・義雄父子の意思を引き継いだ、いわば60年越しの宿願の成就にほかならない。」
研究者の中でも知る人は知っているが、この『自筆本六帖詠藻』は、蘆庵の歌の全貌が知られるだけではなく、近世後期上方文壇の人的交流を明らかにする非常に貴重な資料。中野稽雪・義雄父子の思いと、それを引き継いだ我々の活動の軌跡については、大谷俊太さんの後語に詳しく記されている。関係者はたぶん涙なくしては読めない文章である。以下は目次
緒言―近世和歌史と小沢蘆庵― 神作研一
第一部 本文編 編集・校訂 飯倉洋一・大谷俊太・加藤弓枝・神作研一・盛田帝子・山本和明
翻字凡例
六帖詠藻
春一〜春十一
夏一〜夏六
秋一〜秋十
冬一〜冬六
恋一〜恋三
雑一〜雑十三
第二部 研究編 加藤弓枝
はじめに
論文1 自筆本『六帖詠藻』と板本『六帖詠草』
論文2 小沢蘆庵の門人指導―『六帖詠藻』に現れる非蔵人たち―
論文3 『六帖詠藻』と蘆庵門弟―自筆本系の諸本を通して―
第三部 索引編 大谷俊太・加藤弓枝編
索引凡例
人名索引
和歌連歌初句索引
漢詩初句索引
後書 大谷俊太
近世後期歌壇に言及する研究者には必携。そして是非図書館・研究室で備えていただきたい。
帯には次のように記されている。
「蘆庵の神髄、いよいよ
その和歌、およそ17000首。歌論家として知られる小沢蘆庵(1723‐1801)の、和歌の全貌を初めて翻印公刊。歌論的言説も、連作の妙味も、妙法院宮真仁法親王や上田秋成との雅交も、あるいは双六歌や沓冠歌などの〈遊び〉も、蘆庵の日々の和歌の営みが、すべてここに明らかに――。
蘆庵自筆の静嘉堂文庫蔵本(50巻47冊)を底本とし、他本と校訂をして翻字。加藤弓枝「自筆本『六帖詠藻』と板本『六帖詠草』」ほか3本の論考を併載し、「人名索引」「和歌連歌/漢詩初句索引」を添える。収載された700名を超える人名はまさに蘆庵の交遊圏そのもの。蘆庵の和歌的生活がつぶさに知られて貴重である。
こたびの公刊は、かつてこの難事に挑み、蘆庵文庫本(現京都女子大学図書館蔵)を底本として全巻の翻字と他本との校合を終えながらも公刊を果たし得なかった医者にして蘆庵研究の先達、中野稽雪・義雄父子の意思を引き継いだ、いわば60年越しの宿願の成就にほかならない。」
研究者の中でも知る人は知っているが、この『自筆本六帖詠藻』は、蘆庵の歌の全貌が知られるだけではなく、近世後期上方文壇の人的交流を明らかにする非常に貴重な資料。中野稽雪・義雄父子の思いと、それを引き継いだ我々の活動の軌跡については、大谷俊太さんの後語に詳しく記されている。関係者はたぶん涙なくしては読めない文章である。以下は目次
緒言―近世和歌史と小沢蘆庵― 神作研一
第一部 本文編 編集・校訂 飯倉洋一・大谷俊太・加藤弓枝・神作研一・盛田帝子・山本和明
翻字凡例
六帖詠藻
春一〜春十一
夏一〜夏六
秋一〜秋十
冬一〜冬六
恋一〜恋三
雑一〜雑十三
第二部 研究編 加藤弓枝
はじめに
論文1 自筆本『六帖詠藻』と板本『六帖詠草』
論文2 小沢蘆庵の門人指導―『六帖詠藻』に現れる非蔵人たち―
論文3 『六帖詠藻』と蘆庵門弟―自筆本系の諸本を通して―
第三部 索引編 大谷俊太・加藤弓枝編
索引凡例
人名索引
和歌連歌初句索引
漢詩初句索引
後書 大谷俊太
近世後期歌壇に言及する研究者には必携。そして是非図書館・研究室で備えていただきたい。
2017年01月31日
専門図書館
『専門図書館』第281号(専門図書館協議会、2017年1月)に、「くずし字学習支援アプリKuLAについて」という文章を書かせていただきました。要は紹介の文章ですが。
2016年12月04日
真山青果の魅力!
12月3日は一橋講堂で、学術シンポジウム「真山青果の魅力―近世と近代をつなぐ存在」が開かれた。500人収容可能の素晴らしい会場だったが、マックス120くらいの集まりだったかしら。芸能史研究会東京大会(早稲田大学)や演劇学会、国立劇場の歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」が2日目など、いろいろバッティングしていたこともあり、残念であったが、内容は非常に充実していて、実行委員としては90点をあげてもいいかなと思う。アンケートでも、全体としては好評だった。
とりわけ神山彰先生の基調講演が素晴らしかった。数々の青果の芝居を縦横に論じ、その創作意識、近代演劇史上の位置、さらには今後の青果作品の生かし方に至るまで、内容の濃い、かつ面白いお話だった。あれだけ専門用語をつかいながら、そして私達が見ていない作品について語っているのに、ものすごくわかりやすいという、奇跡的な話芸である。先生のご講演を初めて聞いたが本当に驚いた。お願いしてよかったと思った。「演劇というものは自立していない(テキスト)」。「今の観客はボリュームを最大にしないと満足しない。いきおい力演型、熱演型が評価されるようになる」。「青果の成功は、新しいことをやっただけでなく、古いものを残したところ」。「青果が今後生き残るのは歌舞伎ではなく新派」など、印象に残ることばがいくつもあった。神山先生は長い間、国立劇場で実際に芝居に関わってきた方。年季が違う。演劇を知り尽くしていらっしゃる。本当に聞き惚れてしまった。
パネリストとして登壇したのは、西鶴翻案ものを太宰治と比較して論じた丹羽みさとさん、青果文庫の調査から見出された昭和19年当時の青果の住所録を紹介しつつ青果の多彩な人的交流をあぶりだした青木稔弥さん、西鶴研究における真山青果の業績について検証し、その影響をわかりやすく論じた広嶋進さんの3名。いずれも青果文庫調査メンバーである。そして、難しい全体ディスカッションを仕切った日置貴之さんの捌きも実に見事。フロアからの質問を巧みに織り込んで、流れをつくる手腕は素晴らしかった。
真山蘭里さんの挨拶も胸を打つものであった。このプロジェクトは、不思議な縁がいくつも重なって実現している。国文学研究資料館の山下則子さん、青田寿美さんはじめ、調査メンバーの献身的なご協力もあった。青田さんの作った展示リーフレットの文章は、「青果への愛にあふれている」と蘭里さんはおっしゃっていた。私がドイツにいてなにもお手伝いできない間、星槎グループのスタッフの皆さんや、国文研の皆さんには大変ご尽力をいただいた。松竹の協力、日本近世文学会の後援もありがたかった。すべての関係者のみなさまに、実行委員として感謝申し上げます。ありがとうございました。
しかし、青果プロジェクトは、まだ終わらない。次なる挑戦がまたはじまります。また頑張ります。
とりわけ神山彰先生の基調講演が素晴らしかった。数々の青果の芝居を縦横に論じ、その創作意識、近代演劇史上の位置、さらには今後の青果作品の生かし方に至るまで、内容の濃い、かつ面白いお話だった。あれだけ専門用語をつかいながら、そして私達が見ていない作品について語っているのに、ものすごくわかりやすいという、奇跡的な話芸である。先生のご講演を初めて聞いたが本当に驚いた。お願いしてよかったと思った。「演劇というものは自立していない(テキスト)」。「今の観客はボリュームを最大にしないと満足しない。いきおい力演型、熱演型が評価されるようになる」。「青果の成功は、新しいことをやっただけでなく、古いものを残したところ」。「青果が今後生き残るのは歌舞伎ではなく新派」など、印象に残ることばがいくつもあった。神山先生は長い間、国立劇場で実際に芝居に関わってきた方。年季が違う。演劇を知り尽くしていらっしゃる。本当に聞き惚れてしまった。
パネリストとして登壇したのは、西鶴翻案ものを太宰治と比較して論じた丹羽みさとさん、青果文庫の調査から見出された昭和19年当時の青果の住所録を紹介しつつ青果の多彩な人的交流をあぶりだした青木稔弥さん、西鶴研究における真山青果の業績について検証し、その影響をわかりやすく論じた広嶋進さんの3名。いずれも青果文庫調査メンバーである。そして、難しい全体ディスカッションを仕切った日置貴之さんの捌きも実に見事。フロアからの質問を巧みに織り込んで、流れをつくる手腕は素晴らしかった。
真山蘭里さんの挨拶も胸を打つものであった。このプロジェクトは、不思議な縁がいくつも重なって実現している。国文学研究資料館の山下則子さん、青田寿美さんはじめ、調査メンバーの献身的なご協力もあった。青田さんの作った展示リーフレットの文章は、「青果への愛にあふれている」と蘭里さんはおっしゃっていた。私がドイツにいてなにもお手伝いできない間、星槎グループのスタッフの皆さんや、国文研の皆さんには大変ご尽力をいただいた。松竹の協力、日本近世文学会の後援もありがたかった。すべての関係者のみなさまに、実行委員として感謝申し上げます。ありがとうございました。
しかし、青果プロジェクトは、まだ終わらない。次なる挑戦がまたはじまります。また頑張ります。
2016年05月20日
ドイツで『リポート笠間』60号を読む
ドイツのハイデルベルク大学で、上田秋成の諸作品を読むゼミと、江戸の本を読むスキルをつけるゼミとを担当し、はやくも5週を終えた。3分の1終了である。どちらの授業も、当方の予想とは違う所で立ち止まり、議論になり、あるいは解説を補足する。授業には、ハイデルベルク大学のアロカイ先生も参加し、こちらの進め方を一たんストップさせたり、軌道修正してくださることもあって、大変助かっている。
秋成の授業では、ドイツ語での議論になることもあり、もちろん学生たちはその方が深い議論ができるに決まっているのだが、私にはその機微はわからない。アロカイ先生が議論のポイントを通訳してくれる。面白いことに、どちらの授業にも日本人の受講生がいて、彼らは日本語の方が得意なわけである。しかし、彼らもドイツ語の議論には参加する。アロカイ先生が、最も全体の流れを把握している。私と学生の十全なコミュニケーションが出来ないなかで、さまざまな意志疎通の方法が試されている。
秋成の作品を読む授業では、「菊花の約」とシラーの「人質」との比較が議論になった。「走れメロス」の典拠でもある。日本の演習ではまず出てこない議論である。こちらも非常に勉強になる。
もうひとつの、江戸の本を読むスキルをつけるゼミでは、くずし字を読み、その意味を理解し、ドイツ語訳をするというところまでを一連のワークとする。これもアロカイ先生の支援なしには考えられない授業である。KuLAでの予習と、3回にわたる宿題で、彼らはかなりスキルを身につけてきた。日本の古典籍を真剣に読みたいという学生もいて、その熱意は大変なものである。
こういう、いつもの年と全く違う試行錯誤をしている私の手元に、笠間書院から、福田安典さんの『「医学書のなかの「文学」』と、『リポート笠間』60号が届いた。今回拙文が載ったことと、福田さんの本の出版のタイミングが重なったので、わざわざドイツまで送ってくださったのは、まことにありがたい。
福田さんの新著については、別に書くことにする。『リポート笠間』は近年面白い特集をやってくれるが、今回は「論争」で、ここに私自身も書かせていただいた。拙文はすでに笠間書院のサイトに掲載されているが、今のところ特段の反響はない。私は「菊花の約」の拙論を批判した木越治氏の『上田秋成研究事典』の「菊花の約」研究史の中での拙論への言及に反論を書いて載せてもらった。頁数の制約で、かなり削ったため、意を尽くせたかどうか不安だったが、一番反応が欲しかった木越氏自身からは、既に「読んだよ」という連絡があった。んー、何て言われるかしら、と覚悟を決めたが、反論はきちんとした活字媒体でやってくださるとの事、こんなに嬉しいことはない。
ところで、今号の笠間リポートでありがたいのは、前述したKuLAについてのレビューが二つ掲載されていたこと。一つは岡田一祐氏の、変体仮名あぷり・MOJIZOとならんでのKuLA批評。たしかこの元になった文章はネットでみていた。たしかに練習問題の際に、前後の字が映り込むという指摘はおっしゃる通りである。しかし、そのマイナス面も計算に入れた上で、あえて残したということもある。そちらの方が実践的であると思うからだが、実際に、検証していないから何とも言えないところ。とまれレビューをいただいたことには深く感謝する。
また、「面白かった、この三つ」でも、植田麦氏が、KuLAを取り上げてくださった。ありがとうございます。こちらハイデルベルク大学でも、アプリを自習教材として使っているが、学生たちは着実にテストの「全問正解」のスタンプを増やしていっている。いま日本(文)学を学ぶ学生の、隠れたベストセラー(無料だが)なのかもしれない。すくなくととも、『くずし字解読辞典』を探すのも大変な海外の日本研究者には、活用していただきたいと願うものである。
このほかに、古田尚行氏の国語教育の現場からのご提言、日置貴之氏の演劇研究者としての視座が随所に光る安藤宏著の書評、入口敦志氏の「面白かった、この三つ」に垣間見える大きな問題意識、そして勝又基氏の「目録」国際シンポ報告が面白かった。勝又氏がアメリカで一年研修をして実感したことは、おそらくこれから私も実感として理解してゆくことでなければならないが、僭越ながら大いに共感を持って読ませていただいた。海外からのアクセスを前提に、あらゆるデータベース構築は考えられる必要がある。折角データベースを作っても、それをどうやったら見てもらえるかというところの配慮がどうなんだろうというケースが確かに多いのである。望まれるのはプラットホームの構築。少なくとも英語版は必要。それができるのは今のところ国文研。だがそれには人的資源と経済的資源が必要であろう。ここが問題。
データベースや現物の情報が得やすくなれば、今やくずし字学習を必須と考える海外の日本研究者と日本の研究者が議論を共有できる可能性は飛躍的に広がるだろう。
秋成の授業では、ドイツ語での議論になることもあり、もちろん学生たちはその方が深い議論ができるに決まっているのだが、私にはその機微はわからない。アロカイ先生が議論のポイントを通訳してくれる。面白いことに、どちらの授業にも日本人の受講生がいて、彼らは日本語の方が得意なわけである。しかし、彼らもドイツ語の議論には参加する。アロカイ先生が、最も全体の流れを把握している。私と学生の十全なコミュニケーションが出来ないなかで、さまざまな意志疎通の方法が試されている。
秋成の作品を読む授業では、「菊花の約」とシラーの「人質」との比較が議論になった。「走れメロス」の典拠でもある。日本の演習ではまず出てこない議論である。こちらも非常に勉強になる。
もうひとつの、江戸の本を読むスキルをつけるゼミでは、くずし字を読み、その意味を理解し、ドイツ語訳をするというところまでを一連のワークとする。これもアロカイ先生の支援なしには考えられない授業である。KuLAでの予習と、3回にわたる宿題で、彼らはかなりスキルを身につけてきた。日本の古典籍を真剣に読みたいという学生もいて、その熱意は大変なものである。
こういう、いつもの年と全く違う試行錯誤をしている私の手元に、笠間書院から、福田安典さんの『「医学書のなかの「文学」』と、『リポート笠間』60号が届いた。今回拙文が載ったことと、福田さんの本の出版のタイミングが重なったので、わざわざドイツまで送ってくださったのは、まことにありがたい。
福田さんの新著については、別に書くことにする。『リポート笠間』は近年面白い特集をやってくれるが、今回は「論争」で、ここに私自身も書かせていただいた。拙文はすでに笠間書院のサイトに掲載されているが、今のところ特段の反響はない。私は「菊花の約」の拙論を批判した木越治氏の『上田秋成研究事典』の「菊花の約」研究史の中での拙論への言及に反論を書いて載せてもらった。頁数の制約で、かなり削ったため、意を尽くせたかどうか不安だったが、一番反応が欲しかった木越氏自身からは、既に「読んだよ」という連絡があった。んー、何て言われるかしら、と覚悟を決めたが、反論はきちんとした活字媒体でやってくださるとの事、こんなに嬉しいことはない。
ところで、今号の笠間リポートでありがたいのは、前述したKuLAについてのレビューが二つ掲載されていたこと。一つは岡田一祐氏の、変体仮名あぷり・MOJIZOとならんでのKuLA批評。たしかこの元になった文章はネットでみていた。たしかに練習問題の際に、前後の字が映り込むという指摘はおっしゃる通りである。しかし、そのマイナス面も計算に入れた上で、あえて残したということもある。そちらの方が実践的であると思うからだが、実際に、検証していないから何とも言えないところ。とまれレビューをいただいたことには深く感謝する。
また、「面白かった、この三つ」でも、植田麦氏が、KuLAを取り上げてくださった。ありがとうございます。こちらハイデルベルク大学でも、アプリを自習教材として使っているが、学生たちは着実にテストの「全問正解」のスタンプを増やしていっている。いま日本(文)学を学ぶ学生の、隠れたベストセラー(無料だが)なのかもしれない。すくなくととも、『くずし字解読辞典』を探すのも大変な海外の日本研究者には、活用していただきたいと願うものである。
このほかに、古田尚行氏の国語教育の現場からのご提言、日置貴之氏の演劇研究者としての視座が随所に光る安藤宏著の書評、入口敦志氏の「面白かった、この三つ」に垣間見える大きな問題意識、そして勝又基氏の「目録」国際シンポ報告が面白かった。勝又氏がアメリカで一年研修をして実感したことは、おそらくこれから私も実感として理解してゆくことでなければならないが、僭越ながら大いに共感を持って読ませていただいた。海外からのアクセスを前提に、あらゆるデータベース構築は考えられる必要がある。折角データベースを作っても、それをどうやったら見てもらえるかというところの配慮がどうなんだろうというケースが確かに多いのである。望まれるのはプラットホームの構築。少なくとも英語版は必要。それができるのは今のところ国文研。だがそれには人的資源と経済的資源が必要であろう。ここが問題。
データベースや現物の情報が得やすくなれば、今やくずし字学習を必須と考える海外の日本研究者と日本の研究者が議論を共有できる可能性は飛躍的に広がるだろう。